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決着の決塔  作者: 旗海双
第2章
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第五話「〈魔王〉ジャルド」

 鏡夜は、はぁ、と憂鬱になりながら、ドームを下に降りていく。風呂場は五階にあったので、一階まで戻り、多目的トイレに戻る。

 パパッと検証を終わらせて桃音とかぐやのところにすぐ戻るはずだったのに、探るべき懸念事項が多すぎて――かなり時間がかかってしまった。

 もう夜も目前だ。染矢の言う通り、夜に活動している魔王がドームに来ていた以上、鏡夜の体感よりも待たせてしまったのは明らかだ。

 憂鬱である。


 鏡夜が多目的トイレ前に戻ると、桃音が女性の襟首を掴んで宙吊りにしていた。鏡夜には女性に覚えがあった。多目的トイレで会話にならなかった人だった。

「……なにしてるんです?」

「……さあ?」

 かぐやは肩を竦めた。桃音は鏡夜が廊下から来たのを確認すると、女性から手を離した。女性は……気絶していたのか、床へ横になって倒れてしまった。やばい音はしなかったので、一応頭や身体を打ち付けはしていないようだ。桃音が気を遣ったのだろうか。女性の健康状態に気を遣えるのなら宙吊りをしない気遣いもできたような気もするが。

「我が君どこ行ってたの? 女の人が豪華な厠……トイレに入って行って、止めようと思ったら、……女の人が騒いでるだけで、我が君はいなくなってたし。不語桃音が、突然女の人を無言でしばきはじめたし」

「あー」

(どこ行ってたんだろうな)

「……鏡の中まで」

「かがみ?」

 かぐやはものすごく不思議そうな顔で鏡夜を見た。疑問符を飛ばされても、そうとしか言いようがない、と鏡夜は思った。

「とにかく、そちらの……誰かさんを、病室か病院か保健室かへ、お運びしましょう……受付に行ってきますね」

 鏡夜は駆け足で受付に向かった。魔王に会うのを先送り云々の前に、やはり、人道的配慮からそうすべきだからそうするために。



 受付の染矢に事の次第を伝えたところ染矢はすぐに行動してくれた。自動担架マシーンと一緒に染矢オペレーターがトイレ前に倒れた女性を回収しに行く。鏡夜も同行したのだが……。染矢は表情を引きつらせていた。マジか、こいつらマジか、みたいな言葉が顔面に張り付いていた。

 しかし、染矢は特に言葉を荒らげず、マシーンに事務的な入力を素早く行い、女性を担架に乗せると(アームが丁寧に持ち上げて自分のボディに寝かせた)。

 染矢は女性を医務室へと運ぶ。鏡夜たちも医務室へとついていく。

 ……いつかお世話になるかもしれない施設であるし、行ってみるに越したことはないだろう。単純に、心配でもあるし。野次馬根性であると指摘されれば、その側面もあるが。




 医務室は想像していたよりも巨大だった上に複数あった。一つの扉の前を通る。壁に掲げられた名札には、かつてバレッタより聞かれた英雄パーティの名前が晴水を除いて並んでおり……。

 久竜晴水たちのパーティが、医療ポッドの中で寝かされていた。

 次の部屋を通り過ぎると、今度は見たことも聞いたこともない四つの名前が名札に掲げられている。

 中をちらりと覗いてみれば……異形が並んでいた。。

(確か華澄さんが、『カーテンコール』に魔王の四天王が磨りつぶされたってつってたな)

