第十話「キー・エクスクル」
「こっからどうする?! どうする!?」
落ちながら鏡夜は着地法を考える――落ちたら当然の帰結として死ぬだろう。だ。なんでパラシュートつけてくれないの? 実は謀殺されたの?
下から巨大な鏡が飛んでくる。投げたのは桃音だ。
いつか、鏡夜が桃音に《鏡現》の盾を投げたように。桃音は鏡夜へ、ただの鏡を投げた。背中に背負っていたものとサイズは同じ――彼女はもしものために持ち込んでいたのだ。
鏡夜は手の中の連結鏡の刀を消すと、空中に四角い、最大限の六枚の《鏡現》を作り出す、鏡夜は《鏡現》を横にして、踏みつけて飛ぶ。角度を間違えたら《鏡現》に全身を叩きつけて散る鏡夜を映すハメになってしまう。
鏡夜は落ちる方向を変えるように蹴り、蹴り、蹴り――そして投げられた本物の鏡へ入り込んだ。
鏡夜の鏡の中へ潜る能力――《移動鏡》。もっとも無法にして無敵の力である。
鏡の世界で鏡夜は一人息を吐く。助かった。死んで――。うん、塔の外に放り出されるところだった。しかも最低限の治療しかしないのだ。自動回復の呪詛があろうとも、激痛の中でのたうち回り続けるしかなかっただろう。
本当に助かった。ダンジョンの――〈Q‐z〉の難易度がどんどんと上がって言っているような気がする。
いや、難易度は正確な言葉ではない……メタを取られているような。対策を取られている、ような。
鏡夜は自分が入った鏡の窓を覗く。砕け散って細かくなっていた。どうやら地面に落ちて割れてしまったようだ。
そして暗闇の世界を見渡すと――窓がない。
思い返すと、外から鏡の世界で塔の中へ侵入はできなかった。なら塔の中で鏡の世界に入れば?
鏡夜はぞわっと冷や汗を掻く。もしかしたら一生出られない――ことはないか。もしも出口がないなら、桃音や華澄やバレッタやかぐやが、鏡を塔の中に持ち込んでくれるはずだ。
桃音たちが気を利かせれば、出れるはず。うん。
鏡夜は不安げに周囲をきょろきょろとした。
ホントにないのか? よく探したのか?
……一つだけ、光が差し込むものがあった。
鏡夜は喜び勇んで、空間を操作し、『入口』を自分の前に持ってくる。
空と木々――、池か。どうやら【密林】には池があったらしい。鏡夜はほっとしたように鏡の窓を通り抜けた。
鏡夜は池の水面を鏡の出入り口として勢い良く出ると、木の枝につかまっってぶら下がり、逆上がりの要領で、身体を上げて枝の上に立った。
鏡夜は自分が覗き込む媒介にしていた鏡を池だと思っていたが、実際は沼だった。中に何がいるのかすらわからないほど濁り切っている。土色が一か所に溜まってるようだ。……絶対飲んだら腹を壊すな。
鏡夜は呪詛のせいでなんでも食える悪食になっているから、実は壊れないのだけれど。
そして沼の縁に立つ、久竜晴水と目が合った。久竜は刀を構えて静かに瞑想している。
久竜の刀は――どうも、奇妙な話ではあるが、極めて機械的だった。鏡夜はアンテナを連想した。
晴水は感嘆したように言った。
「―――そうか、お前か」
鏡夜も同じように答えた。
「そうか――貴方ですか」
灰原鏡夜は確信する。久竜晴水も納得する。
「はじめまして、キー・エクスクル」
「運命的邂逅だな、ファントム・ミラー」
鏡夜はまったくの幸運に、〈Q‐z〉のボスと偶発的に遭遇した。
鏡夜は真っ先に考える。襲い掛かるべきか。クエスト『デッドエンド』は先ほど真っ二つにした。周囲に気配はまるで感じない。なら、今彼を処理すれば、鏡夜は塔の攻略にぐっと近づく――。
「いいか、鏡の魔人。お前はまず学ぶべきだよ。人間というのは愚かであり、人外とは愚鈍であり、知性なんてどこもどいつも持ち合わせていねぇ」
