第六話「呪詛の極北、行き着く世界」
「本気出すなよ」
「ええ、軽くですね、軽く」
「演舞みてぇな感じで」
「了解です」
どうやらジャルドは桃音と違い、軽くとか手合わせとかを理解できる人外のようだ。本気を出す気はないと明言した。桃音は不意打ちで殺す気で来たのと比べると常識がある。
ありがたいことだ。鏡夜は真上から降ってきた魔王の踵落としを軽く腕で弾いて流した。
「メガ盛りの呪詛だ。本気出されると俺が死ぬ」
……うん、鏡夜に本気を出させない意図の方が本意であるらしい。いいけどね? 化け物扱いされて傷つくとかないけどね?
……嘘だ。少しばかり傷ついた。弱くて繊細な鏡夜である。
鏡夜とジャルドは演舞をしながら会話する。
蹴りを合わせ、腕を合わせ――。
「てめぇはもう、呪えねぇんだな」
ジャルドはポツリと言った。
「俺は肌全てを置換し、神へもっとも近き性能でもって呪詛としている。呪術と肌のトレードオフだ。本来“俺たち”にとって呪詛は極めて繊細な代物だ。双方の同意が必要だ。だが、俺は同意も時間もすっ飛ばせて、極めて短期間だが、呪詛の付与ができる。なのにてめぇは、どうだ? 不調を感じるか」
「……呪ったんですか?」
「呪えなかったんだよ」
ジャルドはステップで身体を回転させると、回し蹴りから腕を叩きつけてくる。カーテンコールにはまったく及ばないとはいえ、巨体から繰り出される威力は洒落にならない。わざわざ状態異常を置こす手袋と《鏡現》を封印し、さらに動きもゆっくりにしていると対応が少し怖い。ミスったらバキボキに身体が砕けそうだ。
「呪詛と祝福には、ある仮説がある」
鏡夜はゆっくりとジャルドの蹴りを避ける。ジャルドは言う。
「まず前提として、限界がある。呪詛を積んで積んで積んでいけばどこまでも強くなれるが――もうこれ以上は無理って値がある、祝福も同じように存在する。俺がお前を呪えないのは、どうも、〈限界〉だからとしか考えらねぇ」
鏡夜の極限まで手加減したパンチを魔王は避ける。
「お前は神代ですら技術的“課題”だった限界値の呪いに纏わりつかれているわけだ。そして――本題の仮設だが――つまりだな」
鏡夜は覆いかぶさろうとするジャルドをバックステップでいなした。
「理論値にしか存在しない最高値に発生する呪いの極北、祝福の頂。どの呪詛も祝福も齎せぬはずの、しかし齎された神を超えた力。簡潔に言えば、理論値限界まで呪われると、〈異能〉が増えるって仮説だ」
(鏡だ)
鏡を作り出し――そして、本物の鏡に手を沈められる、力。鏡夜は直感する。間違いない。
「ああ、だいたいわかってる。俺も見た。知ってるだろ」
「ええ」
不運な偶然で、鏡――というか風呂場の水面から、鏡夜は飛び出した。魔王の前でだ。だから、ジャルドにはすでに推察ができていたのだろう。
「良し―――。もういい」
魔王は構えを解いた。鏡夜も合わせるように戦闘態勢をやめる。
「理論値の先を見れるだけで呪術師としては十分だ。近寄れ、鑑定する」
「ありがとうございます」
鏡夜は微笑んでジャルドへ呪詛の鑑定を願った。
手袋=【状態異常付与/不健康】
『健康をトレードする形で状態異常付与能力を得ている。極めて病弱かつ貧弱かつ息苦しい苦痛の身体を持つだろう』
ズボン=【徒手空拳/無筋肉】
『徒手空拳戦闘スキルを得る代わりに筋肉を差し出している。箸より重たいものが持てない力で技術のみ優れて何になる?』
帽子=【弱点看破/言語忘却】
『弱点を透視する能力を得る代わりに言語を失くしている。弱点を見通せるがそれを誰かに伝えることはできない』
シルバーチェーン=【状態異常無効/装備不能】
『状態異常を全て無効化する代わりにあらゆる装備を身に着けることはできない。毒すら効かぬ肉体に鎧などいらないだろう?』
シャツ=【全言語習得/治癒不能】
『あらゆる言語を操れる代わりに治癒能力を失くす。万の言葉を操れるが、一つの傷すら治せない』
ベスト=【超身体能力/戦闘技能喪失】
『超人的身体能力を得るが、戦闘技能をなくしている。フィジカル、それが一つの答えであり、小技など女子供のものである』
靴=【ダメージ自動回復/アイテム使用不能】
『ダメージを自動回復する代わりにアイテム使用能力をなくしている。治るだろう。薬などいらん、つばでもつけておけと悪鬼は言う』
ポーラータイ=【環境適応能力/不運】
『環境適応能力の代わりに幸運を差し出している。溶岩に沈み、宇宙に放り出たところで苦しまない。だが、不運が襲えばその限りではない』
ベルト=【悪食/繊細】
『どんなものをも食べられるが、代わりにとても繊細になっており、環境の変化で死にやすい。強靭な胃袋、貧弱な身体、ノミの心臓』
パンツ=【幸運/※他装備の呪詛量に比例する】
『幸運に恵まれやすい代わりに他に背負ってる呪詛の量を要求する魔人専用装備。パンツ一丁ラッキーか?なら服を着ればもっとラッキーだな』
……以上が、鏡夜の被っている呪詛の全容である。
(ひっどい、ひっどいひどすぎる!!!!)
