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決着の決塔  作者: 旗海双
第1章
19/59

第八話「歪みと共時、同一と差異」

調査を一通り終えて、後は結果待ちですわ、と華澄が言うので、そこで別れることになった。

時刻は夕方。

明日も割合早いのだ、早く帰って早く寝ようと、帰路につく。今朝とは違い、多くの人と人外が貝那区を闊歩しており、乗り物も多種多様に行き交っていた。周囲は契国内の有名人である桃音と、彼女と並んで歩く鏡夜に注目していたが、早足で帰る鏡夜たちに声をかけるには、物理的に速度が足りなかった。

突然、高速機動し始めた桃音を追いかける形で鏡夜は、猛スピードで絢爛の森に辿り着く。絢爛の森には、申請と許可がなければ入れない。一般人から報道関係者まで、突然決着の塔に殴り込み、新たな代表者となった謎の人物、灰原鏡夜と接触を持つことはなかった。少なくとも今日は。


桃音の自宅に戻る鏡夜と桃音。

……夕飯を食べて、風呂に入り、リビングでのんびり本(桃音の蔵書の一つを借りた)を読んで、さて寝るかとソファから立ち上がると、鏡夜の眼前に桃音が立ちふさがった。

「んあ? どうしたんですか? 桃音さん?」

鏡夜はじーっと自分を見る桃音と目を合わせて、首を傾げる。すると桃音はラップトップPCの画面を鏡夜へ突きつけた。

「んー? 華澄さんからのメールですか」

細々と、協力への感謝やら攻略への意気込みが書かれたメールだった。その追記として、鏡夜向けの質問があった。

《聞きそびれてしまったのですけれど、鏡の能力に名前ございますか?》

「『それ本当に必要ですか?』って送っておいて下さ――おおう」

言っている途中でラップトップPCを開いたまま胸に押し付けられた。が、桃音はがっちりと側面を掴んだままだ。使ってもいいが、渡さないし変な操作もさせないとばかりの妙な体勢だった。

「えー、はいはいっと。『特に名前などはありませんが、それ本当に必要ですか?』と、はい送信」

鏡夜は桃音が差し出しているラップトップPCのキーボードを操作する。直感的に理解できる使いやすいユーザーインターフェイスだったので非常に助かった。

「とりあえず座りません? かなり面白い体勢になって〔You got mail〕来んのはえぇな!!」

鏡夜はメール着信音へツッコミを入れた後、ソファに座って、隣をぽんぽんと叩き桃音に座るよう誘導した。桃音はおずおずと鏡夜の隣に座り、ラップトップPCをそーっと、ソファ前の机に置いた。二人で一緒に画面を覗く。

《名前というのは重要ですわ。現実が整理されて、やりやすくなりますから。名前がないものを扱ってもらうのは大変ですもの》

「なるほど? 言われてみると、一理ありますね」

異世界特有の固有名詞や言い回しに四苦八苦している身としては、名前の大切さを痛感するばかりだ。振り回されるばかりで自分で考える余裕などなかった。

「ただこういうのって自分で考えるの気恥ずかしさがありますよねぇ」

「………」

桃音は不思議そうな顔で鏡夜を見た。

「まぁ、あまり深く考えなくてもいいでしょう。鏡現れるで《鏡現》で……どうですかね? 恥ずかしくない? ださくない? 大丈夫です?」

桃音は鏡夜の頭に手を置いて撫でた。もちろん意図はわからない。私は気にしない、と慰めているのかもしれないし。私は良いと思う、と肯定しているのかもしれないし。よくわからないまま、とにかく鏡夜を元気づけようとしているのかもしれない。鏡夜は、ありがとうございます、と呟いてPCに向かった。

「『ご忠告痛み入ります。では《鏡現きょうげん》にしようかと思います。ところで華澄さんは能力に名前をつけていますか?』……と」

鏡夜が送信してまた二十秒程度でメールが来る。

《狂言の鏡で《鏡現》、いいですわね。……あとわたくしも名前はつけてますわよ! 《クイックドロー》《ブービートラップ》、全て必殺技と言えますわ》

結構な空白を空けて。

《バレッタ・パストリシアより追記

早撃ち(クイックドロー)、ブービートラップです。両方技術であり戦術ですね。我が主の強みの数々を全て説明するのは秘匿事項Aなのでご容赦ください……くすくす》

「バレッタさんが良い人……形すぎて辛い。あと早撃ちと罠は必殺技とか能力の範疇に入るんでしょうか……? ファンタジーに毒されすぎか? 立派なスキルとして履歴書に書けますね。軍隊の、ですが」

