16 獣人狩り
獣人狩り。
南海ロキシタリア大陸において、今は禁じられているはずの人身売買を行う密売組織が、ここ数年で主に『純血者』の子供を標的に活動しているのだと、ランディは厳しい眼差しで語った。
「俺はそいつらを追っているんだ……拐われた子らを取り戻し、組織ごと潰すために」
今あたしたちがいる海運都市カーテミ、その南端にあるオクトという漁村から程近い小島で、他大陸の密売人と人身取引をしているという情報を掴み、単身他国から渡ってきたのだそう。
そして隣町であるここノットで更に詳しい情報を集めていたところ、ランディを排除しようと画策していた密売組織によって偽の情報を掴まされ、逆に追い詰められてしまった。
「……深手を負ったがなんとか撒いて、この姿のまま林の奥で身を潜めていたんだ。奴らは俺が『純血者』だとは知らないはずだからな」
「そうだったの……」
「あの猫は囮に使われたんだ。『純血者』を強制的に獣型へ変える呪いの輪を尾に嵌めて、同族の子だと偽って……俺を誘き出すために」
あたしはそっと、ランディの背中を撫でた。
さっき綺麗にしたから毛並みはふわふわ。鬣みたいに立派な首回りも撫でてやると、喉を上げて目を細めた。
ランタンの光に照らされたその姿は、とても美しかった。
この姿で人の言葉を話す、そんな『純血者』を求める愛好家が、北のレジナステーラ大陸には未だ数多くいるという。
こんなに気高く美しい種族に、自分の欲のためだけに呪いの輪を嵌めるだなんて。
「碌でもない奴らねぇ。それってどうせ権力持ったファッキン野郎共なんでしょう?」
「ファッ、きん?」
「欲の皮の突っ張ったクソ野郎ってことよ」
「あ……あぁ、そうだな」
まったくとんでもない奴らね!
ここの神様は何をしてるのかしら!? 平和なんじゃなかったの!?
あたしが横でぷりぷりしていると、ランディはふっと笑みをこぼした。
「どうしてレイがそんなに怒る」
「だって! あたしそういうの大っ嫌いなのよ! 金があるんだか政治家だか有名人だか知らないけど、だからって何でもかんでも我儘が通って当然みたいな顔してふんぞり返ってるのが、んもぉ~許せないのよ!」
ほんっと嫌い。特にお酒の席で図に乗って親の財産ひけらかすクソ小僧なんか最悪もいいところよ。
あんたが一体何を成したっていうのよ。親の地位に胡座かいて偉っそうにしちゃってさぁ!
あぁもう嫌なこと色々思い出してきちゃったわ。ほらほらお酒、もっとお酒飲みましょ!
ほんっとやってらんないわよ!
「そんなに飲んで大丈夫なのか?」
「だーいじょーぶよ。あたしお酒つよぉいのよぉ」
「ふはっ、そうは見えない」
バッカねぇ。わざとに決まってるじゃないの。
それくらい察しなさいな。イイ男になれないわよ?
「……レイが俺のマントごとあいつを連れてきてくれて良かった」
「マントぉ?」
「今あいつが寝床にしてるやつだ。あれには気配を薄くする効果がある。よくあそこにいると気が付いたな」
「あぁー……ははは、えぇと、……オンナの勘? みたいな?」
「なんだそれ。……まぁいいや。言いたくないことは聞かないさ」
「あらぁ、真似しんぼさんねぇ」
「茶化すな」
「んふふ」
ほっぺをぐりぐりしてやったら嫌そうに顔を顰めて、それから少し笑った。
良かった。少し元気になってきたかしら。
凛々しいお顔してるんだから、下向いてたんじゃもったいないわ。
「……奴らはあの輪で居場所を追えるんだ。あのマントで辛うじて隠せてはいるが、俺のせいで囮にされてしまったのに、あいつをこのまま放してやることも、輪を外してやることも、俺には出来ない」
「鍵でもかかってるの?」
「……呪いでな」
「えげつないわねぇ」
んもう、また下を向いちゃったじゃない。
厄介な呪い……、呪いねぇ?
ふと頭に、ある文字の一節が浮かぶ。
……あぁんもう!
わかったわよ! わかったからいちいち頭の中に出てこないでちょうだい性悪婆ぁ!!
「ランディ」
「ん?」
「ちょーっと目を瞑ってあっち向いてて」
「なんだ?」
「い・い・か・ら」
「お、おぅ……」
渋々といった感じで背を向けるランディを尻目に、あたしはマントごと猫を抱き上げ【真眼】で尾に嵌められた輪を視てみる。
隷属、緊縛、封印と形態固定の魔法が組み込まれた、意外と複雑な構造の物だったけれど、ランディが言うような『呪い』の魔道具ではなかった。
なら余裕よね。今外してあげるから、オネェさんに任せときなさい。
「もういいわよ」
「……は? 外れ、て、え? ……何をした?」
「オンナの秘密を暴こうだなんて百年早いわよ?」
うふんとウインクしてみせると、ランディは面食らったようにぱちぱちと目を瞬かせ、ふはっと破顔した。
「レイ!」
「なぁによ、っきゃあ!」
「あんた最高だ!」
がばっとランディが抱きついてきて、その勢いのままあたし達は後ろへ倒れ込んでしまった。
ちょっとぉ! 猫は嫌いじゃないけどあんた大きすぎるのよ!!
