第四話「〈人形使い〉リコリス・エーデルワイス」
斥候から戻ってきたバレッタとかぐやを合流し、ふらふらとドーム内を当てもなく移動していた桃音を回収し、華澄を含めた鏡夜一行は医務室前まで来ていた。
……鏡夜は気まずく桃音の顔を観察してみるが、意図は読み取れない。感情の欠片ぐらいは掴めればと思うが難しい。コミュニケーション不可能者であるがゆえに、何も彼女からは伝わらないのだ。鏡夜から勝手に解釈するしかない。なんで不都合で不合理でもどかしい関係だろうか。
しかし、鏡夜は自分と桃音の関係云々はいったん置いておくことにした。二兎を追う者は一兎をも得ずとも言うわけであるし、今は〈人形使い〉に注力するのみである。
鏡夜は医務室の前に立って考える。確か今ここに担ぎ込まれているのは……。
「えーと、魔王さんの配下である四天王と久竜さんのパーティーメンバーと、あと、久竜さんのパトロンである喜連川さんでしたっけ? がいますね」
なるほど。言われてみれば、確かに久竜の仲間がいそうな人員だ。特にパトロンである期連川が怪しい。
バレッタは応えた。
「くすくす……喜連川様はすでに意識を取り戻してご帰宅なさってますよ……」
「あれ、そうですか、となると……」
「ええ、パーティーメンバーに〈人形使い〉がいる可能性が高いですわ」
華澄へ、ああ、あのハーレムパーティの、と軽口を叩こうとして鏡夜は口をつぐんだ。
(人のことまったく言えねぇ)
とにかく激流のごとき異世界を駆け抜けていたらこういう感じになったのであって下心はまったくないのだが、鏡夜のパーティも鏡夜以外全員女性だった。
服が物理的に脱げない上に態度はともかく心の余裕が絶無なせいか、見目麗しい少女たちの交流を男子的に楽しめない鏡夜である。
思考が変なところに飛んだ鏡夜を見て何を思ったのか、かぐやが反応する。
「えたり、わかったわ。とりあえず全員ぶちのめせばいいのね?」
「それは極端なんでちょっと待ってくださいます?」
やりすぎである。鏡夜は基本的に自分のことしか考えていないが、それでも人道的にまずい。
華澄は率先して、久竜晴水のパーティーメンバーがベッドに寝かせられている医務室へ入る。鏡夜たちも後からついていく。
「〈人形使い〉。アルガグラム所属の魔術師。名はエーデルワイス。その種族は、妖精ですわ」
「妖精ですか?」
鏡夜としてはファンシーなイメージしかない幻想の生き物だ。それが〈Q‐z〉のロボットを作り、そして〈pastricia〉を創造したのか。ロボット開発者と妖精のイメージがうまく接続できない鏡夜へ、バレッタは謳うように解答する。
「くすくす……妖精。小さく美しく空を舞う種族であり、傾向としては天真爛漫にして純粋無垢。明け透けに言えば、勝手気ままで物事を深くまで考えない。我が創造主、エーデルワイス様は盲目の妖精であり……それ以上に、妖精の中でもかなりの異端児でありました」
エーデルワイスのパーソナルデータにも興味があったが、それ以上に気になったのは。
「小さいんですか?」
「くすくす……」
バレッタはその真っ白な陶磁器のような手を隣の鏡夜へ差し出した。
「これくらいですね」
「ちっさ」
本当にずばり妖精ではないか。
華澄は口惜しそうに言う。
「ええ、だからこそわたくしは妖精ばかりを探していましたの。もしくは妖精が搭乗することができる人形を。……思考の盲点ですわ。あの探偵勇者ならば、予断は禁物とおっしゃるのでしょうね」
華澄は感情の読み取れない穏やかな目で、意識のない久竜たちのパーティーメンバーを一人一人見下ろしておく。
「この方たちも哀れですわ。〈人形使い〉の隠れ蓑のために用意されたのでしょうね。ああ、パトロンも哀れですわ。利用されただけなのでしょうし」
「んー? ということは、この方たちの誰かがロボットなんですか?」
鏡夜はベッドで未だ安静にしている少女たちを紅い瞳で観察するが、全員に弱点が見える。
少なくとも純機械はこの中にはない。クエストシリーズかクエスチョンシリーズのように生体部品を組み込んでいるのならばわからないが。
かぐやはじーっと少女たちを観測すると言った。
「この中にバレッタ・パストリシアみたいな鉄で出来た子はいないわよ、我が君」
「ありゃ、そうなんですか」
かぐやは異空間の竹から、その外にいる人間と人外と機械を感知できる程度に高性能の分析能力がある。彼女が言うならばそうなのだろう。
