第三話「魔性と惰性」
「と言ってもまずは――君からどうぞ。聞きたいことぐらいあるだろう?」
薄浅葱は会話の口火を鏡夜に委ねた。試す意味合いもあるのかもしれない。人に試されるのは正直良い気分ではないが、舐められないようにするのが先決だ。鏡夜は微笑んで胸に手を当てて、愛想よく応えた。
「わかりました。では……そうですね。ダンジョン【ローラル】と『ミカエル』について聞いてもいいですか?」
「おっと、そこから崩していくのか。でも、うん、僕はお偉いさん相手に話しなれているから切り口としてはいいのかな。……千年前の、神代の遺跡は冒険者諸君および国家軍事力によりだいぶ攻略されてきた。とはいえ、今でも冒険者が上から下まで食いっぱぐれないほどには残ってる。中でも特級に厄介な、英国にあるダンジョンが【ローラル】だ。『ミカエル』のせいで南方向にある入口にすら入れないからね。冒険もなにもなかった。僕が攻略するまでは。『ミカエル』は……ウォーカウンター、契国だと天照使か。うん、天照使と同等以上のスペックがある生体機械だよ」
「生体機械……」
また新ワードが出てきたと、鏡夜は呟く。
ところでだが、バレッタ・パストリシアは高性能の案内型過去観測機械である。彼女は、鏡夜の質問する際のイントネーションを当然のように学習していた。
彼女は自己の製造理由に基づき、即座に生体機械についてのデータを質問者のため説明する。
「生体機械とは、ダンジョンを守護する命なき生体全般を指します。神代に生み出された彼らは、生体でありながら、ただ生産され、一定の命令系統を全うするカラクリです……。ただ、生体機械とは学術的用語であり、一般的にはこう呼ばれております――モンスターと」
くっくっと薄浅葱は笑った。鏡夜は舐められないために意図した微笑を頻度高めに浮かべるが、薄浅葱は心の底からシニカルによく笑う少女であるらしい。
「ロマンチシズムが過ぎるのさ。予め設定された行動しかとらない、命なき生体に〈神の警告〉を見るなんて」
華澄は困った人を見るように薄浅葱へ視線をやる。
「あら、シニシズムが過ぎますわね。モンスターの語源まで遡って崇めるのは教会の人たちだけですの――。他はただ便利だから使っているだけですわ」
「無知なまま響きだけが残るってわけかな」
薄浅葱は返し刀で皮肉った。白百合はやれやれといった様子で沈黙した。
バレッタは追記するように解説する。
「くすくす……ちなみに、ですが。人や人外に化物や怪物と呼び掛けるのは最悪の罵倒ですから、やめておいた方が良いですよ……」
「や、言いませんけどね?」
意地っぱりの虚勢男だからこそ、誰かをこき下ろしてまで自分の上にはおかない。巡り巡って自分が舐められることにつながるからだ。
バレッタと鏡夜のやりとりを聞いて、薄浅葱は感心したように言った。
「契語特有の説明案内だねぇ。ミューズとは違う論理展開。まさしく個性だね! ……生体機械についての案内は必要だったかはわからないけど」
(必要だったんだけど?)
異世界人ゆえに何も知らない鏡夜にとっては説明の恵みである。が、口に出すことはしない。
異世界からの異邦人であることは、殊更に言いふらすことでもない。桃音は保護者なので打ち明け、柊王には半分ぐらい見抜かれた。しかし、他の者には、華澄も含めて自分から話すつもりはない。珍獣として捕まって監禁されて解剖されて永遠に服が脱げないかもしれない。
それは遠慮したい。自分が異世界人であることを内緒にしたせいで、決着の塔の攻略に支障をきたすことは今のところないはずだ。そしておそらくこれからもないだろうと鏡夜は考える。
薄浅葱は先ほどの『ミカエル』の解説に戻ることにしたらしく、説明口調で再び話し出す。
「『ミカエル』の詳しいスペックだけど。地下炉をエネルギー源とする南エリアの綜合警備生体機構だった。……主義によっては守護天使とも呼ぶね。全身管まみれ、南エリア全区画に数秒で出現し、侵入者を排除する繭。そういうの。どうやって攻略したかっていうと……直接対決とか絶対無理だから。【ローラル】の施設情報を推測して、失伝してる宗教の欠片を拾い集めて――すべての知識を前提に、会話に持ち込んで言いくるめた。ほら、大したことないだろう? 生体機械を知恵と勇気と暴力で打ち壊して、遺跡をひらいて、遺物を拾い集める冒険者と、比べることすら烏滸がましい」
そう言いつつも表情はシニカルに自慢げだった。
(びっくりするくらい自分の賢さを鼻にかけるなこの女……)
一通り説明した後、薄浅葱は人差し指を鏡夜に突きつけた。鏡夜は薄浅葱の指先に視線を向ける。
「さって、では僕の質問だ。……君の願いはなんだい? 灰原くん。アルガグラムのエージェントと、契国最強の個人を巻き込んで、君は何を望んでいる?」
まるで会心の一撃を加えんとばかりに突きつけられた問いに、鏡夜は悩ましい表情で腕を組んで唸る。
「うーん……」
答えは単純だ。
服を脱ぎたいです。
真実は以上の一言。しかし、正直に告げたら舐められないだろうか?
