第三話「部外者だって願いがある」
歩いている桃音の後をついていく鏡夜。
あの後、桃音は少しまごついた後、ラップトップPCだけを持って小屋を出た。玄関先で三、四回鏡夜がついてきているか確認するように振り返る桃音。それを見た鏡夜は椅子から立ち上がると、桃音の後ろ姿を追いかけることにした。
……幾分か歩いたが、周囲は変わらず鬱蒼とした木々で満ちている。この森の広さを先ほど見せてもらった観光サイトで確認しておけばよかったと思ったが後の祭り。
道中に会話はない。適当に何か話そうかとも思ったが……会話ができない彼女に後ろから話しかけ続けるのも酷だ。なので、沈黙を選ぶ。流石にこの沈黙は舐められることに繋がらないだろう。
さて、鏡夜は自分の腕をじっ、と見つめる。
「……んー」←弱点:【脱衣不能】【装備不可】【アイテム使用不可】【自縄自縛癖】
(なんだこの弱点)
……桃音しか前例はないがおそらく、この弱点を見る目は信用していいのだろう。そう、つまり、鏡夜は、この服が脱げない。あとの三つはもう、言ってしまえばどうでもいい。【装備不可】も【アイテム使用不可】も現状些事だし、【自縄自縛癖】に至っては性格だ。
気にしたってしょうがないし、だからこそできることもある。それはいい。
(【服が脱げない】……これは、本当にまずい)
改めて脳内で確認して、全身からぶわっ、と冷や汗が流れた。言うまでもないことだが……鏡夜は髪色やら目の色やらが変わっても人間である。身体に意識を回してみても、生理的反応は通常通り動いている。
(つまり、その、アレだ………生活的事象において、……うぐっ)
想像するのも嫌だと拒否反応が起こる。この世界が異世界であると気付いた時よりも絶望は大きいかもしれない。後で要検証だろうが、例え結果がどのようであろうとも。
(……住処は確保できたわけであるし、次の目標は、服を脱ぐ、だな。はははは。すげぇ普通の、ありふれたことだなぁ畜生!)
その普通さが、今はどうしようもないほど、愛おしい。元の世界に帰るよりも優先度が高いかもしれない。なにせ切実に、リアルに生活に直結しているのだから。
……今、鏡夜が体験している、この一秒一分一時間一日は全て、あますところなくリアルと言えばリアルなのだが、それはそれ。
鏡夜が脳内で大恐慌を起こしている内に、目的地にたどり着く。
そこにあったのは恐ろしい程の大木。幹は明らかに二十メートル以上。高さは、百メートルほどだろうか。そしてその中腹あたりに、〈秘密基地〉があった。
しかしその秘密基地……ウッドハウスもまた、大きかった。明らかに側面の長さが十メートル以上ある……雑な計算で百平方メートル以上の広さだ。平屋でこそあるが、完全に四、五人程度の家族で住める、バリバリの一軒家レベルの建築である。
鏡夜は服が脱げない恐怖から無理やり気を落ち着けると、おおー、とそのウッドハウスを見上げた。
そして、前にいる桃音の背に目を向ける。
「良いお家ですねー。あー、ところで入口はどちらです?」
桃音は大木中腹にあるウッドハウスに狙いをつけるように腕を一度振るうと、跳躍した。
冗談みたいに飛び上がった彼女は、スタッ、とウッドハウスを乗せている大きな板、扉前の部分に着地した。
いろいろな意味で育ちが良い地味で陰気な文学女性が驚異的な身体能力を見せるそのシュールさに、鏡夜はしばらく固まった。
そこから桃音は鏡夜を見下ろしてくる。期待しているような表情。
「え? 跳べと?」
「……」
茫洋とした彼女の視線が高所から降り注ぐ。
(えー、これがこの世界の人類のデフォルト……だったら流石に笑えねぇぞ、おい)
とは思ったが、物は試しと跳んでみることにした。もしかしたらこの異世界の重力がなんやかんやで軽くてなんやかんやいけるかもしれない。
「あーらよっと」
跳べた。意味不明なまでに跳べた。むしろ跳びすぎなくらいだった。大木の頂点にあと少しで届きそうなほど、周りの普通の木々を超えるくらいには跳んでしまった。鏡夜は半ば、やぶれかぶれだったのだが……。
