第五話「グッドエンド、カーテンコール」
〈契暦1000年・清暦1年 1月10日 午後〉
〈日月の契国 塔京都 貝那区〉
喫茶店でだらだらした態度でスマートフォンをいじっている黒目黒髪の青年がいた。
今までリラックスするチャンスなんて全然なかったのだから、快適さを全力で味わってやろう、と言わんばかりのだらけっぷりで、ニュースサイトに目を通している。
なんでも契暦の時代が終わったがゆえに、各国は過去の遺恨を一つずつ検証し、突き合わせて、話し合い、決着をつけることにしたらしい。
その重大な判断には、きっと“決着は自分たちでつけるものだ”と喝破した鏡の魔人の影響もあるのかもしれない。
千年。千年だましだまし、いつか決着がつくからと先送りにしてきた事項はあまりに多い。百年二百年きっとかかるだろう。
それでも自分たちで、人任せにすることもなく、一つ一つ決着をつけていくと、そんな明るいニュースだった。
そしてそれよりもさらに上位のニュースが一つある。
人と人外の違いなど、きっと些細なことなどだと、笑いあえる日を――。魔法のように全てを無理やり解決したり、遺恨を失くすことはできないけれど、一個づつ解決していくのだと――。
そんな夢を見て、改元された暦の名は清暦だった。これからゆっくりと契暦からその暦に以降していくという。
「セイレキ……ね、いい年号だと思うぜ? けけ」
何か含みのあるような、その含みを含めて喜んでいるような、軽薄な笑いだった。
その青年は喫茶店のカウンターでコーヒー代を払うと、ふらっと、散歩するように歩き回り始めた。
青年は塔京を歩く。かつての蝶の事変によって引き裂かれた都市は、まだ完全に元の通りとはいかないけれど、生活する分には不都合はなくなっていた。
あともうしばらくすれば、元の活気ある都市の姿を取り戻すだろう。
その青年は歩いていると、とある三名と遭遇した。薄浅葱色のモーニングコートを着た小柄な少女とワインレッドの夜会服を着た長身の金髪の女性、そして黒より黒い漆黒のスライム。――青年はスライムも数えるのだと知っていた。
「どーも、こんちはー」
青年は軽薄に挨拶する。
「ん? ああ、君は――なるほど。こんにちは」
そう言って通り過ぎようとする青年の背中に向けて、その小柄な薄浅葱色の髪をした少女は言った。
「僕はエウガレスに帰ることにするよ。どうも、知性を使われちゃったらしくてね。すぐにでも修行で取り返したいんだ――伝えておいてくれよ――灰色の彼に、ね」
青年はひらひらと片手をあげてそれに答えるとそのまま、三名と別れるように去っていった。
「知り合いか? 薄浅葱」
「ああ、ソア。僕よりもよっぽど勇者なね」
「んむ、お前もそう悪くはないと思うが」
「私も――、うむ、自虐などしないでくれ、勇者じゃなくても。お前はすごいと思う」
「ありがとう、叔父様、ソア。うん、実にビターエンドだけど、まぁ楽しかったかな」
青年は黒いシスター服を着た少女を引きつれた巨人と出会った。青年はその巨人の全身に入れ墨が施されているのが自然と感じた。が、しかし入れ墨は綺麗さっぱり存在しない。
ただの獣じみた巨人に青年は挨拶する。
「こんちはー」
しかしそっくり無視されてしまう。彼らの会話が聞こえる。
「これで魔王も廃業だ――呪いを全部燃やされちまったんじゃな。まったく。ま、悪くねぇ。結局、どいつもこいつも粘り強いっつーか、ただでは流されないっつーか。ああ、自由ってのも悪くねぇか」
「………」
ずっと黙っている黒い修道女に巨人は言う。
「だが、あのクソ偽物聖女には今度こそ絶対勝つぞ! わかったなアリア!」
「……は、はい」
黒い修道服の少女はとても小さな声でそう言った。青年はふっと興味を失ったように他の場所へと去っていく。
青年はぞろぞろと雑多な宗教を思わせる聖職者たちを引き連れた青い修道女に挨拶する。
「こんちわー」
「こんにちは」
