第六話「困難な祈り」
〈1000年1月7日 午前〉
もちろん助けなどあるはずもなく、気まずい雰囲気のまま夜は終わり、迎えた翌朝。
鏡夜は白米や魚、味噌汁と言った和風の朝食を食べ終えて、緑茶を飲んだ後に言った。
「今日、ダンジョンに入って、できたなら老龍へ挑戦します」
向かい側に座る桃音は無音でお上品に納豆をご飯にかけて食べていた。表情にはまったく出ていないが、昨夜と比べれば少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がする。だが、もちろん許されていないのも確実だ。
なぜなら今朝桃音は創作活動を行っていなかったらからだ。何も作ってなかった。椅子も絵も踊りを動画作成するのも朝食作りまで、なにもせずにぼーっとかぐやが朝食を作るのを待っていたのだ。異常事態である。そしてその理由も歴然だ。
時間で、なぁなぁで流して自然消滅を待つのはあまりにも格好良くないのだ。
そんな桃音の平穏なピリピリとした雰囲気をまったく意に介すこともなくかぐやがほわほわと言う。
「おお! ついになのね! でも大丈夫なのかしら? 施設が朽ちていたようだけど」
「問題ないようですよ、そうですよね? 桃音さん」
「………」
桃音は無反応だった。
鏡夜は内心はともかく虚勢で柔らかな微笑を浮かべつつ、かぐやへ説明する。
「昨日、ドームはその大半が蝶の嵐の被害を受けましたが、ダンジョンに入るだけなら問題ないらしいと連絡がありました。桃音さんのPCのメールに」
ならば遠慮する必要はない。大騒ぎだったから! 老龍が恐ろしいから! そんなものはいくらでも足を止める理由になる。
一日、一ヶ月、そして一年。いくら何もしなくても、足を止めてもおかしくない。
だから嫌なのだ。
駆け抜けるしかないのに、足を止めることに慣れてはきっと何事もなせないだろう。
わかっているのだが、恐ろしい。なにせ老龍をどうすればいいか、冴えた閃きが未だないのだから。
だが、例えやみくもに近いものだとしても舐められてはいけない。故に鏡夜はこう続けた。
「楽しみです」
「我が君ならくしょーよ。間違いないわ!」
「そうヨイショしていただけると活力が湧く気がしますねー。ありがとうございます」
まぁ、気がするだけなのだが。薄浅葱のようにやる気がないよりマシである。
もうひとつの動機として桃音へのアピールもあるのだから、やる気はいくらあっても足りない。
……結局のところ桃音に対する何らかの失言及び断絶は、言葉での解決方法は思いつかなかった。
何度も自分が吐いたセリフを想起しては、どういう影響を桃音に与えたのか頭を捻ったが、解釈ができない。いくら考えてもわからない。
けれど時間は待ってくれない。危機もまたチャンスと同じように、一度取り逃せば二度と取り戻すことはできないのだ。
さらに言えばチャンスは逃せば二度と来ないだけで済むが、危機は解決の機会を取り逃せば延々と後を引いて被害が大きくなってしまう。
そこで鏡夜は発想を転回させる。
なら行動で取り戻そうと。好感度が下がったと強引に解釈すれば、格好良いところを魅せれば弱点を突く形にもなるはずだ。
そして直近で格好良いところを見せるには、足を鈍らせている老龍を相手にするしかないのである。
鏡夜は怯える心を意地と虚勢の炎で熱しつつ、朝食を終えた。抜けるような早朝の青空と青々とした絢爛の森を見下ろしながら深呼吸をして自分に気合を入れる。
そして鏡夜は、桃音とかぐやを引き連れて絢爛の森を出た。
いつもは人も人外もまばらにしかいない早朝の塔京を移動している鏡夜だが、今日は少し勝手が違った。
どこもかしこも工事中だったのだ。道路工事が大々的に行われ、どこの建物も外側から鉄パイプを基礎とした足場が組まれ、作業員や警備員がひたすら働いていた。
さすが首都塔京。インフラ対策は迅速で妥協がない。
この分なら一週間後ぐらいには、見えている範囲での建物や道路の不調はなくなるだろう。
鏡夜は嫌な意味で有名人だが、土方業の方々は自分の仕事に専念しており、むしろ道を行き交う一般市民はいなかった。
なので鏡夜は久々にすがすがしい空気の中を、ゆったりとした歩みでドームへ向かうことができた。
そんな清々しい気分でドーム前までたどり着く。昨日は疲れであまりよく観察できていなかったのだが、ドームの外観はほぼ崩されていなかった。
例外は扉だけである。まるで直径十メートルはあろう岩石が内側から飛び出したのかというぐらい、ドームの入り口は破砕していた。いつかステージホールの天井をぶち抜いた砲丸ロボットを思い出すような大穴だ。
入り口を通る時破片が降ってこないように応急処置こそされているが、それだけだ。
