第五話「シニカルトーク」
こしょこしょと話し合う三人と一体を見ながら薄浅葱はスカーレットへ、小声で言った。
「何を考えているんだろうね」
「考えたのか?」
「ソア。君は僕を見ているのだから気づくべきだよ。彼はかなり思考が深いタイプの人間だ。そして、何を考えているのかを悟らせない。とても面白い」
「ろくでもないことだろうさ。腹の中に一物どころか闇がありそうだ」
スカーレットは、底知れない危険な妖しい紅い瞳を思い出す。
「わからないよ? もしかしたらものすごくしょーもなくてせこい計算かも。ま、計算しないよりする人の方が好きだけどね」
鏡夜はまず、華澄に聞くことにした。桃音は意思疎通が不可能であり、バレッタは華澄に仕える機械である。華澄に聞くしかないとも言えた。
「で、どうです? 華澄さん、私は受けてもいいかなーって思うんですけど」
華澄は少し驚いて鏡夜を見返した後、なるほど、と呟いた。
「特に反対はしませんわ。ただスタンスは聞きたいですわね。挑戦者仲間として戦力して協力するのか、守護対象として案内するのか」
鏡夜は即答した。
「守護対象で」
「その心は? ……協力した方が戦い方の情報、抜けますわよ?」
やる気がないからだ、薄浅葱女史に。弱点として見えるのだから相当、〈ない〉。そしてやる気がないのに、やらせるのは誰にとっても損になる。鏡夜としては、ダンジョンの探索者の先輩としてハウトゥーを教えてもらいたいだけなのだ。というのは薄浅葱に寄り添ったものの見方。残酷な表現をするのならば……。
「信用できないから……はいかがです?」
やる気がないことは自由だ。むしろ競争相手である鏡夜にとって都合がいい。自分に正直であることは美徳だ。しかし――組みたくはない。であるならば、信用できないと表現すべきなのだろう。
というか〈情報を抜く〉ってなんだ。怖い。華澄の物の見方は鏡夜の何十倍も抜け目がなくてシビアだ。
当の華澄は、たおやかに言った。
「ふふ、そうですわね。わたくし、話しましたもの。塔にいる連中でまっすぐなのは貴方たちだけだと」
「……覚えてましたよ。きな臭いですよね、はいはい」
忘れてはいない。華澄が協力を申し出た最大の理由。意思疎通が不可能な超人とポッと出の出自不明な呪われ男と組んだ方がまだ良い……となるほどの〈きな臭さ〉。
華澄との関係に亀裂を生じさせる趣味もない。信じるといった系統の言葉を使うべきではないだろう。どんな地雷になるか知れたものではない。
わかっていたことではあるが、会話ひとつとっても命取りになりえる。意地と虚勢に命をかけすぎていて何もかもが怖い。わかっていてなお、意地を張り続ける己も含めて。鏡夜は残りの一体と一人に顔を向けた。
「バレッタさんは?」
「我が主のままに」
「桃音さんは?」
「……」
唯々諾々&無視。まぁわかってはいたが。聞かないわけにもいかない。バレッタは情報の生命線であり、桃音は生命線の根幹だ。例え同じことの繰り返しを聞く羽目になろうとも、全てが無視同然であろうと誠意を尽くすべきなのだ。媚びるのは厳禁という原則こそ存在するが! と、鏡夜は考える。
鏡夜の自縄自縛の縛りプレイは今もって全開だった。
とにかく、了承は得た。鏡夜はビシッと片手を薄浅葱たちに突きつけて自信満々な演技をして言った。
「お任せください。貴女に傷ひとつつけないまま名探偵を全うさせましょう」
あなたのお友達も、あなたの叔父様もね、と付け足す鏡夜。
「エクセレント。その言葉が聞けて嬉しいよ」
薄浅葱は、言葉とは裏腹にあまりうれしそうな調子ではなかった。
断ってほしかったのだろう。自分で提案しておきながら、いざ引き受けられるとテンション下がるとか面倒な奴としか言いようがない。が、ずるずるとサボりたいという気持ちは鏡夜にもわかる。
その上で残念ながら鏡夜にさぼる余裕などないので、薄浅葱にも挑戦者としての義務を果たしてもらう。
すると突然、桃音は顔を軽く覆っていた右手を話すと、鏡夜の隣に寄った。そして静かに薄浅葱を見ている。
「んー……? ……すっごいな。何も読み取れないぞ。ソア、君はわかるかい?」
「わからん、むしろ意思疎通以前に威嚇されているような気がする」
