第七話「音声案内型過去観測機械〈Pastricia〉」
〈契暦1000年 1月1日 午後〉
エントランスからステージホールに戻ると、今朝挑戦した時とは打って変わって職員がごった返していた。共通した制服だろう黒スーツの他にも、白衣を着た人物や修理工のような作業着を着た人外なども混ざって作業をしている。
鏡夜たちの来訪を確認すると、現場の人間に指示をしていた染矢オペレーターが近づいてきた。
鏡夜は染矢を見た目の年齢と物腰で下っ端だと失礼にも思い込んでいた。しかし想像していたよりも彼女の地位は上のようだ。
「どうも、先ほどぶりです! みなさん!」
相変わらず元気いっぱいだ。心地よく空間に響く染矢の声を感じながら、鏡夜は応えた。
「進捗はどうです?」
「一応回収できるものは回収しましたね。『カーテンコール』も搬入は終わっています。形が丸々! 丸々残っているので!! 材料と加工を洗えば確実に! どこで作られたかくらいは! わかるはずです! もう〈Q‐z〉も無力ですよ!」
「適当なこと言わないんですの」
華澄はにべもなく染矢の希望的観測を切り捨てた。
「んぐっ!? すいません」
「通ってもよろしいですの?」
「はい!」
華澄は颯爽と染矢の横を通り過ぎる。染矢は歩みを止めない彼女に振り向いて話す。
「観測データの提出はー」
「あら、〈Pastricia〉の仕様、ご存知ありませんの?」
「知ってます! レポートでも構わないので対策本部のサーバーに送信しておいてください!」
「だ、そうですわ、詳細に送って差し上げて、バレッタ」
「くすくす……了解です、我が主」
豪奢でウェーブのかかった金髪をかき上げて進む華澄とバレッタ。ステージに上がっていく彼女たちについていく鏡夜と桃音。誰も彼も忙しそうな上に専門用語が飛び交っているのでわからないことが多すぎる鏡夜は迂闊に口も開けない。延々沈黙する桃音の気持ちがわかりそうだった。
塔の入り口への道が開かれる。幕が開かれていく。鏡夜は今朝も見た、上がっていく赤い幕と白い幕を見上げた。
「どうして幕、いちいち開いたり閉じたりしてるんですか? 華澄さん」
「わたくしは百パーセント嘘だと思っていますが、理由を聞かされましたの」
「なんです?」
「“私の趣味だよ―――白百合華澄くん”、と、柊王が」
そして中へ進み、塔の入り口の傍に立つと、バレッタは作業員の一人から脚立を借りて、黄色いペンキの宣戦布告からペンキを削り取り、小さな瓶に入れた。
バレッタが華澄の傍に戻り、瓶を彼女へ手渡す。華澄は瓶の中の、黄色い塵を見ながら職員に大声でお願いをした。
「じゃ、掃除してよろしいですわよー!」
「はーい!」
染矢の声がして、作業員たちがどんどんと塔の入り口で清掃を始める。
「もっと調べるとかしなくていいんですか? 証拠でしょう?」
鏡夜は消されていく英語の犯行声明を見ながら不思議そうに言った。詳しいことはわからないが、現場保存なんて用語が存在する以上、もう少し調査があると思ったのだが。
「くすくす。問題ありません、証拠はここに。……成分を解析し、ただいま観測した結果……」
バレッタは華澄が持っている瓶を指さした。
「ペンキですね」
「はぁ、見ればわかりますけど」
「くすくす……具体的に申し上げれば外壁塗装用のペンキですね。市販品です。種類から購入店を探し当てるのは、不可能に近いかと」
「そうですか、都合よくいかないものなんですね」
というか見ただけでわかるのか。と、鏡夜はハイテクっぷりに感心する。観測機械を見くびった、異邦人特有の感想である。鏡夜は、過去観測機械〈pastricia〉の反則っぷりを知らなかった。
黙って瓶の中の黄色い塵を見ていた華澄は、ようやく視線を外し、バレッタへ瓶を渡す。バレッタはそれを懐に仕舞うように、手の中から消した。どうやら銃火器を出し入れするあの不思議技術で収納したようだ。
華澄を先頭にして鏡夜たちは塔入口から決着の塔内部へ入る。赤いカーペットと石畳。第0フロアとも言うべき今朝の戦場だ。
回収できるものは回収し、『カーテンコール』も職員がドームへ搬入したことに嘘はないらしく、第0フロアには部品一つ、薬莢一つ転がっていなかった。
『カーテンコール』はともかくやたらめったら転がっていた薬莢も片付けるとは、ご苦労なことだ。鉄の匂いはわずかばかり残っているが。
華澄はぐるりと第0フロアを見回すと、バレッタに命じた。
「では、バレッタ、観測してくださいまし」
「くすくす。かしこまりました」|
バレッタはそう言って、なにもしなかった。ただじーっと、決着の塔、赤いカーペットが敷かれた場所に立っている。鏡夜はバレッタに聞いた。
「バレッタさんは、なにをしているんですか?」
「くすくす……〈過去〉を見ております」
「過去……?」
「くすくす、音声案内型過去観測機械〈Pastricia〉とは過去を映像ではなく、言葉によって観測することによって容量を軽くし、そして余った容量を全てスペックに割き、アルガグラムの歴史上類を見ない、一年の過去観測を可能にした機体です。我々は、過去を映像で見ていません。私たちは、口で観測したものを謳う案内型人形なのです……」
「……???」
「つまり……私は現在いる場所に限り、過去一年さかのぼって、観測できます」
「チートなのでは?」
