和解
昼休み、春原と歩いていると、何かを一生懸命拾っている女子生徒がいたので、何かと思い私は近づいた。その姿があまりにも大変そうだったので、声をかけた。
「あの、大丈夫ですか」
その声に振り返った女子生徒はあっという声を上げた。私も思わずあとずさりをしてしまった。
女子生徒は、逃げるように駆け出した。止める暇はなかった。
「どうした?誰だ、今の生徒」
私は少し動揺しながら
「木内ゆかりさん、私の元クラスメイト」
「なんで、あんな血相変えて逃げ出すんだよ」
わすれられないあの日のことを私は思い出す。
「木内さんはね。私をあの日、私を体育倉庫に連れて行った人なの。それがきっかけで停学になった…」
「そうなのか…。おれは殴られててそれどころじゃなくって、顔までみていなかったから、知らなかった」
あの事件の後、木内ゆかりに会ったことはなかった。教師たちが気を使ってくれたし、私自身も顔をあわせる気はなかった。謝罪なんて聞きたくもなかった。
「でもおかしいな。おれたちと同じ学年だったら、名札の色、黄色のはずだぞ。さっき少し見えたんだけど、名札の色、青のように見えた。青は今の一年の色だよな」
私もそれについては疑問に思った。言われてみれば、廊下で彼女とすれ違ったことがない。教室へほとんど行っていないとはいえ同学年なら顔ぐらい見かけてもいいはずだ。
放課後、入間に課題を提出しに職員室に行った。その時、さりげなく木内ゆかりのことを聞いてみた。
「木内か…。実は停学になった後、学校を休みがちになってな。留年して今、1年にいる。どうした?何かされたのか?」
少し気になっただけだとごまかし、職員室を出た。
木内ゆかりと会った場所に行くと春原が膝をつきながら何かを探していた。
「どうしたの?」
「ちょっと気になって、ここらへん見てたら、これがけっこういっぱい転がってたんだよ」と言いながら手の上にあるものを見せた。ピンク色のビーズだった。
「何か一生懸命探してたっぽいからな」
そう言うとはっとして私の顔を見た。
「悪い、理央にとって、というかおれにとっても、そいつ加害者だったよな。こんなことしなくても…」
「探してあげよう、春原君」
「…いいのか?」
私はうなずき、膝をついて辺りを見渡す。春原も再び探し出した。
30分くらいかけ、ようやく30個くらいのビーズを見つけた。ピンク、白、青、色々な色が混じり合い、きれいだった。
「で…どうする?このまま忘れ物コーナーに置くか?」
「できれば、直接、渡した方がいいと思うけど…」
そんなことを話し合っていると、後ろから声が聞こえてきた。
「あの、松野さん」
振り返ると木内ゆかりが立っていた。
「あの時はごめんなさい!」
辺りに響き渡る声で木内ゆかりは叫んだ。
木内ゆかりを部室に連れて行き、席に座らせた。
木内ゆかりはずっとうつむいたまま喋ろうとしなかった。5分くらいたち、しびれをきらした春原が話しかけた。
「木内さん、おれらは別に木内さんのこともう恨んでいない。さっき理央とも話したんだが、脅されてやったとしたら木内さんだって被害者だ。あいつらに逆らうことは難しいだろうからな。だから、そこまで自分を追い詰めなくても…」
「すみません…」
木内ゆかりが震える声で言う。
「お二人には本当に申し訳ないことをしたな、と思ってます。私はあの後、罪悪感で学校に行きづらくなり、留年しました」
そういうと、木内ゆかりは私の方を見た。
「松野さんと二人で話し合いたいことがあります」
春原が部室を出て、私と木内ゆかりは向き合って座った。
「本当にごめんなさい…」
木内ゆかりは何回も私に謝る。
木内ゆかりが同じクラスだった時を思い出す。木内ゆかりは大人しいグループに所属していたが、クラスで浮いているというわけではなかった。仲がいい友達もいたように思うし、確か、茶道部に入っていた。
春原の言う通り、私は木内ゆかりに対してあまり怒りを抱いていなかった。私がもし木内ゆかりの立場だったら、そうせざるを得なかったかもしれない。
「あの…これなんだけど」
私は空気を変えたくて、ビーズの入った袋を差し出した。
「これ木内さんのでしょ?一生懸命探していたから、大事なものなんだろうと思って。全部じゃないかもしれないけど」
木内ゆかりはそれを受け取ると、
「ありがとうございます。これ大切なものだったんです。このビーズ、ミサンガなんですけど、突然糸が切れちゃって、ビーズが散らばっちゃって…。小学生の時の大親友が私にくれたんです。もう、転校しちゃってそばにはいないけど…」
私にお礼を言うと木内ゆかりは意を決したように
「松野さん、確かに私はあの人たちに命令されました。松野さんを体育倉庫に連れてくるようにと。怖かったのは確かです…。でも、松野さんに対する複雑な気持ちもありました」
「それは、どういうこと?」
「私、春原君のことが好きだったんです」
木内ゆかりははっきりと言った。
私はあの時の噂を思い出す。
噂に尾ひれがついて、私と春原は合意して付き合っているというような感じになっていた。その中にはかなり大胆なものもあり、当時の部長が心配して声をかけてくれた。
―うちのクラスの春原ってやつ、やっぱりまたやったらしいよ。
―マジで、再犯じゃん。相手は。