舐められるだろう。確実に。え? それだけ ?となる。
鏡夜にとって、とてもとても重い願いも世界のメインイベント【決着の塔】という公から見れば軽くなってしまう。
そう、解答そのものは単純だ。問題は、その上で薄浅葱の問いにどう答えるか。正解がわからない。こういうとき、薄浅葱という少女は推理力で解決するのだろう。白百合華澄なら調査するのかもしれない。反してただ呪われているだけの一般人である鏡夜にできる解法は、残念ながらズルだけだ。
鏡夜は腕組みをやめる。そして、薄浅葱を紅い両目で見据えた。弱点が見えるように。
「……ふぅん?」←弱点:【落ち着きがない】【集中しすぎる】【やる気がない】
妖しく紅い瞳を光らせ細めて微笑みつつ思考にふける鏡夜。危険な香りと甘さすら感じるほどの怖気を無自覚に迸らせてしまっていた。
薄浅葱は鏡夜の視線を正面から受けて笑い返し、隣に座っていたスカーレットは人知れず椅子に立てかけていた剣に手をやりつつ、冷や汗を垂らす。
ちなみに桃音とバレッタは常の無表情と微笑みだったが、華澄はあららと心底楽しそうに成り行きを眺めていた。
鏡夜は舐められないための愛想よい物腰を保っていると思ったまま、周囲の変化に気づかず薄浅葱の弱点見つめ続ける。そして、心の中で一言。
(やる気がない?)
おかしい。今まで聞いた経緯と辻褄が合わない。
(やる気がない―――こいつがか? 【ローラル】なる難関ダンジョンに挑み、『ミカエル』なる天使を無力化し、自分の賢さを鼻にかける探偵気取りに、やる気がない?)
どう考えても薄浅葱に似合わない言葉だった。短い時間やりとりしただけの鏡夜でもわかる。
落ち着きがないとは、バイタリティに溢れているということだ。
集中しすぎるとは、モチベーションが満ちているということだ。
やりたいようにやっているようにしか見えない。が――。
いや、そういえば。
〔「いい迷惑だと思わないかい? 僕みたいな先祖代々続く、清く正しい探偵を捕まえて〈勇者〉なんて……しかも【決着の塔には当代の勇者と魔王が挑むこと】っていう勝手な伝承ルールがあるから棄権もできないんだよね」〕
口先だけの謙遜を偽装した自慢かと思ったのだが、違うのか。
〔「待ち人が来たみたいだ。やぁ、ようこそいらっしゃい! 僕は新たなライバルの出現を歓迎しよう!」〕
競うことに肯定的だったからこそ、まるで熱血漫画のように宣戦布告したかと思ったのだが、違うのか。
……おそらく違うのだろう。【やる気がない】が弱点と成立するのは、それしか考えられない。
薄浅葱という探偵勇者は、【決着の塔】攻略にやる気がないのだ。
(決着の塔攻略にまるでやる気がない――そっから考えるなら接触する理由なんかない。だがこいつは新たな挑戦者を待っていた。なんでだ? 気にならないと言えばウソになる)
「一つ聞きたいのですが」
「質問を質問で返すのかい?」
鏡夜は参った、という風に両手のひらを薄浅葱へ見せるようにした。忘れてはいない。今問うているのは薄浅葱だ。灰原鏡夜が〈決着〉に望むものは何か、と。
「言ってみただけですよ、はは」
根拠の補強がしたかった。しかし、断られてしまったのなら仕方ない。
なら一か八か進むしかない。彼女が鏡夜の願いを問うのは責任からではなく――無責任から端を発している、と仮定しよう。
そもそもだ。服を脱ぐ、とストレートに言うからいけないのだ。呪い自体がポピュラーなものであるのならやりようはある。内心で計算を済ませて、鏡夜は口を開いた。
「実は私、少々呪われておりましてー。呪いを解きたいんです」
悪い表現ではないはずだ。抽象的に言えば一切の誤謬はない。嘘は全くついていない。
「どんな呪いか聞いてもいいかな?」
「全身いたるところにぎっちりと、うんざりなほどに!」
「決着でしか解けないの?」
「おそらくですが」
「なるほど……。思ったよりもだいぶ私的だね。そのためにここまでやったんだ」
「悪いですか?」
「僕が叶えないといけない〈人類と人外の平和〉よりも、幾分か血が通った願いだよ。そも、願いに善悪を持ち込む時点で、それはただの錯誤だと思う」
どうでもよさそうに、ただ当たり前の事実を告げるように薄浅葱は言った。
鏡夜はひとまず安心する。競争相手ではあるが、決定的な決裂が起きなかっただけ嬉しい。今の今まで無自覚に発していた灰銀の危険な香りがおさまって空気が軽くなる。奥底まで見抜かれそうな妖しい紅眼が、ただの軽妙な青年のものに戻った。
鏡夜と薄浅葱が互いにいろいろ情報を得たところで。四脚の足がついた箱のようなロボットがキッチンとの出入口から出てくる。鏡夜は内心、舌を巻く。その箱の正面についている電子画面にはスカーレットが注文したメニューが全て表示されていた。ウェイトレスロボットなのだろう。
(もうちょっとデザインなんとかならなかったか……?)