その青い修道服の女は聖母を思わせる笑顔を浮かべる。
「突然ですが、私のファンになりませんか?」
「え? もうファンっすよ、マジで、もうメロメロっつーか」
「……そうですか。ところでご存知ですか? アイドルというのはファンがいなくてもアイドルですが。たった一人でもファンがいるのならば、無敵になれるのです」
なぜか青年は威圧感を感じて冷や汗を垂らす。青い修道女の女はくすくすと笑う。
「ですから、ありがとうございます。私、頑張りますね?」
「お、おう……」
そう言って青い修道服の女とそのお付きの者たちは去っていった。
青年はしばらく立ち止まっていたが、思い直したようにまた歩き出す。
青年は冒険者組合の前を通りがかった。すると、その扉から鎧を身に着けた黒髪の中年が出てきた。
青年は、その鎧の人物を見てありえないものを見たとばかりに目を見開く。
するとその鎧の人物が挨拶をしてきた。
「やぁ、私は柊だ。それ以外に名前はない――わかるだろう?」
「……ど、どうも、こんちわ」
「私がしたことはあまりにも、これから先の日月の契国に悪影響だ。必ず決着はつけるが、今だけは伏せておく。――と追い出されてしまったんだ。あまり気にしないでくれ」
「気にすんなっつわれてもな……」
青年は驚天動地の心持ちだった。
「今は冒険者をして糊口を凌いでいる。吸収された彼らは大事なものを奪われたらしいが、私が奪われたのは立場だけだ――やれやれ、彼らしくもない」
そんな話をしていると柊の後ろからおばさんの声がした。
「ちょっとあんた! どいとくれ!掃除の邪魔じゃないか! まったく疲れる。もうエネルギー切れだね。あーあー、かったるい、なんで気づいてくれないのやら」
「おっと、これは失礼、ご婦人」
「なぁにがご婦人だい! きっしょくわるい気取りだね!」
「失礼、身体にしみついていてね」
柊の言葉を無視して、ぶつぶつ言いながらおそらく清掃員だろう歳を召した女性は冒険者組合の裏手へと回っていった。青年はつい突っ込んだ。
「いや、無礼されすぎじゃね?」
「そうかね? 王ではなくなった私など、権威も何もないからね。ありえない話ではない」
いや、ありえないだろ、と青年は思う。彼が知るこの人物の特徴と落差あり過ぎ――カリスマ吸い取られて燃やされたのかこれ。
「とりあえず柊お――こほん、柊ィ、他人に汚物のごとき言葉を押し付ける婆に付き合うアンタは忍びなさすぎて気分悪ぃし、知り合いに世話焼かせるから。これ決定事項な」
まぁ、カリスマを取り戻すまで舐められ続けるというあまりにも重い十字架を背負ったこの男には、焼け石に水の手助けだろうが。
そんなことを知ってか知らずか、柊はふっ、と、気取っているくせにまったくカリスマを感じられない嬉しそうな笑顔で言った。
「ありがとう。君は本当にいい敵だった」
「敵って」
そう笑いあって入れ違うように柊は冒険者組合から外に出て、青年は中に入っていった。
青年は特に深い考えがあって冒険者組合の建物に入ったわけではなかったが、彼らに気づいて、縁というものの奇妙さを感じた。
青年はテーブルに座って酒を飲み交わしている、騎士らしき装備の冒険者と軍人らしき装備の冒険者の二人に近づいて話しかけた。
「どうも、アンタたちに世話になったもんです」
二人の冒険者はびっくりしたように青年を見て、それから二人顔を見合わせる。
「お、おい、覚えあるか?」
「いや、全然ねぇ」
二人は互いに小声で話しているが、青年は気にせず言葉を続ける。
「アナタたちに冒険者は舐められたら終わり、と忠告されたにもかかわらず、どうもうまくいかなくてさ。言ってた通り、他のパーティの連中にちゃちゃいれられたり、仲間ほぼ全員に敵対されちまったんだ。でも、信じて続けてやってみたら報われたよ、ありがとう。そう伝えたかったんだ」
二人の冒険者は疑問符を大量に浮かべているように動揺していたが、ニコニコしている青年に毒気が抜かれたのか、どちららともなく答えた。