「おも、ったいわよランディ!」
「はははははっ!」
「ちょっと火! 火が近い! 危ないからもう笑ってないでどいてってばぁ~」
お互い砂まみれになって、ごろごろと地面を転がり回った。
竈にまだ火が残ってるっていうのに! 危うく自慢の髪が台無しになるところだったじゃないの!!
ちょっとあんたそこに直りなさい!!
「ランディ?」
「はい」
「何か言いたいことは?」
「……すみませんでした」
「よろしい」
まったくもう、子供じゃないんだから!
でもそれだけあの輪が気がかりだったのよね。優しい子なんだわ。
「それと、ありがとう。レイ」
「あら、どういたしまして」
うふふ。お利口さんね。
さて、この輪は海にポイしちゃいましょうかね。
もう魔法は欠片も残ってないけれど、その存在が忌々しいもの。
「そーれっ!」
「あっ」
「えっ?」
「……いや、いい。もう不要なものだ」
「本当? なんなら拾ってくるわよ?」
「大丈夫だ。ありがとうレイ」
ぱしゃん、と小さな音を立てて、輪は海の底へと沈んでいった。
……どうしてあんなに遠くまで飛んでいったのかしらねぇ。
あまり深く追求しない方が良さそうね。あたしはそれを見なかったことにして、ランディに向き直った。
「で、この子はどうするの?」
「こいつがどこから連れてこられたのかはわからないんだ。この地に放してやっても生きていけるとは思うが……」
確かにね。港町だし食べる物には困らないでしょうよ。
だけどこのままバイバイするのも、なんだか後ろ髪引かれるわよね。
「……わかったわ。ひとつ当てがあるから、あたしが引き受けるわよ」
「いいのか?」
「乗り掛かった船よ。それよりあんたはこれからどうするの?」
「俺はまた奴らを追うさ」
「そのままで?」
「明日になれば魔力もきっと戻る。今夜だけこの場を貸してくれれば、すぐに消える。迷惑はかけない」
なぁに言ってるのよ水臭いわねぇ。乗り掛かった船って言ったじゃない。
まったくもう。いいわ、見てらっしゃい。
「……レイ?」
「いい子にしてて?」
あたしはランディの頬に両手を添えて、足りない器を満たすように、そっと魔力を流し込んだ。
どんどん魔力が満ちていくのが伝わってくる。
もう少し、あと少し──。
「う、わ!?」
むくむくと、猫から人の姿へと変わっていく。
そして現れたのは褐色肌で黒い長髪、甘ぁいマスクの猫耳美形マッチョだった。
────しかも全裸で尻尾付き。
「うわぁお!」
「なっ、レイ!? 何したんだ!?」
「んー? ちょっぴり魔力のお裾分け?」
「いやちょっとじゃないだろう! ほとんど魔力尽きてたんだぞ!?」
「んふふ、いいじゃない戻れたんだから」
あらあらまぁまぁ、なかなかイイ身体してるじゃないの。若いっていいわねぇ。お肌も筋肉もぴっちぴち! 尻尾ふっさふさ!
お尻もキュッと引き締まってるし、褐色の肌も滑らかでまたイイわぁ~。あん、もう着ちゃうの?
「レイ、その目、怖い」
「報酬よ報酬。安いもんでしょ?」
そんなあたしの言葉を無視してマントを纏ったランディは、さっさと荷物を漁って服を身に着けてしまったわ。残念。
「なぁによイイ男じゃない!」
「えぇと、その、ありがとう……?」
「残りの報酬はツケにしといてあげるわね」
ひっ! と竦み上がるランディをけらけら笑い飛ばしながら、あたしは魔法の鞄からテントのセットを取り出した。
「じゃあこれ組み立てるの手伝ってくれない? それでツケはチャラにしてあげるわ」
「そ、そんなことでいいのか? 逆に怖いんだが……」
「なぁに? 添い寝したいんなら喜んでお迎えするわよぉ?」
「いや、その、俺は寝袋があるから、だな」
「あははバッカねぇ! 真に受けてんじゃないわよボ・ク」
「かっ、からかうなっ!」
「うふふふ」
まぁ添い寝は冗談として、とりあえず今夜はそろそろ寝ましょうよ。
その代わり明日はあたしに付き合ってもらいますからね。
何しろあそこに再び行かなくちゃならないんだから……。
「魔女に黒猫だなんてお誂え向けよねぇ。なんなら箒も付けてあげようかしら」
「レイ、そこ押さえててくれ」
「はぁい」
「今度はこっちを引っ張って」
「はいはい」
そうして組上がったテントに入って、あたしは寝袋を広げて軽く着替える。
ランディは火の番をしながら外で寝ると言って、猫をあたしに寄越して毛布を被り、竈の前に陣取ってしまった。
「お酒とか、残ってるもの適当に食べちゃっていいからね」
「わかった」
「ちゃんと寝なさいよ?」
「一晩くらいは平気だ。レイこそいいのか? 宿があるんだろ?」
「やっぱり添い寝する?」
「ハハハハハ」
なんだかんだ結局、今日も随分濃い一日だったわねぇ……。あ、お化粧落とさなきゃ。
明日はどんな日になるのかしら。
きっとまた、濃いんでしょうね……。
ザザ……ン ザザ……ン
パチパチ…… パキンッ パチッ……
打ち寄せる波の音と薪の爆ぜる音に包まれながら、あたしは目を閉じた。
テントに映りこむ影が躊躇いがちにこちらを向いていた気がするけれど見えないわ。目を瞑っているから。
お互い少しの隠し事を残したまま、その影は闇に溶けていく。
「ありがとう、レイ。この恩は必ず返す」
……ほんと、バカな子ねぇ。




