第三話「横這いルーズ」
〈1000年1月6日 午後〉
鏡夜はバレッタ・パストリシアとかぐやを連れて第二階層【密林】、開いた石造りの扉の前で立ち止まっていた。扉を通れば第三階層【竹林】だ。
まずは老龍に向けて斥候を放つ。情報収集だ。それに加えて、鏡夜自身が、落ち着いた冷静な目で戦いの場を受け入れる必要がある。
華澄と桃音はついてきていない。
鏡夜は気づいている。彼女たちは第三階層のボスモンスターを恐れてはいない。いや、老龍を難敵だとは思っているだろう。だが難しいだけだ。鏡夜のように負ける想像しかできない状態ではない。
そんな彼女たちを付き合わせるのは酷だろうと、過去を観測する人形と、光学的に詳細な分析な可能の人形を伴い鏡夜は自主的にダンジョンへ潜っていた。
目標は勝てるイメージを持てるようになること。
長引かせるわけにはいかない。桃音は【格好良いもの】に弱く、鏡夜が灰銀の魔人という【格好良いもの】だから協力しているのだ。
白百合華澄は……信頼こそされているが、だからこそ信頼を裏切った時が恐ろしい。
ヘタレが長期的になればなるほど、リスクは増大する。それもまたプレッシャーだ。拙速は断じて重視していないが、遅巧を超えた遅さは仲間との不和となる。仲間ってこういうのなの? と自分で思うが、鏡夜の仲間はそうなのだ。
鏡夜の決意は折れていない。しかし、決意だけで実際の危機や心理的障害を乗り越えられるほど元一般人の異世界人は強くはない。
まったくもってままならない。
そんなことを思いながらも表面上は飄々と妖しく微笑みながら鏡夜は淀みなく第三階層
、へ入る一歩前で止まった。
第三階層【竹林】へはまだ入っていない。だが入口には立っている。中はしっかりと見通せた。
景色は相も変わらず荒涼としている。モンスター一匹いない。龍も見えない。
「では、かぐやさんとバレッタさん、お願いできます?」
「りょーかい、我が君」
「かしこました、灰原様」
二体の人形はその眼でダンジョン内を分析し、解析する。ここに何があるのかを、過去に何があったかを。必要なのは事実だけだ。
先に口を開いたのはバレッタだった。
「くすくす、龍は毎日欠かさず、この階層中を移動しているようです。どうも、訓練を行っているようですね」
「訓練? 生体機械がですか?」
鏡夜の問いにかぐやが答える。
「我が君、生体機械だからこそよ。与えられた命題のために、最善を尽くすこと。私たちはそのために生まれ死ぬのだから……たぶんあの老いた龍は千年前にそう作られて、そう動いているの。ああ、だから私の老化防止薬を奪ったのね、千年の時間を、全て戦闘の訓練に費やせば、最上の敵手になれるから」
「……」
常にシミュレーションし続けたのだ。必ず訪れる挑戦者へ、最上の障害となるために。
あの龍に―――彼に、組み込まれた目標は、ただ敵となることだ。第三階層は、もはや試しではなく、本物の障害でなければならない。
龍は塔が閉じていたころ、何かのきっかけで第一階層の青空に薬があることを理解したのだ。
竹に括りつけられた薬箱。老化防止薬。不老の妙薬。龍が予め組み込まれている命令系統は、それを前にして、当然のように結論を出した。
最も困難たる障害となるために、この薬を服用して千年間、自己鍛錬の果てに最適化をすれば良いと。
その優れた考えを――龍は全うした。
「くすくす……大獅子や怪鳥といったモンスターは千年後のために保管されており、そして時が来たおり開封されたのでしょう……かぐやさんのように」
「でもあの龍は保管をされなかった。眠りにつくことを拒否した。千年後のために誰も何もない塔の中で、ただひらすら自己を鍛え続けた。もののふってやつ? 生体機械だけど」
鏡夜は息を呑んだ。なぜ一目見て、あれは埒外だと痛感したのか、その理由を理解した。つまり、あれは試練として千年研鑽した修行者なのだ。人の認識――いや、勇者も魔王も想像すらしてなかった領域まで至ってしまった超越なのだ。
