第六話「この世はわからないことだらけ」
〈経歴1000年 1月1日 午前〉
「…………あー」
鏡夜はパチリと目を覚ました。
呆けた表情で見慣れない、炎のような形をした無点灯の照明が垂れさがる天井を見る。
「……起きたくねぇ」
鏡夜の寝起きが悪いのもあるが何より、いろいろなことが起こり過ぎて渋滞を起こしている、この現実に立ち戻るのがひどく面倒だった。
しかし、ぐずっていてもしょうがない。鏡夜は起き上がった。どんよりとした目で枕の隣にあるリモコンを手に取り、窓のカーテンを開ける。自動で上がったカーテンから外を見下ろすと、不語桃音が上機嫌にキャンパスを立てて絵を描いていた。
「……なにしてんだ」
鏡夜は不思議に思う。国名こそ違うが、ここは鏡夜の世界で言う日本であり(塔京という都市名は東京と同じ読みだし首都であることも同じだ)、体感温度としては塔京の一月は東京の一月とほぼ同じだ。つまり、冬。外は寒いだろうに、わざわざ何を作業しているのだろう。
鏡夜は、ベッドから降りるとシャワーを浴びるために浴室へと向かった。……自動洗浄機能というか、勝手に清潔になる全身装備のくせに、シャワーを浴びる意味があるのかと聞かれれば言葉に詰まってしまうが、あえていうならそれは、ただの習慣だった。
シャワーを浴び終えた鏡夜は、濡れた服の感触が数瞬で乾いた後、ウッドハウスから外へ飛び降りて地面へ着地。桃音のところまで歩いて向かった。桃音の後ろに回り、キャンパスをのぞき込む。
キャンパスには、異様に上手に書かれた鉛筆画の灰原鏡夜がいた。
(えぇ………)
右後ろ方向からのアングルでキメた横顔をしている、絵の中の自分を見て鏡夜はその技術よりも桃音がこの絵を描く意味のわからなさに絶句した。
なぜか鏡夜の身体全体を囲うようにしてキラキラした、星空のような背景が描かれている。桃音は繊細に微細に少しずつ補正するように鉛筆を塗りあてていた。
「………あのー?」
鏡夜が後ろから声をかけると桃音はピタリと手を止め……いや、絵の鏡夜、人差し指の先端を三度チョンチョンチョンとつっつくと、鉛筆を置いて鏡夜の方を向いた。
目が合うと、にこりと微笑まれた。
「……はい、おはようございます。いや、一月一日ですしあけましておめでとうございます?」
首をかしげて鏡夜は挨拶する。
桃音は、絵と鉛筆を持って立ち上がった。そして、跳躍し、鏡夜を置いてウッドハウスへ戻る。
「あ、ちょっと!!」
鏡夜はその場に放置されたキャンパス台と椅子を抱えて、後を追うようにジャンプする。こんな超人的な機動を自然に、連続的にしている自分が未だに信じられないが、それが今朝の、鏡夜の現実だった。
玄関からリビングに戻ると、桃音の自画像らしき色鮮やかな油絵が梯子の隣にかけられており。その梯子を挟んで反対側の壁に、鏡夜の姿を描いた鉛筆画が飾られていた。もちろん二つとも、昨夜はなかったものだ。
「いや、何してんですかマジで」
鏡夜は呟く。が、そのツッコミを届けるべき桃音はリビングにいなかった。どこだろうか、と探すとキッチンから何かを焼く音がする。
……どうやら朝食を作っているらしい。行動が早い上に唐突だ。出会ったときからそうなのだから、今更ではあるけれど。
鏡夜は仕方がないので、長テーブルに座って、朝食を待つことにした。
しばらくしてから桃音が長テーブルに並べた朝食は、ベーコンエッグとバタートースト、ミニサラダとヨーグルトにバナナだった。飲み物はコーヒー。
「……桃音さんが好きな方でいいんですけどねぇ」