 異形しかいないなら、推測は間違いではないだろう。

 そして染矢は、第三の部屋、他の二つと比べても小さい、医務室の医療ポッドに女性を寝かせた。

「よし――と。では、灰原さん、何があったんですか?」

「少々説明しづらいですけど……かぐやさんお願いできます?」

「りょーかい、我が君」

 そしてかぐやは、先ほど鏡夜にした説明を同じように染矢へと語った。

 染矢は頭を抱えて溜息を吐く。

「つまり、こちらが誰か、ご存知ないと」

「そうね。突然男子が入った厠に突入する、ヤバい人としかわからないわ」

「喜連川さん……。簡単に説明するなら、久竜晴水さんのパトロンであり、契国に強いコネクションを持つ要人……です」

「なんと」

 鏡夜は驚く。そして尋ねる。まず気になるのは。

「私の塔の挑戦に、なんらかのデメリットがあります?」

 染矢は数秒黙考して言った。

「ないです。貴方は別に何かに所属しているわけでもないので――。塔の攻略者に圧力などあってはならないわけですし」

 染矢は冷たい瞳で、目を回して治療ポッドに横たわる女性を見下ろしていた。

「わかりました。灰原さん。後は私がなんとかしておきますので、どうぞご帰宅していただいても大丈夫ですよ!」

「うん、帰った方がいいんですか!」

 鏡夜はむしろ嬉しそうな顔で染矢の言葉で反応した。

「え? あ、ジャルドさんに会うんでしたっけ? ご自由にどうぞ」

「……ありがとうございまーす」

 正直、今日魔王に会うのが気後れしていたので鏡夜は物憂げな顔をした。染矢は、鏡夜の謎の感情的反応が理解不能なので目を白黒させていた。

「我が君、会いたくなかったら会わなくていいんじゃない?」

「時間がもったいないですし……? せっかくですから?」

 そう言って、鏡夜は染矢に礼を言うと、桃音とかぐやを連れて医務室から退室した。


 魔王が先ほどまでいた浴場前廊下をあちらこちらと探すが、魔王の影も形もなかった。無策であちらこちら探すのも面倒だと、鏡夜が悩んでいると……。

 桃音が突然、鏡夜の頭を掴み窓に押し付けた。

「へぶっ……」

 鏡夜はなんだ、と桃音へ不服そうな表情を向けるが、桃音はガン無視して窓の外を見ている。

 かぐやはほわほわと笑いながら人差し指を伸ばして、桃音に向ける。しかし、桃音はガン無視して窓の外を見ている。

「………あ、かぐやさん、少し待ってもらいます?」

「なんで?」

 かぐやは平常通りの、人間味のまったくない可憐さを保ったまま人差し指を光らせている。光が強くなっていく。鏡夜が止めなければ、かぐやの光線は桃音に向かって発射されるだろう。

「ああ、……魔王様、見つけました」

 と鏡夜はかぐやの真似をするように人差し指で、窓の外を指さした。訓練場の広場で独り、鏡夜へ指を指して笑っている魔王がいた。魔王の隣には、黒い修道服に赤い稲妻のような線が走った女性がぴったりと張り付いている。

 桃音は鏡夜が見つけたと言った後に、鏡夜の頭から手を放す。窓に押し付けられていた顔を離して、鏡夜は溜め息を吐いた。



 ……だが、もう時間を引き延ばせない。鏡夜は魔王に会うために訓練場へ向かった。



「―――なんで存在できてんだ? お前」

 開口一番、魔王が鏡夜に言った言葉だった。

「まさか生存どころか存在すら疑われるとは」

 存在に疑問を呈されるほど湯船から突然現れたのが失礼だったのだろうか。

 うん、失礼である。もし鏡夜が風呂でリラックスしている時に不躾な闖入者が湯船から出現したなら、鏡夜は恐慌、逃走のち激怒する。

「改めまして、はじめまして、魔王陛下――灰原鏡夜と申します、こちらはかぐやさん、不語桃音さんと」

 鏡夜は、とりあえず落ち着いて挨拶をする――。探りつつ、だ。魔王は口をへの字に曲げて言った。

「ジャルド。ただのジャルドだ、んでこいつは――」

 魔王はべったりと自身に張り付いて幸せそうに笑っている黒生地に赤い稲妻模様が走る修道服を指さして言った。

「アリアだ」

「はぁ、どうも、初めまして」

 反応に困る。たしか四天王とかいう、魔王の配下は全滅していたはずだ。話題にも上っていなかった。となると状況証拠的に……情婦とか愛人とか? 奥さんだったら申し訳ないが。

