すれ違い
ヨル暦1937年 転移紀2年(西暦2027年) 青琶18年・・・。
日本国と大日本帝国の軍事交流は全く無かったが、その沈黙を破ったのは大日本帝国海軍であった。
呉 第4護衛隊群旗艦『かが』・・・。
かがの艦橋から1MCが入る。
「連合艦隊司令長官に敬礼する!右舷っ気を付け!!」
なんと正月に合わせ、戦艦『大和』が呉に入港して来たのだ。
その情報はインターネットを通じ一気に広がり、別世界の大和であろうが一目見ようと広島県内からは勿論、遠くからは北海道の網走からも見物客が来るほどであった。
そして入港日には港は見物客で埋まり、「おかえり、大和」と寛容的な横断幕を掲げる者や、「海に返れ!」と否定的な横断幕を掲げる者も居た。
民間人だけでなく海上自衛隊もまた、第4護衛隊群、練習艦隊、潜水艦隊、掃海隊群と呉基地に配置されている部隊総出で出迎え、大和が着岸する桟橋には地方警務隊と音楽隊も並べられた。
かがに続き練習艦隊旗艦『かしま』の1MCも鳴り響く。
「連合艦隊司令長官に敬礼する!左舷っ気を付け!!」
大和 艦橋・・・。
「よく訓練されている。号令一つで全員が動く。我が海軍を同等かそれ以上か。」
敬礼を受ける連合艦隊司令長官の権藤仁三郎元帥。主砲から空砲を撃って返礼しようかとも思ったが、徳山沖で試射した結果、徳山の住民がパニックに陥ったと報告を受けていたので発砲は控えた。
そして遂に大和は呉湾の奥地に入り着岸。権藤元帥は艦橋から第1甲板に下り、多くの兵達に見送られながらタラップを降り、大日本帝国軍人とし初めて日本国の地に足を付けた。
「捧ーげーーっ銃っ!!」
海上自衛隊員は歓迎するように、既に儀仗小銃に成り下がった銃剣付きの『64式歩兵銃』を掲げ、鼻先を権藤元帥に向ける。
『軍艦マーチ』の伴奏が響き渡る中を、権藤は敬礼を返しながら先導官の後を追い、門の外で待つリムジンまで案内される。
権藤は呉地方総監との面会の後呉市内を案内された。
東海道新幹線 L0系『ひばり』・・・。
従来の新幹線は順次退役が決まっており、2021年に実用化された『磁気浮上式鉄道』が転移紀2年(西暦2027年)までに東海道と東京~仙台をこれに置き換えていた。
権藤は文字通り揺れ一つ無い快適な車内で寛ぎつつも、日本国防衛省が見張りとして使わした『梅津准将』と雑談していた。
「なんとも素早い。帝国にも『弾丸列車計画』があったが・・・。」
「存じ上げております。東京で造られた物資を、博多から対馬を経由して釜山まで繋げ、更にそこから占領した北京まで送り届ける。」
「その通りだ。船舶より早く敵船に襲われる心配がない。積載量では劣るが。」
終戦後、日本国最速の地上輸送システム『新幹線』はこの弾丸列車計画が基盤にある。
そして権藤は、現在止まっていたこの計画が再始動し、対馬や幾つも点在する無人島を経由しディートリア大陸のシドミストンと博多の約2000kmを繋ぐ路線が開通したことを伝えた。
「何故それを我が国にお伝えになさる?黙っておけば帝国の利益になるでしょうに。」
「分かっておらんな。私が言いたいのはそんな事ではない。」
博多シドミストン間の路線開通の真意を言う前にひばりは横浜に到着。そこから私鉄に乗り換え二人は横須賀を目指す。
横須賀 『三笠公園』・・・。
ここは米軍基地の対角線上にある。地方総監部とは真逆であったが、梅津はあえてこの場所を選んだ。
「ほぉ!東郷指令の銅像か!?流石観勒のあるお方だ。」
入園すると目の前には戦艦『三笠』をバックに、乗艦していた東郷平八郎の銅像が建っていた。
しかし、ここから認識のズレが生じ始める。
「まさか、三笠が記念艦に成っているのだな。この日本は。」
「帝国では三笠は記念艦ではないのですか?」
「三笠は旅順攻囲戦時に露軍の機雷に触れて爆沈している。記念艦として保存されているのは姉妹艦の『初瀬』だ。」
日本国の記録では「戦艦初瀬は旅順港外に設置された機雷に触れ爆沈している。」となっている。だが、この世界の大日本帝国では初瀬と三笠の立ち位置が入れ替わっていた。
「では、山本・・・、高野五十六はどうなったのですか?」
「誰だそれは?」
山本五十六。日本国の人間なら知る人ぞ知る連合艦隊の司令長官であった。高野の名字は彼の生まれの名で、山本の名字は断絶していた越後長岡藩の家臣団の山本氏を同藩士・高野家から養嗣子として継いだことで賜ったものだ。
日本国ではそれで通っているが、大日本帝国では違いまるで存在自体していない扱いを受けていた。
