第一話「第3フロア クエスチョン『カットアウト』」
〈1000年1月5日 午後〉
灰原鏡夜が決着の塔から帰還して告げた真実。久竜晴水こそが〈Q-z〉首領、キー・エクスクルであるという情報は驚きをもって契国……の受付、染矢令美に齎された。
ちなみに灰原鏡夜のパーティメンバーは驚く様子はなかった。
白百合華澄は豪奢な金髪を弄りながら言った。
「ああ、そっちでしたの? 挑戦者か契国王だとは思っていたので……ええ、しかし、早期に確定したのは素晴らしいことですわ。流石灰原さん」
不語桃音は焦点の合っていないぼんやりとした目をしていた。
「……」
バレッタ・パストリシアはくすくすと笑って意気込んでいた。
「くすくす……つまり久竜晴水様の過去を観測すればよいのですね……」
かぐやは嬉しそうに鏡夜へ頷いた。
「つまりまた我が君が偉業を成し遂げたのね!」
(ホントこいつら普通の反応しねぇな)
対して決着の塔攻略支援ドーム職員、染矢令美オペレーターは普通の驚き方だった。
目を見開いてポカンとした表情でしばらく絶句していた。
「……その、……証拠とか、あります?」
「残念ながら……」
「いえ……そうですよね……わかりました。報告します。えーと、言いづらいのですが、証拠がないのでしたら、久竜さん発見の、報酬は出ないと思いますので、申し訳ございません」
「ああ、そういえばそんなのもありましたね」
感情も困難も大荒れだったからすっかりと失念していた。
久竜晴水探索に報酬が出るのは悪くないと思っていたが、絶対に欲しいと飢えていたわけでもない。
「別にいいですよ」
「しかし久竜さんが〈Q-z〉だったとは」
「しかも首領」
鏡夜の付け足しに染矢は深刻な表情を浮かべる。
「正直な話、最悪ですね。少なくとも決着の塔を総合的に管理している日月の契国の威信はがた落ちです。〈英雄〉久竜晴水を差しこんだことは、契国のごり押しだった――という論調が強まってしまいますね。そして正直な話、それは間違いではありません。私は久竜少佐の派閥に関わりがないので――この情報から起こりえる揺らぎに巻き込まれることはないのですが、一軍属としては何かできることはないかと考えてしまいますね」
元気な染矢オペレーターらしからぬシリアスな口調だった。
「〈Q-z〉はいったいなにをしたいのでしょうか? そして――貴方は―――……いえ……」
「……どうなさいました?」
鏡夜は染矢を責任感の強い受付だと解釈している。告げるべきを告げ、言うべきを言う彼女が言葉を濁すとは、不思議だ。
「いえ、ただ、私の悪い想像が頭をよぎっただけです。不確定な妄想ですから、言う必要もないでしょう」
「そうですか」
少し気になるが、不確定な妄想を聞き出せるほど染矢と親しいわけでもない。鏡夜は意図的に聞き流すことにした。
「それで……どうなさいます? いつものようにお帰りに――」
「いえ、ダンジョンに入ります」
「え、そうなんですか!」
「そうなんですの?」
染矢が驚き、後ろに立っていた華澄が首を傾げる。
「ええ、なんというか、いてもたってもいられなくて」
あの時。キー・エクスクル、久竜晴水を捕まえられなかったのは致命的な失敗だ。誰も鏡夜を責めないが。しかし、あの瞬間に感じた痛切な後悔は、鏡夜の精神の中で疼いている。
いてもたってもいられない。焦燥にも似た衝動がじくじくと胸から湧き上がっていた。
華澄は顎に人差し指を添えた。
「灰原さん、焦りは禁物ですわ」
「もちろんわかってますよ」
そう。鏡夜はもちろんわかっている。この焦燥は、ある種の愚かな正当化だ。失敗した分を、今できる何かで取り返そうとする近眼的なヒステリーだ。それで失態をなかったことにしようとしてる。
株だかFXだかで百万円スッたから、競馬だかルーレットで百万円を一点賭けして取り返そうとするような、ありふれて哀れな間違いだ。
「だから、見るだけです。それ以上はしません」
それでも今湧き上がる感情は、灰原鏡夜の感情だ。思いっきり抑圧して飲み込んで我慢するのは、軽薄な鏡夜はできない。だから、どこかで折り合いをつけるしかない。
その折り合いこそが――、ダンジョン探索の続行だ。先には進まぬ。奥には行かぬ。次の階層を覗くだけ。
