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上 滅亡の村、虐殺の神

 私は生まれ、それと同時に悟った。

 あの男を殺さなくてはならないことを。

 心に炎が灯る。燃え盛る紅蓮の炎。

 きっと、今世で決着をつけてみせる。

 そう腹をくくり、時間が経つのを待った。十年、いや最低でも十五年は待たなければならない。

 仰ぐ空一面には黒灰色の雲。地平線は黄土色。生命の息吹潰え、死に絶えた地。

 時間の中を生きるのは、たった一人私という存在。後にも先にも、ただ虚な空白が広がっているばかり。

 私は無力な赤子だった。

 母を求めて泣くことも出来ず、ただ生き長らえるためにすぐ手が届く土を貪り喰らう野蛮で無力な赤子だ。自らの足で地面を踏みしめることができるよう、成長をただ待つだけしかできない。

 しかし、そこには確かな意志があった。

 あの男を殺さねばならない。自らを《神》と名乗った愚かな殺戮者を。

 だから私は待つ。必要とする膨大な時間を、私はいつものように過去への追憶で過ごす。意志という名の刃を研いで過ごす。

 

 それ以外に、今の私に出来ることは何も無いのだから。



※※※


 始まりの記憶はかすかにだがまだ残っている。


 私は幼く、何も知らない子供だった。五歳ぐらいだろうか、まだ自分が自分であるという確かな根拠さえ持たぬ脆弱な存在。

小さな村に住み、両親は貧しいが優しかった。満ち足りた生活とは到底言えないが、そこには確かに幸福があった。それに何より、私には確かな未来が待っていた。明るい希望が待っていた。

 

 待っている、はずだった。


 前触れは何も無かった。

 村から出てすぐのところにあるなだらかな丘陵。私は友人と共にそこで花摘みをして遊んでいた。

 すると、明るい緑で塗られているはずの光景のはるか彼方にぽつぽつと黒い点が混じりこちらに向かってやってくるのが見えた。


「襲撃だ!」


 村の門番を務めている若い男が物見台から叫んだ。と、同時にその頭が吹き飛ぶ。

 一瞬の出来事。真っ赤な鮮血と黄色い脳漿が村と丘の両方に降り注いだ。

 それは、今になってみれば虐殺の始まりを告げるクラッカーのよう。


「村に逃げよう!」


 兄代わりの少年が私の手を掴んで走り出す。

 もうすぐで村に辿り着こうかとしたその時、少年の動きが止まった。小刻みに全身が震えているのが彼の手を伝って私に届く。

「おに――」と言いかけた私に生ぬるい血がかかった。見上げると。彼の首から何かが後から前へ飛び出ているのが見えた。それは鋭い矢尻だった。


「逃げ……ろ……」


 最期の瞬間に、少年はわずかな力を振り絞り、そう私に言った。

 いつも私のことを気遣ってくれ、それでいて子供扱いをしない彼のことが私は好きだった。ほのかな初恋は彼の死と共にもろくも霧消した。

 悲しむ暇もなかった。矢は次々とこちらへ飛んでくる。一本でも当たれば小さな私には致命傷だ。少年を後に残し、私は必死で逃げた。


 とにかく両親のところへ向かった。急いで、急いで、急いで、急いで。

 村は開かれた区画となっていて、入り口の門以外にも周囲を張り巡らせている柵を乗り越えれば容易に中に侵入することが出来る。

 小さな黒点だったそれは、既に凶暴な風貌とした男達となって無防備な村人を襲っていた。

 金や財産を略奪するなどといった、現実的な目的に基づく襲撃でないのは一目で分かった。単なる殺戮。一方的な虐殺。殺すために殺す。男は残酷に、女は恥辱を受けながら、無慈悲な血祭りは逃げる私の周りで既に勃発していた。


「ははは、見ろよこいつ。はらわた出ちまってもまだ泣き叫んでら。どっから声出てんだ」

「首絞めると中がしまってイイんだよ。で、最後に思いっきり……」


 男は村人の女の背中に乗りながら、その首を力一杯締め上げた。女はエビ反りになりグエエと異様な断末魔を鳴らす。

 私は思わず眼を閉じた。見ていられなかった。 

 血と肉と悲鳴に塗れた地獄がそこにはあった。私は感覚を殺してただ走った。父母に会えば彼らが何とかして助けてくれると信じながら。


 感覚に蓋をして、どれくらいの間走り続けただろうか。

 ようやく私は家に辿り着いた。


「パパ、ママ!」


 玄関で立ち尽くす。足が凍り付いたかのように動かなくなった。

 入ってすぐのところ。そこに、父ではない男の後ろ姿が立っていた。

 異様なほど大柄だった。天井に頭が付きそうな長身に、服の外からでも窺える隆々とした丸太のような筋肉。ウェーブがかった背中まで届く黒髪が重力に逆らうかのように靡いていた。