過去観測機械パストリシアの無法ハイスペックに鏡夜は唖然とした。何も知らない、というデメリットに常日頃襲われ続けている、情報の大切さを痛感した鏡夜だからこそ驚く。一年前まで見通すスペック? それが存在することで、どれだけの文化と法が変化するのか、想像することもできない。
「くすくす。いえ、観測機械の全ての共通仕様、〈その場所でしか、観測できない〉という制約があります。我々はいま、ここからでのみ、観測できるのです」
「なるほど、だからわざわざ……しかし、高性能なことで。誰が作ったんですか?」
「人形使いですわ」
華澄の答えに、鏡夜は耳を疑った。
「人形使いとは〈pastricia〉シリーズの開発者でもあります」
「……なんで連れてきたんですか?」
鏡夜は先ほどの感動もどこかにやって華澄にツッコミを入れた。
「製作者なら騙し放題じゃないですか」
「一応わたくしが確認できる範囲では不正コードはありませんでしたのよ?」
華澄は淡々と言った。鏡夜はプログラムについて完全に無知なため、二の句が継げない。華澄はそんな鏡夜に対して冷静に続けた。
「油断はしておりませんわ。それでもなおパストリシアにバックドアがあるならば、連れて来てでも見たかったので。……人の従者にトラップを仕掛ける、なんて真似をされておりましたら、報いを受けていただく必要がありますもの」
(こいつ……)
関われば関わるほど白百合華澄という少女は判断や行動が苛烈かつシビアであることがわかる。華澄は、裏切りもトラップも考慮に入れた上で、バレッタ・パストリシアを運用しているのだ。
バレッタは気分を害した様子もなく、観測しつつも、ただ超然と鏡夜と華澄へ告げる。
「くすくす。灰原様、我が主。断言しましょう。私は決して創造主が創造物に施すバックドアなどというものによって不覚をとることはないと。私には、無意味ですから」
「無意味……?」
存在しないではなく? ありえないでもなく? 華澄はそうですか、と呟くと、微笑んだ。今となってはその微笑みも容赦のないものとしか鏡夜には感じられない。
「過去は見えましたの?」
バレッタは答える。
「くすくす、それはもう隅々まで。答えは〈なにも〉……ですね。『カーテンコール』に誰かが搭乗していた、何かが乗っていた、そういったことはありませんでした。轟音と薬莢が落ちる音、怒号とそして壊れ落ちた『カーテンコール』自身。過去一年、我々と勇士以外の姿はここにありません」
鏡夜は安心する。華澄が今朝のブリーフィングで危惧していた、『カーテンコール』内部に誰かが乗っていて決着の塔攻略を誰よりも先に達成する、というシナリオが否定されたのだ。
「どういう風に戦ったとかも見えてるんですか?」
鏡夜の問いに、バレッタは臨場感たっぷりな情緒を込めて語る。
「息遣いから、勇者がチラッと『カーテンコール』を見て、無理無理無理とおっしゃったのも、魔王が突貫して全滅して外の舞台に放り出された四天王を罵倒しながら退却したのも、先ほどの勇者一行が意気揚々とあちらの扉を開けて上に昇ったところまで。ばっちりと。お望みとあらば、より詳細に吟遊いたしますが」
「そこまではいりませんの。時間もかかりますしねぇ」
「映像で見たいですね……」
華澄の指示の後、鏡夜がした要望にバレッタは頭を下げた。
「くすくす。申し訳ありません。私は観測結果を謳う人形ですので」
「しかし、なぜ音声だけなんて縛りをするようになってるんですかね」
制限によってより過去まで見れる。発想は理解できるが、どこから着想を得たのだろう。鏡夜は気になったので聞いてみる。バレッタはくすくすと楽しそうに言った。
「〈Pastricia〉開発者、エーデルワイス様は、盲目なので……区別をつけるための特徴も〈笑い声〉という耳から捉える性質ですし、パストリシアのそもそもの製造目的は、音声案内なのもそういう理由があるんですよ……」
「へー……呪いですか?」
盲目の呪い。沈黙の呪いと同じく存在しそうだ。バレッタは首を横に振った。
「いえ、神も呪いも干渉しておりません、生物としての偶然の産物ですね」
生まれつきか。確かに鏡夜が元いた世界でも存在する。生物学がめちゃくちゃになってるこの異世界でも、例外はないようだ。しかし……。
「あー。えっ? ……呪いとか機械で、代用は?」
鏡夜は昨日、路上で遭遇した機械バイザーをつけた警察官を思い返しながら聞いた。そもそもこの世界の技術は、鏡夜の元の世界とは比較にならないくらい優れている部分が多い。バレッタは平静に答えた。
「できますね、祝福でも機械でも視覚代用は溢れております」
「なんでしなかったんでしょう?」
「くすくす、もともとアルガグラムは祝福や呪詛に限らず神話に手を出したがらない傾向があります。機械化の、さて理由は――きっと、本人に聞いた方がいいでしょうね」
煙に巻かれた。怖い。怪しいとしか言いようがない。そんなパストリシアを連れて来て平気な顔をしているのだから、白百合華澄は面の皮が厚い。
「本当にいいんですかー?」
鏡夜は何とは言わないが、再度確かめるように華澄に問う。華澄は天衣無縫の凛々しさを思わせるように髪をかき上げて答えた。
「ええ、わたくしの予定を決められるのは、わたくしだけですもの。人形使いに左右されはしませんの」
バレッタを信じてるとは言わないのが華澄らしい。