鏡夜はコーヒーを手に持ちながら桃音を伺ったが、もちろん桃音からの返答はなかった。どうやら昨夜の、鏡夜はコーヒー派という話に合わせたらしい。
「ところでなんですけど、私の絵、片付けません? ちょっと恥ずかしいんですけど」
それも、もちろん返答がなかった。むしろなぜか鏡夜のバナナを桃音に取り上げられた。
「ああ、はいはい、わかりましたよっ、と……まぁ、上手ですしね‥…貴女だけでこそ、芸術だとも思うんですけど……」
バナナを半分に割られて返された。なんらかの意味があるのだろうか? 鏡夜はさっぱりわからなかったので、まぁいいか、と会話もそこそこに朝食を平らげた。桃音もまた一・五本のバナナ含めて綺麗に食べる。
「では桃音さん……私はですね、これからこの世界のことを調べつつ、〈決着〉を手に入れるために何ができるかも調査したいと思っています」
朝食後のひと時、鏡夜は人差し指を立てて、おどけながら言う。
「そのためにはこの森の外に行くことは必要不可欠なのだと思いますが――その前に、ソレ」
鏡夜は伸ばした人差し指でロフトにある書斎机、その上に置いてあるラップトップPCを指さした。
「貸してくれませんか? 昨日ネットにつなげてましたよね? 検索サイトで事前調査を――」
瞬間、鏡夜の目の前にいた桃音が消失した。
「はへ?」
と、鏡夜は桃音が瞬時に跳んだ方向へ視線を向ける。
ロフトの書斎で、桃音がラップトップPCを胸に抱えて鏡夜を見ている。ものすごく困った顔をして、ものすごくオタオタしている。
「あ、あ~…………」
鏡夜はピンと来てしまった。個人情報の山。検索履歴を覗かれる忌避感。フォルダっていうかHDに入れてあるお宝の山。その全てを日本の現代っ子として理解する。それに一応男と女であるし。
「……すいません、配慮が足りませんでした」
桃音はラップトップPCを警戒するように抱えながら梯子を下りて、鏡夜の正面に再び座る。
「となるとまいったなぁ……図書館へ行く? ……いや、そもそも私が知りたいのは私の世界とこの世界のギャップだからそれを判別できるのは私だけなんですよね……常識についての本を見たところで、知りたいこととは少しズレざるおえないでしょうし。そもそも図書館、あるんでしょうか。文化さえもわからないんですよねぇ」
鏡夜が悩んでいるのをちらちら見ながら、桃音はラップトップPCを開いてなにやら操作している。
すると、ふと何かに気づいたように桃音が目をパチクリとさせた。そして、PCを回転させて鏡夜に画面を見せる。
「どうしました? 桃音さん? ……メール?」
画面の左上に白い封筒のアイコンがあり、右上には『argle mail』なる英文が書かれているため、鏡夜はそうあたりを付ける。画面中央の文章を鏡夜は読み上げる。
「『柊釘真王直下〈Q-z〉事件特別対策本部 外部特別顧問 アルガグラム所属 エージェント白百合華澄』……?」
が、送り主であるらしい。
「『不語桃音様。現在〈Q-z〉事件を解決する人員を募集中。褒賞は特上。詳細は決着の塔攻略支援ドーム受付にて。PS……ぜひ来てくださいまし、契国でもっとも恐るべき個人をお待ちしておりますわ』」
「………」
「………」
桃音と鏡夜は目と目を合わせる。
かつてない速度で鏡夜は頭を回す。連れてってください桃音様ァァァァ!! を舐められないように伝えるにはどうすればいいのか。連れてけと命じればいいのか。
……勝手な考えではあるけれど、己と彼女は対等だと鏡夜は思っていた。対等に格好よく振る舞う必要がある、とも言う。勢いでこの関係を踏みにじるのは、無様だ。それはいけない。彼女に見限られたら控えめに言って絶体絶命である。
