失ったもの
「はぁ、はぁ……」
目を覚ました玄は冷や汗をかいていた。何か悪い夢でもみたような気持ちだ。でもどんな夢かは思い出せなかった。布団から起き上がり立ち上がろうとした。すると布団の傍に字の書いた紙が置かれていた。
「ん?これは……手紙じゃろうか」
玄はその紙を手に取った。やはり手紙のようだ。
「ん、蒼……みたいじゃの。置手紙をするなどあやつも成長したものよ。なになに―」
―玄へ―
玄 俺と朱は村を出て行くよ。玄に相談しようと起きるのを待っていたけれど、今日で玄が最初に起きた後また眠ってから二日目が経った。その間、朱は泣いてばかりいるよ。鬼人族の力に目覚めてから、この丘へ住み、村の人たちと離れて暮らさなければいけなかった朱は皆と昔のように接してもらうために俺と色々考えていたんだけど、玄が村を襲った日から村の人たちの態度がますます変わって俺たちはもう耐えられなくなっちゃったんだ。全部が玄のせいじゃないけど、俺たちもいつか凶暴になって村を襲うかもしれないと思われているみたいだし、俺も朱もそんなことないなんて言いきれない。日に日に強くなっていく自分の力にも怯えるばかりだよ。朱は女の子だからなおさらなんだ。俺たちは自分の力を抑えられるような、もしくは俺たちの力が珍しくないような世界に行って暮らすつもりだ。前に玄が見せてくれた異界に移動する不思議な石を借りていくよ。挨拶もしないで行くけどゴメン。二人で必死に考えた結果なんだ。 蒼
「蒼……」
蒼の文に続いて、下には朱と思われる字で文が書いてあった。
玄 ごめんね。村の友達と昔のように遊んでおしゃべりして暮らしたかっただけなんだけど、やっぱりできないみたい。村のみんなは私のことを昔の朱だとは思ってくれないんだ。玄は女の子だから私が思うこともわかってくれるよね。それに、私は村を襲う人になることが一番恐い。大好きな村のみんなを私が襲うなんて ごめんね ごめんね くろ
朱が書いたと思われる手紙の下の方は字が滲んでいたり紙がふやけていたりしている箇所が多くあった。おそらく涙が落ちたのだろう。
「あ、朱……」
手紙を持った手を震わせて玄はつぶやいた。
「おぬしらが村を襲うなんてことはないじゃろ。バカ者めらが。ウチも力に目覚めた頃から村のもんに腫物のような目で見られておった。その長い間の恨みつらみが凶暴化した時に村を襲わせたのかもしれんな。おぬしらはまだ、力に目覚めたばかりじゃ。村を愛しておるおぬしらに襲うことなどできるものか。……それを伝えられんかったのはウチの責任じゃの……ぐっ、はぁ!」
玄は手紙を持つ手に力をいれた。腕や背中、足が肥大化し始めた。
「また……黒い衝動が襲ってきよったわ。はは、ウチも終わりかな」
玄は歯を食いしばって痛みの衝動に耐えていた。
「玄、玄だ!玄が村に来よった」
村の入り口にいた男が丘から下ってくる玄を見つけて村の中を叫んで歩きまわった。
「目を覚ましおったのか。怪物になっているか?話は通じるのか?蒼と朱を呼んで来い。玄を止める力をもったのはあの二人だけだぞ!」
村の家々は扉を硬く閉ざし、力のありそうな男達が外に集まって来ていた。
そこに歩いてきた玄が近づいてきた。
「よう。おぬし達。朱と蒼がどこに行ったのか知らんか?……うっ」
玄は片腕で反対の腕を押さえながらうつむいて村人に訊ねた。
「朱と蒼だと?知らんわ。丘の家でジッとしてるんじゃないのか?」
「村を出て行ったと聞いたが、おぬしらは聞いておらんのか?うぐっ!はぁはぁ」
「なに!?聞いてないぞ。それより玄、大丈夫なのか?手や足が大きくなってるぞ」
玄の体が大分大きくなってきていた。
「朱と蒼はお前と一緒で村を襲うかもしれん。出て行ったのなら好都合だ。この際ハッキリ言っておくが玄、お前も村を出て行ってくれないか。いくら他所から金をたんまりもらって来るとはいえ村はもうお前たちを手には負えんのだ」
「ぐ、あああああ」
玄は両膝をつき両腕を抱えた。背中が大きくなり口から牙が出てきていた。
「くそっ!」
玄は必死に凶暴化を押さえ、また人間の姿に戻ったりを繰り返していた。
「か、勝手なことぬかすなよ、お、おぬしら。村のためにウチらが戦場で命をかけて戦っておるからこそ生活が出来ている部分もあるのだぞ……ぐっ!」
その様子を見ながら男が言った。
「せ、戦場で死んでくれればそれはそれで俺たちには遺族金が入るんだ。鬼人の力に目覚めた奴らは力を持て余している。戦場くらいでしか自分の力を発揮できないだろう?せ、戦場へ行って、もう帰って来なくても俺たちはかまやしないんだ」