だが、もしかしたらキー・エクスクルがそこにいるのかもしれない。もしかしたら〈決着〉を手に入れる最重要の鍵を手にできるかもしれない。
リスクは極端に低く――リターンの見込みも極端に低く。だが、いてもたってもいられない衝動は解消できる。
「で、どうでしょう……? 反対があるのならば、もちろんやめますが」
バレッタが微笑む。
「くすくす……私は賛成ですね……次の階層へ、久竜様が向かったかどうか……観測するのは我が主の、調査の足しになると具申いたします」
「ふむ、一理ありますわね。灰原さんも自己管理ができていらっしゃるようですし、ええ、わたくしも構いませんの」
「私はもともと我が主に絶対服従だから」
「………」
他のメンバーも特に異論はないようだった。鏡夜は頷く。
「では、行ってまいりますね」
「あ……はい! いってらっしゃいませ!」
染矢は少し戸惑った様子を見せながらも元気よく鏡夜たちを送り出してくれた。
第二階層【密林】、石造りの扉、次の階層への入り口へ向かうと、その扉は空いていた。丁寧なことに、鍵穴にはあの怪鳥と同じカラーリングをした鍵が刺さりっぱなしだった。
どうやら久竜晴水は、白百合華澄が撃ち落した怪鳥から鍵を横取りして、次の階層へ先回りしたらしい。実に抜け目がない、あの蝶を使ってちょろまかしたのだろうか。
鏡夜はげんなりとした感覚になりがら、次の階層へと進む。
第三階層【竹林】は静謐な空気が流れる場所だった。視界いっぱいに、細い竹がまだらに生えている。逢魔が時のように、夜一歩手前のように、薄暗い空。一呼吸するだけで、新鮮で冷たく穢れのない酸素が肺に満ちる。
寒いわけではないが、景色も温度も涼やかだ。
(―――不吉だ)
まず鏡夜が感じたのがソレである。第一階層【荒野】は殺風景で第二階層【密林】は鬱蒼としていたが、この【竹林】は物寂しくも、不穏な雰囲気だった。
ひどく、孤独を実感するような、ひどく呑まれてしまいそうな、その妙な印象に鏡夜は違和感を抱いた。
静寂を保つ鏡夜の背後で、バレッタが告げる。
「くすくす……先ほど、久竜様はこちらを通ったようですね。追いかけますか?」
「いや、追いかけませんよ(すげぇ嫌な感じするし)」
かぐやは不思議そうに言った。
「まったく文句はないんだけど――、なんで? その久竜何某に“決着”を先に取られちゃったら大変じゃない?」
「拙速なんて隙だらけなことするのは愚かですわ」
「貴女に尋ねてないんですけどぉ」
「あら、それは失礼、ですの」
華澄と掛け合いをしたかぐやに鏡夜は解答する。
「その懸念はもちろんありますね。行く先々に妨害を置いている。つまり先んじてダンジョンを進んでいる。なんとも腹立たしくて焦る話です。ですが、彼はこう言いました。“希望の火を絶やすことを、俺は目的にしていないからな”と」
最初言われた時は意味がわからなかったが、しばらく時間をおき、何度か考えてみれば自然と思いつく。
「〈決着〉を先に奪ってしまっては、希望の火なんてなくなってしまうでしょう? だからたぶん、別のことが目的なんだと思います。いささか希望的観測なような気もしますが、外れてはいないでしょう」
というかもっと根本的な、そして印象的な話として、あの要領を得ない、本性が煙のようなキー・エクスクルが、〈決着〉を誰より先に手に入れる! なんて単純な目標を掲げるとは鏡夜には到底思えないのだ。はっきりいって、興味はそれほどない。が、嫌でもわかる。
きっとあの英雄様は、複雑で分裂した奇々怪々な動機で動いているに違いない。
「なるほどねぇ、わかったわ、我が君!」
かぐやは鏡夜の言葉に、ふんふんと大げさに頷いた。
「納得してくださったら幸いです」
両手を軽く上げて軽く微笑んだ鏡夜は【竹林】へ一歩踏み出した。
空から落ちてくる風切り音。鏡夜は上を見上げてすぐに、《鏡現》を眼前に作り出した。衝撃が響く。
鏡夜は無表情に、奇襲を失敗して地面に降り立つその機械を見る。
巨大な一つの鋏を両手で持った針金のような細身の人型兵器。猫背で能面のような顔。ジャキンジャキンと鋏を鳴らす。
その鋏の片刃に刻まれた刻印はQuestion“cutout”。人型のクエスチョンシリーズ。クエスチョン『カットアウト』が現れた。
(……ツイてねぇ 今日マジでツイてねぇ!)
