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もう、本は捨てない  作者: まき乃
12/25

強さ

 私の他にも保健室登校者が一人いた。

 彼女の名前は、橋田アンナといい、2年生だった。歳は一つしか違わないが、大人びた雰囲気で、見た目は社会人のようにも見えた。

 昼休み以外、保健室から出ない私に対して橋田アンナは、教室で授業を受けることもあり、保健室を出ることもたびたびあった。友人もいるらしく、保健室で友人と雑談することもあった。

 橋田アンナは私に対して、不愛想ではなかったが、必要以上に話しかけて来たことはなかった。私も人と関わるのは、まだ怖いところもあったので、それがありがたかった。


 保健室の教師、斎藤が、用事があると言い、職員室に向かった。保健室は橋田アンナと私だけになった。私は課題に集中しており、それをあまり気にしていなかった。

「松野さん」

 橋田アンナの声に、私は顔を上げた。

「あなたと春原君のことで、色々噂が流れてるんだけど…。あれって嘘でしょ」

 私は戸惑いながらも

「すみません…。私、保健室からあまり出ていないので、今、どんな噂が流れているか、わからないんですが…」

 そうなの、と橋田アンナは言い

「あなたが嫌な気持ちになったら申し訳ないけど、例えば、春原君が中学の時、好きだった女子生徒に暴行したとか、あなたのことも脅したんじゃないか、とか、ひどいものではあなたが妊娠してるっていうのもあったわよ。まあ、一部は今だけじゃなくって春原君が入学してからずっと言われていたけど」

「そんなことまで…。まだ、言われているんですか」

 春原は大丈夫と言っていたが、それは私を心配させないためだったのか。

「全て嘘です。春原君が暴行したことなんてありません。中学の時のこともはっきりと否定していました。私は彼を信じます」

 それを聞くと橋田アンナは

「私も春原君はそんなことができる子ではないと思っている」とはっきり言った。

「あなたと春原君の関係が暴力的なもので結ばれたのではないことは、あなたたちの様子を見ればよくわかるもの。人間って想像が及ばない範囲ではいくらでも残酷になれるのよね」

 橋田アンナはそう言うと、ため息をついた。

 私は戸惑っていた。橋田アンナは私に何を話したいのだろう。そんな私の気持ちがわかったのか「ごめんなさいね。いきなり」と言った。

「同じ保健室登校になったのも何かの縁だから、少し、私の話を聴いてくれる?」

 私はうなずいた。

「私が今、保健室登校の理由って何だと思う?」

「クラスの雰囲気になじめない…とかですか?でも、お友達とかいらっしゃいますよね」

「友達がいてもクラスになじめないことはあるよ。でも、それ以上に、優しくしてもらいたいっていうのがあるの。私ね、小学生の時から優等生を目指していた。勉強も頑張って、学級委員にもなった。でも本来は、そんな役割、自分には向いていないことはわかっていた。本当の自分は引っ込み事案で、目立つのが嫌いだったから。でもそんな自分を変えないとと思って無理やりがんばっていた」

 橋田アンナは淡々と話した。

「でも、中学の時、限界が来た。バスケ部の部長をしていたんだけど、上手く部がまとまらなくて、顧問に相談しても『まとまらないのは部長であるお前の責任だ』と言われて。部活を辞めることもできず、逃げ場がなかった。そんな時、私は過呼吸で倒れたの」

 私も息苦しい思いはしたことは何回もあった。当時の橋田アンナは相当のストレスを抱えていたのだろう。

「でも、それがきっかけで、周囲の状況が変わった。まず、バスケ部のみんなが優しくなった。そして、顧問も『今まで、頑張りすぎたんだろう。身体が良くなるまで休部していいぞ』と言ってくれた。部長を辞めたいと言ったら、それもすんなり許可された。両親も、『勉強は二の次でいいから身体を大事にしてくれ』と言ってくれた。おかげで、過ごしやすかった。頑張ることが減ったからね。私は身体が弱いということで周囲が認識していった。それで、保健室登校も許されている。でも、本当は特別扱いしてもらうほど、私は自分の身体は弱くないと思っているの。けど、そう言ってしまうと頑張って苦しんでいた時の自分になってしまいそうで怖い」

 そこまで話すと「今の私の話、どう思う?」と私に聞いてきた。私はどのように答えたら良いのかわからなかった。自分の気持ちではなく、橋田アンナはどのように答えてほしいのか、ということを考えてしまう。私が何も答えずにいると橋田アンナは「ずるい、とか思わなかった?」と質問を変えた。

 私は首を横に振った。

「ずるい、とは思いませんでした。私がこんなことを言える立場かわかりませんが、倒れるまでしないと優しくしてもらえなかったという苦しさはなんとなくわかるような気がします」

「心が苦しいと言って理解してくれる人は少ないけど、身体の苦しさはなんとなく想像できる。人間って想像のできる範囲内では優しいって人多いのよ。中には、想像ができても自分には関係ないと言って割り切る人もいるけどね」

 橋田アンナは少し笑った。

「私ね、来週、高校を退学するの。そして、通信制の学校に行こうと思っている。自分を偽らなくとも、自分らしく生きていけたらいいなって。松野さん、自分を変えたいって思っているでしょ?」

「はい。このままじゃ、弱いままですから。もっときちんと自分と向き合いたいです」

「本当に、そうかな」

「え…」

「こんなひどい噂が飛び交う中、周りに流されず春原君のことを信じた。そのことは自分の強さとして認めていい。あなたは弱くなんてない」

 橋田アンナはきっぱりと言った。

「突然、こんなこと話しかけてごめんなさいね。でも、自分を嫌いになりそうになったら、変な先輩がこんなことを言っていたと思い出して」

 その時、斎藤が保健室に戻って来た。橋田アンナは何もなかったかのように、自習を続けた。


 それから1週間後、橋田アンナは本当に退学した。保健室登校者は私、一人になった。

 橋田アンナは私のことを弱くないと言ってくれた。あの夜、春原も言ってくれた。

―理央は、弱くなんてない。自分の弱さと向き合える人間が弱いわけがない。

 私は自分で思うほど弱くはないのだろうか。そもそも、強さとはなんなのだろう。考え始めたらきりがなかった。

 答えが出ることばかりが答えなのではないのかもしれない。

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