誰かが用意したものではない、どんな偉そうな、上から目線の、”試し”よりも濃厚で真実な――偶然生まれた本物の”試練”。
鏡夜は痺れる脳で納得する。久竜晴水が、『カットアウト』を単独で差し向けた意図を読み取る。
老龍とシナジーを組む戦闘機械を配置しなかっただけで英断だ。
【怪物の沽券】への侮辱になるのだから。
龍と竜、その系譜における最強種では決してない。ファブニルではない。ヤマタノオロチではない。それらよりも――なおいっそう恐ろしいのだ。
この一歩先にいるのは神話ではない。忘れ去られた過去ではない。
地続きの歴史だ。
鏡夜はかぐやとバレッタに観測をお願いして、決着の塔から外に出た。
……あの斥候の仕事で、鏡夜のわだかまりは解決しない。むしろ、感覚的に覚えていた圧倒が、理屈をつけられたことにより形を持ち、より重荷となって鏡夜の両肩に乗ってしまった。
じっくりと見て、聞いたことに後悔はないが、ただひらすらに重苦しい気分になる。
だから斥候は人形二体に任せて、別の方向から調べようと、鏡夜は決着の塔攻略支援ドームをふらついて、書庫にたどり着いた。
――――ヨコバイガラガラヘビという蛇がいる。別名はサイドバインダー。
非情に独特に砂漠の上を移動する蛇であり、サイドバインダーの名前の通り横向きに、まっすぐ跳ねる。
頭部を持ち上げて進行方向へ投げ出した後、尻尾の部分をくねらすように真横に持っていく。それを繰り返して。横→横→横と猛スピードで前に進む。
だからヨコバイガラガラヘビの進んだ跡は、短い真横の線がずーっと続いていく奇妙な模様になる。
砂の熱さと砂漠の熱気を最小限に抑える移動方法なのだろう。
というのが桃音に投げつけられた図鑑に書かれた蛇の解説である。
まさしくこの横這い運動――。
であればあの老龍は、ヨコバイドラゴンと呼ぶべきなのだろうか?
(おっと、あいつは竜ではなく龍だった。だが困ったことに英語では龍と竜を区別しないんだよなぁ!)
鏡夜は顔を上げて、本を読んでいる桃音にヨコバイガラガラヘビが乗っていた図鑑をテーブルで滑らす形で返却する。
「ありがとうございます、桃音さん」
桃音は視線を上げることなくずっと本を読んでいる。表紙には【柊氏物語】と書いてあった。ザ・平安なイラストに幽玄にしてはえらく存在感のある巨大すぎる塔が描かれている。柊氏って、柊釘真陛下の系譜のことなのだろうか。っていうか……元の世界で言う源氏物語? 鏡夜はふと気になったが、まぁいいかとすぐに興味を失い、にこっと笑う。
もともと桃音と自分はこんな感じだ、と鏡夜は書庫を観察する。
決着の塔攻略支援ドームはダンジョンへの挑戦者を支援する。モンスターの情報提供も同じ。クエスト『カーテンコール』についても映像記録と詳細なスペックデータを渡してくれたことからも、このドームは情報的な支援も所蔵も惜しまない、というのを今更知った鏡夜である。
「速さの秘訣はようやくわかりました。ええ、私たちが見た動作とまったく同じですね。龍の肉体と地を駆ける速さの兼ね合い……というか、最適化なのでしょうね」
千年練達した結果、この動きと同じになったのだろう。
「それがわかったからと言って何か対策が思いつくかというと……」
少し考えて。
「思いつかないですね」
《鏡現》で龍を囲おうとも思ったのだが、大きさが合わない。あの龍の方が大きいし、スピードも速い。
鏡夜は立ち上がった。
「横這い運動……ですか。ふーむ、まぁ少し散歩でもしながら考えてみますね」
書庫の扉に手をかけて振り向くと、すぐ後ろに桃音が立っていた。
「……? 一緒に散歩します?」
桃音は無表情のまま、ぼおっと鏡夜と目を合わせた。鏡夜は肩を竦めると書庫から外に出た。
鏡夜は頭の中であの老龍を前にする。とりあえず、一人で相対。
《鏡現》を前方に作り出して盾にすると、老龍はその蛇のような胴体で鏡夜と《鏡現》を囲み、一気に絡みつく。鏡夜は《鏡現》の裏に叩きつけられる。砕けた《鏡現》は鏡夜に大ダメージと老龍に小さなダメージを与えて。……鏡夜は龍に絞りあげられて全身が砕かれて圧死。デッドエンド。