ただ本当にさっと、触りだけを見る気しかなかったのに、いきなり〈Q‐z〉のロボットと遭遇するとは、本当に本当に最悪だ。
しかもクエスチョン『パレード』とクエスト『デッドエンド』の運用方法から察するに……。
「皆さん! 周囲の警戒をお願いします! 私は、アレに集中します!」
即断してから、鏡夜は全方位の警戒を捨てて、目の前の『カットアウト』のみに集中する。〈Q‐z〉のロボットは単体でも油断ならないのに、その階層のボスと組むことで一気に難易度が跳ね上がる。
だからこそ、他のパーティに周囲……特にボスモンスターが現れてこないか警戒してもらい、できれば分断している内に『カットアウト』を倒す。
……ということを、全て説明せずとも、そのように行動できるパーティの優秀さに感謝を抱きつつ、鏡夜は『カットアウト』と戦闘を開始した。
クエスチョン『カットアウト』。シリーズ名クエスチョンの名の通り、『カットアウト』は人間大の規格だった。
手に持っているのは巨大な鋏。
「シザーマン? シザーハンズ?」
軽口をたたく鏡夜のそっ首をバチンと断ち切ろうと『カットアウト』の鋏が迫る。鏡夜はその刃を曲げた鏡で防ぐ。そして間髪入れず『カットアウト』は蹴りを叩きこもうとする。
その蹴りを鏡夜は右手で掴んで、そのまま力任せに降りまわして地面に叩きつけた。
『カットアウト』は身体をぐるぐると回転させて鏡夜の捕縛から逃れようとする。
このまま掴んでいると腕が捻じれてしまうと判断した鏡夜は『カットアウト』の足から手を離した。
『カットアウト』は鏡夜と距離を取る。
未だにモンスターの襲撃は来ない。仲間たちは変わらず周囲の警戒に注力している。
『カットアウト』はジャキンジャキンとわざとらしく鋏を鳴らすと、また真正面から鏡夜へ挑んできた。
なんというか――安直だ。クエスト『カーテンコール』クエスチョン『パレード』クエスト『デッドエンド』三体とも、まるで見たことがないような斬新な発想とモンスターとのシナジーを考えられて作られていたのに。それに加えて。
(……相性が悪いってのに、なんだ?)
そう。灰原鏡夜とこの『カットアウト』はかなり相性が悪い。巨大な鋏は全て《鏡現》で防ぐことが可能だからだ。横から? 左から? あるいは先ほどの奇襲のように上から? どこから来ても同じだ。《鏡現》を作り出してしまえば届かない。
はっきり言ってしまえば、奇襲が失敗した時点で、クエスチョン『カットアウト』は、灰原鏡夜たった一人が相手だったとしても勝ち目がないように見える。
(何かある――)
胴体を叩き切ろうとする鋏に合わせて再び曲げた《鏡現》を作り出したと同時――鋏の中央がバチンと外れた。
鋏の留め具が外れて両手持ちの双剣になったのだ。
(仕掛け武器――変形武器か!)