ないだろー、そんな要素なかったじゃないか、と薄浅葱は呟く。
「んむ、青いなぁ」
烏羽の一言に薄浅葱はハテナマークを浮かべた。
「青い? 僕が? ……てのは置いておくとして、本当にいいのかい? 桃音さん、こう、不服なのかな? みたいな動きしてるような」
鏡夜もまた突然、隣にくっついてきた人型の熱源へ視線を向けて、訝しんでいたのだが。桃音に対して知っていることもある。
「ま、大丈夫ですよ。何か大きな問題があるなら殴ってくるんで。そうじゃないならおおよそ了承ということです」
「ワーオ、レディーバーバリアン」
無表情にシニカルに薄浅葱は言った。
「それで、塔の攻略ですが、どこまで行きますの?」
話を戻すように、攻略の際、当然浮かび上がる疑問を提示した華澄。薄浅葱は砂糖たっぷりの紅茶をごくごくと美味しそうに飲みながら、愉快そうに言った。
「何か面白そうなところまで……抽象的かな?」
「抽象的にならざるを得ないのでは? 【決着の塔】の構造とか、わからないですからねぇ。皆さん、何か知ってます?」
鏡夜はダメ元で聞いてみる。答えたのは薄浅葱だった。
「知ってることとはいえば、うん。契約は勇者と魔王の不意打ちだったと言われてる。塔も含めていきなり、世界が塗り替えられた。つまり塔には神代の遺物――特に〈月の残滓〉があるかもしれない」
「〈月の残滓〉……?」
「くすくす。特に優れた技術は月をメインに発展していたとされております。月を系譜としたアイテムを、〈月の残滓〉と総称しております」
ついに地球の外まで出るか。まぁ、ここまで技術が発展しているのならば、普通に考えれば宇宙に手をかけているのが自然な流れというものだろう。
「〈月の残滓〉はそのものずばり面白そうなものだよね! ……薄い望みだけど」
薄浅葱の呟きにそういうものかと納得する鏡夜。
「というわけで、只今おっしゃった〈月の残滓〉のような面白そうなところ……か、そうじゃなければ塔の傾向がなんとなくわかるぐらいとかどうでしょう?」
傾向さえわかれば対策も立てられる。鏡夜としても知りたいところだ。探偵勇者ならば、隠された真実などお手のものだろう。
「文句なーし」
薄浅葱が間延びした声で言う。華澄は渋い表情で言った。
「では『ローラル』さえも解き明かした探偵さんに期待しておきますわ」
「僕が解いたのは『ローラル』じゃなくて南エリアだよ。『ローラル』、の一区画だ」
薄浅葱の訂正。スカーレットは少々不服そうに先ほどの白百合の言葉に反応する。
「依頼してるのは私たちなのに依頼された方が期待するのは何かおかしくないか?」
鏡夜は目を猫のように開くと、スカーレットへ向けて意地悪く問いかけた。舐められないためのアピールチャンスだ。あとやる気がない薄浅葱をせっつくのはあまり褒められたことではないが、スカーレットから鼓舞してもらうのは、鏡夜たちにとっても利点がある。
「おやぁ? 解けないんですかー? あなたのご友人はー?」
「む、解けないなど――ない」
「断言しないなんて、友達甲斐のないお方ですわねー、本当に信じていらっしゃるのー?」
華澄が鏡夜に追従するように煽りめいたことを口にする。スカーレットは華澄に言われたからか、不機嫌そうに返した。
「ああ? 貴様ら、舐めるなよ! 後で詫びを入れさせてやるからな!! 結果を以って見せてやる!」
「なんでソアが言うんだい、ははは。ああ、ああ、ありがとう。ソア、その信頼は嬉しいよー」
薄浅葱は乗せられた形になったスカーレットに苦笑いを浮かべている。相棒というのも難儀なものだ。
薄浅葱はすぐに表情を不敵なものへ入れ替えると鏡夜たちへワクワクした様子で質問する。
「できればすぐがいいなー、明日とかどう?」
「いいですよ?」
「生き急いでるねー」
(なんだこいつめんどくせぇ)
率直に煩わしいが、引いたら駄目だと鏡夜は感じる。ここで引いたら舐められる。というか行きたくないなら素直に行きたくないと言えばいいのに、逆のことばかり言って相手から折れさせようとするとは。不自由な勇者様なことだ。弱点を観てその本質を理解していなければ、自分で提案したことに相手が同意すると突っかかる複雑怪奇な人格の持ち主でしかない。