秘匿事項らしいので彼女のスキル全てを鏡夜が知ることはないだろうが。あと狂言の鏡とかいい感じの解釈をされていた。別に二重の意味を併用する意図はなかったが、ハッタリをきかせるのに悪くはないな、と思い直す。

鏡夜はとりあえず、素晴らしい必殺技ですね、尊敬します、じゃあ寝ます。とあたりさわりのない文章を送ってPCを桃音に返した。

「じゃあ、おやすみなさい、また明日」

鏡夜はあくびをしながら、自室へと引っ込んだ。

(《鏡現》、ねえ)

技名を叫んで鏡を作り出す自分を鏡夜は想像したが、似合ってなかった。



〈契暦1000年 1月2日 午前〉

朝起きて、カーテンを開いて外を見る。下の地面にはブルーシートが敷かれていた。

今朝の桃音は両手にノミとトンカチを持ち、椅子を制作していた。その細工はウッドハウスや原っぱの小屋にあったものに酷似していた。

どうやら、家具の多くは桃音の手作りであるらしい。

(昨日は絵を描いていたし、モノづくりが趣味なのか?)

鏡夜はリモコンをカチャカチャと操作する。すると自室の窓がスーッと空いた。早朝、冬の新鮮な空気が部屋に吹き込んでくる。

「桃音さーん」

鏡夜が窓から呼びかければ、彼女はトンカチもノミも椅子もすべてを地面に置いたまま自宅へと跳躍した。鏡夜は桃音を迎え入れるために玄関へと向かった。

さて、今日の始まりである。


再び決着の塔攻略支援ドームに訪れると、そこは昨日と打って変わって閑散としていた。広い広いロビーは無人。受付にはバレッタしかいない。バレッタは鏡夜たちを確認すると、丁寧にお辞儀をする。

「くすくす……しばらくお待ちください」

「あ、ちょっと聞いてもいいですか? バレッタさん」

「くすくす、はい、なんでしょう?」

今こそ質問するチャンスである。華澄がいるならば決着の塔攻略に全能力をつぎ込んだ方が有意義だが、いないのなら疑問に思っている点の一つくらいは失くしておいた方がこの世界で生きていく上において有益である。

「人類と人外の違いってなんなんですかね?」

「――……」

あのバレッタが。いかなる問いにも軽妙に、歌うように応えるバレッタが一瞬フリーズした。

「バレッタさん」

「灰原様、結論から申し上げますと。お答えすることはできません、くすくす」

「……わからないじゃなくてですか?」

自分の性能では不可能なことをはっきりと表現するバレッタにあるまじき説明役の放棄だった。目を驚きに開いている鏡夜へ淡々とバレッタは語る。

「くすくす……人類と人外の違いはタブーです。なぜならば、それは戦争の原因になるからです。なので、この千年、誰も人類を自称しませんし、人外を自称もいたしません。言えば対立をするからです。そして誰かを人類とも人外とも称しません――言えば、敵対するからです」

朝日が眩しくラウンジを照らしている。その穏やかな光に照らされて、バレッタは言った。

「この千年、分類においての人類と人外は存在しません」

「…………………あの」

「くすくす、はい」

「この塔は人類と人外の代表を選んで、競争してるんですよね?」

「はい」

「なのに、この世界には人類と人外が―――いないのですか?」

「はい、誰も口に出さず書きもしなかった問いであるがゆえに。もはや純粋な人類も人外もほぼ存在しないが故に」

「実際に、見てわかる人類がいて、見てわかる人外がいるのに? おかしいと思わないんですか?」

「思っておりますよ、ただ、それを誰かに問い、あちらに人、こちらに化生ということになり――万一、争いになってしまえば、天照使が全てを吹き飛ばしてしまいます。そもそも突き詰めるという行為自体が、未だ出来ないのです。遺伝子の中に人類の要素があるならば人なのか。それともただ外見で決めるのか。ええ、自由意志のある生き物ならば気になって当然です――〈契約〉上、問えませんが」

「く―――」

(――るってやがる。これが〈歪み〉か)

代表がいるのに当事者がいない。団体がいない。分類がない。虚像にして虚妄だ。狂ってる。こんな気持ちのいい朝の光に照らされながら直視する闇ではない。

「なので――私以外に、その問いはすべきではありません。そして私は人類と人外については口を噤みましょう」

「スライムが何かも?」

「スライムさんはスライムさんです。粘体で不定形な形をしていることを共通性質とし、さまざまな特質を群れごとに持つことで知られています。それ以上は何も」

そこまで言ってスライムが人外か人類かを言わないのか。自明の理としか鏡夜には感じられないのに。だが確かに、烏羽氏にはほぼ確実に、人類の血が混じっているのだから、断言できるはずもないのか。

