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下 果しなき意志の果に

 それから、十数年が経った。

 今日は青空だった。ちぎれて漂う白い雲が、ふわりふわりと辺りを漂っている。

 私はそんな平和そのものといった空を見上げ、ふうと息を吐いた。

 そろそろ休憩にしようか。


 手頃な切り株を見つけ、その上に腰掛ける。葉っぱで作られた袋を膝の上に置いて広げると、白米のおむすびが三つ。


「おいしそー」


 私は夢中でその一つにかぶりついた。しっかりと芯のある米から噛んだ瞬間にほのかな甘みが溢れ出す。すかさず水筒に入ったお茶を飲む。口の中で両者がシェイクされ、えも言われぬ爽やかな風味でいっぱいになった。

 たまらず大きく溜め息をついてしまう。これは満足感から出る溜め息だ。

 しばらく自堕落な休憩時間を思うがまま貪っていると、はるか向こうから坂道をこちらに向かってくる影が見えた。

 おじいちゃんだった。

 おむすびを脇にどけて立ち上がる。そして、腰を丸く折ってよちよちとやってくるおじいちゃんに大きく手を振った。


「どーしたのー」


 お腹深くを響かせて呼びかけると、おじいちゃんはただでさえ皺くちゃな顔を更にくしゃくしゃにした。……たぶん、笑ったのだろう。


「おーい、ルルやーい」

「どーしたのー、おじーちゃーん」


 もう一度呼ぶ。けれど、それは答えを期待してのものではない。ゆっくりとだが着実に私の元へとやってくるおじいちゃんを待つ。いったい彼は何歳なのだろう。私と出会ったときからすでにおじいちゃんはおじいちゃんそのものになっていたような気がする。

 永遠の具現化だ――そんな馬鹿なことを頭に過ぎらせる余裕があるほど、私は平和だった。


「今日は身体の調子が良くての。手伝いに来たんじゃ。いつもお前さんのような若い娘に世話になってばかりで申し訳が立たんからのう」

「そんなこと気にしなくていいのに。私をずっと家に置いてくれてるだけで有り難いことなんだから」

「いやいやそうはいかんよ」


 二人並んで畑作業を始める。おじいちゃんの身体が悪くなってからかなり立つが、そこは年の功。一応体力の面では彼よりも勝っていると自負しているが、作業の素早さと正確さではまったく歯が立たなかった。

 何回転生しても、畑作業も満足に出来ないようじゃダメだな。

 なんてね。



 普段の二分の一以上早く作業を進めることができ、まだ日が暮れきっていないオレンジ色の空の下を私とおじいちゃんは帰路に着く。

 いくら調子が良いといっても流石に歳による限界はすぐそこだったようで、足をふらつかせながら歩こうとするおじいちゃんを諭しておんぶする。力なら男女問わず誰にも負けない自信がある。


「すまんのう」

「いいんだって」

「お前さんがわしらのところに来てくれて良いことばかりだ。子を授からんかったわしやばあさんからすれば、お前さんは本当に神様が与えたもうてくださった宝物のようじゃよ」


「神様かあ……」


 思わず微妙なニュアンスを言葉に含ませてしまうが、さすがに気づく様子はないようだ。


「あれは確か大雨の夜のことだ。川が溢れてしまわんか気になってのう。ばあさんが止めるのを振り切り様子を見に行ったんじゃ。すると河原のところに何やら普段見ないものが落ちておってのう。それがお前さんじゃった」


 それはおじいちゃんの口から幾度となく語られた私の歴史だった。言い換えれば転生の果て、長い長い宇宙を超えた旅の最終到着地点とも呼べる。



 生き残りがまだ居たのか。

 彼に見つけられて最初に思ったのがそれだった。延々と続く核兵器による破壊の嵐を免れた者も居たのか、と。

 しかし、彼と彼の妻が住む村に連れられてみると、その認識は間違っているのではないかという気になってきた。

 生き残りが多すぎる。服装も何か変……というか皆、少し古くさい格好だった。

 それよりなによりあまりにも平和すぎたのだ。

 最初は訳が分からなかった。世界は滅んでしまったのではなかったのか。長い夢でも見続けていたというのだろうか。これが《虐殺神》の言う『解決策』によって引き起こされた結果とでもいうのだろうか。