「ああ、いや―――いいってことよ、なぁ?」
「おう、小さな見栄を張ることは大事だ。アンタは立派な冒険者だよ」
そして何か閃いたのか、騎士っぽい装備をした方の冒険者が言った。
「ところで知ってるかい? 冒険者の語源」
「語源? いや、知らねぇなぁ」
「神話の時代の遺物を漁る、神に対する不遜の所業――冒涜的探検者、ってな」
「ああ、そんなのあったなぁ、お前ほんとそういう与太話得意だよなぁ」
軍人風の男の茶々に、ばーかと、騎士風の冒険者は笑うと、青年へ言った。
「もしもこれからも冒険を続けるってんならさ、畏れるなよ、そんなの、俺たちにに似合わねぇからさ」
「ああ、そうかいそうかい、ま、鏡の魔人さんが切り開いた新しい時代の到来だ! すかっといくのも悪くねぇか」
軍人風と騎士風の男はからっと豪快に笑い飛ばす。それを青年は、まるで眩しいものを見るように眺めていた。
「―――ああ、嬉しいな。やっぱり俺にとっちゃ、アンタたちが冒険者だ。話せてよかったよ。じゃあな」
おう、じゃあな! という冒険者二人組の声を後ろにして、青年は冒険者組合を後にした。
青年はしっかりとした足取りで、貝那区の外れ、【絢爛の森】へ向かい、そして足を踏み入れた。
青年は絢爛の森の中を歩く。本来許されざる侵入者は沈黙の管理人に捕縛されるのだが、襲う人物はいなかった。
冬でありつつも、澄み渡った天気から差し込む太陽の光のおかげで少しだけ暖かさも感じられた。
青年は絢爛の森の中、少し開いた場所にある小屋へ入る。
そこには灰色の服があった。
ダークグレイの手袋。真っ白なシャツと灰色のベスト。明るいグレーの華美なジャケットとズボン、腰元につけるシルバーチェーン。灰色の宝石でまとめられたポーラータイ。そして灰色の帽子。
彼はそれらに着替えていく。
そして最後に帽子をかぶった時、黒い髪は灰色に変わり、黒い瞳は紅に変わる。
―――鏡の魔人、灰原鏡夜がそこにはいた。
これが彼の願い。着脱可能の服装一式。神すら理論値であり実現できなかった呪詛を、都合の良い着脱可能の装備に変えるという願いを、彼は叶えた。
それで発生するあらゆる理不尽もまた〈決着〉によってねじ伏せて――それでも少しだけ、願いを叶えるリソースは残っている。
本来は仲間のために使おうと思ったのだが、全員に固辞された。(桃音は無言&無表情だったが殴られたので拒絶されたという解釈でいいだろう)
では何に使おうかと、街中を呪詛装備のない自分で歩いて決めた。
やっぱり決着をつけるために使おうと。自分の呪いと決着をつけるために。それが鏡夜の目的だった。
彼は小屋から一枚の紙とペンを借りると、そこにさらさらとメッセージを書く。その手紙を懐に入れて鏡夜は小屋の外に出た。
そこには不語桃音がいた。白百合華澄がいた。バレッタ・パストリシアがいた。かぐやがいた。
彼女たちと合流して、そして鏡夜は――――。
〈西暦2020年 1月10日〉
〈日本 東京都〉
―――転じて、とある郵便受け。
一人の人物が手紙を受け取り、それを読む。
そしてその人物は激怒して叫ぶ。
暴れまわる。物に当たり、壁を殴る。
暴れまわるその人物の足元に手紙が落ちる。
その手紙には、豪奢な金髪の美少女と、長い黒髪の美女と、セピア色の人形じみた美貌の少女と、日本的な美を偏執的なまでに実現した美少女に並んで、灰髪紅目の青年が笑顔で映っていた。
添えて一言。
―――私を呪ってくれて、ありがとうございます♡
これが彼の呪詛と人生への決着。―――決着の塔は踏破された。
〈契暦1000年・清暦1年 1月11日 午前〉
「んー」
契暦史上最悪の第三勢力の首領キー・エクスクルは全身を簀巻きにされた上に目隠しと猿轡をされて牢屋の中で横たわっていた。
決着の塔の中だけならば大目に見られただろうが、確実に世界に対するテロリズムを行い、また塔京を分解するという罪まで重ねられている。