鏡夜は呻くように言う。

「……私は人間ですよ」

「でしょうね。人間とは人の形をしていることだけを指しますから。それ以上は、何も」

「そう、ですか」

鏡夜は吐きそうな気分になりながら沈黙する。著しく直感に反し、感覚に反する。ディストピアな側面をまざまざと実感してしまった。誰もが熱狂し熱望してるのに誰も当事者ではなく代表者しかいない? 狂ってる。この〈契約〉を考えたやつに人の心も人外の心もないんじゃないか、とすら鏡夜は思った。

「くすくす……よろしいですか? では、我が主を呼びますね」

バレッタは腰から伸びるコードを指さしながら、嫋やかに佇むだけになった。

鏡夜がどうにか表情を取り繕って不敵な笑顔に変えて数分後、奥から来た華澄とも合流する。

「おはようございますわ」

「おはようございます。で、『カーテンコール』、どこまでわかりました?」

鏡夜が期待しながら聞く。明るい話題が聞きたい。障害は少なくなればなるほど良い。首謀者まで国家権力で無力化してほしい。

華澄は淡々と言った。

「つぎはぎの空っぽでしたわ」

「というと?」

バレッタが引き継ぐように語る。

「くすくす……右腕のシリンダーは米国。左腕のシリンダーは泰国。制御盤はまさかの契国の聞いたこともないような工房へ注文が入っておりました。特に頭脳部分なのですが……受信機でした」

「しかも〈生体〉の、ですの。つまり外から遠隔操作で動かしていた、というまさかの解答ですわ」

華澄はバレッタを遮って言った。よほど自分から言いたかったのだろう。さらに続けて華澄は説明する。

「恐らくですが、神の領域ですの。攻略支援ドームは電波通信を完全遮断しておりますが……生体通信は遮断しきれておりません。単純なセキュリティホールですわ。あるいは意図的なのかもしれません――ああ、いやだいやだ。信用ならないクライアントなど、仰ぐものではありませんの」

「くすくす……神話体系の割り出しから初めております」

鏡夜は驚いたようにバレッタを見る。

「え? バレッタさんそこまでできるんですか?」

「くすくす、私は純機械人形なので仕様外です……」

流石に神代の技術を網羅するほどではないらしい。一年前まで見通せる。千年前までは届かない。パストリシアはそういう人形だ。

華澄が言う。

「ま、そこはプロに任せてますの。――アルガグラムの人形使いが、神話に手を出す……。なんともなんとも、何があったのやら、ですの」


〈刈宮食堂〉ではモーニングコートの薄浅葱がスタスタと歩き回っていた。彼女の頭の上には真っ黒なスライムが乗っている。烏羽だろう。

夜会服のスカーレットは角の机に脚を組んで薄浅葱をやれやれと言った様子で眺めている。他に人の姿は見えない。

「ああ、おはよう」

スカーレットは鏡夜たちに短く挨拶をする。そして、目の前を通り過ぎようとした薄浅葱の襟首を捕まえて、持ち上げると前の座席に放り投げるように座らせた。

「わっぷ。……ソア。レディは丁重に扱うべきじゃないかい?」

「別にお前が望むならそうしてもいいが……来てるぞ」

「おっと。思考に没頭しすぎていて気付いてなかった。ごめんね。おはよう!」

「おはようございます、薄浅葱さん、スカーレットさん、烏羽さん」

「んむ、頭部の冷却ジェルに挨拶するとは感心感心」

ぬるりと漆黒スライムが蠢く。スカーレットは呆れたように言った。

「ミスターカラスバ、自分から冷やすと志願したのに、重いジョークに悪用するのは感心しないぞ」

「お前はアレだのぉ。センシティブな問題に過敏すぎる。誰も望まぬ義憤など扱いに困るだろう」

「ソアはこういう正義感があるからいいんだよ。わかってないなぁ。叔父様は」

「仲がよろしいようで……」

鏡夜は朝から言い合いをする勇者ご一行へ感想を漏らす。

変人ばかりで困ったものだ。

それも無理からぬ話だろう。決着の塔挑戦者というのは、世界の代表だ。埋没する群衆の一人であるわけがない。〈英雄〉久竜晴水は割と普通だったが、実際はどうだかわかったものではないし、ほかの二組もきっと面白博覧会に違いない。あんまり会いたくはない。

薄浅葱は場にいる全員に言った。

「じゃあ朝食を奢ろうじゃないか。ああ、でもあんまり食べたらだめだよ? 油断大敵。消化はエネルギーをいっぱい使うし、胃の中は上下運動でぐるぐるする。僕も推理前は軽く空腹を保つことにしていてね……」

「そうですわね、銃弾でお腹が破けた時、消化途中のものがまろび出ると感染症の危険が――」

突然華澄の不意打ち殺伐発言に、鏡夜はげんなりした顔をした。

「食欲なくなるんで、ちょっとやめてくださいよ‥‥…」

「なら好都合ですわ」

(こいつ自分は健啖家のくせにいけしゃあしゃあと……!)