「そんなに知りたいのなら大和の参謀長に聞けばよかろう?」
権藤の提案どおり、梅津は地方総監部を通じ、大和参謀長『久坂尚次』に高野五十六の真相を確かめにかかった。
そして今度は権藤の願いで、横須賀の護衛艦『きりしま』に宿泊することになった。
きりしま、もとい『霧島』は権藤が人生で最初に乗った戦艦であった為だ。
翌日・・・。
防衛省で大臣、副大臣、統合及び三自衛隊の幕僚長6人と権藤元帥の会談が合ったが、この日は午後に大和が出港することになっていた。よって、会談は非常に短いものになった。
「ここまで見てきましたが、圧倒されてばかりです。貴国と帝国では100年以上の差があるのでしょう。」
「そうでしょうか?では元帥は『真珠湾攻撃』をご存知ですか?」
「真珠湾?ハワイのか?確かにそのような計画を立てたのはいたが、一体どこの国が真珠湾を攻撃したというのだ?」
この時点で、日本国は大日本帝国が転移した西暦を1941年中旬と予想した。そのため権藤が言った100年の差は当たっていた。
だが、これは大日本帝国の戦術が100年前、すなわち「艦隊戦の真髄は砲撃戦にある」という認識でいると言うことを意味しており、仮に衝突があったとき日本国の圧勝に終わると思った。
「・・・なにやら安堵しているようですが、100年の技術差など50年あれば埋められます。今戦えば間違いなく帝国は負けるでしょう。貴国が不可能と思っている事でも我々はそれを可能にすることが出来る。かつて無敵と思われていた白人種を打ち破った日露戦争のように・・・。」
大日本帝国から100年前、1841年と言えば鎖国真っただ中である。開国から幕末後の銘地元年、1868年から泰鍾6年、1918年までに大日本帝国は清国、ロシア帝国、ドイツ帝国と3回にわたって戦争していたが、いずれも勝利に終わっている。特に日露戦争の影響は大きく、それまで有色人種は白人種には勝てないという考えを根底から覆し、極東の小国と思われていた大日本帝国を列強国として認識させる切っ掛けを与えた。
「帝国のことを歴史として知っている貴国なら分かるであろう?」
このまま交流を続ければ日本国の技術を吸収し、100年以上あると思われる技術力の差も50年とは言えずとも、遠からず日本国と肩を並べ程に成長する。そうなればどうなるか。考えたくないがそのことを想定しなければならない。
権藤が退出した後、暗い表情の日本国防衛省のトップ6人が残り簡単な対策会議を行った。
結果は・・・。
「防衛予算は現在のGDP比1%から最低でも3%に上げるべきでしょう。可能なら5%に・・・。」
呉・・・。
権藤元帥はひばりで広島、送迎バスで呉に停泊中の大和に帰艦した。大和は久坂参謀長の指揮のもと出港準備を整えていた。
「何時でも出港できます。」
「うむ。」
艦橋に上がった二人はタグボートが着舷しその場で旋回させ艦首を湾口に向けてもらった。
そして港外では入港した時と同様に第4護衛隊群や練習艦隊など、呉所属の部隊が総出で見送ってもらった。
「長官。『高野五十六』なる者の所在ですが、日本海海戦時、装甲巡洋艦『春日』に乗艦し、敵艦の砲撃で左足を欠損し大量出血で戦死していました。」
「そうか・・・。」
「なぜこのような既に戦死した兵卒を気になさったのですか?」
「日本国が言うには、その者が生きていれば、今の連合艦隊司令長官は俺ではなく、その者なんだそうだ。」
久坂以下、艦橋に配置された兵士達は、そうなれば今の帝国海軍はどうなっていたのであろうかと思ったが、そんなこと考えたところで何の意味もないので、それ以上考えることはなかった。
「何にせよだ。敗戦国の日本に興味はない。帰るぞ。」
「はっ!」
この大和の親善訪問を皮切りに、帝国陸軍も自衛隊と交流を深めていく。空軍は消極的であった。
中でも最も両国民の印象に残ったのは、日本国の茨城県・大洗町が退役した『八九式中戦車』や『九七式中戦車』を買い取ったという事だ。
そして町民、では無く何かに惹かれるように全国から人が集まり皆一様に「チハタンバンジャーイ」と叫んでいた。
これには引き渡しに立ち会った帝国陸軍機甲科の面々も気味悪がった。何故そうなったかは全く理解できなかったが、理解できたとしても到底分かりたくない事が理由なのは充分に伝わった。
海面より上では日本同士の友好的な関係が急速に築かれていく一方、海面より下、すなわち海中では全く違う事態がおきていた。