華澄は言った。
「かぐやさん、神話と断絶してしまったわたくしたちが失ったものはたくさんありますが……実は、上位種に進化する術も、ほぼ消失しているのです」
「へ? そうなの? 白百合華澄」
かぐやはぽかんと口を開けて言った。華澄は大げさに頷く。
「そうなんですの。だからこそ、わたくしも気づけなかった。思考の盲点、奇想の類。ですが、ええ、焦りましたね、エーデルワイス。塔の中を好き勝手にかきまわし、ドームの中で起きたことを把握して、いかなる手を打てる都合のいい何か。―――そして、灰原さんが目撃した蝶というギミック。ここまでくればわかりますわ。―――貴女、〈進化〉しましたわね! 大きく、強くなりましたのね!」
「進化とは、また大きく出ましたね。まぁ生命操作技術が溢れてるんで、それくらいもあるでしょうが」
かぐやとかずばり生命操作技術の極地だ。鏡夜に使う予定はないが、彼女は周囲の気に入った存在から遺伝子を拝借して子供が創れる機能がある。まったくもって想像を超えている。
鏡夜が例に考えた生体人形はふーんと、半分無関心、半分感心ながら華澄に言った。
「それなら誰なのよ」
「ダンジョン内に蝶を――異物を持ち込めることができたのは、二人だけですわ。アイテム係のお嬢さんか、銃弾をばら撒いたお嬢さん。ああ、でも大変ですわ。アイテム係兼聖職者の蜜柑さんは、〈半竜〉なんですの。妖精の系譜なんて影も形もありませんわ。ねぇ、そうですわよね――リコリスさん。いえ―――リコリス・エーデルワイス」
華澄はついに長い黒髪の臥せっている少女の頭を覗き込むように見つめる。その銃使いの少女はアルガグラムの魔術師、〈銃使い〉を眼前にしても動かない。
「“英雄さんは猪突猛進で、リコリスさんは残弾の管理すらできず、ケールさんは口ばっかりで、蜜柑さんは他人事で、サイシンさんは英雄さんしか見ていない”」
それはいつか華澄が英雄一行を酷評した時の発言だった。
「貴女を隠す隠れ蓑。心得なしの群れの中――その中でも、やっぱり貴女だけおかしいですわ。なんで、銃使いが、残弾の管理ができませんの。武器の選定を誤りますの?」
そう言って華澄は恐るべき早撃ちでリコリスへ発砲した。
「―――――――――――――……ずいぶんと得意げだけど」
「……!」
黒髪は目を閉じたまま、横たわったまま口を開いた。華澄が容赦なく撃ち殺そうと発射した弾丸は、一匹の蝶によって防がれていた。ひらひらと浮かぶ白と黒の絵の具をぶちまけたような柄のアゲハチョウは銃弾を掴んだまま部屋の中を飛び回っている
華澄は無言で懐からナイフを取り出し刺し殺そうとしてそのナイフが天井から突然現れた別の蝶に弾かれて吹っ飛ぶ。天井からタイルの一枚が剥げていた。鏡夜は理解した。今、天井のタイル一枚が、蝶へと変化した。
そして久竜晴水のパーティメンバー、銃使いの少女は……〈人形使い〉リコリス・エーデルワイスは蝶が舞う中で目を閉じたまま、言葉を続ける。
「今まで気づけなかったのは間抜けよ。それに、少し出しゃばりすぎじゃないかしら? 準備もドラマも足りないくせに」
華澄はナイフを持っていた手を開閉しつつ、皮肉げに言う。
「あら、わたくしが、貴女をここで殺すつもりで準備したら貴女は逃げていたでしょう? 準備もドラマも追いつかない技術者が減らず口とは……業狂いも落ちたものですわね! それと追いつけずに作ったであろう間抜けな『カットアウト』はクライアントに満足いただけましたの?」
「ええ、私のダーリンは浪漫が解かる男だから。羨ましい?」
「―――――――誰が」
華澄は心底ありえないと否定する気持ちをまったく隠さない不愉快な表情を浮かべる。リコリスは起き上がるとベッドに座った。そして黒髪の――不吉な少女は目を開く。その目はまるで白い絵の具と黒い絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜて、合わせなかったような、散らかったモノトーンの瞳だった。
その瞬間、病室の白い壁が全て、白と黒の模様を浮かべる蝶に変じる。
「……!?」
鏡夜は驚愕して周囲を見渡す。間違いなく、鏡夜が知るあの蝶だ。白い壁から白と黒のまだらの蝶へ。アゲハチョウが、全て鏡夜を見ている。
「壁が、蝶に……いえ、蝶が、私たちを見ている?」
