第七話「9999-Bird」
〈1000年1月4日 午前〉
鏡夜は寝起きが悪い体質であるにもかかわらず異様なほど優雅に起床した。聞こえてくるのは優しい木漏れ日のような音色のバイオリン。
(桃音さんだ)
もう契暦999年12月31日から契暦1000年1月4日、五日も一緒にいれば、流石に桃音の朝の奇行には慣れる。
鏡夜はカーテンを開けみるが……地面に桃音はいなかった。確かに外から聞こえてきたのだが、と鏡夜が顔を上げると、……桃音がいた。
一本の木の、枝の一つに立ち、豊かにバイオリンを奏でている。昨日のタンバリンを比べれば、泣きたくなるくらいに情緒溢れていた。
鏡夜は、声をかけるか悩んで……やめた。しばらく音色に耳を傾ける。ドの音と余韻で曲が終わり……桃音は目を開いて、バイオリンを降ろして、窓から桃音の演奏を聞いていた鏡夜へ視線を向ける。
鏡夜は拍手をした。桃音はずっと鏡夜を見ている。鏡夜は拍手をやめると、桃音へ笑いかけた。
「おはようございます」
「……」
桃音は一足飛びで鏡夜の部屋の窓に足をかける。鏡夜がおっと、と避けると、中に入った。
そして桃音は一度振り向いて鏡夜をちらりと視線をやると、部屋出てキッチンへと向かった。
「……びっくりした」
桃音が突入してきた時、鏡夜が避けなかったら正面衝突してたところだった。桃音は超人なのだから、ほぼ交通事故だ。気を付けてほしい。
……そんな一幕がありつつも、何をやるか決まっていない、今日である。
「やはり、何につけても……情報が欲しいです」
鏡夜はトーストにバターを塗りながら言った。
「情報?」
「ほら、かぐやさんだって、この……時代のことわからないでしょう?」
世界と言いかけて、やめる。世界は鏡夜だけだ。時代なら一人と一体が共通してわからない。
「今のところ不都合はありますせんよ!」
「……今はそうでもいつかは。んー。平安時代って男性が女性の家に通って結婚とか風になってますけど、今は違います……違いますよね?」
鏡夜は自信なさげに言う。桃音はトーストを食べ終わった後、手と口を拭いて、ラップトップPCを操作してかぐやに渡す。
かぐやはラップトップPC受け取ると、不思議そうに何度かひっくり返したりつっつく。鏡夜が操作方法を説明しようとして、かぐやは即座に学習して慣れたようにキーボード操作を行った。そして驚く。
「えっ、じゃあ我が君は妻の一人の家に入り浸ってるわけじゃないの!?」
「嘘でしょ!? そんな大きすぎる思い違いに気づかないまま一日以上を……!? ……とにかく、ええ、違うのですよ、全然、言語が違い過ぎるのですから文化も違うのです」
「なるほどー」
「だから……情報です。でも安易に外出れないんですよねぇ。謎の乱入者、灰原鏡夜は有名人です」
顔写真は広まっていないようだが時間の問題だし、何より、全身灰色の華美なスーツを着た男など、なかなかに珍しい。話しかけられない、気取られないと祈るのは、あまりに無為な祈りだろう。
「となると、やはりスマートフォンとかパソコンとか、情報機器が欲しいですがっと、待ってください桃音さん」
鏡夜は高速でカタカタとし始めた桃音を止める、桃音の瞳に映る画面にはネット販売のPCの購入ページが開かれていた。
「流石に、申し訳ないので、自分で稼ぎます。はい」
ヒモだヒモだと自虐はするが、お世話になっている人にさらにお世話になるような真似はしたくない。罪悪感とか情けなさで、心苦しくなり、ただでさえ低めのモチベーションがに悪影響が出てしまう。
(といってもどうするかな。バイトとか……無理だな。ざっと過ごした感じ、金銭感覚に違いはない。十数万円は確実に必要だ。ネット環境がある分、省略できるんだが……)
桃音はしばらく首を傾げると、カタカタとラップトップPCを操作して、画面を鏡夜に向けた。
鏡夜は画面を見る。絢爛の森は冒険者の素材の採取場だとわかるホームページだ……。
「冒険者、ですか。絢爛の森……ふむ。例えば、そういえばそうですね。絢爛の森も神代の痕跡だかなんだかでしたか……」