ウェイトレスロボは鏡夜たちのテーブルの横につくと、箱の側面を開き、中から無数の腕を伸ばして、内部に搭載していたのだろう、料理や飲み物を配膳していく。
(もうちょっとデザインなんとかならなかったか!!?)
触手の化け物じみた見た目に鏡夜は引く。しかし、周囲の反応は平静だ。うわー、きゃー、などの叫び声は上がらない。むしろハンバーグセット二つを鏡夜の前に並べようとするロボットアームを制して、こちらですの、と自分の前へ指をさして誘導する華澄がいるくらい日常シーンだった。どうやら男だからだいぶ食う感じで二つ頼んだんだろうと判断するくらいの良いAIを積んでいるらしかった。しかも華澄の言葉とボディランゲージを理解して、訂正する指示理解能力もある。ハイスペックぶりに驚きながら鏡夜は、配膳を終え、レシートをテーブルに置き、去っていくウェイトレスロボットを見送った。
鏡夜は小さく頭を振って心を落ち着ける。
「食堂って職員さんいないんですかね?」
鏡夜の問いにバレッタが答えた。
「くすくす。おりません、キッチンもフロアも無人です」
「え? キッチンもですか?」
「はい。コレリエッタとウケモチで回しております……。コレリエッタは先ほどの配膳機です。ウケモチは契国の遺物である食糧生成器ですね」
鏡夜は炒飯を見下ろす。ホカホカでパラパラだ。食欲をそそるスパイスの香り。恐る恐る一口食べる。日本で行ったことのある、中華料理屋で出てくる炒飯と大差がない。つまりおいしい。鏡夜は感心した。
「どういう風に作ってるんですか?」
「くすくす……ウケモチは水から作物を海水から魚を土から動物を。素を注ぎ込むことにより、食品と食品を使った料理をそのまま作り出すことができます。餓えはいつの時代も問題ですので。どの神話体系でも食糧生産機は存在し……食べ物系の神代遺物は人気な上にたくさんあるので、冒険で得る成果としては狙い目です」
もぐ……と鏡夜は咀嚼を止める。つまり今食べている炒飯は水と土を、魔法のように作り変えて出来たものだと。パチパチと瞬きをしてから、ちょっと考えて食べるペースを元に戻す。
今更だ。異世界の食事が合うかなど、桃音の食事を食べた時点でもうわかっている。それに安全性に至ってはどう考えてもこの世界の文明度の方がかつての世界よりも上だ。
鏡夜は開き直って炒飯を食べながら周囲を観察する。一皿だけ炒飯が余っていた。それと。
(元からあった皿に乗ったゼリーには誰も手ぇつけてねぇな)
文化の違いだろうか。一風変わった調味料なのか。表面上は余裕を装いつつ、鏡夜は周りの出方をうかがう。素直にバレッタに聞いてもいいか、とぼんやり思いつつ鏡夜は言った。
「私は炒飯二つもいりませんよ? 桃音さんはいかがです?」
桃音は曖昧な表情で黒いゼリーを素手でつまみ上げると残った炒飯へ乗せた。
(え? そうやってすんの? どういう食文化?)
「お気遣い感謝するよレディ」
突然、ダンディな男性の声が聞こえた。
(うおっ……!? ゼリーが喋った!?)
テーブルの上で黒いゼリーは炒飯を取り込んでいる。どうやって消化しているかは、身体があまりにも黒すぎて中身が見えないので不明だ。鏡夜は尋ねる。
「バレッタさん?」
「くすくす……。スライムさんですね……粘体で不定形な形をしていることを共通性質とし、さまざまな特質を群れごとに持つことで知られています」
(い―――……たなぁ。そういえば。どっかで見たわ。スライムも人外に相当すんのかぁ)
というか危なかった、と鏡夜は人知れず冷や汗を流す。モンスター呼ばわりしていたら種族差別野郎として人格評価が終わっていた。というかスライムが人外に相当するならダンジョンに出現する生体機械はどういうものなんだ。