 魔王は鼻を鳴らす。

「魔人、魔人と前評判が五月蠅かったが、実物はどんなもんかと思えば、期待以上を超えて異常じゃねえか」

「私、どんな風になってるんです、そんな風に言われる筋合いってあります? ホント」

 存在疑問に加えて異常呼ばわりは、流石に少し傷つく、と鏡夜は拗ねたような表情をする。

「そりゃ当然だ。俺が置換してんのは肌だけだがァ、お前が差し出してんのはなんだ? お前自身すら危うくなるほどだろうよ。そんなもん一個でも過剰――いや――」

 魔王はアリアに待ってろと伝えて離れると、ずかずかと鏡夜に近づき、鏡夜が身に着けている帽子を鷲掴みにする。身体の大きさが異常なほど違う。手が巨大で、鏡夜の頭がすっぽり包まれてしまった。

 魔王は驚いたように叫ぶ

「食い合わせしてんのか!!」

「……食い合わせ、ですか?」

(手が帽子よりでかくて魔王の顔が見えねぇ)

 魔王の手の下にいる鏡夜は薄暗くなった空間で尋ねる。

「この帽子は【弱点看破/言語忘却】だよな」

「―――ノーコメントで」

 秘密とはまではいかないが、殊更明言していなかった特殊能力を直球で指摘されて、鏡夜は誤魔化した。誤魔化したというよりかは、わからないだけだが。

 魔王は続けて言う。

「弱点を透視する能力を得る代わりに言語を失くす。弱点を見抜けるが誰かに伝えられない。クソみてぇに性格の悪ぃ呪物だが……お前、喋れてる。意味がわからないバケモンかと思ったが、この、これだ」

 魔王は鏡夜の頭に乗せていた手で、今度は白いシャツの襟を摘まむ。

「シャツは【全言語習得/治癒不能】だ。あらゆる言語を操れる代わりに治癒能力を失くす。万の言葉を操れるが、一つの傷すら治せない。ヒャハハ」

 魔王はおかしそうに笑う。

「つーまりーだ。言語を失くしちゃいるが、そこに全言語を操るっつー恩恵を被せて実質踏み倒してんだよお前。おぞましいな、イカれてる。どんな馬鹿みてぇな不具合が起こるかわかったもんじゃねぇぞ。規格が違うコンセントを漏電を前提にして無理やり使って感電死したり電気回路が壊れて爆死しないように祈るようなもんだ」

 耐えきれないとばかりにニヤニヤと、魔王は言った。

「お前の身体、もう六割以上人間でも人外でもねぇぞ――こりゃもう呪詛の擬人化だな!!!!」

「―――例えば、私の眼とかですか?」

「ああ? ああ―――そうだなぁ、流石に神代の最高峰だから効果しかわかんねぇし、それ以外はブラックボックスだが、推察はできる。なにせたぶん俺と同じだ。俺は肌を置換してるから――ほら、こんな風に入れ墨だろう? 変わるんだよなぁ。弱点看破っつー機構がお前の目に入ったのなら――変わるんじゃねぇの?」

「なるほど、なるほど」

 鏡夜は全身が泥水に使ったような最低最悪の気分のまま、最高の微笑みで何度も頷いた。

 理屈としては、納得できる。

 呪いは生体機構における“何か”とトレードオフだ。

 呪われれば呪われるほど通常の身体からかけ離れる。

 既存の肉体を変質させて魔法のごとき奇跡を起こす。進化と退化を引っ掻き回す生体操作。

 灰原鏡夜は、驚異の、半分以上が完全に呪いと化してしまっている。

 瞳や髪の色が変わっているのはそのためだ、と。

 あまりにも呪われれば生活どころか生存も危ういのだが、呪いの“食い合わせ”の奇跡的バランスによってデメリットをほぼ踏み倒している状態だと。

 突然変異、呪詛の申し子。そうかそうか―――。

「お前が俺の国出身者だったら、人外の王なんて定義をぶっちぎって魔王になってたかもな? 流石に俺も呪いで呼吸して呪いで歩行して呪いで生存するのは無理だわ。つーかどうやったんだよマジで。現代に生きてる神どもはもう本当に落雷を喰らうよりもごくごく低頻度しか呪詛をしねぇのに」