広い広い森の外側まで鏡夜は見ることができた。森の外は、都会だった。しかも妙に発展している。かつて鏡夜が住んでいた、現代日本よりも。
そして巨大な、あまりにも巨大な塔。天辺が見えず、無限に空へ突き抜けているような塔が、鏡夜の視界に厳かに佇んでいる。
「はへ……? おっとっと」
それもまた気になったが、空中でバランスを崩しかけたので姿勢を正す。どうせ外れないが、帽子を右手でおさえつつ、どうにかこうにか無様になることなく、鏡夜は桃音の隣に着地することに成功した。
「………」
鏡夜は桃音に、良くできましたと言わんばかりに微笑まれてしまった。
「あはは~……」
鏡夜は桃音に愛想笑いをした。今日何度目かの、自分の身体にいったい何をされたんだという疑問が胸中で吹き荒れていたが、なんかもう慣れてきてしまったのか、そのまま心の中でスルーすることに鏡夜は成功した。
桃音はもう一度だけ鏡夜へぼんやりとした笑みを向けると、懐から取り出した鍵でドアのカギを開けて、中に入った。鏡夜もそのあとへついていく。
玄関からリビングに入ると、その内装もまた秘密基地要素が強いものだった。だがしかし、それは機械的というより有機的、統一された木の香りがする様式だった。たしかに、あの待合室のような小屋に比べればいくらかは生活している雰囲気がある。
ざっとリビングを見渡してみる。真っ白なクロスがついたテーブルに小屋でも見た細工が施された椅子。別のところには大きなソファとその横に小机、正面に薄型テレビが配置されている。さらに、平屋であるにもかかわらず天井付近に書斎らしきスペースと、そこへの梯子があった。あのスペース、たしかロフトと言うのではなかったと鏡夜が思い出していると、桃音はリビング奥の扉を開けた。
そこは小さな寝室だった。天井からデフォルメされた炎の形をしたライトが垂れさがっており、書き物机とベッドが配置されている。
桃音は鏡夜の袖を掴んでグイグイと引っ張った。そして、鏡夜を部屋の中央に立たせると満足そうに両手を腰に当てた。
ここを使えということらしい……。いや、鏡夜の勝手な推測なのだが、間違いではないだろう。
続いて、桃音にキッチンやら風呂場やらトイレやらの案内を一通りされた。
たった一つ、鏡夜を入れてくれない部屋があったが、おそらく桃音自身のプレイべートルームだろう。
ただ、入れてくれなかっただけで、入れないぞ! みたいな脅しをかける様子はなかった。
むしろ微笑みが少しだけ強くなったような気がしたが……鏡夜はそれを気にかける余裕がなくなり始めていた。
リビングに戻ってきた瞬間に、鏡夜は右手のひらを上に向けつつ、とぼけたように言った。
「あー、桃音さん、私、ちょっとお手洗い行ってきてもいいですか? 失礼しますね」
そして、鏡夜は返答を待つことなく――そもそも桃音は返事ができないのだが――トイレに直行した。力任せにドアを開け閉めしそうな衝動を抑え、静かに上品に中に入る。
鏡夜は、トイレの中でかつてない迫真の表情をし、シリアスに自分のベルトに手をかけた。
「頼む……神様……!! 慈悲をくれ……!!」
しばらくして。
「ハハハハハハハッハァッ!!! お待たせしましたね! 桃音さん!!!」
かつてない上機嫌さで鏡夜は、半ばスキップしながらリビングに戻った。
微に入り細を穿つ描写は決してしないが……それでも言うなれば。ベルトを最大限ゆるめるのとチャックをゆるめるのはセーフだったとだけ言っておこう。あと下着も含め足首まではオーケーだった。それ以上はテコでも動かなかったが。
超弩級の懸念事項が消えて最高の解放感でハイになりながら鏡夜はリビングのソファに座った。
「………?」
桃音は鏡夜のハイテンションぶりに疑問符を浮かべた。が、まぁいいかと言わんばかりに視線をずらすと、テーブルの上に置いてあったリモコンでテレビの電源を入れた。
薄型のテレビ画面では、【ついに決着の時】【塔の開幕式までもうすぐ!!】とカラフルなテロップが踊っており、アナウンサーの中年人間男性と、コメンテーターの老年猫耳男性が会話をしていた。ニュース番組だろう、と鏡夜はあたりをつける。
「ふむ……?」
(なんだあれ? コスプレ?)