勢いよく、弾けるように両手に片刃の剣を持った『カットアウト』が、片方を首、片方を太腿へ刃を向けて―――。
「だったら最初から両手に鋏を持てばいいじゃありませんか」
鏡夜は目を細めて身体を横にして構えると両手に《鏡現》を投影した。――鋏に。二つの鋏に。鏡夜は両手に作り出した《鏡現》の鋏で、その二振りの剣を、重低音を響かせて断ち切った。
『カットアウト』はそれになんら動揺することなく、半分になった二振りの剣を雨のように降らせる。
両手持ちの双鋏で鏡夜は刃の雨を迎え切る。
鏡夜は両手に持った巨大鋏でジョキンジョキンと敵の刃を切っていく。
そしてついに根本まで『カットアウト』の武器を刻み――。
「はい、チョッキン」
鏡夜は『カットアウト』の首と胴体を断ち切った。
三つの部分に断ち切られて床に散らばる『カットアウト』
鏡夜は両手に持った《鏡現》の鋏をジョキンジョキンと操作しつつ改めて見る。
「わざわざ鋏を武器にするとか正気か? とも思いましたが、意外と便利ですね、これ」
特に片手で綺麗に断ち切れるのがいい。《鏡現》は、極限まで薄く、そして決して壊れぬ鏡にして刃だ。つまり、切れないということは原則ない。ならば鋏を有用な武器の一つとして覚えていても損はないだろう。
鏡夜はそんなことを考えつつ、両手の鋏を消して、顔を上げる。桃音と目が合うが、桃音はどうでもよさそうに鏡夜の傍に近寄り、ぽけーっと中空を見ていた。
華澄もまた、困ったような顔で鏡夜に近づく。
「モンスターの影も形もありませんわ」
「それは妙ですね」
「くすくす……『カーテンコール』のようにシナジーのない、単体での運用だったのでは?」
バレッタも会話に合流する。鏡夜はちょっと考えて言った。
「今までのクエスチョン『パレ―ド』やクエスト『デッドエンド』から難易度下がり過ぎじゃありません?」
四字熟語で表現すると鎧袖一触だった。そりゃボロボロ出てくる通常モンスターに比べれば強かったが、嫌らしいシナジーを組み、メタを張りまくった機体と比べると……。
「弱かったですし」
この状態をどこかで見ていた三人の〈Q‐z〉の構成員、首領は困ったように笑い、副首領兼技術顧問は冷ややかに見下し、唯一の一般構成員兼技術助手は羞恥と屈辱に顔を赤らめていた。
それはそうだ。ただ負けるだけならまだしも――。
「コンセプト的に凌駕しましたものね。技術者として痛恨ですわ」
華澄は頷く。
「鋏をわざわざ両手剣にするのならば最初から鋏を両手に持てばいい。分解による不意打ち? 奇襲失敗からのリカバリーで観念的な奇襲というのは良い目線ですが、それならば二重で満足するべきではありませんの。三重、四重……五重、六重……八重以上。奇襲奇襲と叩き込めれば実に脅威となりましたの」
華澄が語る完全奇襲特化型マシーンを想像しただけで、鏡夜は腹の底からげんなりする。クエスチョン『パレード』は完全にバレない隠密に特化していたが、もしもそこに少し妥協して奇襲武装を盛り込まれていたら、万が一でも死ぬかボロボロになってかもしれないと、嫌な想像をしてしまう。まぁ、『パレード』は、大獅子とのシナジーに重点を置き特化させたある種の完成形なので、この仮定の想像は、ただ鏡夜を嫌な気分にする悲観的な無為な妄想なのだけれど。
華澄は眉を顰めて呟く。
「あまり《人形使い》らしい人形ではありませんわね……? ワンオペで回しているわけではないのでしょうか……?」
鏡夜は気を取り直して違和感を覚えている華澄を含め、パーティメンバーに言った。
「まぁ、不幸な遭遇戦でしたが、〈Q‐z〉の戦力を削げて実りはありました、もう充分です。引きま――――し、ょ、う―――……」
全身に走る悪寒。もう焦燥はなくなった、もう十分だと、そんな程度の気持ちで次の階層に突入してクエスチョン『カットアウト』に遭遇して、次はこれだ。
ここまでくれば、灰原鏡夜でもわかる。たった一つの認識。
(ああ、わかった、今日は厄日だ)
なにやってもうまくいかない日というものがある。どんな人間だろうと人外だろうと、もしくは全身が呪詛まみれの魔人にも、そんな日がある。それは、今日だ。
「……ッ」
鏡夜は後ろ歩きで下がる。他のパーティメンバーもその気配に気づいたのか鏡夜の視線の先を見て下がっている。
かなり早いペースで重い物が地面に叩きつけられる地響きがする。下へ降りる階段へ降りつつも視界に収まったその姿は……。
「龍……?」
老いた龍だった。東洋の神話に燦然を輝く幻獣の頂点。
その老龍は地を這い、跳ねる。波打つように地面を移動する龍の胴体。飛ばない、駆ける龍。
それが―――恐ろしくてたまらない。一瞬後に頭がなくなるような、一呼吸あとに上下真っ二つにされるような死の恐怖と痛みの絶望が全身を這いまわる。
まだ遠い。まだ届かない。
にも拘らず、すでに全身に巻き付かれているような圧倒的危機感を覚え、動揺で目と呼吸が乱れた。
鏡夜と老いた龍と目が合う。皺だらけの龍の顔。透徹した黄色い両目が、鏡夜を射抜く。表情がない、不気味であるというよりも、威厳があると捉えるべきか。
「―――」
言葉はいらなかった。龍の時間は、龍の身体が語っていた。その強さが語っていた。脳内が真っ白になりながらも、自動的に身体を動かし、鏡夜は第三階層から撤退した。