(まだ負けてんなぁ)
勝つイメージをしようとしたのに、自然に負けるシーンを思い浮かべてしまった。相手の攻め手に対応するため、悲劇的なシミュレーションをするのは訓練として妥当だが。
これはそういう話ではない。心の中でも勝てないだけだ。
勝つイメージすらもできないのなら、どれだけ実力があろうとも格上どころか同格にも勝てないだろう。
鏡夜は憂いに満ちた溜め息を吐いて、ぼやっと青空を見上げる。
では今度は、いわゆる絆の力だとか、仲間の力とか、その辺を期待して、仲間たちと立ち向かう状況でもイメージをしてみるかと、鏡夜は隣を無言で歩く桃音へちらりと目をやる。
桃音はどこを見ているかわからない目で、ただ前方だけを憮然と見つめていた。
「アンタさぁ、灰原さん――だよね」
いざ想像しようとした鏡夜はとつぜん話しかけられた。声のした方を見る。人型のクール系美少女、ただしキリン耳、キリン尻尾付き。
鏡夜が、この世界で初めて遭遇した、人外――正確には人外の特徴を持った少女だった。
「ええ、間違いなく私は灰原鏡夜ですが―――、ええと」
鏡夜は視線を迷わせてから問う。
「なぜこちらに? 一応、関係者以外立ち入り禁止ですが、この広場――訓練場は」
鏡夜は現在、世界的に悪評に塗れている。絢爛の森から決着の塔への行き帰りならまだしも、ただの散歩で何の対策もなく、表通りを散歩するほど鏡夜は愚かではない。
朝の出待ちは、桃音がマスコミ関係者を拿捕してからまったくなくなり、帰りは不定期な上に超人的脚力で帰宅しているので……いわゆる一般市民と鏡夜が遭遇したのは、初日の、この少女を含む三人の女学生だけだった。いや、警察官も市民に含めていいか?
鏡夜の気もそぞろな応対に表情を変えることもなく、キリンの少女は答えた。
「私、見習いシスターだから。聖先輩のところで修行、というかバイトしているんだよ。一応助手扱いだから、関係者でいいと思う」
(聖先輩……? ああ、あのぶっとびハイテンション修道女か)
この広場は決着の塔攻略支援ドームに併設されている。なるほど、教会関係者なら通りがかってもおかしくはないか、まで考えて鏡夜は疑問を呈する。
「以前有口さんのところに行った時はいませんでしたが?」
「学生だし、いない時間はあるよ。いや、そんなことはどうでもよくてさ」
キリンの少女は鏡夜をまっすぐに見据えて、問うた。
「決着の塔に入るために、桃姐さんに近づいたの?」
疑心と、少しの隔意に満ちた視線が、鏡夜に注がれている。
「…………はい?」
鏡夜は首を傾げた。決着の塔に入るために、不語桃音に近づく……? 誰が? 鏡夜が?
言われた内容を理解して鏡夜はいやいやいやと頭と手を横に振った。
「いや! まさか! 違いますよ。私は決着の塔に入りたくは思っていましたが、そのために桃音さんを利用はして、いませんよ?」
「ものすごく胡散臭いんだけど」
キリンの少女は半目で鏡夜を見ている。
つまるところこういうことだ。灰原鏡夜は世界的に有名人である―――悪い方に。その悪評が彼女の耳に入ったらしい。尊敬する桃姐さんに悪い虫がひっついていると、もしかしたら騙されているかもしれないと、利用されているかもしれないと。素晴らしい義侠心を抱いているようだ。正義感によって、問いただされているようだ。
そして、なんてことだろう! それは真実だ! と少なくとも鏡夜は思っている。
「いえいえ。私と桃音さんは友達なんですよ。 フレンド!」
「……恋人じゃないの?」
「違います、そんな―――」
畏れ多い――という手垢のついた言い回しをしようとして鏡夜の口は一気に重たくなった。ずっと桃音と、この世界にいる大半は傍にいた。その経験が告げている。まずい。絶対にまずい。口にしてはいけない言葉だ。畏れ多いと、かしこまるのは格好悪さが爆発する。
「こ」
「こ?」
「こんな美しく……偉大な人と、私なんて……不釣り合いでしょう?」
鏡夜は意地と虚勢を張って、シニカルに答えた。不語桃音は美しいと褒めて―――。褒めて―――?
