2.転移者と漂流者
ちょっと遅くなりました。すみません。
シンが目を覚まして、最初に感じたのは、頬に感じる冷たさと、額に残る痛みだった。どうやら何かの拍子に勢い良く突っ伏し、コンソールに額をぶつけたらしい。
「痛ってえ……何が、起きた?」
額の真ん中に小さなたんこぶができたことを手探りで確認し、シンは周囲を見渡す。そこは、先程までテストを行っていた『マグヌム・オプス』のブリッジだった。
これは間違いのない情報である。なぜなら艦長席の周囲に、四機の艦載機へ乗り込むための、特殊なシートが添えつけられていたためである。
場所はわかった。では何が起きたのかの推測に移る……のだが、現段階では推論を述べようにも手がかりが少なすぎる。
シンは途方にくれた様子で、何らかの手がかりを求めて、というより何らかの思い付きを求めて、適当にコンソールを操作していた。
「……そうだシスログ」
フロンティアギャラクシーも、仮想現実没入型とはいえゲームである。ゲームである以上、当然フラグとデータの管理によって成り立っている。
位置情報も、行動とその成否も、果てはキャラクターやその持ち物である艦までも。果ては宇宙に至るまで、フラグとデータつまり、0と1で成り立っている。
そしてその全てがサーバーに記録され、機械語から人間語に訳され、ログとして閲覧可能となる。これがシステムログ、つまりシスログである。
これを探れば、ゲーム上何が起きたのか、全てではないにせよある程度はわかるはずだ。
思い立ったが吉日とばかりに、シンはコンソールを操作し、シスログの絞込みを始めた。
シスログの確認を始めてから、おおよそ三十分ほどがたった。
実はシスログの絞込み自体は、五分もかからなかった。絞込みを始めてすぐ、時系列を遡っていけば、絞込みすら必要ないことに気づいたためである。
ではなぜこんなに時間がかかったかといえば、何度も何度も見返したからである。
そして今、合計三十六回目の見直しを始めるところであった。
22:38:14 [CAP][シン=カザネ][OP]【JM:真理機関】 起動
22:38:14 [SHIP][マグヌム・オプス][MOVE]【TEAM:人型機動兵器愛好家連合】占有宙域>>>>不明宙域 ワープイン
22:38:14 [SYS][LOG]LOG_OUT>>ID:US56C561F44
22:38:14 [SYS][LOG]接続断>>メインサーバ
22:38:15 [SYS][LOG]ワープアウト 不明宙域
22:38:15 [SYS][ERR]真理機関起動失敗 クルー/パイロットが規定人数に達していません
22:38:30 [SYS][ERR]再接続>>メインサーバ。。。失敗
22:39:16 [SYS][OP]代替サーバ検索。。。成功 【汎銀河ネットワーク】へ接続
22:40:31 [SYS][OP]現在宙域確認。。。成功 【惑星国家エクスタリア】近隣宙域
22:45:54 [CAP][OP]システムログ表示
軽く補足しておくと、[OP]は操作ログで、「このような操作を行った」というログとなる。
[SYS]はサーバからのシステムメッセージで、[LOG]はサーバからの返答を指す。[CAP]は確か、艦長権限を持つもののフラグであったと記憶している。
この法則にしたがって読み解くと、例えば一行目は「艦長権限を持つシン=カザネが【JM:真理機関】起動の操作を行った」となる。
細かいことはさておき、このログで重要な部分は二つある。一つは『なぜか』、占有宙域から出られないはずのマグヌム・オプスが、別の宙域へワープしていること。
そしてもう一つは三行目の一文である。
「ログアウトしてるじゃん。いるじゃん俺ここに。どうなってんのよ」
ワープアウト後からログのルールが変わっているように見えるのも、なぜか設定した覚えのない制限が真理機関に加わっているのも、エクスタリアなんて聞いた事も無い宙域に居るのも、この一文のおかげで結構割りとどうでも良く見える。