あまりにも規模が大きく重大な犯罪行為だった。
今日、彼は契国軍に身柄を引き渡される。そしてすぐにでも国際司法の場において裁かれるだろう。
「ハル……」
「んー。んん!」
晴水の姉である、久竜恒子。契国軍少佐が移送のため牢屋に訪れる。
「私も、共に行く。お前を決着の塔に挑戦させたのが……そもそもの、間違いだった。 姉として……責任は取らねばならんだろう。私は、ハルの……家族だからな」
「んー、んーんー」
「その心がけ、とても立派だと思うわ」
「……んー」
ずっと唸っていた晴水は聞こえてきた声に押し黙った。おそらく恒子少佐に寄り添うように付いてきている人物の声だ。少女の声だ。透き通った、冷徹な声。それはまさしくーー。
「―――ええ、本当に」
リコリスの声だった。
「……それじゃ、行きましょうか」
「ああ」
深く沈んだ声で会話する二人の女性。そして恒子の部下たちによって久竜晴水が連れていかれる。
恒子も後から張り詰めた空気でついていき。牢屋に残ったのはリコリスだけだった。
あまりにも。あんまりにもごたごたがあって、情報がいきわたらなかった。リコリスが騙されていた英雄パーティの一員のままなのは、そのせいだ。塔京分解の犯人がリコリス・エーデルワイスだと把握しているのは、柊釘真と染矢令美――そして自首したリコリスを監視していたドーム職員たちだけだ。柊は性格的に言わず、染矢や職員は肉体的には一般人。深い影響はないとはいえ、未だ意識を取り戻していない。
久竜晴水と灰原鏡夜の一騎討ちのため、リコリスは決着の塔にて鏡夜の仲間たちと死ぬまで戦った。しかしついに致命傷を受けて、死亡判定を受けて塔の外に放り出され……。吸収されて、致命傷になるまで力を搾り取られて塔の外に放り出されていた者たちに混じったのだ。
現在、祝福や呪詛、その他諸々力を持っている者ほど早く意識を覚醒させている。そしてティターニアである彼女は、一番に意識を取り戻し、チャンスと危険を理解して。そしてキー・エクスクルに裏切られた英雄パーティの一員としてそれらしく、今日まで振る舞ってきた。
その祝福と呪詛と機械を吸いつくされた、未だ現実を受け入れられないパーティ全員の代表として、恒子の晴水移送に付いてきた。
リコリス・エーデルワイスは、おそらく近日中にここを過去観測するだろう人形へ向けて、ウィンクをした。
そして牢屋を去る。
―――久竜晴水は、その移送中、リコリス・エーデルワイスの不意をついた行動により奪取されてしまう。
たった一つの痕跡以外、あらゆる足取りは消え去り、彼と彼女は煙のように消え去った。
そして、その痕跡である、移送車に書かれた文章には、こう記されていた。
How amazing! How many wonderful creatures there are here! Mankind is so beautiful!
Oh, what a wonderful new world, that has such people in it!
――シェイクスピア『テンペスト』より引用。
最後までシェイクスピアを引用する、演劇かぶれの英雄だった。
「しっかし、結局あんだけやってなんもしなかったな。革命家の意思をくじいて罪を引っ被っただけだ。これじゃ第三勢力の名が泣くぜ」
「なにもしなかった、なんてそんなことはないわ……エクスクル、あなたは、『守った』のよ」
「――――……」
「……? どうかした?」
「……いや、そうだな。うん、その通りだ。はじめて守りたいものを守った気がする。そうか、これが『守る』か。ハハ、似合わないな。……でも、悪くない。これがわかっただけでも上々だ」
決着はつけられ、契歴が終わり。けれど。
「―――ああ、だが、この空は、この空で、きれいだ」
清暦の空も、青く晴れていた。