対等とは、対等とは……鏡夜は壁に飾られた自分の絵を横目でとらえた。
「桃音さーん。あの私の絵、飾ったままでいいですよ。その代わり―――連れて行ってくれません? これに」
思いついた瞬間に、PCの画面を指差しつつ鏡夜の口からそんな言葉が漏れ出た。口走ってからイヤイヤ、と自嘲する。無理がある。しかし、桃音はその鏡夜の言葉に。
すっ、と左腕を差し出した。
「………?」
鏡夜はそれに――彼女の、左手にポンっと右手を乗せた。
「……あっ」
「……」←弱点:【喋れない】【格好良いもの】【状態異常:睡眠】
桃音はかくん、と頭を落として三秒ほど寝た後、起床して鏡夜を見た。
「………おはようございます?」
「……」
桃音はなにやってんだテメェと言わんばかりに、無表情で右拳を振り上げると鏡夜に軽く殴りかかってきた。
「おっとと」
鏡夜は左の前腕でその拳をカードした。妙に重たい音が鳴る。拳はかなり遅かったので防いでもらうつもりで振るったのだろう。痛みはないが、重いツッコミである。
「失礼失礼、うっかりでした」
いや本当に。怒って当然である。彼女は敵ではなく大恩人なのだから。状態異常にしてどうする。気をつけないとな、と鏡夜は自分を戒める。桃音は拳を戻すと席から立ちあがり、リビングの中央に立って左腕を再び差し出した。
んっ、という風に――もちろん声などまったくあげてないのだが――左腕を伸ばす。鏡夜はしばらく考えこんでから、ぽんっ、と手を叩くと納得した顔をする。
「……ああ! そういうことですか! わかりました。これは自信ありますよ!」
鏡夜もまた立ち上がり、桃音の傍へ寄った―――。
森の中を歩く。小屋のあった原っぱを通り過ぎて絢爛の森から出る。鏡夜が意外だったのはこの森の周囲には大きな塀などがなかったことだ。白いガードレールと、【ここから先立ち入り禁止 絢爛の森】という標示があるだけの簡素な囲い。観光サイトで見た、冒険者と研究者しか入れないとか、危険度:大とかを考慮すれば、もっと物々しい区域なはずと鏡夜は勝手に推測していたのだが……。
ガードレールの合間を通り抜けて塗装された小道を行く。
あっ、という間もなく、鏡夜は小道を抜けて未来都市にいた。いや、実際に未来というわけではない。
ただ、美観に括った上で、技術が発展した首都がそこにはあった。高いビルらしき……屋上付近に三角のような謎の建築物があったり遠い建物同士に細い通路が連結していたりして、ビルと呼ぶには形が独特なものが多いがともかく……未来的な、と形容すべき建物が立ち並んでいる。
そして遠くには桃音の家から、ずっと見えていた巨大な塔――〈決着の塔〉が見える。
道路に車は少ない。その少ない車も現代日本で見たことがあるかも? と思うものもあれば、鋭角のないシャープな外殻がタイヤごと包んだ光沢のある車もあり、統一感がない。本当に、鏡夜はこの世界の文化がさっぱりわからなかった。
周囲をそうやって観察していると向かい側の歩道から女学生らしき集団が歩いてきた……。普通に鏡夜がいた現代日本でも見かけそうな可愛いらしいセーラー服タイプである。その三人の少女たちは桃音――とついでに一緒にいる鏡夜に気づくと挨拶してきた。
「おおー、無事だったか桃姐……んんっ!?」
「あらあらまぁまぁ、あけましておめでとうございます! ……ふふ、お二人の式には呼んでくださいね?」
「ふーん……ねぇアンタ、桃姐さんを悲しませたら許さないから」
三人の女学生たちは、通学途中なのでこれで失礼します、とさっさと横を通り抜けて行ってしまった。
(まだ何も言ってないんだけど……?)