つまり金になる。鏡夜はざっと考えていった。
「かぐやさん、桃音さんの案内に従って絢爛の森で採取および換金してくださいますか?」
「いいけど、我が君はどうするの?」
「冒険者してきます」
鏡夜はそう言って残されたコーヒーを飲んだ。
「欲しいものもありますしね」
〈1000年1月4日 午後〉
鏡夜とかぐやは互いに稼いだ金銭を机の上に並べた。
「なかなかに集まりましたね」
「我が君、へとへとに見えるけど大丈夫?」
「命の危機があっただけなので」
「それ、大丈夫って言わないと思うわ」
「……」
鏡夜とかぐやの会話を背景にしながら、桃音は机に並べられたお札と小銭を意図の読み取れない瞳で眺めている。
「桃音さん?」
「珍しいのかしら?」
「かぐやさんや私じゃないんだから」
平安あたりに稼働予定だった生体人形と異世界人を、現地人と一緒にしてはいけない。鏡夜は目に包帯を巻いた万札の美男子も柊釘真に少しだけ似た高齢の女性の絵が描かれた千円札も見たことはないが、しかし桃音はあるだろう。日月の契国の住人なのだから。だからたぶん挙動の意味は……勝手に読み取ると、そうなる。と鏡夜は桃音に声をかけた。
「さて、桃音さん」
「……」
「お金は集めてきたので……私の代わりに購入していただけます? 予算は、あ、待ってください?」
鏡夜は机の上の代金をちょこっとだけ避けて懐に入れた。
「残りのこれくらいで、お願いできます?」
桃音は静かに鏡夜から視線を外すと、机の上のお金を全て回収しまとめる。鏡夜たちが稼いできた金銭を横にしてラップトップPCを取り出して操作し始めた……。凄まじい速度で指が動いている。鏡夜がちらりと画面を覗き込めばかなりの勢いでPCやスマートフォンのスペックと値段があっちへきたりこっちへきたりしていた。
どうやら予算内で最高のものを用意するために、全力で調査比較をしているようだ。
「ありがとうございます……」
鏡夜はそう言って音を立てずに席を立った。桃音の邪魔をするわけにはいかない。
「ああ、かぐやさん」
「なぁに?」
「今日は夕食をお願いしてもいいですか?」
「うんうん、任せて任せて!」
かぐやは嬉し気に頷くと、キッチンへと引っ込んでいた。鏡夜はとりあえずお願いを終えるとソファの上にグデッと身を沈めた。
今日はなかなかにハードな一日だった。
もちろん弱音を吐いたりはしないが、少しだけ……少しだけ休んでもバチは当たらないだろう。
……そんなことをうすらぼんやり思いながら鏡夜は目を閉じた。
顔の近くに何かが通り過ぎる感覚がしたので睡眠の世界から半分だけ覚醒する。鏡夜が見上げると、桃音が鏡夜の肩に触ろうとする寸前だったので、鏡夜は手を掴んで止めた。
「………あの、何か」
寝起きで定まらない目でうとうとしながら桃音に質問する。
「………」
桃音は石になっていた。
「ああ、しまった」
鏡夜は手を放すと、すぐに立ち上がって、身だしなみを整える。もともと常に清潔を保つ呪いの装備だ。いくらか直せばキッチリとしたスーツになる。
そして桃音の状態異常、石化が解ける。
桃音は横に立つ颯爽と佇む鏡夜へ溜め息を吐く。鏡夜は深く腰を折り曲げて、片手を胸にやった。
「申し訳ありません」
(ホントこの服クソだな)
何が“食い合わせでデメリットを踏み倒してる”だ。日常生活に支障でまくりではないか。
「で、なんです?」
桃音は鏡夜の問いに、自分のラップトップPCの画面を見せた。
「はて……ふむ……華澄さん?」
白百合華澄からのメールだった。
《要件が完了いたしましたの。つきまわしては相談のため少しお時間よろしいでしょうか》
「『いいですよ』って送っておいてくださ――はいはい、自分でやるんですよね、はい」
鏡夜は桃音が差し出したラップトップPCのキーボードでそそくさと入力し送信する。自分の端末が手に入れば、現在発生している謎のやりとりも必要なくなると思えば寂しくならない。むしろせいせいする。
すぐに返信が返ってくる。
《では、今絢爛の森に入っても?》