薄浅葱が食堂の職員に声をかけると、すぐに朝食が運ばれてきた。緑茶と……。

「おにぎりですか?」

「やっぱり契国の軽食と言えばこれだよね! 本場のは美味しい!」

人数分(バレッタは除く)のおにぎりがテーブルに並ぶ。

「具は……」

「全部鮭だよ」

全部○○にするという主張が強い。昨日と同じだった。スカーレットはびっくりした様子で言った。

「お前、いつの間に」

「食堂を歩き回ってたらちょうどコレリエッタくんとすれ違ってね。知ってるだろ。声注文もできるんだぜ。……いいからソアも食べなって! 入鄉隨俗!」

コレリエッタとは四つ足のウェイトレスロボのことだ。

スカーレットは薄浅葱へ淡々と言った。

「ローマにいる時はローマ人がいるようにせよ」

「くすくす……郷に入っては郷に従え、です……」

バレッタの解説でようやく言いたいことがわかる。つまり契国にいるんだから契国風のものを食べてみろ、と。

(インテリの会話だぁ……全然わかんねぇ……あ、でもローマ云々は聞いたことある)

この世界とかつての世界は似ているようで違い、違うようで同じだ。この慣用句も、同じものの部類なのだろう。鏡夜はおにぎりを頬張る。親しんだ海苔と米と鮭。

このおにぎりが土塊と海水で出来るのだから、神話というのは次元違いだ。鏡夜は追加して世界違いでもある。

(大胆に違う部分も結構あんのに、こういう、だいたいのものは日本なんだよなぁ……!!)

軽食だったので、鏡夜はあっという間に食べ終わった。緑茶で口を潤しながら鏡夜は小さくおにぎりを食べる薄浅葱に話しかける。

「そういえば昨日ボロボロになった久竜さんたちを見ましたよ」

「なるほど、だからいなかったのか。どれくらい負傷してた?」

「久竜さん以外の方は担架に乗せられていましたねぇ」

「あらら、じゃあ人外四天王と同じで、一か月は脱落かなー。『カーテンコール』の時、英雄くんたちは逃走できたのに、引き際を間違えちゃったんだね!」

「致命的では?!」

「え? なんで? 魔王くんも英雄くんも当事者は残ってるよ?」

「ですけど、一人だけでは大変では? 競争なのに、一か月も遅れが出るとは」

「んー……気持ちはわかるよ。焦ってるんだね、灰原くんは」

「は?」

どうしてそこで自分の話になるのかわからず鏡夜は素で聞き返す。薄浅葱は気分よく言った。

「だからー、君も英雄くんも焦ってるって話。気持ちはわかるよ。僕は百階から二百階か――ってあたりはつけてるけど。僕の予想にしたって結局ただの妄言と同じさ。ダンジョンの中を見てもいないんだよ? 証拠もなく何かを主張するってなにそれ? って感じ。実は一階かもしれない。三階かもしれない。焦る気持ちはわかる。僕は焦ってないけど」

焦ってるから〈英雄〉は『カーテンコール』が倒されたその日にダンジョンに入ったし、焦っているから鏡夜は他の挑戦者に自分を重ねて、一か月は致命的なのでは? という疑問を抱いたと。言いたいことはわかる。言いたいことはわかるが。

(お前が焦ってないのはやる気がないからだろ)

とんでもない欺瞞ガールだった。釈然としない気持ちになりつつも鏡夜は緑茶を飲み終わる。

薄浅葱もおにぎりを食べ終わって、少し冷めはじめていた緑茶をごくごくと一気飲みすると、ピシッと人差し指を突きつけて言った。

「【決着の塔】に行こうか。ついてきてよ」

「薄浅葱、口元に海苔がついてるぞ」

スカーレットは薄浅葱の口元をハンカチで拭った。

「ああ、ありがと」

(なんだろうなぁ、すっげぇ不安になってきた)

人にお世話されているという事実・やる気がないという事実はなんら能力の評価を左右しないということはわかっている。印象だけで人や物事を評価するのは馬鹿だということも理解している。

その上でどうも感覚的な部分だと薄浅葱に不安を覚える鏡夜だった。

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