鏡夜は女学生たちの後ろ姿を見送りつつ、心の中で憮然とする。この世界で直接対面した、会話可能な現地人との接触が十秒程度で終わった瞬間だった。
初人外遭遇終了も同時だった。前者二人は普通の人間の少女で……最後の一人は人型のクール系美少女、ただしキリン耳、キリン尻尾付きだったのだ。
(もっと、こう、初人外さんとは、ドラマティックな初遭遇になると思ってたんだが……いや、別に期待してたわけじゃねぇけど)
その後、白と黒のツートンカラーの車……警察と書いてあったので普通にパトカーだろう……が鏡夜たちの横を通り過ぎようとして。運転席の警察官が桃音と鏡夜を二度見する。
警察官は道路の仮止め可能なところで一時停車すると、パトカーの窓を開いてそこから顔を出した。
その警察官の目には極めて機械的なバイザーがついており、黄色に光っていた。
「よぉ、久しぶりだな、不語の姉ちゃん。流石のアンタも決着の塔の事件に関心を持ったのかと思ったが……」
鏡夜は警察官へ、帽子を押さえるようにして会釈した。
「どうやら違うらしいな……おい、兄ちゃん」
「なんです?」
「その姉ちゃんはぶっ飛んだとんでもねぇ奴だが……いい子なんだ。幸せにしてやってくれ」
(ドラマの見過ぎだポリ公……そういえばドラマの文化とかあるんだろうか。番組表でも目を通しておけばよかったか?)
鏡夜は失礼かつ勝手なことを考えつつ愛想よく答える。
「ええ、微力を尽くしましょう。……勝手にご自身の力で幸せになってしまいそうですけどね」
警察官のバイザーは橙色に変化した後、緑色になる。
「はは、洒落た返事だ。姉ちゃんいい男捕まえたな」
桃音は鏡夜の腕を、さらにぎゅっ、と掴んだ。
「おっと、邪魔したな。すまない。……それじゃハッーピニューイヤー、ご両人」
警察官は窓を閉めるとパトカーを発車させてその場を去った。
(あのバイザー……なんだったんだ、おい。いや、まぁ、それよりも、だ)
鏡夜はパトカーを見送った後、自分の右肘内側に左腕を通して隣を歩く桃音に言った。
「今更言ってもしょうがないかもしれないっていうか気を逸した感じもありますがー。離れて歩きません? いや、ホント今更ですけど」
鏡夜は自分の右肘を前後に振り回した。対して、桃音の左腕は鏡夜の右腕にぴったりくっついてるように離れない。鏡夜はかなり激しく動いているのだが、桃音本人の身体はたおやかに佇んだ体勢を完全に保ち続けている。桃音の、頑なな意志を鏡夜は感じた。「これで合ってたのはうれしいんですが……なんで私よく考えなかったんでしょう。思ったより恥ずかしい……エスコートってすごい。紳士ですね紳士。あれ? 私って元から紳士だから別にいいのかな? どう思います?」
なんて道化を気取ってみるが、結局押しても引いても煽っても、鏡夜の強制エスコート状態が解除されることはなかった。
昨夜のテレビ特番で外観が映っていたし、そもそもウッドハウスからここまでくる間中、ずっと見えていた。そのことから、決着の塔に感動することはないと鏡夜は思っていたが、その予想は見事に裏切られた。
傍までくれば、巨大。ただ巨大。桃音の家がある大木と比べても太さが五十倍以上、高さはもはや、欠片も理解できないほどある。
図形、模様まみれの古めかしい石造りの塔……に時代錯誤に纏わりつく近代的なドーム。これが昨日の大騒ぎの舞台、【決着の塔攻略支援ドーム】だった。天井付近の、砲弾が突き破った穴が痛々しい。
「なんでしょうねぇ。写真でしか知らなかった観光名所に来たようなそんな心持ちです」
鏡夜と桃音はドームの入り口、自動ドアを通り抜けた。
――――――――――――――ざわっ
鏡夜は、さっそく帰りたくなった。帰る家は桃音の家を除けば、この世界に存在しないが。
人人人。人外人外人外。エントランスには大量の人と人外がいた。多種多様な者がいた。人間の戦士らしき人がいた。エルフの弓兵らしき人がいた。近代武装しているオークがいた。全身サイボーグの女がいた。清廉な修道女らしき恰好をしたドラコニアンがいた。ステレオタイプな貴族的格好をした吸血鬼がいた。地面に注目すればジェル状の、スライムらしき生命体が這って動いている。
それが、全員、鏡夜と桃音を見ていた。
「マジかよ……〈絢爛の超人〉じゃねぇか……」
「〈全力全開桃姐様〉!? 来るとは思ってなかった……!」
「え? みんなどうしたの?」
「知らねぇのかよ! 〈契国のアンタッチャブル〉だぞ!?」
(く、詳しく聞きてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、なにそのあだ名!?)