鏡夜は桃音へ視線を向けた。桃音はふらっと、鏡夜を置いて先へ歩き出した。
「桃姐さん?」
キリンの少女が不思議そうに桃音の後ろ姿へ呼びかけるが、桃音は無視してそのまま広場の向こう側まで行ってしまった。
「し……しまった……」
違う。今、灰原鏡夜は、今までずっと間違ってなかった――何かを間違えた。桃音の家には、鉛筆画の鏡夜の油絵の桃音が飾られている。鏡夜の画が恥ずかしいと言った時、バナナを全て奪われた。そして、貴女だけでこそ芸術だと答えた時、奪われた果実は半分だけしか返してもらえなかった。半分正解で、半分不正解。そのギリギリ合格から学ばず、ストレートに不合格を、たたき出してしまった。
「あの、大丈夫? アンタ今、顔真っ白になってるけど……」
「は、ははは」
鏡夜は片手で顔を覆って、キリンの少女にもう片方の手を突き出す。
「大丈夫です、貴女のせいではありません」
心配そうな顔をするキリンの少女へ鏡夜は意地を張る。
「ええと、……事実として、彼女へ来たメールから縁を手繰ってここまで来ました。私は〈決着〉が死ぬほど欲しかったので。でも、桃音さんへ近づけば〈決着の塔〉へ挑戦できるとわかる前に、私は彼女と知り合っていたし、ええ、うまくやれていたと思います……桃音さんとの関係は、言葉にできませんね。友達……という表現が的確かもわかりません」
頭が一気に冷えて鏡夜は冷静に解答する。最初からこうすればよかった。
「以上のことから最初の質問に対する答えは、“いいえ”なのは確かです」
キリンの少女は頬をかいて鏡夜から視線を外して横を見た。
「なんか……複雑な関係なんだね。ごめん、不躾すぎたみたい」
「いえ、先ほども言いましたが、貴女のせいではありません」
完全無欠に自分のミスだと鏡夜は自嘲する。なぜって、今をもって桃音が鏡夜に悪印象を持ったのか、わからないのだ。いや、バナナを全部奪われて、半分返されたあの出来事が参考になるのがわかる。そして、宵闇、鏡夜の上に乗って鏡夜の目を黒い瞳で見据えたあの時も参考になるのがわかる。
だが、その解答がわからない。状況証拠しかない。
そして、もう一つわかることがある――。まだ大丈夫だ。見限られてはいない。
ちょっと失敗した程度で見限られるのなら、うっかり状態異常の手袋で触ってしまった何度かの時にぶち殺されている。日常での失敗などもう何度も何度もかましているが、それでも桃音は離れていない。
宵闇の時も、鏡夜は弱っていたが、それでも傍にいた。たった今、龍を相手にまごついているが、それでも助けてくれた。
桃音の内面で、それこそ叙情的な、極めて強烈何かが起こっていない限り、今までの人間性や共に過ごした過去が、まだ名誉挽回できると保証する。
これが会話できる女性ならば、素直にどうすればいいか質問するのだが、彼女は沈黙しかない人間だ。
だから、鏡夜なりに、またしてもあてずっぽうに答える必要がある。出会った時からそうしていたし、そうするしかない。
老龍に加えて桃音のことも、その背に乗って重荷となり、それでも意地と虚勢を持って背筋を伸ばす鏡夜へ、キリンの少女は言った。
「そっか。そんな、わかりやすい悪人なんていないよね。灰原さんは悪い人じゃないんだ。……ああ、そうだ、名乗ってなかったよね。私は」
「まったくその通りですわ。そして、貴女が悪ではないのなら、きっと誰も悪人ではありませんの」
「え――?」
バシュッと、キリンの少女の背後から突然現れた華澄が、キリンの少女を撃った。鏡夜は目を見開いて驚く。
「何を――ん? その銃」
「麻酔銃ですわ」
倒れそうになったキリンの少女を華澄は抱えた。
「灰原さんは、この方が突然現れたのは偶然だと思います?」
「へ?」
「今のは反語ですわ。最初に答えを言いますと、偶然ではありませんの。そもそも、この方は有口聖から不語さんが自分の意思で――失礼、ともかく、この方の行動パターンから考えて、ここで貴方と不語さんに遭遇することそのものがおかしいですわ。この方は誘導されてましたの。だいたい、わたくしが最初は不語さんしか招待しておらず、灰原さんはついてきただけという情報は世間にまったく広まってないはずですもの! ……灰原さん」