鏡夜が花開いた洞穴のような入口を取ってドームの中に入ると、今度はたくさんの作業服を着た人々と人外たちが修繕を行っていた。
招集された冒険者たちがエントランスでたむろっていたのに遭遇して以来の密度である。
脚立の上でトンカチを振るっていたり、床を掃き掃除していたりする者たちの中央まで歩く。
すると向こう側から華澄とバレッタがやってくるのに気づいて鏡夜は片手をあげた。
「おはようございまーす」
「おはようございますの」
「くすくす……」
エントランスの中央で鏡夜たちのパーティは合流する。そしてさっそく鏡夜は老龍に挑戦するという意志を全員に改めて伝えた。
「あら、もうですの?」
「ええ、もうですよ。先日、拙速なんて隙だらけなんて華澄さんは言ってましたけど、一日観測して分析して調べましたし、これ以上何か収穫を得ようとしても当てはありません。ならもう挑戦してもいいでしょう」
鏡夜は左手の人差し指を立てて振りながら冷静に挑戦する根拠を提示した。
華澄は鏡夜のセリフを聞きながらしばらく考えていたが、一つ頷く。
「わかりましたわ。正攻法で相対するというのならば、わたくしも相応しいやり方をいたしますの」
都合もよろしいですし、と華澄は心の中で呟いたがもちろん鏡夜にそれは聞こえない。
鏡夜は不都合な世界に不敵な笑みを浮かべると、仲間たちへ視線を向けた。
「では参りましょうか、老いたる龍に未来というものを見せてあげましょう」
とは言ったものの。未だに鏡夜の心の中ではうまくいく光景は見えない。意地と虚勢とその他諸々動かざるおえない理由が複合して身体を前に動かしているに過ぎないのだ。
完全に足を止めるよりかは数百倍マシだとはいえ、それでも最善ではない。
鏡夜は心こそ折れていないものの、暗闇を歩いている気分のまま、ダンジョンへ潜った。
第0階層、かつてクエスト『カーテンコール』と戦った入口から鏡夜たちは自然と警戒心マックスになる。
当然だ。なぜなら、この塔の中には、ティターニアの蝶が大量に入り込んでしまっているからだ。
いつ襲ってくるかわからない。どこからくるかもわからない。だからダンジョンに入ったのならば出るまで警戒し続けねばならない。それはストレスとなり、注意力と体力を削いでいく。〈Q‐z〉らしい、性格の悪い妨害である。
だが、油断なく会話もない警戒心に反して特異な出来事は起きなかった。モンスターが通常通りの頻度で襲ってくる程度。
そして拍子抜けするほど簡単に第三階層【竹林】へ入る一歩手前までたどり着く。
鏡夜は舌打ちを打ちたいのを気合で耐える。一歩一歩先へ進むごとに感じるものは、今朝想像していたものと違った。
てっきり鏡夜は恐怖に襲われるものとばかり思っていたのだ。だが現実はどうだ? 今この瞬間感じている感情は―――。
舌打ちの変わりに出たのは意地と虚勢と――そして何より、本心だった。
「そもそもなぜ私が、月も星も光もない暗闇の夜に放り出されたような気持ちにならないといけないんです? そんな人生、生きてて楽しいんですか。いえ、楽しいわけがない。何が理由だろうとそんなぐだぐだぐだぐだ鬱屈した有り様が肯定されるわけがない。生きてても見てても楽しくない」
鏡夜は苛つきのまま、仲間を惹きつれて【竹林】へと侵入した。
「そもそも、あの老龍が千年待っていたのは、こんな愚にもつかないことに悩んで、世界も人生も陰鬱なものにしかできない人間なのでしょうか?」
違うだろう。絶対に違う。千年前の勇者と魔王が果たして何を思い契約を結び、この【決着の塔】というダンジョンと千年の契暦を作り出したかは知らない。
挑戦者たちに問うても教えてもらえなかったし、調べても文献なんかありはしない。【当代の勇者と魔王が挑むこと】なんて決まり事は、どこかで勝手に生まれた伝承ルールであり、始まりにそんな取り決めはなかった。
受け継いでくれと、そんな言葉は何一つとして残ってはいない。なぜなら受け継がせて、未来を切り開ける何かなど――過去から続けて、教訓となるべきような何かなどなかったのだ。
彼らは、恥知らずではなかった。少なくともそれだけは確かだ。
鏡夜は契国の王から〈決着〉か何かを問われた時、答えることはできなかった。今でも答えることはできない。だが、自分にとって何であるか答えることはできなくとも、千年前のソレがなんであるかは、今ここに立ってようやくわかった。
竹林の向こう。奇跡の切符、その資格を問うために最善を尽くせと命じられた龍がやってくる。
鏡夜は―――むしろ、さらに一歩前に進んで、人差し指を突きつけて老龍へ言った。
「あなたに託されたものは〈祈り〉だ。そうでしょう?」
老いを弱さではなく、強さに変えた、強大な龍が―――奇跡を待ち向ける門番たれと願われて、だからこそ奇跡を起こした龍が、鏡夜たちへ襲い掛かってきた。