自分たちを見ながら小声で話し合う者達に鏡夜は心の中で叫ぶ。知りたいことが加速度的に増加増大して頭がくらくらした。
だがしかし、顔は微笑み、歩き姿は威風堂々、エスコートは優雅に優しく。
……舐められてはいけない。特に、ここから先は駄目だろう。実に古典的な群像だ。……どう考えても冒険者の群れだ。
鏡夜はその一員……のようなものだ。つまり、冒険者は舐められてはいけない。
「あのひっついてる男は誰だ?」
「恋人? いや、そんな情報なんか聞いたことねぇぞ?」
「嘘……あの人……〈魔人〉!?」
「おい、今すぐ調べろ、灰色の全身スーツ、手袋、帽子、宝石を胸からぶら下げた気取った男だ。年のころは十代後半から二十代前半。あ? 人間だよ!……人種的には契国人なんだが髪は灰で目は赤色だ。知らねぇよ! 俺もわかんねぇから調べろっつってんの!」
(魔人ってなに? 魔人ってなんだよぉおおおお!! どういうことですか教えてくださいお願いします!!)
……鏡夜は軽く錯乱状態になりながら、集団に向かって、空いている手を振ってみた。
―――ざわざわざわざわざわざわっ……!!
ざわめきが三倍くらいになった。あ、こりゃもう会話は無理だな、と鏡夜は結論付ける。
そして、鏡夜と桃音はぽっかり空いた人と人外の合間を通り抜け、受付についた。
受付にはゴシックロリータの少女が立っていた。少女は鏡夜たちを見てくすくすと笑っている。ボリュームのある銀髪のツインテールに青い瞳。スカートは正面から縦に区切られ、白と黒褐色に分けられている。上半身は黒を基調としたドレスで胸の部分に白いレースがあしらわれていた。よく見れば、髪を括っている二つのシュシュもスカートと反対の配色で片側が白、もう片方が黒褐色に分かれている。
受付業務に似合わない、お人形さんのようなゴシックロリータの少女は口を開いた。「くすくす、不語桃音様とアンノウン様、ようこそいらっしゃいました。依頼メールはご確認されておりますか?」
「…………」
桃音は無言で鏡夜を見ている。どうやら鏡夜が応対する流れらしい。
「ええ、はい」
鏡夜はニコニコして言った。
「くすくす。ではしばらくお待ちください……失礼ですがアンノウン様。お名前をお聞きしても?」
「灰原鏡夜です。灰色の灰に原っぱの原、鏡に夜と書いて鏡夜と読みます」
「くすくす……ありがとうございます。素敵なお名前ですね」
「わぁ、嬉しいですねー。ありがとうございます」
(妙にくすくす笑うな……?)