納得できるものがある。納得できないものがある。だが、どちらにしても理不尽だ。ポーラータイ一つとっても、生物の基本である酸素と二酸化炭素、呼吸の関係すら捻じ曲げて、環境に適応し、生存を可能にする、まさしく神の所業だ。
生命の操作は神の領域だと誰かが言った。では、神が生命の操作を行えば、それは倫理に反しないのか。鏡夜は荒狂う嵐のような内心を抑えながら微笑む。
「ありがとうございます、ジャルドさん」
「いいさいいさ、楽しめた――。くく、重いなァ! 想像以上だ!」
「ははは」
本当に笑いごとではない。自分の身体の中で呪詛のシナジーが勝手に組まれているのだ。どういう気持ちになればいいのかすらわからない。しかも、どうやらジャルドを信じるなら、神代ですらありえなかった出来事らしい。
「ちなみになんですけど一つだけ外すとかしたら」
「やべぇな。例えばお前のつけてる宝石ついたネクタイを外したら……環境適応能力が外れて、ある程度の温度差で死にかけるほど貧弱になる」
「つまり、一気に、全部、同時に、外すしか、ない、と」
「お、おう、そうだな?」
「本当に〈決着〉しかない、と!」
しかも〈決着〉で駄目ならどうしよう、だ。苦悩付きだ。〈決着〉で無理なら、もう当然の帰結として、灰原鏡夜は一生呪われたままだろう。
だいたいそうだと思ったからこそ鏡夜は決着の塔にいるわけで、まさしく幸運なのだが――。
幸運も呪いか。いつだったか、幸運にこそ呪われていると言われた。なるほど。まさしくその通りだ。
幸運と不運の食い合わせなど成立するのか。できてない気がする。ジェットコースターみたいな出来事の乱高下だ。
鏡夜はしばらく空笑いをした後に、ふーと溜め息を吐いてジャルドへ言った。
「鑑定ありがとうございます……助かりました」
「はん、別にいいさ、タダだったわけじゃない」
ジャルドは渦巻く闇の瞳を細めて笑う。
「最後に一つ――」
「ところで一個――」
「はい?」
「ああ?」
鏡夜とジャルドは同時に喋り出して、互いに顔を見合わせた。
「貴方からどうぞ」
「おう」
鏡夜が促して、ジャルドから先に口を開く。
「ところで一個聞きたいんだがよ、お前さ、聖女に会ったか?」
「会いましたよ」
ジャルドよりも先に鏡夜を配下にしようとしたミリア・メビウスを思い出しつつ鏡夜は応えた。
「なら話が早い。あいつはな、偽物の聖女なんだよ」
「………はぁ?」
鏡夜は何言ってんだこいつ、と鏡夜は思った。
「影武者ってやつですか」
「ちっげぇよ。シンプルに、あいつが、聖女を、のっとったんだ。そして本物の聖女は――コイツだ」
ジャルドは背後から近寄ってきていたアリアの肩を掴んで鏡夜の前に出す。アリアはとろけるよう笑顔をしていた。
「呪術師、聖職者ってのは呪詛と祝福の量が、曖昧にだが読み取れる。お前も経験あるよな?」
「ありますね」
有口聖に説明を受けたことさえある。
「アリアの方が祝福量高いのに、なぜかミリア・メビウスが聖女になったんだよ。意味が解らねぇ話だ」
「なぜです?」
「望郷教会の聖女システムはもっと合理的なんだよ。祝福の制約ってのは“闘志”とか“慈悲”とか“勇気”とか“愛”とか。一般的な美徳とほぼ同一だ。だから、祝福の量が多いってのは、美徳を失くさず保ち続けてる明確な指標だ。故にこそ、〈聖人〉の頂点……〈聖女〉を確定的に頂点に置き続けてる望郷教会は隆盛を保ってる」
聖女とはすなわち圧倒的善性の制約をまっとうする随一の聖人にほかならない。どれだけ克己し、どれだけ自縛し、どれだけ自身に制約を課せば、聖の字を持てるのか。
「聖女システムが誤魔化された――怪しいよなぁ?」
「はぁ」
「故にこそ、〈Q‐z〉って奴に、あいつが噛んでいると俺は見てる。アルガグラムと組むなんていかにもあいつがやりそうなことだ。……どう思う? ん?」
ジャルドは、まるで驚きの事実を話してやったと言わんばかりの態度で鏡夜へニマニマおとした笑顔を向けている。
どう思うか、か―――。
「私の推測ですが、たぶん違いますねぇ」
「ああ?」
ジャルドは奇妙そうに首を傾げた。
「私、〈Q‐z〉の首領と通信機越しに会話する機会があったのですが、違いますね。キー・エクスクルとミリア・メビウスは別人です」