―隣のクラスの眼鏡の暗そうな感じの、松野って名前だったかな。
―あー見たことある。ああいうのがタイプなのかな。
―でも、被害訴えてないとこみると了解のうえでやったんじゃないかっていう人たちもいるよ。
―わかる、大人しそうにみえる人ほど、案外裏で、ね。
―私たちみたいのの方が、よっぽど真面目で純情じゃん。
―クラスのはみ出し者どうしお似合いかもね。
当時の女子生徒の会話が脳裏によみがえる。今でこそ冷静に考えられるが、当時はそれに傷つき、リストカットをしてしまった。
「私は噂の全部を信じたわけではありません。特に春原君がひどい事件を起こしたのは嘘だと思いました。でも、松野さんと春原君が付き合っているのは本当だと思いました。同じ部活にも入っていたし…。それに私は嫉妬したんです。それで、松野さんをあんな目に。春原君に対しても勝手に恨んで…」
嫉妬、知らない間に私はそんな感情を抱かせていたのか。
「よく考えてみれば、おかしいですよね。春原君は私のことなんか、見ていないのに。勝手に好きになって、恨んで」
「春原君のことをどうして好きになったの?あの時の春原君は、私から見ても近寄りがたい雰囲気だったよ。今でこそ普通に話せるけど、当時は、お互いにあまり話もしなかった」
「本を読んでいる春原君の姿が好きでした。別のクラスで遠くから見ただけだったけど本を読んでいる時、春原君は本当にかっこよくて、優しい顔で、うまく言葉にはできないんですけど、仲良くなって一緒に本の話でもできたらなあって」
木内ゆかりが少し顔を赤らめながら言う。
「木内さんも本を読むの好きなの?」
「中学まではそんなに好きではなかったのですが、春原君の姿を見て読み始めました。少しでも春原君と近づけたらいいな、って。でも、それは無駄な努力でしたね」
あきらめたように木内ゆかりは笑う。その姿を見て本当に春原のことが好きなのだと思った。
「松野さん…。変わりましたね」
突然、木内ゆかりが言う。
「あの時は、正直、クラスで浮いていたし、松野さんの笑顔を見たこともありませんでした」
当時の自分を思い出す。確かに木内ゆかりの言う通り、私は不愛想でクラスのことにも興味がなかった。当時の私だったら、ビーズを拾ったりしなかっただろう。
「それに対して私、少しいらいらしてたんです。何でもっと努力ができないんだろうって。上っ面だけでも笑顔にすれば、こんな浮くこともないのにって。私自身もあのクラスのことは正直苦手でした。体育会系で、みんな積極的で。でも、私はその雰囲気についていけるように頑張っていたから」
人間関係を円滑に進めるためには努力がある程度必要だ。過去にどんなことがあろうとも、私がそれを怠っていたことは事実だった。木内ゆかりの言うことは仕方ないのかもしれない。
「木内さん、一つ聞いていい?どうして春原君の中学時代の噂は嘘だと思えたの?本当に嘘なんだけど、あの時はあの噂のことみんなが信じているように、私にはみえた」
木内ゆかりは少し悩んでいるようだったが
「それも、きっと好きだったからだと思います。好きになった人のことを信頼したかったんです。私は臆病だから、そんなこと人には言えなかったけど。でも、せめて、春原君には伝えておけば良かった。そんな噂信じていないって」
そんな木内ゆかりを見て私は提案した。
「木内さん、よかったら文芸部入らない?実はある事情があって私、本が読めなくて、春原君の話をずっと聴いているだけなの。私はそれで楽しいんだけど、春原君は物足りないと思う。木内さんとなら活発な議論ができるんじゃないかな。春原君もきっと受け入れてくれるよ」
木内ゆかりは驚いた顔をして私の方を見る。
「正直、今の話を聴いて、腹が立った部分もあったよ。私はともかく、どうして好きな春原君のことを傷つけちゃうんだろうって。でも、あの夜がきっかけで、私は変わることができた。詳しくは言えないけど。春原君とも友達になれたし、結果的にだけど、悪いことばかりじゃなかった。感謝してるとまでは言えないけど、もう憎んだりはしていない」
木内ゆかりは少し考えている様子だったが
「ありがとうございます。でも文芸部には入れません」と言った。
「私は今でも春原君のことが好きです。だから、二人を見ていると辛くなるんです…。松野さん、春原君から理央って呼ばれてるんですね。うらやましい…」
そう言いながら木内ゆかりは立ち上がり、
「このことは春原君には言わないでください」と頭を下げた。
私はそのことを了承した。木内ゆかりは安心したように部室を出て行った。
「どうだった?」
そう言いながら春原は部室に戻って来た。
私は木内ゆかりが丁寧に謝ってくれたと告げた。話の大部分は春原に話せない。
「でも、木内さんもきちんと謝れたのは良かったかもな。あのままじゃ、理央やおれを見つけるたびに逃げてなきゃいけなかっただろうし」
木内ゆかりの言ったことを思い出す。
―二人を見ていると辛くなるんです。
どういうことだろう、と私は思う。
木内ゆかりは、私と春原はどのように見えているのだろうか。
私は春原に恋なんてしていない。そして、きっと、春原だって同じだ。
友達。
春原が言ってくれた言葉。それで充分じゃないか。
それ以上、何を望めばいいのだろう。