その二分後、受付後ろのドアからスーツ姿の若い女性が出てきた。人間だ。茶髪で長めのポニーテール。ビックリ要素は一見した限りない。
「おっまたせいたしましたー!! うおっ!? 本当に不語さんが来てる!! 来ると思ってなかったからびっくりです!!」
(うわっ、うるせぇ)
が、あまりに元気よく喋るので鏡夜は面くらった。
「はい! はじめまして灰原さん! 不語さん! 私、〈Q-z〉事件特別対策本部オペレーター、染矢 令美と申します! 受付も兼任しております!」
「ん? 受付ですか……? ではこの方は?」
というかなんで名前を知っている、ツインテ―ルの少女はなにもしていない。微笑しているだけだった。
鏡夜は受付に立っている青い瞳の少女を見た。
「ああ、この方は白百合さん……アルガグラムから出向している人の機械人形ですよ。ほら、名乗ってあげてくれませんか?」
染谷オペレーターの言葉にゴシックロリータの少女は、腰から伸びたコードを優雅に手繰りつつ、応えた。
「くすくす。音声案内型過去観測機械「Pastricia」2ndナンバー。バレッタ・パストリシアです。よろしく……くすくす」
「お、おお……」
よく見れば少女の……バレッタのコードは受付机の裏側へ伸びている。鏡夜からは見えないが、何かに接続しているのは想像に難くなかった。
オートマタとか自動人形とかアンドロイドとかいろいろ言われるアレが、しれっ、と存在することに鏡夜は感動する。
(そうか、染矢さんが名前を知っているのは、バレッタさんが通信したからなのか。すげぇ。っていかんいかん、この反応はお上りさんだ。舐められる)
懸念に反して、染矢オペレーターは感心した様子の鏡夜に、わかります!! と言わんばかりに頷いた。
「いいですよねぇ、OAI人形!! 私、契国軍から出向してきるんでわかるんですけどほんとーにすごいんですよ!! ちょっと機密上、契国保有のOAI人形の詳細については言えないんですけどすごいんです!!! なのに個人でこうやって気軽に連れて来れるんですから開発組織はズルいですよねー」
「OAI……ですか?」
鏡夜は首をひねる。OAIとはなんぞや? それにはバレッタが答えた。くすくす笑いを入れて 歌うように説明する。
「くすくす。Observation artificial intelligence.〈観測〉人口知能の略称です。我らが秘密結社アルガグラムの発明したこの次世代AIを搭載した機械は〈OAI人形〉、〈OAI機械〉。あるいはそのまま〈観測機械〉と呼称されます。くすくす……その中でも「Pastricia」は傑作機と名高くユーザーからは高い満足度を得ています。一般公開されている中で会えるのは大英博物館で稼働している13thナンバー:ミューズ・パストリシアのみとなっておりますので、ご興味がありましたらパストリシア特別案内コースにお申込みください……お値段は契国の貨幣価値に換算すると現在412万5800円となっており、大変リーズナブルです……」
「いや、それはリーズナブルではないと思いますけどね?」
鏡夜は契国の貨幣価値は知らなかったが、流石に何百万円が小銭になるハイパーインフレ状態ではないだろうとあてずっぽうで突っ込む。染谷も桃音も、え? みたいな反応がなかったので鏡夜の推測は当たっていたらしい。安心しつつ、鏡夜は続ける。
「……まぁ、はい。教えてくださりありがとうございます。流石音声案内型のロボットさん。いろいろ教えてくれますね」
鏡夜は音声案内型という言葉を拾って、その部分を褒めておく。
バレッタ・パストリシアは当たり前のように微笑み続ける。
「くすくす……知りたいことがありましたら、我が主に不都合なことか、我が主に命じられない限りはなんでも答えますので、お気軽にどうぞ」