薄浅葱という難解なダンジョンを解くことに生き甲斐を感じる少女からやる気を奪い去り、訳のわからない性格にしてしまったのも、きっと不自由さなのだろう。
鏡夜は意識して小気味よく返す。
「やだなー、明日って提案したの貴女じゃないですか」
「君らはさっきなかなかの強敵を倒してきたばかりなわけだし、当然の感想だよ」
「なら大事を取って三日後にでもしますか? 不安がってる薄浅葱さんのために」
「さっき安心したばかりだから、これ以上の安心はいらないよ」
薄浅葱が引いて、一段落。やる気がないくせに、シニカルにぐいぐいくる彼女へ鏡夜は言った。
「貴女は、桃音さんや華澄さんとは違った意味で我が強いですねぇ」
「誉め言葉として受け取っておこう」
ひねくれてるな、と鏡夜は逆に感心する。
「明日の朝九時に食堂に来てくれ。軽食をとったらダンジョンに潜るからさ」
薄浅葱はぐいっ、と紅茶を飲み干すと立ち上がる。烏羽は身体を跳ねさせて薄浅葱の頭の上に乗った。スカーレットも薄浅葱を追いかけるように立ち上がる。
「――君の時間をありがとう。じゃ、またね」
別れの空気を出して立ち去ろうとする薄浅葱に鏡夜は声をかける。
「ああ、すいません、あと一つだけ――」
「なにかな?」
「〈決着〉についてどう思いますか?」
柊釘真に価値ある問いと評価された質問だ。競争相手に向けて有益なことが聞けるかもしれないと一言一句、同じことを問う。
薄浅葱はスカーレットへちらりと視線を向けて答えた。
「ダンジョンとしてはローラルの方がそそるね」
話を逸らした、無回答。それが答えだった。これでは〈決着〉を手に入れたらどうするか?と問いを続けても無回答だろう。仕方ないので、別の質問に切り替える。
「決着の塔も攻略できない人が、ローラルを攻略できるんですか?」
「そりゃぁ僕だって自惚れているわけじゃないさ。ローラルへ立ち向かってきた人たちに、僕より賢く、強い人は絶対にいた。千年だよ? チャンスがなかっただけで、同じくらい優れた者は絶対にいた」
でもね、と薄浅葱は言った。
「一番最初に辿り着く人間が、僕じゃないっていったいどこの誰が決めたのさ」
「なるほど、ありがとうございます」
決着の塔のライバルにならない以上、他に聞くこともない。鏡夜が彼女について覚えることは、これで充分だ。
桃音のように強烈な行動力があるわけではなく。
華澄のように苛烈な自負心があるわけでもない。
どうもうまい表現が浮かばないが、諦観をシニカルに踏み越えるその姿勢は。
まるで〈勇者〉のようだった。
鏡夜はもう薄浅葱のことを馬鹿にできない。ただ単純に舞台が違うのだ。彼女はエウガレスの【ローラル】に立っているべき人間であり、決着の塔の勇士なんて関係のないもう一役を背負うべきではないのだ。挑戦者という役をこなせないからと言って、彼女を敗北者とみなすべきではない。
「勇者さん、私は誰より早く、何より早く、決着を手に入れますから」
鏡夜は立ち去る薄浅葱の背に告げた。対して薄浅葱は、振り向くこともせず、皮肉げに言った。
「……もしかしたら二番目かもね」
薄浅葱は食堂から去る。食堂のカウンターでスカーレットが電子通貨で会計をして、奴の言った通り奢りだ、と鏡夜たちに告げると、彼女も薄浅葱を追いかけていなくなった。
「こう、悪い人じゃないんですけどね」
まぁ、人のことは鏡夜もあまり言えない。自分のことばかり考えている鏡夜は、決して善人ではない。
そんな鏡夜のセンチメンタルな気分の呟きにも、華澄は容赦なかった。
「あえて酷なことを申しますと、シニシズムまみれの自己陶酔。本人がおっしゃる通り、自分が賢いのだと実感したいだけの女性。わたくしはそうプロファイリングしておりますわ」
「くすくす、そして直接そう言われても薄浅葱様はこうおっしゃるでしょう。『それがどうかしたかい?』」
薄浅葱の補足に鏡夜は同意する。
「当人はそうおっしゃるでしょうね。ただ横にいらっしゃる赤い女傑が、言った人を叩き切ってくるのでは」
〈勇者〉というのは間違いなく誉れであるはずなのに、これでは鏡夜と同じだ。称号に縛られ、使命に縛れ、相棒に縛られ。
呪われているのと、まるで変わりがない。
「難儀なことです」
総括するように鏡夜は言った。