「はぁ……はぁ……。お、おぬしら……そんなことを考えておったのか、あっ!」
膝をついて体を抱いていた玄は意識を失いその場に倒れると動かなくなった。
「ど、どうした?動かなくなったぞ」
「かなり苦しんでたみたいだが、死んだのか?」
しばらく玄が動かないことで村の皆がぞろぞろと家から出てきた。
「おい、誰か確かめてこいよ。死んでるなら墓に埋めに行かなきゃならねぇ」
村人達がそんな会話をしていると玄がムクッと起き上がった。
「ふ、ふう。体が軽くなったわい。どうやら力を押さえられたようじゃな。もう痛みも苦しみも感じなくなったのう」
ざわっ
玄の姿を見て村人達は騒めいた。
「朱と蒼はまだまだ子供じゃったからのう。大人の悪意に満ちた態度に耐えられんかったじゃろう。可哀そうに」
「何かブツブツいってるぞ。玄のやつ。ついに頭がおかしくなりおったのか」
「それにしても、よう体が抑えられたもんよのう。なるほど、感情かのう。ウチは今まで生きてきて一番腹が煮えくり返っとる。こんな怒りの感情は、戦場でも感じたことはないのう」
そう言うと玄は村人の方を向いてキッと睨んだ。
「な、なんだ?なんか文句でもあるのか。もう丘へもどれよ」
「鬼人族はもう、滅ぶべきかものう。同胞を差別し忌み嫌う一族よ」
「おい、皆武器を持ってこい。玄を始末する。早くしろ!」
玄はニヤリと笑って言った。
「おぬしら全員死ね」
「不思議な回廊だね。朱」
蒼と朱は虹色の歪んだトンネルのような空間を歩いていた。蒼が玄から借りた石についた紐を首にかけ胸のところで手に持っている。もう一方の手で朱と手をつないでいた。
「うん。どこに続いているのかな?」
「玄は行き先をハッキリ頭に思い描いてないと知らない世界に行っちゃうって言ってたよ。手を離さないでね」
「う、うん」
蒼と朱は虹色に歪むトンネルをしばらく歩いている。
「ねぇ、蒼はさ、どういう世界に行きたいの?私たちが暮らせる世界なんてあるのかな?」
「わからないよ……でも、俺は朱がいればどこでもいいんだ。朱が笑って暮らせる世界ならどこだっていいんだよ」
「そんな世界……あるのかな。私たち力が強いし、また怖がられないかな?」
「大丈夫だよ。正義のサムライが出てくる本で読んだんだ。その世界には恐ろしい力を封印する力を持った術使いもいるんだ。確かオンミョウジとかいう正義の味方なんだ」
「ふふっ。蒼が読む本はおサムライとかオンミョウジとか正義の味方ばっかりがでてくるのね」
「そうだよ。うん、そうだ。サムライがいる世界に行こうよ。きっと良い人達ばかりだよ!」
蒼が目を輝かせて朱に言った。
朱はふふっと笑って頷いた。久しぶりに見る朱の笑顔だった。
「蒼と一緒ならどこでもいいよ……」
二人は手をつないでどこまでもゆっくり歩いて行った。
(そうか。朱と蒼、二人にはこんな物語があったのか……。って俺いつになったら元の意識に戻れるんやろう?あ~ぁ、なんか眠くなってきたな。どうでも良くなってきたわ。これが夢であることを願うで……)
「キ、キルー!!」
リズの悲鳴のような大きな叫び声にハルは驚いた。
「こ、ここは……」
ハルの手がキルの背中に押し当てられている。
「戻ってきたんか。元の世界に」
ハルが呟いた。
ハルの腕がキルの背中から胸を貫通したように見えたのは錯覚で、ハルの手はキルの背中を押し当てているだけだった。ただ、閃光のような棒状の光がキルの胸からでて輝いていた。
「うっ」
ハルの左目に鈍く重い痛みが走ったため、ハルはキルの背中から腕を離してしゃがみ込んだ。ハルの手が離れたキルも地面に崩れ落ち、その場でうつ伏せに倒れた。
ハルは手と膝を地面につけて、痛む左目に片手を押し当てている。
「大丈夫ですか?ハルさま」
傍で空蝉が囁いた。
「う、空蝉。俺の目どうなってる?」
そう言うとハルは左目から手を離した。
空蝉はハルの目を見ると驚いた顔をして言った。
「ひ、左目の眼球が青くなっています。右目はこれまで通り黒いままです」
「そ、そうか。片方だけしか成功せんかったか……」
「どういうことですか?ハルさま」
キルの鬼の血を俺の水晶体。眼球の中に封印した。物理的な水晶でないから割れることはないやろう。俺の力も加えることができるしな」
「ハ、ハルさま。なんてことを!」
「まぁ、賭けみたいなもんや……」