 得体の知れぬ存在ですらあった老夫婦に世話されながら、赤子の私はまだ小さいはずの脳味噌をフル回転させ、どうにか現況を考えた。

 そして、ある突拍子もない想像に思い至った。何の根拠もない、ほとんど妄想に近い、推理というかたわいのない思いつきのような一筋の閃光。

《虐殺神》はおそらく、あの星を破壊したのだ。私たち人類が生き、そして自滅していった赤茶色の星を。

 頼りにすべき大地を失い、私は宇宙へと放り出された。散らばった星の欠片に物を引きつける力はない。空気は瞬く間に拡散し、私は酸欠で死に至った。

 それが最初の死。

 転生した私は極限状態の宇宙にて無限の死を繰り返す。寄る辺もなく、無重力世界を漂う。

 そうだ、転生するための意志――《虐殺神》への恨み――を私から絶やさないため、最後に奴は私を無惨に殺したのだ。そう考えれば、あの脈絡のない蛮行も合点がいく。……精一杯《虐殺神》を好意に見れば、だが。

 転生を繰り返す私はどこへ向かったのだろう。星と星の間の距離は見てくれとは裏腹に凄まじく離れている。一番近い月までも三十八万キロメートル。漂うばかりの私にはどれぐらいの速度が出ているのだろうか。月に辿り着くだけで数百年はくだらない時間が掛るだろう。

 だが、私は永遠だ。永遠は、一と無限を結びつけるロープだ。点滅する私にとっては、宇宙も畑も同じ広さにすぎない。

 そして、この世界に辿り着いた。無限の距離と極限環境とゼロを天空に届くまで積み上げた確率を乗り越えて、私はこの昔話にも見えるのどかな世界に辿り着いたのだ。

 紛れもなく、奇跡だった。それを引き起こしたのは紛れもなくあの男、《虐殺神》。それを思うと複雑な気持ちになる。結局私は、無念のうちに死んでいった両親や友人の復讐を果たすことなく、逆に救われる形になってしまったのだから。

 救われた? どうしてこんな言葉を私は使ってしまったのだろう。

 おじいちゃんを背負いながら、こっそり首筋に手をやる。

 この世界では鏡という道具はまだ使われていないようだが、水面に映る自分の姿を確認したところ、いまだにあの紋章は残っているようだった。

《神》はまだ生きているということか。

 しかし。

 もはや今の私にはこの世界のどこに居るともしれない《虐殺神》を探し出し、復讐の剣を突き立てる意志は萎えてしまっていた。

 きっと次私が死ぬときは、それはきっと本当の死になるだろう。永劫の死。無限の輪廻から逃れて安寧の死を迎えられるはずだ。

 結局、復讐は為し得なかった。けれど、今の私に痛恨の念はなかった。


「おーい、ばあさんやー」


 背中の上からおじいちゃんの声が聞こえた。

 考え事をしているうちに家のすぐ近くに着いたようで、軒先におばあちゃんがこちらに向かって手を振っているのが見えた。何かを言っているが、あまり聞こえない。


「おばあちゃんー、ただいまー」


 私も手を振り返す。

 のどかでいつも通りの一日だ。それでも、今の私にとってはかけがえのない幸せな一日だった。


「おじいちゃん」

「ん、なんだの」


 私は首を振った。


「ううん、何でもない。これからも元気で居てね」


 一人の人間にとっては長すぎる期間を私は生きてきた。相対的に見れば、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に居られる時間は一朝一夕と表現しても言いすぎではないだろう。

 それでも、あの村での無垢な自分を少しでも取り戻せるように、あの短い幸福を取り戻せるように、今の一瞬一瞬を噛みしめながら二人と共に生きていこうと、私は思った。

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