通常、ログアウトのログの前には、必ず「[SYS][シン=カザネ][OP]LOG_OUT」という一文が入るはずだ。それが無い場合は、サーバや回線の不具合などで、強制断になったことを意味する。
ログから推測するに、強制ログアウトの原因はメインサーバとの接続断なのだろう。恐らく、ログアウトと接続断は同時に起こったはずだ。
となれば、今ここに居る自分は何なのか。いわゆる異世界トリップというヤツなのか。なら風音 真はどうなったのか? まさか意識だけこっちに来て、身体は部屋で寝ているのかいやいやそんなわけは無い。VRといっても所詮は仮想現実。脳への電気的干渉や催眠などを併用して、仮想世界を現実と誤認させているに過ぎないのだから。
からからと空回りするだけで、一向にすっきりしない思考に嫌気が差し、シンはシートにへたり込むと、顔を手で覆った。
「……痛っ……」
顔を覆った手が、額のたんこぶに触れる。
その瞬間、シンはなぜか理解してしまった。自分が『シン=カザネ』以外の何物でもないということを。『風音 真』というプレイヤーのキャラクターではなく、ただ一人実在の『シン=カザネ』であることを。どういうわけかゲームから飛び出し、宇宙空間に実体化してしまったことを。
それはまったく根拠の無い、唐突な理解であった。あえて根拠と呼べるものがあれば、額のこぶが訴える痛みだけ。
たったのそれだけだというのに、否定しようと思えばいくらでもできるはずなのに、理解してしまえばそれを否定することがどうしてもできない。
「……ああ……」
結果として、シンは凹んでしまった。
風音 真としての記憶はある。そういえば彼の1stキャラである、マコト=フゥオンとしての記憶は無い。確かみく☆るんさんにテストの手伝いをお願いする際、一度1stキャラでログインしたはずだが、そのときの記憶はすっぽりと抜け落ちている。
つまり自分には、ある日突然ジャンクでできた初期艦の中にいて、いくつかのミッションを周回して、マグヌム・オプスとその艦載機を作った。それだけの人生しかないということだ。頭の中にある思い出は全て、プレイヤーのものでしかなく、自分のものではないということだ。
空っぽなのだ。
何せ「年齢三ヶ月」である。この世のどこに、たっちもあんよも余裕でできる、それどころか宇宙船を動かしてビーム砲撃てる生後三ヶ月が居るのだろうか。
なんといういびつで、なんという空虚で、なんという切ない三ヶ月児だろうか。
そういう方向へ考えがいってしまうともう止められない。思考はどんどん悪い方向へと進んで行き、ついにシンは艦長席にうずくまってしまうまでにへこみきってしまった。
-◆-◆-◆-
それから何時間たったのか、もしかしたら何分も経っていないかもしれない。
シンは相変わらず艦長席でうずくまったまま、なにやらぶつぶつとつぶやいていた。
「……ったく……なんなのシン=カザネって。自分の名前読み方変えただけじゃん」
それは自分を創ったプレイヤーへの愚痴であった。
最初はもう少し暗いジメッとしたものだった。自分の存在の意味だの、我思う故に我ありなど何の慰めにもならないだのと。そのとき思いついたことをとりとめも無くつぶやいていたのだが、なんと早々にネタが尽きてしまったのだ。
そしてつぶやくネタを探すうちに、自分を創ったプレイヤーへの愚痴なら、いくらでも湧いてくることに気がついた。
「俺の外見適当すぎだろ。なんだよ全部プリセットNo.1って。黒髪短髪のお目目パッチリ爽やか系イケメンってツラじゃないだろお前」
「名前も適当過ぎだろ。つかお前1stも含めてキャラ名適当すぎじゃねえか」
「つかなによ真理機関って。何で『真理機関』でマギウス・エンジンなんだよ」
「絶対語感だけで選んだだろこの名前。艦名を錬金術から取ったんなら、こっちも錬金術からとって来いよ」
「あんだろ色々。ラピスフィロソフィカスとか、プリマ・マテリアとかさあ」
以上、湧き出してきた愚痴の数々である。
