第一話「宣戦布告」
〈1000年1月9日 午後〉
鏡夜が目覚めると、天井の炎のランプが揺れていた。どうやら桃音の家、自室のベッドに寝かされていたらしい。
「あー……」
寝覚めはいつものように最悪だった。ぼんやりとしつつも唸る。意識レベルに反して、身体は快調だった。寝る前は全身泥のようになって倒れたのだが、すっかり回復したらしい。桃音のように疲れないという呪詛を保持しているわけではない。ただたただ強靭になった肉体の、副産物だろう。強靭だから、ちょっとだけ体力回復が速いのだ。
鏡夜は起き上がり、カーテンを開ける。窓の外では、桃音が地面に棒で絵を描いていた。
鏡夜と桃音と華澄とバレッタとかぐやが集合した絵だった。
(ナスカの地上絵……? にしてはデフォルメがきいているが)
漫画のキャラクターみたいにデフォルメされた自分と仲間の絵を眺めていると、現実の桃音が上を見上げた。
現実の鏡夜と目が合う。彼は手を振った。桃音はしばらく鏡夜を見上げていたが、ふっと視線を外す。そして大ジャンプをして、家の中に入っていった。
鏡夜も自室のドアを開けてリビングに行くと、そこには仲間が全員勢ぞろいしていた。
「おはようございます」
「おはようございますわ、鏡夜さん」
「くすくす、お目覚めですか、灰原様」
「お早う、我が君!」
「………」
彼はちょっとだけ黙る。かぐや以外全員敵対していたとは思えないほど爽やかな光景だった。
鏡夜は肩を竦めた。結局、彼女たちが敵対したのは鏡夜の不徳の致すところだ。
そして挑戦者たちや契国そのもの――世界的に指名手配されたが世界が敵対する前に全部処理したので実質契国のみ――と敵対する羽目になったのは〈Q‐z〉のせいだ。あの獰猛な聖女もきっと挑戦者たちや柊王が自分にかかり切りにならなければ動かなかっただろうし、間違いない。
「で、今のところどうなってます?」
だからさっさと切り替えて攻略に精を出そうと話を切り替える。遺恨など残っていない。仲間うちでの決着は全部つけた。
「くすくす……一言で表現するとなると……大詰めですね」
「……大詰め?」
バレッタに説明を聞く。自分が寝込んでいた間に起こったことを聞いた彼の感想は。
「それは、また、豪勢ですね……」
決着の塔の頂上から世界中にクエスト『カーテンコール』を撃ち込む。塔京と決着の塔だけが活動の場所だった〈Q‐z〉が直接的に世界へ戦力を割くとは。
しかし、塔京は輪をかけて苦難を受けているな。塔京はその構成する物質を蝶に変えられ復興中、ドームは聖女の暴力によって破壊され、挑戦者たちは――。
「そういえば、勇者さんや魔王さんや聖女さんはどうなったんです? あと、柊王陛下は」
鏡夜の問いにすっかり元に戻り、豪奢な金髪とお嬢様然としたブレザーを着ている華澄が応えた。
「行方不明ですわ。後から瓦礫に埋もれているだろう人たちを回収しに集まったのですが、だーれもいなかったそうですわ。きれーさっぱり。瓦礫さえもなく、塔のみが残っている――と、報告には。もはやあの塔は、千年前と同じ状況ですわ。平地に塔が立っている。それだけですの」
かぐやは不思議そうに華澄へ聞いた。
「ここから先どんな状況になるの?」
「めちゃめちゃすぎてさっぱりですわねぇ……」
ただまぁ、わたくしの勘ですけれど、と華澄は前置きをして淡々と言った。
「〈Q‐z〉にとって、もっとも宿敵なのは、ライバルなのは、鏡夜さんですわ。それは間違いありませんの」
「………」
「時間が経つほどに、『カーテンコール』圧力は鏡夜さんの力を削ぐでしょう。今度はわたくしは――わたくしたちも最後まで味方するつもりですわ。というか、ええ、命尽きるまでは――」
「………」
桃音はぼんやりと鏡夜を見ている。鏡夜は静かに告げた。
「なら、行きましょうか。見てみたかったんですよね、ドームなしの塔……ただ、その前に、桃音さん、少し遅めでの昼食を頂けますか? お腹すいてるんですよね」
桃音は茫洋とした表情のままキッチンへと向かった。
豪勢な山盛りのサンドイッチを頂いた鏡夜一行は、決着の塔へと向かった。道中の、塔京貝那区は、いっそ寒々しいほど静かだった。
外に出ている人々や人外はほぼいない。千年、影も形もなかった、巨大な、武力、軍事力が塔京のど真ん中に出現しているのだからさもありなんといったところだろうか。
しかも、この地区には〈Q‐z〉の本丸、決着の塔がある。上から『カーテンコール』を追加されたらどうしよう、という拳銃を額に押し付けられているような不安感と緊張感が、地域全体に満ちていた。
そしてそのまま、誰にも出会うことなく。決着の塔へたどり着く。そして決着の塔攻略支援ドーム跡地だ。本当に、塔だけだ。瓦礫も人や人外が形跡も消え去っている。草木一本もない平地にバカでかい塔が立っている。ただそれだけの場所だった。
「では、バレッタさん」
「ええ、くすくす……」