鏡夜の目に蝶の弱点は見えない。この蝶は生き物ではない。しかして機械でもない。だが、見ている。
見られているのが鏡夜にはわかった。
かつて鏡夜はバレッタから聞いた。エーデルワイスは盲目の妖精だと。だがしかし、リコリス・エーデルワイスはそのぐちゃぐちゃな瞳を華澄から鏡夜へ視線を動かして笑う。
その瞳は、蝶の柄と同じだった。
華澄は鋭い視線をリコリスへ向けながら言う。
「貴女――目を――トレードオフしましたの?」
トレードオフ。すなわち呪詛の施術。リコリスは答えた。
「盲目の呪いは、私にとっては踏み倒しと同意義だから。蝶を私の視覚にしたのよ? すごいでしょ?」
だから【目が見えない】が弱点として鏡夜に感知できなかったのだろう。見えているのに見えないのが弱点になるわけがない。
鏡夜自身の性質も同じだからすぐにわかった。呪詛の全てが紅の瞳に映るわけではない。鏡夜の目に映るのは弱点だけだ。
華澄は静かに告げる。
「それで―誰が貴女を羨ましいと言いますの」
「この呪い、神からもらったんだけどね――」
「自分でもどうでもいいと思っているものを自慢して、楽しいんですの?」
「楽しいわよ?だってこれもまた、ああ、――彼のためになってるのだと思うと。心底!」
華澄は今度こそありえないほど表情を歪めた。歯を見せて、認識することは苦痛だと目の前の少女を見ている。
……華澄のミッションだとは聞いていた。鏡夜は、〈人形使い〉の拿捕を協力したと約束した。だが、華澄が〈人形使い〉のことを話す時、こんなに感情を乱すことはなかった。もしもここまでの隔意があったのなら、華澄は協力の取引をした時に話すだろう。彼女は耽美趣味ではあるがそれと同じくらい泥臭いプロ意識の塊だ。自己の客観視をバレッタに謳わせて鏡夜に伝えて元気づけようとするほど誠実な彼女が、せいぜい自分を見損なわせないために弱点となりえる欠点を黙っているとは思えない。
そもそも華澄に弱点はない。
だから、たったいま、〈人形使い〉のたった今の在り方が、ぐさぐさと華澄の何かを刺激しているとしか鏡夜には思えなかった。
バレッタが口を開く。造物主へ問う。
「くすくす。エーデルワイス様―――動機は、まさか、“恋”なのですか?」
リコリスはふふっと、小さくは笑う。
「ええ、そうよ。私を裏切った作品。私の浪漫を裏切った被造物。――私の浪漫は、もう、彼と共にあるの」
「裏切った?」
鏡夜は油断なく入口へ回りながら質問を飛ばす。時間を稼ぎつつ退路を塞ごう。蝶は恐ろしいが、見た限り捕縛はできるはずだ。
久竜を逃してしまった鏡夜が、ここで二度目も〈Q‐z〉を逃がしたらただの馬鹿だ。
リコリスは鏡夜へ言う。
「ええ、裏切ったの。私の浪漫、私の理想、それこそが〈pastricia〉だったのに。愛を知る機械なんて―――」
(愛を知る機械――?)
何とも詩的な言い回しだ。アルガグラムの魔術師とは、詩人である義務でもあるのだろうか。
鏡夜は意地と虚勢をフルスロットルに回して、笑顔で手を叩く。全員の視線が自分に注目したことを確認すると。、夜は愛想よく言った。
「したり顔で婉曲な言い回しはいったんやめて、有益な話をしましょう。〈Q‐z〉の目的とか!」
リコリスは淀みなく話し始めた。
「誰もが難しく考えすぎなのよ。〈Q-z〉の目的は、ああだこうだと妥当性をこねくり回さないと出ないものじゃない。それは極めてシンプルで、単純で、そして、ええ、断言してもいい。全ての心ある生き物が、抱いている一つの想いに帰結する」
彼女は不吉に笑う。不穏に揶揄する。不吉で不穏な盲目の妖精改め―――不吉で不穏な盲目の女王は告げる。
「でも、残念ながら、それは言葉にするものじゃない。正確には、人に知られると不都合なのよ」
いまはまだ、とリコリスは静かに告げた。またぼかされる。キー・エクスクル、久竜晴水よりも話は通じるが、それだけだ。〈人形使い〉は最初からまともなことを喋る気はないだろう。
鏡夜は溜め息を吐いて右手を上げる。
「はぁ、もういいです」
そう言って鏡夜は《鏡現》を作り出して、リコリス・エーデルワイスを閉じ込めた。かつて鏡夜は絶対防御として外側に《鏡現》を向けたが、今度はその逆、内側に向けて作り出した。
鏡夜の目にはリコリス・エーデルワイスの弱点が見えていた。【持久力がない】と【脆弱】だ。例え妖精から進化して妖精の女王となるとも、根本的な弱点は変わっていないようだ。