「あ、外にいるんですか……え? 勝手に許可してもいいんですかね、管理人は桃音さんでしょう?」
「……」
桃音は無言で姿勢を崩さない。
「うーん、駄目なら攻撃してくるんでしょうが。……よし。『私が向かいますのでお待ちください』……と」
鏡夜はそう言ってパチンと手を叩く。
「というわけなんで、少し外に出てきますね」
さらに大声で。
「かぐやさーん、私、出てきます! 夕食までには戻りたいと思いますが、戻れなかったら、こう、置いといてください!」
「りょうかーい、我が君!!」
かぐやの返答も確認した鏡夜はすぐに玄関を開けると外に飛び出した。
桃音は無言で鏡夜の後ろ姿を眺めるだけだった。
夕方を背にして鏡夜は木の上に着地する。オレンジ色の夕焼けに染まる地面。白百合華澄とバレッタ・パストリシアが立っていた。鏡夜は声をかける。
「お待たせました」
華澄は見上げて、木の上に立つ鏡夜へ応えた。
「いえいえ」
鏡夜は木の上からジャンプして、絢爛の森の外一歩手前に立つ華澄の前に降り立つ。
「準備できたとか」
「はい、バレッタ」
「くすくす……」
華澄の指示に合わせてバレッタが前に出て説明する。
「契国軍正式採用武装ヘリ【フォーナインバード】を確保いたしました。おそらく契国において一日で手に入れられる最高のスペックの機体です。全長十八メートル。最大速度時速三百キロメートル。三十ミリ機関砲二門。搭載弾数は機動力を優先して八百発のみ。最大射程はアルガグラムの最新照準レーダーを置換したので五千メートルは安定。今は亡き神獣生体兵器、朱雀に匹敵するスペックを持つ、アジアの虎の子ですわ。」
「契国軍ですか? たしか挑戦者に政治的干渉は駄目だ、とかなってたと思うんですけど」
「ええ、非協力的態度の契国から、〈不当な代金を払って購入〉しましたの……そうですわよね?」
「くすくす……確実に」
「わぁ、ダーティ」
たぶん、という建前、が言葉の前につくのだろう。そして実際に事実でもあるのだ。
「誉め言葉ですわ……で、灰原さん」
「なんです? 華澄さん」
「貴方には――武装ヘリ、【フォーナインバード】乗ってもらいます」
「…………」
鏡夜は戸惑ったように顔を手で覆って言った。
「私、車も運転できないんですけど」
「ああ、安心していただいてよろしいですわ。【フォーナインバード】は二人乗りですの。操縦は、わたくしがしますわ」
「それは……それは……?」
鏡夜は【密林】を思い出す。想像の中で毒の気流を操る巨人と、空を飛ぶ怪鳥と、この鉄の鳥を、同じ空間内で飛ばす。機体は突風でひっくり返り、落ちるヘリは、怪鳥に食いつかれて地面に叩き落された。
「鉄の棺桶じゃないですか」
「……あらあらまぁまぁ」
華澄は頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。
「判断力に優れているのは、素晴らしいことですわ。ふふ、貴方が素晴らしいことは、わたくし、ずっと知っていたのですけれど」
(茶化すんじゃねぇ)
と言いそうになるのを飲み込んだ。言ってはならない。冒険者は舐められたらおしまいだ。今日、灰原鏡夜は確かに冒険者になったし、そもそも異世界に来て最初から、冒険しかしていない。金言を裏切るな。ヒステリーを起こすな。
……白百合華澄を、信じろ。
「で、どんな手品が仕込んであるんですか?」
「機体にではなく、わたくしに少し」
「……祝福ですか? あるいは……?」
祝福と呪詛、生き物の身体を改造して力を与える神様の御業。しかし、華澄は首を振って応えた。
「まさか! アルガグラムらしいやり方ですわ」
異様なまでに自信満々、間違いなく、白百合華澄だった。
「わかりました。期待していますよ」
「パーフェクトなタクティクスをお見せいたしますわ」
鏡夜は頷くと、では、と声をかけて華澄に背を向けた。
「あ……」
「……はい?」
華澄らしからぬ弱弱しい声を超人的聴力で聞き取った鏡夜は、勢いよく振り向いた。
華澄と鏡夜は目が合う。
「華澄さん……?」