「さっぱりわからないんですよ」

 許さない。鏡夜は魔王へ優雅に返答しながら、大激怒を完璧に抑えきって、心底、魂の奥底からそう思った。自分を呪った誰かへ――何かへ――、骨の髄まで、目にもの見せてやる、と。鏡夜は、彼の人生で一度もなかった本気の怒りを覚えた。軽薄で、弱さに肯定的な鏡夜の器をぶっちぎる、圧倒的最悪な現状を確認して、感情が大荒れの海を蒸発させそうなほど、沸騰していた。

「ある日、気づいたら、こうなってまして――、だから、呪いを解くために此処にいる次第です」

「ふーん? 神話みてぇだな、呪いを解くために冒険するなんて」

 そう言って、魔王はニヤニヤと言う。

「〈決着〉を選んだのは、英断だよ。真の魔人。お前の呪詛は俺にも、誰にも解けねぇ。何かまかり間違って、どこぞの観測不能な神様がお前の呪いを解こうとしても――無理だよ。断言する。支配級かつ解呪に長ける神ですら、お前の呪いは解けない。こんなもん、塵になって世界に散乱した死体をよみがえらすような、不可能をさらに不可能にするような、どうしようもなさだ。」

 神代ですらありえない。実現できないだろう圧倒的呪詛量。呪われ過ぎた者を魔人と呼ぶが、呪われ過ぎという形容すらぶっちぎった圧倒的呪われっぷり。まさしく真の魔人と呼ぶにふさわしい。

「最初から神様になんて頼ってませんでしたけどね」

 なぜか最初から選択肢になかった。決着の塔が――巨大なチャンスが転がっていたから、横道の第二案を検討する暇がなかったのだ。――検討する必要は最初からなかった。無理だと。決着しかないと。

 なんとも、ろくでもない。

「魔王様、お願いがあるのですが、私がどのように呪われてるか、鑑定していただけませんか?」

「あー? いい……」

 途中まで言って、ジャルドは言葉を止めた。そして心底楽しそうに愉快そうに魔王は言う。

「待った、よく考えてみろよ。タダで、善意で人助けする魔王っているか? どうぞお悩み解決します魔王です、なんて、いつでもどこでも洒落にならねぇ、つまんねぇ。そうだろ?」

「いてもいいと思いますけど」

「俺は認めねぇ。だからさ――、ほら。俺の配下にならねぇ? 四天王が全滅して普っ通にきつくてさぁ」

(またかよ)

 二度目である。ミリア・メビウスに続いて二度目だ。

「はい、お断りします」

「どーしても?」

「どーしても」

「そ、じゃあそうだなぁ……んじゃ仲間貸して」

「ダメですけど」

 何言ってんだ、と鏡夜は呆れた顔をする。貸す貸さない云々の話ではなく、彼女たちは各々勝手に協力しているだけに過ぎない。

「ていうか、私にそういう権利はないので、ご勝手に交渉した方が絶対いいと思いますよ」

「お前以外にまともに話通じそうなのいなくね」

「普通に話せ……話せますよ……?」

「自信なさそうじゃねぇか」

 人形と人形と沈黙の超人と油断ならないお嬢様エージェント相手に、人懐っこいとか愛想良いとか表現するのは、もう嘘である。

「ちっ、じゃあ、わかった」

 魔王は両手を構えて、鏡夜の前に構えた。

「ちょいと、遊びで手合わせしようぜ――そしたら、お前の呪詛の内容教えてやるよ。喜べ」

「あら、ありがとうございます」

 鏡夜はかぐやと桃音に下がるように伝えると、魔王相手に構える。いつかの桃音相手にした慣らしを思い出し――腕をぶち折られた記憶を想起して憂鬱になった。人間をほぼやめているなら、痛みも抑えてほしかった。

 鏡夜は軽薄な人間であるがゆえに痛みも苦手なのだ。




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