蝶はどうだか知らないが、リコリス本体は脆くて弱い。なら本体を閉じ込めればいい。
「名付けるなら《封鎖鏡》……ですかね? 続きは尋問の専門職の方に任せますか」
蝶が一匹煌めくように殺到するが、かぐやのビームで焼き切られる。さらに全部の蝶が《封鎖鏡》を外から割るために殺到するがかぐやがビームでひらすら焼き切ってそれを防ぐ。
「銃は防げるようですが、ビームは無理と。リコリスさん、無駄です……よね?」
鏡夜は華澄を様子をうかがう。華澄は険しい顔で《封鎖鏡》を睨めつけている。その中でリコリス・エーデルワイスが言った。
「華澄。なんで私が長々と話したかもうわかっているでしょう? これも作戦よ。そこのサイレントフリークスにしたようにね―――ねぇ、ファントムミラー」
「なんです?」
「これは私のダーリンの自慢なんだけど――今回の妨害は最高よ。実にドラマティックで浪漫たっぷり。ああ、ああ、やっぱり最高の男ね! そう思わない?」
「いや知りませんけど」
久竜晴水が良い男など知らん。恋する女性にとって宝石のようにきらめいていようとも、鏡夜から見ればただの障害というか、障害の宿敵である。
「……思いませんわ。そもそも最高の男性はどう考えても―――」
華澄は途中で言葉を止めて嫌そうに歯を見せて黙った。リコリスは心底楽しそうに笑い声をあげ―――。
そして塔京が揺れた。
鏡夜は医務室の窓から外を見る。天変地異のような光景だった。
地面から白黒の竜巻が噴き上がっている。いや、鏡夜の超人的な視覚はそれの正体を捉える。
蝶だ。間違いなく蝶だ。
「この世にただ一匹の妖精の女王。ティターニアの能力は、触れた無機物を蝶に変換すること。ご存知? 久竜晴水ご一行はダンジョン攻略数が世界一であり――そして、その中心的活動拠点は、塔京なのよ? この首都中をあっちへいったりこっちへいったり――ちょうどいいわ。【決着の塔】の中に部品を追加しようと思ってたの。これでも貴方たちは殺せないけど――羽ばたきは止めることはできないでしょう?」
そして舞う蝶が全て、窓を割って飛び込んできた。
ありえないほどの蝶の物量が一室に充満する。しかもこの蝶、まったく軽くない。重い、硬い。それが鏡夜の全身に殺到するのだ。ひとたまりもない。ががががっとダメージを喰らって直感する。この蝶の嵐の中に無防備にい続けたら、比喩でもなんでもなく全身打撲で死ぬ。強靭な鏡夜でこれなのだ。桃音ならまだしも華澄は本気でまずい。
二度目に逃がすのは馬鹿など言ってられない。鏡夜は即座に《封鎖鏡》を解除すると、両面鏡の《鏡現》を作り出して、精いっぱい空間を薙ぎ払った。
よし、前方は空く。鏡夜は華澄がいた地点まで進む。そこではかぐやが光線で蝶たちを薙ぎ払って華澄とバレッタと桃音を守護していた。
だが、かぐやのゴジラもかくやというような太いビームでも精いっぱいだ。いつ崩れてもおかしくない。
鏡夜はかぐやの傍に立つ、と蝶を薙ぎ払うのに加勢した。
蝶の嵐の向こう側から声がする。
「まったく、この大規模攪乱ギミックは当初の予定だと二十年後ぐらいにやる感じだったのに―――」
リコリス・エーデルワイスの姿は一変していた。真っ黒な――オープンショルダーのワンピース一枚。背中からは白と黒がぐちゃぐちゃに混ざったような蝶の羽根を伸ばして、空を飛んでいる。
その表情は、にこやかだった。目を完全に閉じて口の中を一切見せることなく、ニンマリと笑顔を浮かべている。
不吉だ。不穏だ。――それ以上に盲目の女王だ。ティターニアだからではない。〈人形使い〉という技術者であり、浪漫狂いであり――何よりも、在り方こそが女王なのだろう。
「“恋は目でものを見るのではない、心で見る、だから翼もつキューピッドは盲に描かれている”―――なんて、好きな人の真似よ」
そう呟いてリコリス・エーデルワイスは窓――からではなく扉へ、蝶を伴って部屋を飛び出していった。
医務室の中はボロボロだった。棚も温度計も薬瓶もカーテンも蝶へ変じたのか、がらんどうの室内。壁紙もすべて剥がれてむき出しになっている。
無事なところと言えば、ベッドで寝転がっていた久竜晴水のパーティーメンバーだけだった。
どうやら彼女たちとそのベッドを避けるように蝶を操っていたらしい。
鏡夜はふーと溜め息を吐くと《鏡現》を解除する。
華澄は豪奢な金髪を掴んで頭に押さえつけるようにした。
「不覚―――!」