キー・エクスクルはもっと……極端に話が通じない感じだったし、何よりも、鏡で知ってしまったミリア・メビウスの〈本性〉とまったく違う。
「ミリアさんが偽物の聖女で、そちらのアリアさんが本物の聖女――でしたか? 信じませんよ、そんなの――あと」
鏡夜は続けて言う。
「本物を決めるのは私ではない。貴方でもない。彼女でもない。誰かが決める事柄で――そしてどこかの誰かも、その決定も、私には心底どうでもいい」
鏡夜は酷薄に言った。
「私にとってはミリアさんの方が〈聖女〉に見えますしね」
さらに、残酷に、誠実に付け足す。
(正確にはアイドルだが)
似たようなものだろう。アリアはひどく悲しそうな顔をして、ジャルドは額に人差し指を立てて眉を顰めた。
「はっきり言いすぎだろ。喧嘩売ってんのか」
「私は誰にも喧嘩なんて売ってませんよ。貴方は、恩人ですし」
「――はん、いいさ。義憤で怒る魔王なんざいるかよ。アリアを実際に聖女にしてから、テメェに改めさせてやる。んで、テメェ、何か言いかけてたな?」
鏡夜は意地を張って笑顔で頷いた。
「ああ、そうでしたそうでした。最後に一つだけ。貴方自身は〈決着〉についてどう思います?」
「負債だ」
ジャルドは断言した。
「無責任な、負債だ」
「負債、ですか」
「千年先を予測できる奴なんていねぇよ。決着の塔なんてな、馬鹿が考えたシステムだ。〈塔〉である意味や必然性なんか欠片もねぇ。ただ停戦を行った会場が、塔にあったらからそうしただけだ。千年って期間も、時間があれば、”奇跡”が起こるかもしれない。――そんな程度の先延ばしだろうよ。今解決できないからって、先送りにするなんて。未来に汚物を押し付けるなんて大人のすることじゃないね。例え国を一つや百つ滅ぼしたとしても、当時で解決すべきだった」
「や、貴方の国が亡んだらどうするんですか」
「それでもだ。他の国の……契歴以後の子供にそんなものは関係ない。くそったれだ。今までの千年はな、平和じゃなかった。ただ戦争をかたっぱしからぶっ殺してただけだ」
ジャルドはごく当たり前のように言った。悪ぶっているくせに、良識があるじゃないかと鏡夜は思った。いつのもように、二つ目の問いを発する。
「なら、あなたが〈決着〉を手に入れたら、どうするんです」
「人外の勝利を。人類よりも人外が上位の世界を」
「――貴方は」
「ああ、何を言われようと俺は聞くつもりがねぇよ。お前が〈決着〉を手に入れる動機のように。お前がアリアに言ったように」
ジャルドは静かに告げる。
「……もし、決着の時代が良き事であるというのなら。……これから全てのことが、後回しにして未来に託すのが良き事になる。無責任な後回しが雪だるまみてぇに肥大して、いつかは未来を潰すだろう。だから、もう文句もつけようもない、人外と人類の決着をつける気しか、俺にはねぇんだよ」
千年を越えて生きている人類人外はいない。いるとするなら神であり、天使と悪魔であり、そして人形だけである。もう人類も人外も決着を自らのものと捉えていない。千年を弄ぶだけの、世界の歪みをジャルドは嘲笑っている。柊王が危惧しているように。
魔王の願いが叶ったのなら、人外と人類が確定するのだろう。突然お前は人と言われ、突然お前は人外と言われる。
……突然宣告された種族間で――争いこそ起こらず、悲劇も起こらない。
だが、魔王が〈決着〉をつけた世界は未来永劫”差別”が続く、笑えて酷薄な、馬鹿げた現実になるだろう。
極論だ。しかし、必要な言葉であり、思想でもある。為政者として冷静に分析をしていた契国王とは違うが、しかし、同程度には道理が通った言葉でもある。他人事で――世界からして違う鏡夜には、わからない話だ。
華澄は勇者と魔王をジョークがわかる人物だと言った。しかし、現状の歪みは、吐き気を催すほどに面倒で異常だ。契国王は、私でもそうする妥当な処置だと言った。勇者は最初から関わり合いを放棄して、聖女は己が統べると独り宣告し、魔王は無責任だと断じて極端な願いを奉じる。
ああ――自分の事だけで手一杯な奴に、他の連中の有り様などわかるわけがないだろうが。
……本当に?