とにかく湧いてくる端から口にして、目的も無くただ時間をつぶしていたシンだったが、突然うずくまった状態から、勢い良く立ち上がった。
「らぴすふぃろそふゅ!! ……だめだ噛んだ。なるほど没」
叫んでみたところで、なぜ『ラピスフィロソフィカス』が選ばれなかったかを納得したシンは、続いてもう一つの思い付きを試すため、大きく息を吸い込んだ。
「プリマ・マテリア!! ……うん、悪くない。悪くないんだけどなー。悪くないだけなんだよなー」
叫んでみて一度は納得しかけたが、なにか余人には理解不能な基準でもあるのか、納得しきれずに首をかしげる。
なぜ真理機関をマギウス・エンジンと読むのかの追求。そんな非生産的な作業にいそしむシン。その様子からは、先程まで身体を丸めるほどにへこんでいたことなど、垣間見ることさえできはしない。
なんだかんだいって、この手の気持ちの切り替えは得意なほうなのだ。
だが、そんな楽しい(?)時間は唐突に終わりを告げた。
ブリッジに突如警報が鳴り響いたのだ。あわててモニターを確認すると、そこには「救難信号受信」の記載があった。
ゲームだとホットスタートミッションや、隠しプライズなどの常套手段であったことは、プレイヤーの記憶から発掘できたのだが、果たして現実ではどうなのだろうか?
「……っと、とにかく助けないと」
あいにくあまり思い悩む時間は無い。発信元をモニターに表示すると、それなりの速度で動いている。相対速度をなるべくあわせるためにも、素早く動く必要がある。
もちろん見捨てるという選択肢は、はじめから無い。救難信号を受けたら助けるのは、まだ人類が単一の惑星の表面に住んでいたころからの伝統であり、宇宙の男の心意気なのだから。
まずは救難信号に返事をしつつ、遭難者の軌道計算を艦のAIに命じる。『救難信号への返事』は複数の艦が救難信号をキャッチした際に行う、「私が助けます」宣言であると同時に、遭難者の状況によっては、返信後に減速を行うことがあるため必須の動作である。と、バンディットの互助組織である、バンディット・ネストのオペレーターNPCから、特別講義で言われる内容である。
なお今回の遭難者は減速を始めてくれた。宇宙の遭難者というのは、例えば艦の故障によって宇宙港までいけない場合などが挙げられるのだが、ゲームの場合は大抵海賊がらみの厄ネタあることが多い。特に減速できるだけの機能を残した遭難者の場合は。
「そういう詮索は後。フォースネット展開、軸線及び相対速度調整……っと」
よぎった嫌な予感を頭を振って追い出し、シンは艦の操作を始める。
力場の網は、小型の輸送艇を除く全ての艦に標準装備されている。というか、ゲームの設定上、ワープ機関を装備した艦には、シールドとフォースネットの装備が不可欠で、これが無ければ宇宙港から出航できないようになってる。なお武装については、丸腰でも問題ない仕様になっている。
とにかく、減速してくれるとはいえ、慣性に任せてひたすらまっすぐ進む遭難者を、マグヌム・オプスを巧みに操り、艦側面に展開した力場の網でやわらかく受け止める。
なおマグヌム・オプスの艦種は軽巡洋艦だが、それでも全長は三百二十メートルほど、全高は八十メートルほどある。これで小さな漂流物を受け止めるのは少々難しいのだが、そこはシンの腕の見せ所である。
自慢ではないがシンは、では無くシンのプレイヤーは、操縦補正系のスキルなしで、人型機動兵器を操って見せる剛の者だったのだ。
実際は1stキャラのフゥオンを作った際、パワードスーツガチ勢を目指した結果、操縦系スキルの取得を忘れたためだったのだが。
リアルフレからもツッコミを受けた結果意固地になってしまい、結局操縦系スキルは一切伸ばさず、プレイヤースキルだけでそのリアルフレに勝って、栄光とジュースを得たのを覚えている。
愚痴で散々罵ったプレイヤーに、このときだけの感謝を捧げ、シンは船外モニターに映る漂流者――恐らくは小型の航宙戦闘機が、格納庫へ収納されていく様を眺めるのだった。