「あー、パストリシアさんはここにずっといらっしゃる感じで?」
「それは、我が主次第ですので……くすくす」
「あ、まぁそれはそうですよね……」
ここにずっといるなら折を見て、この世界についてめっちゃ質問しようかと思った鏡夜だが、そううまいことはいかなかった。
すると、染矢オペレーターが鏡夜たちに声をかけてきた。
「さて! では白百合さんの控室へご案内したいと思いますので! どうぞ奥へ!」
ビシッと奥の扉を全身で指し示す染矢オペレーター。行っていいのだろうか、と鏡夜は桃音に目を向ける。
「……?」
桃音は鏡夜の腕を引っ張った。なんの意図かさっぱりだったが、なにか言っておけばいいだろうと鏡夜は、染矢オペレーターに口を開いた。
「あの、このロビーにいらっしゃる方々は……?」
「ああ、もちろん、説明しますよ! ……それも同時に! 不公平や特別扱いはいけませんから。ただ、ほら不語さん」
「……」
「貴女は特別顧問の白百合さんが招いた方です! ほら、〈特別〉な方を〈特別扱い〉するのは、不公平どころか適正処置でしょう?」
(いや、でしょうとか言われても)
「なるほど……? あれ? 私はいいんですか?」。
「はい! お二人とも連れてきていいといわれています!」
「ふむ……そうおっしゃるなら。では、お言葉に甘えましょうか? 桃音さん」
染矢オペレーターに連れられて鏡夜と桃音は奥へと向かうことにした。
廊下を歩いて、つきあたりの扉を開け、外部特別顧問控室に入る。
その控室は、ベッドや大きな棚を用意していることから長期滞在も可能なように見えた。
奥の大きな机に一人の少女が座っていた。
派手だった。華美だった。美麗だった。金髪縦ロールのお嬢様がそこにはいた。
茶色を基調としたロングスカートのブレザーを着こんでおり、お嬢様学校からそのままここへ来たのではないかと思うほどに、女学生然としたお嬢様だった。その少女は椅子に座ったまま桃音と鏡夜を見た。
「あら」
と一言。その少女は立ち上がって、両手でスカートを少しだけ持ち上げて挨拶をした。
「はじめまして―――そして明けましておめでとうございますわ。白百合華澄と申しますの。以後お見知りおきをお願いいたしますわ」
このお嬢様が、アルガグラムから出向してきた外部特別顧問、白百合華澄であるらしい。
「あの悪名高い、〈全力全開桃姐様〉にあえて光栄ですの」
華澄はまるで誉め言葉のように、不語桃音のあだ名の一つを謳いあげた。
「………」
桃音は右手を口元にあてて首を傾げると、左腕を鏡夜から離した。
そのまま手持無沙汰に、ぼんやりと華澄を見つめている。華澄は桃音の目を見て、きゃー! という風に笑うと次は鏡夜に顔を向けた。鏡夜は先手を取って恭しく挨拶する。相手が誰であろうと、舐められてはいけないのである。
「はじめまして、灰原鏡夜と申します――まぁ、アレですね。桃音さんの協力者です」
対等の協力者というヴェールに包まれているだけで正確に言うなら庇護者と保護者の関係ではあるのだが。あるいはヒモとダメンズウォーカーかもしれない。
「ふぅむ、大変申し訳ないのですが、わたくしは灰原さんのこと存じ上げませんの」
「そりゃ、しょうがないですよ、この世の中、知らないことに溢れてますからねぇ。私だって、貴女のことを知りませんし」
鏡夜は揶揄するように親しみを込めて、意地を張って笑う。
「それはしょうがないですわ。わたくし――というかアルガグラムの内部や構成員は、たいていは機密ですから。秘密結社ですし」
「秘密結社――ですか。にしては、普通に名乗っていらっしゃいますね」
「よく言われますわ。世界規模で多角的に商品やサービスを提供しているのだから秘密結社という名称は不適格だろうと――そして、その答えも決まっておりますの。〈浪漫〉故ですわ。全ては、〈浪漫〉故ですの。だって、浪漫とはすなわち秘密結社とも言えますでしょう? ほかに理由など必要ですの?」