鏡夜は当然の疑問を猫耳男性に思いつつ、これは、渡りに船だと感じる。……明日になれば手を尽くしてこの世界のことを調べるつもりだが、今のうちにこうやって情報を仕入れておくのも悪くはないだろう。塔、というキーワードも気になるし。鏡夜は窓から見える巨大な塔と、その底部分へ纏わりつくように建てられたドームを見ながらそう思った。
桃音はしばらく立ったまま数分ほどテレビを見ていたが、飽きたのか、そのままリビングからキッチンへと引っ込んだ。
桃音が料理を作る音がかすかに聞こえてくる。夕飯を作っているらしい。
これは素直に助かったと鏡夜は思った。なにせ、腹はどうやったって減るのだから。新陳代謝という奴である。
しばらくニュース番組を見ているうちに、だいたいの輪郭は掴めてきた。
この世界には人類、人外がいる。人類と人外は千年前まで争っていた。
しかし当時の勇者と魔王が停戦の契約を結び、〈決着〉を塔に封じた。
そして千年後、塔は開かれ、人類と人外は〈決着〉を手に入れるための競争をする。先に手に入れた方が勝者であり、これで、全てが決着し、清算される。これは人にとっても人外にとっても悲願である――。と。
ただこれだけの筋が、それはそれはお涙頂戴の、あるいは笑い話のように、娯楽のように消費されていた。だからと言って侮ってはいけない。貴重な情報もあった。
番組内で紹介されたソレは何十本の紐束が、なんとはなしに人の形にまとまったような形をしていた。
これまでの千年間。戦争が起こらなかった理由。戦争が、発生する前に亡くなっていた理由。
それこそが和名、天照使。英名ウォーカウンター。
戦争の端緒に突如現れて、それでもなお戦争をやめないのならば、戦争を端から端まで一切合切に射出した光のカーテンで消滅させる死と平和の使者。 その判断基準は一切不明。ただ戦争に現れる死の天使。
……それもそれで異世界チックで気になったが、重要なのはその先の情報。
この発展の進んだ時代でもなお、対処できない別次元の存在である天照使は、塔に封じられた〈決着〉のほんの一部分にすぎないと。その実態は、世界を塗り替える力だと。
そして〈決着〉を手に入れた者はその力でどんな願いもかなえられると、それがすなわち決着だと。そんな話題を、ことさらに大げさに皺の深い猫耳コメンテーターは言っていた。
本当に代表の人たちは信用できるんですかね~~と楽しそうにアナウンサーが囃し立てるのを見ながら、鏡夜は呟いた。
「なんでも、叶う、ですか……」
(それは、つまり、元の世界に帰ることも? それは、例えば、服を脱ぐことも?)
なんだか、千年の歴史や悲願があるらしい。契暦999年から1000年に移るこの日は究極的な日だとか。……が、知ったことではない。それは鏡夜にとって圧倒的にリアルな束縛に優先するものではない。
ただ、服を脱ぎたいのだ、と鏡夜は痛切に願う。
「〈決着〉ねぇ……」
それはとても魅力的だと、鏡夜は思った。