晴水は鏡夜の考えなど意にも介さず、淡々と告げる。ああ、間違いない。忌々しい、断定的で要領を得ない、されど蠱惑的な喋り方。キー・エクスクルだ。
「俺もお前も大馬鹿野郎さ。だが、馬鹿正直に自分を生きている。薄っぺらいところにも、まぁ、親近感を覚えるのさ。だから――手を組もうぜ」
「貴方で三人目です。そして答えも同じだと思いませんか? 嫌です」
晴水はふっ、と嘲笑する。
「これで止まれば俺の言った通り、お前は止まった、と、笑って肩を組めたんだが。イフなんて夢もまた夢――。“それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう”」
晴水は自分の前に強靭な魔人がいる現実などうでもいいとばかりに、自己陶酔で何も見えていないのかと勘違いするほどに、大げさに告げる。
「お前は多くの陣営の、『手を組もう』を拒絶した――『すべてのチャンス』を踏みにじった対価は払わなければならない」
「くだらない。誰にですか、貴方に?」
対価など、等価交換など、因果応報など。鏡夜に、呪われる由縁も理由もありはしない。なのに呪われている。歴史を引用するまでもない、経験則としてそんなものはない。
鏡夜は強く言った。晴水は無表情に答えた。
「そいつは無意味なQだよ。付き合うつもりはない」
〈Q-z〉を名乗りながら、問いを飛ばさぬ男。会話をしない第三勢力。
「いや――そもそも、無意味な想像なんだよ。現実に、お前みたいな奴はいないはずなんだ。どれだけ時間をかけようが、どれだけ工夫を重ねようが、お前みたいなわけのわからない、呪われてるとしか思えない、不都合なものが在るわけがない」
久竜晴水は灰原鏡夜を不都合なものと思っている。魔王が、自身を絶対に倒せる聖剣をありえないと思うような。邪竜を殺す勇者の存在を埒外と思うような。そんな、わけのわからない、呪われたような人の形をした自身の滅亡を見る。
だが、現実として存在する。事実として居る。
「だが、いる」
彼は問わない。
「――お前の仲間は――ああ」
彼は聞かない。
「わかった。わかった。もうわかった」
だから彼はキー・エクスクルなのだ。
「何がわかったんですか、会話をしてください」
鏡夜は苛つきながら歩を久竜へ進める。
近づけ。近づいて、捕える。
「お前の行き止まりだよ。……引かせてもらう、鏡の魔人。なに、俺のことなどどうでもよくなるさ。山も谷もなく駆け抜ける地平線に、理不尽を山盛りに盛り付けて、地獄のマラソンをする羽目になるんだからな」
「逃がすわけ――」
蝶。
蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。
晴水の周囲から馬鹿げた量の蝶が舞い上がり、晴水と鏡夜の間に密集する。鏡夜は《鏡現》の板で思いっきり蝶たちを振り払うが、量が多すぎてどうにもならない。むしろ無闇に頑丈な蝶の質量に、鏡夜の腕力が負ける。
「ではでは、さようなら、ろくでもない魔人め」
その大質量の蝶は集団として飛び上がり――地面に久竜はいない、おそらく蝶たちに抱えられて空を飛んでいる。
超速度で蝶とキー・エクスクルは飛び立っていった。
ちょっとだ。ちょっとだけでも、指先が、晴水に接触できていれば、鏡夜はキー・エクスクルを拿捕できていた――。
やはり自分はポンと力を投げ渡された一般人だと、こういう時に痛感する。
自分が華々しくクエスト『デッドエンド』を討伐した栄冠も忘れて、鏡夜は桃音たちが迎えに来るまで立ち尽くしていた。
呪いの権化たる灰原鏡夜の本質。彼は世界に呪われるのと同じくらい自分を呪う。はたして彼の呪いは解けるのだろうか。
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