お嬢様お嬢様している華澄が浪漫を語る姿に鏡夜は少し微笑む。
「いえ、わかりますよ。カッコいいのは大事です」
なにせその格好良さゆえに、鏡夜は首の皮一枚繋がって、地獄に仏ならぬ異世界に救世主に救われたのだから。
「ふふ、わかってくださってうれしいですわ。服のセンスや気風も大変よろしいですし、いつか貴方にもアルガグラムのスカウトが行くかもしれませんの。その時は、仲良くしてくださいまし」
「今、仲良くするのは駄目なのですか?」
鏡夜は打てば響くように言葉尻を捉えて、すぐさま、しまった、と思う。舐められないように気を使いすぎて、踏み込みすぎたか。加減を間違えたかもしれない。これは一歩間違えれば軟派野郎だ。どうも意地を張るという行為に慣れるのはまだ難しい。
華澄は機嫌を悪くすることなく、平静に答えた。
「それはそれ。これはこれ――。そして、仕事は仕事ですわ。貴方が有能であれば、むしろこちらから、と言ったところですの。……おっと、不語さん、お待たせして申し訳ありませんわ」
華澄は桃音に近づいていった。しげしげと観察するように桃音に顔を近づける。
「しかし、見れば見るほど普通の――お淑やかな――優しい女性に見えますわね。亭主関白に付き従う大和撫子属性までついていらっしゃるようですし」
「誰か亭主関白ですか誰が!」
鏡夜は不当な評価に憤りを見せるが、華澄は見事にスルーする。華澄は桃音に語りかける。
「ああ、あなたが本当に不語桃音さんか、は疑ってはおりませんし、試すつもりもないですわ。ただ、わたくしが会ってみたかっただけですの。候補としては貴女が一番ですから」
(候補としては一番……? なんのだ?)
鏡夜は疑問に思う。それに応じたわけでもないだろうが、華澄は言葉を続けた。
「今ここで全てを説明して差し上げたいところですが――どうせ、ホールの説明会で同じことを繰り返しますの。二度手間は面倒でしょう? ここはサクッと省略しますわ」
華澄は気さくに言った。
「では、わたくしの後に続いてどうぞ―――いい席でお聞きできるように、このわたくしが案内しますわ」
華澄は鏡夜と桃音の間を通り抜けると、扉を開けた。そしてくるりと鏡夜たちを見て、さぁ、と呼び寄せる。
「……ありがとうございます?」
「あ、私は準備しなきゃいけないんでここでお別れです!! ではまた説明会で!!」
鏡夜が華澄に返事をした後、控室の隅で控えていた染矢はそう言って華澄の横を通り、さっさと退室してしまった。先ほどまでは空気を読んで黙っていたらしい。ともかく、この場に残ったのは華澄と鏡夜と桃音の三人だけだった。
鏡夜は桃音と見つめ合って、肩をすくめると華澄についていく。
案内されたのは、テレビ中継されていた四階建てのステージホールだった。天井の一部には応急処置として簡易的に鉄板が張られている。鏡夜の天井への視線に気づいて華澄は言った。
「建物がここぐらいしかないものでして……ま、安心なさってくださいな、あれは落ちませんの」
華澄に案内されたのは二階中央最前席だった。華澄は、一番よく見えるところですわ、となんでもないことのように告げる。賓客席は一階だったのに一番眺めがいいのは二階なのか、と鏡夜は奇妙に思いつつ、鏡夜、桃音、華澄の順で座った。
すると、下の階の扉が開いて、玄関のラウンジに集まっていた人々人外が一階座席に好きなように座っていく。密集したり、前後左右三席開けて座ったり、位置の取り方に個性が見えて、少しだけ興味深い。
しばらくして、ブッー、と開演ブザーが鳴った。契国王の演説前のように、クラシックでやらないんだなぁ、と鏡夜は思った。