(しかし、蒼の血だけとは。できれば朱の方も両方封印したかったもんやけどな。キルは男や。本来、蒼の血の方がキルの体に色濃く受け継がれてる可能性が高い。しかし、今見てきた蒼と朱の関係性を考えると蒼の血を俺に渡してでもキルの体には朱の血を残したかったような、そんな意思の強さを感じるな)
ハルが倒れたキルを見るとキルの髪が鮮やかな赤色に変わっていた。
「キル!」
リズがキルを自分の膝の上に抱き寄せると泣きながら体に抱き着いた。
「キル……キル……」
「ほうら、言わんこっちゃない。こういう術者は一部も信用ならん」
玄が倒れたキルを見ながらキルとハルの方へ近づいてきた。
「すぐに殺さんとのう」
玄はしゃがみこんだハルの首元を手で摑みハルの体を片手で持ち上げた。
「くっ……ぐっ」
首元をを摑まれ体を持ち上げられたハルは青い目で玄を睨みつけた。
「お、おぬし……」
ハルの青い目を見た玄は「ちっ」と舌打ちをするとハルを地面へ放り投げた。
ドカッ
「どこまでも汚い呪術使いよ。ウチが同胞に手をださんと知ってキルから蒼の血を抜き取りおったな。しかも自分の体に移すとは卑怯者めが!」
玄は目を見開き「はぁはぁ」と呼吸を荒くして悔しそうにハルに言い捨てた。
「う……くっ」
キルがリズの腕の中で気を取り戻した。
「キル!気が付いた?!大丈夫?!」
リズが涙を拭いてキルに言った。
「う、うん。大丈夫だよ、リズ。どっちかっていうとスッキリしたんだ。頭も体も」
「そ、そう。良かった~」
リズは安心して微笑んだが、まだ涙がポロポロと流れ止まらなかった。
「キ、キル。おぬしももう大丈夫なようじゃのう。正気を取り戻したか」
玄は泣きそうな表情でキルを見て言った。そしてくるっと後ろを向きキルやリズに背を向けた。
「うん。ありがとう。玄」
「お、おぉ~。よいぞ、蒼。ではなかった、キル。おぬしが鬼人の力を垂れ流しておったから、もしやと思って次元の間からやって来ただけなのじゃ。力の暴走が止められたのならそれでよいわ。何しろ、ウチはお前を、いやお前の先祖を訓練しておった師匠だからのう。ウチの責任の範囲内よ」
「玄、鬼人族の里は滅んで帰る場所がないんだろ?」
「ん?おぉ~。色んな所で兵として雇われておるからな。色んな世界を渡り歩いて楽しいものよ。戦がなくならん限りウチの仕事も不況知らずよ」
「俺たちと一緒にここに住めばいいじゃないか……。蒼と朱もきっとそう思っていたはずだよ」
キルが言った。
「ん?んん?いや~ウチは一つの場所に留まることなど、もう出来んわ。旅して回るのが楽しい……からのう」
玄は声と肩を震わせて必死に平静を装っていた。
「ラーメンのお代わりをまだ食べてないじゃないか。他にも色んな味のものがあるんだよ」
キルは笑って玄に言った。
「お……おぉ……それは……よいな、グスッ。ま、まだ一杯しか、うぅ、食べておらんから……のう」
「じゃあ決まりだね。家に帰ろう。玄」
「しょ、しょうが……ないのう。ズズッ。ちょ、ちょっと鼻水が垂れておるから待っておれ、グスッ」
しばらく玄は肩を震わせてじっとしているのでキルとリズは待っていた。そこへハルが近づいてきた。
「キル。君は、もしかして朱の中へ入ってたか?俺の言ってることが理解できんかったらそれでええんやけど……」
キルはクスッと笑ってハルを見た。
「何のこと?」
「ん、あぁ。それならええんや」
ハルが少し考えるようにしているとキルがハルをキッと睨んで言った。
「ハルさん。もし玄を封印しようと考えているんなら今度は俺が容赦しない。ハルさんにはハルさんの正義があるのかもしれないけど俺には関係ないことだからね」
「あ、ああ。そうやな。俺はこれ以上手出しせえへん。っていうかここまでくらいが俺のできる限界や。俺自身にも鬼の血が入ってしもうたしな……」
「へへ。だから半分だけ渡したんだ」
ハルはキルの言葉を聞いて目を見開いた。
「そうか。お前、なかなか食えん奴やな。俺が鬼の血を得たとしたら人でなくなるのは俺の方……か」
ハルは後ろを向いて震えている玄の小さな背中を見て言った。
「なんのことであるか。二人とも僕にわかるように説明するのである」
やっと涙が止まったリズが拗ねたような顔で二人の会話に割って入ってきた。
「へへへ。さあ、玄。いつまでも泣いてないで帰ろうよ」
キルが玄の背中に話しかける。
「う、うるさい!泣いてなどおらんわ。も、もう少し待っておれ、ズズ」
キルはふぅと息をはき、笑って肩ををすくめるとリズを見た。
「しょうがないね」
キルにそう言われたリズも両腕を胸の前で組むと微笑んで言った。
「しょうがないであるな」
二人はその場でしばらく待つことにした。