ならなんで、質問をしたんだ。契国王に、良い質問だと評されたから惰性でまったく同じ質問をしただけだ。
本当に?
やかましい。何度も本当に? と問われようと―――。
「我が君?」
後ろからかぐやから声をかけられて、鏡夜は顔を上げた。虚勢で取り繕う鏡夜にあるまじきほどに外面が崩れたのかと一瞬冷や汗が出るが――大丈夫だ。少しだけ黙考しただけだ。鏡夜は微笑の仮面をつけて、礼を告げた。
「ありがとうございます。聞けて嬉しかったですよ」
「ふん、いっちまえ」
ジャルドの言葉に従って鏡夜は桃音とかぐやを連れて訓練場から離れた。
……そろそろ家に帰ろう。
「で、我が君、どうしてお風呂場に来たの?」
かぐやの問いに鏡夜はハキハキと答えた。
「テスト兼近道ですかね」
鏡夜は浴場の縁に立って振り返り、床に立つ桃音とかぐやへ両手を《鏡現》の手袋で固めてから手を出した。
「お手をどうぞ。呪詛の極北は、はたして人助けに繋がるか、確かめるのも一興でしょう」
かぐやは右手を、桃音は左手を掴んだ。鏡夜は後ろに倒れて湯船に落ちる。そして手をつないだかぐやと桃音も一緒に水面の鏡の中へ入った。
鏡の世界に入った時、鏡夜の両手の先には確かに彼女たちがいた。想定通り、連れて来れた。桃音は眼を輝かせている。かぐやはポカンと驚いた顔をした。
人間味のまったくないかぐやらしくもないアクションだった。
「不可思議ね。何かしら? 我が君」
「鏡の世界――のようですよ。先ほどの魔王様が言う、呪詛の極北、でしょうか?」
《鏡現》の力、そして――《移動鏡》の力。端的に言えば、鏡を操る異能。まさしく鏡の魔人と呼ばれるに相応しい力。得たのは灰原鏡夜――。なんとも、言葉遊びだ。
かぐやは何度も高速でまばたきを繰り返して、何度も何事かを口にしようとして口を閉じて。やっと言葉を音にした。
「―――きれい」
「……それは、どうも」
限界以上に呪われたことで発生した力でなければ、鏡夜も美しいと感じれたのだろうか?
……だがこの疑問は詮無きIFの思考だ。
鏡夜は前回と同じように桃音の家の鏡を真正面に出して、潜り抜ける。
鏡夜はよっと着地して、両腕を軽く振り回して桃音とかぐやを、きちんと床に着地させた。
「おかりなさい」
「………」
桃音は周囲を振り回して、無表情に鏡夜を見つめると、すっと鏡夜の横を通り抜けて洗面台で手を洗い始める。そしてさらに鏡夜の隣を通り抜けて洗面台の部屋から出た。
……キッチンの方から夕飯の準備の音がし始める。かぐやは不愉快な様子を隠さない。
「不語桃音、我が君にれうじ――不作法じゃない?」
「桃音さんはああいう呪詛がついてるんで」
「なら抱きしめるとかすればいいのに」
「なんでですか……」
確かに灰原鏡夜は不語桃音の弱点、【格好良いもの】の条件を満たす形だし、再三弱味につけこんで居候させてもらったりダンジョン攻略に協力してもらっているし、実際頭を撫でられたこともあるが。チョロイと思っている点もあるが。
恋慕とは、少し違うだろう。桃音は恐らくカッコイイヒーロー人形で遊ぶ男の子のような、あるいはアイドルを追いかけて静かにCDに耳を傾けるような、そんな心持ちを鏡夜に抱いていると思われる。嫉妬はするが……別に、本気で、愛されているわけもないだろう。
出会ってなんと四日しか経ってないのだからさもありなんだ。
抱きしめられても、ひどく悲しいだけだ。
服が脱げないわけであるし、と落ち込む鏡の魔人である。
帰って来たのだ。夜も遅いしさっさと夜の用事を終わらせて寝ようと、鏡夜はかぐやと共にリビングに向かった。