「はい」
華澄は淡々と事実を述べるように言った。
「あの第三勢力の英雄……手筋を変えてきています。ダンジョンのモンスターが頼りになり始めたからなのか……。貴方を切り崩しにきてますの」
「……私を?」
「正確には貴方の周りを……ですわ。ああ、安心してくださいまし。不語さんには同じ内容をメールで送ってますの。スパイであるわたくしに、不和と対処のスペシャリストであるこのわたくしに、分断作戦とは! 舐め腐ってますわね」
華澄は淡々とプロフェッショナルに相応しく説明すると、打って変わって演技っぽく怒った様子を鏡夜へ見せた。
「ありがとうございます。ただ、私が失敗したことは確かなんですよねぇ……」
はぁ、と鏡夜は溜め息を吐いた。それも憂鬱だが、分断作戦というのも憂鬱だ。そうか、そうか、仲間から打倒するのは難しいかもしれない。だが、鏡夜と仲間の関係性を断ち切る方法は、一般人の鏡夜でもいくつか思いつく。ただでさえ老龍で大変なのに。
〈Q‐z〉の、キー・エクスクルの恐ろしさとはまさしくその、既存のものと組み合わせて難題を無理難題に変える第三勢力というスタンスだ。【怪物の沽券】を汚さない代わりに、挑戦者の力を削る方向に切り替えたということなのだろうか?
鏡夜は呆れたような表情で言う。
「しかしいったいどうやって桃音さんと私のことを知ったんでしょうね? 桃音さんだけならまだしも……」
キリンの少女が行った質問が鏡夜と桃音に不和を生むというのは、両者のことを深くわかっていないとできない。
鏡夜は華澄を見て思い出したかのように言った。
「そういえば〈人形使い〉って〈pastricia〉の開発者なんですよね。過去観測人形の……」
「案内型過去観測機械人形〈pastricia〉ですわね。ええ、その通りですわ」
「なら私の過去を観測されたん……でしょうか?」
華澄は少し考えて言った。
「それは考えづらいですわね、確かに彼女は〈pastricia〉の初期機体の保持者ですけれど、絢爛の森に侵入するのは、わたくしに不可能なら彼女にも不可能ですもの。ドームで貴方たちを観測した? それこそありえませんわ。わたくしの監視網に――外れるの――……は……」
華澄は言葉の途中で沈黙した。
「華澄さん?」
「ああ、なるほど」
華澄は深い納得を得た顔をして頷いた。その後、ふと気づいたと言わんばかりに華澄は言った。
「アレに人の心がわかるとは到底思えませんし、やはりキー・エクスクルがアイデアマンなのだと思いますわ。灰原さんと不語さんに会った時に何かに気づいたのかもしれませんの」
「……ありえそうですね」
少なくとも第三勢力〈Q‐z〉として実質世界に殴り込みをかけているあの男が格好だけであるはずもない。あの時、あの遭遇時に、すでに鏡夜と桃音の関係を見抜いていた、はありえない話ではない。
うさん臭くて煙のようで要領を得ない男は悪魔のように心を操れる。ろくでもない、と鏡夜は心底困って言う。
「うーん、これからずっと阻害されるのも面倒ですし、さっさと解決したいですねぇ、先に〈決着〉を手に入れるか、それとも〈Q‐z〉を無力化するかしたいです」
できれば前者希望なのだが、今まっさかりに足止めをくらっている鏡夜である。喉から手が出るほど快刀乱麻に解決する閃きが欲しいが、今回ばかりは出る気もしない。
なら後者でもいいのだが……〈Q‐z〉が消えれば他の四組、いや三組か、と健全な競争になるだろうし。
鏡夜の望み薄な希望に華澄はなんでもないことのように言った。
「それなら……ああ、いや、確証がないですわね。わたくしは間違いないと直感しているのですけれど……〈人形使い〉の場所、わかったかもしれませんの」
「え? 本当ですか?」
華澄は薄い笑みを浮かべながら不敵に鏡夜を見返した。
「ええ、なので、全員で、向かいましょうか……医務室へ」