アルガグラムの過去観測機械人形、バレッタ・パストリシアが、過去に何があったかを観測する。それは容易く語られる。歌うような口ぶりで。
「くすくす。そのシーンは、炎から始まりました」
場面が、燃える。
瓦礫が炎に巻かれる。吹雪のような炎が瓦礫を溶かしていく。
気絶していた聖女が氷のような灼熱に飲み込まれていく。きれいさっぱり、消えていく。
勇者も魔王も堕ちた聖女も燃えていく――契国の必殺の国防兵器、八咫烏も消えていく。勇者の仲間一人と一匹と、魔王の仲間の四天王も、英雄の仲間だった少女たちも、聖女に使われもしなかった部下たちも。染矢令美も、有口聖も、またリンと呼ばれた少女も、その他の職員たちも燃やされていく。
残ったのは柊釘真ただ一人だった。地下の瓦礫に埋まって身動きが取れなかった彼は、耐え忍び。
この炎はただの炎ではない。彼はそれを知っていた。だから抗える。
そして、炎が消える。柊は地面の下に空いた、地下があった場所――穴の中で立って、息を切らしながら上を見る。
穴の縁には、キー・エクスクルが立っていた。刀を一本ぶら下げていて、服装も英雄を名乗っていた時と同じ、動きやすくもフォーマルなもの。
しかし、奇妙なことに右目から、真っ赤な炎が噴き出していた。エクスクルは呆れたように言う。
「おいおい――吸収に抗うなよ。コントラクター」
「私は、灰原鏡夜くんには負けたが、まだ君には負けていないんだよ、エクスクル。だから認められない。肥大化した幼稚性を振り回す醜悪な大人はね、諦めが悪いんだ」
柊王は少し駄目沈黙して、再び口を開く。
「そもそも、やめたまえよ。例えそれが悲劇でも、私は未来の礎のためならば―――君達さえも駆逐する。悪い王様だよ。吸収したら腹を壊す」
「いいや、やめなさいぜ王様。燃料はあって困らねぇ。お前のその、カリスマってやつは、いい燃料になるんだ――」
エクスクルは穴の中に降り立って、柊釘真と向かい合って立つ。
「〈Q‐z〉に入ってくれよ」
「……ああ、なるほど。〈Q‐z〉とはそういう意味なのか。リコリスの言っていたことがわかった。たしかに、君一人が〈Q‐z〉であり、君以外に〈Q‐z〉は存在しない」
柊の納得した言葉に、エクスクルは芝居がかった調子で言った。
「失望しても仕方がないな」
「いや、まったく失望はしていない」
「そうか。もしかしたら……俺は、お前に負けちまうかもな、と思っていた」
「それは私も同じだよ、キー・エクスクル。ただ、戦わないというのは君も私もしないだろう?」
「わかってると思うが……完全に詰んでいる。お前は吸収される。それは決定事項だ」
柊釘真は全てを受け入れたように、超然とした態度で述べた。
「寝ぼけた遺恨を一掃する。本来歴史に消え去るべきだった過去と遺物を根絶する。そのために世界戦争を起こす。そんな戯言を述べる私だよ? 戦わずに終わる者を、敗者とは呼ばないさ。私を落伍者にしないでくれ。君のごとく語るなら―――“Play out the play.”芝居は終いまでやらせてくれ」
キー・エクスクルは、小さく、少しだけ笑った。
「ハ――本当、お前は哀れな男だよ」
そして日月の契国の王、柊釘真はエクスクルが操る炎に飲み込まれる。柊はしばらく耐えていたが、ぞくぞくと追加される炎の量に耐えきれず。ふっ、と幻のように炎の中で消えた。
こうこうと燃え盛る炎を背景にキー・エクスクルは、誰にともかく呟いた。
「ふん、見てる――いや、聴いてるんだろ。鏡の魔人ご一行様。……俺は最上階にいる。〈決着〉は使ってねぇ。ここまで来て、そして、負けろ」
許さない。という気迫が透けて見えるがごとき相貌で――
「久竜晴水様は、右目から炎を燃やしつつ、啖呵を切ったのでございます」
沈黙が場を支配した。かぐやだけはぽわぽわとしているが。
「あぶなかったわね! 我が君!」
「何がです?」
「私が自分で覚醒して我が君の元に戻ってなかったら、私も燃えて――えーと、吸収されていたわ!」
「それはほんとに危なかったですね……!」
かぐやのおかげか、重苦しい空気は霧散する。だからと言ってやることは変わらない。
「行くしかないですね。……舐められるわけには、いきませんから」
鏡夜たちは決着の塔へ歩を進めた。入口から中に入る。
第一階層【荒野】、第二階層【密林】、第三階層【竹林】、第四階層【迷路】。四つの階層を通り抜けて、ついに鏡夜たちは第五階層までたどり着く。
第五階層は―――【高原】だった。すすきが一面に揺れる、夜の高原。空は曇り空であるにもかかわらず、満月だけがぽっかりと晴れていた。
黒い雲と透き通った黄金の満月だけの夜空は、唯一美しさだけがこの世界を形作るのだと述べているようだった。
そこに立つのは人型のロボットだった。
シンプルな強化外骨格。剥きだしの無骨な装甲をぼろきれな黒いマントで覆い隠している。
二メートルの人型機械兵器――question“finale”。終幕の名を冠する最後の刺客だった。