 男はゆっくりとこちらを振り返った。その瞬間、黒――なぜか色を感じた――黒き殺意のごとき気配がその全身より吹き出し、私はのけぞって後ろに倒れ込んだ。


「おや、やんちゃなご令嬢の帰還かい」


 地響きのような低くざらついた声質だった。不快感が身体全体を震わせる。


「あ、あなた……誰なの」

「俺かい。くくく、そうだな――《神》とでも答えておこうか。思い上がった名乗りだが、真実の一端でもある」


 そして《神》は右腕を掲げた。どろりとした液体が、赤黒い液体がまるでペンキのようにその腕を染めていた。ポタポタと滴が垂れ落ちて、土の床に破裂した円を描く。


「意外と気丈だな。……そうか。俺の身体で見えなかったか。ならばどいてやろう。せいぜい気を失わないこったな」


《神》は私を見つめたままゆっくりと脇にどいた。

 すでに崩れ落ちてしまいそうな私が対面した光景は――。


「ママ!」


 まず目に入ったのは母親の変わり果てた姿だった。


 服を全て脱がされ床に横たわっている。腹の部分が切り裂かれ、中から赤、橙、桃色の紐状の何かが飛び出していた。紛れもなく内蔵だ。


「ママ、ママ!」


 私は目の前が真っ赤になった。目の前に立つ男が見えなくなり、その脇を擦り抜けて母の元へ駆け寄った。その身体を思わず激しく揺さぶる。そうすれば目覚めてくれると、傷が治って起き上がってくれると、そう思い込んでしまったのかもしれない。


「無駄だ。もうとっくにあの世行きだよ。くく、お前の母さん、中々いいカラダだったぜ」

「ママに何をしたの!」

「聞きたいか?」


 は、と息を呑む。すぐ側に立つ男が何者なのかを、その言葉の瞬間悟ったのだ。

 間違いない、こいつがママを――。

 その時、奥の部屋から微かな呻き声が聞こえてきた。続く物音。


「パパ!?」


 私は急いでそちらへ向かった。

 奥の部屋の窓の下、壁に上半身を預けて足を前に伸ばす体勢で父はそこに居た。

 顔を歪め、苦痛に耐えようと歯を食いしばっている。

 腹部に両手をあてがう。刀身が細長い剣――東方のものだ――が深々と突き刺さっていた。

 だが、まだ生きている。

 父は私が来たことに気づき、唸るように声を振り絞った。


「ルルか……すまん、父さんはもう……駄目……みたいだ」

「パパ」

「永劫の別れの(とき)よ。感動的ではないか」


 父の身体に影が差した。振り返ると、すぐ後ろに《神》が迫っていた。

《神》は私の肩にその血に塗れた大きな手を置いた。ぞわりと、震える思いになる。


「に、逃げろルル……」

「心配するな。父と娘の感動的なシーン。水を差すような真似はしないよ。ほらほら、最期の言葉を愛する娘に述べてみたまえ。言っておくが、命乞いは一切受け容れんぞ。この子の寿命が更に短くなるだけだ」

「くそ……」

 

 父は吐き捨てるようにそう呟いた。そして腹にあった手をゆっくりと持ち上げ、私の肩にある《神》の手を払いのけた。代わりに自分の手を置き、強く握りしめる。


「すまない、ルル。これは村を守れなかった大人達のせいだ。は、早く逃げてくれ。南東のコレルの街ならなんとかかくまってこの悪魔どもにも抵抗できるだろう。そして、私やママのことはすっぱりと忘れて生きるんだ。決して復讐なんて考えてはならない」


 くく、と《神》は笑い声を漏らした。この期に及んでまだ逃げろなどと言うのか、という侮蔑が多分に含まれている。


「パパ、死んじゃやだよ!」私は叫んだ。父の言うことが解るほど、私はまだ大人になれていなかったのだ。

 父は目を閉じた。そして私をあやすように歯を見せて無理矢理笑みを作った。

 そして。


「3、2、1……」


 唐突なカウントダウン。それがゼロになった瞬間――。


「逃げろ!」


 父の身体が弾かれたように《神》に向かって飛んだ。刃が更に肉を削り、鮮血が飛ぶ。

 この不意討ちには流石に驚いたのか、《神》は慌てたように父の捨て身の突撃を受け止めた。


 今しかない。

 私は逃げ――。

 奇声。言葉にならないような凄まじい、耳を劈く絶叫。

 そらしかけた目線をゆっくりと父へ……。

 そこに父は居なかった。残るのは地面を這う赤黒くぶよぶよとした何かだけだった。


「わああああああああ」


 なぜそうなったのか分からなかった。人の所業ではなかった。だが、父の身に何が起きたかだけは理解できた。

 皮がすべて剥がされているのだ。通常ならば決して光に晒されることのない肉が、人間の醜い本質が、いつの間にか息絶えた父だったものとなって現実に顕在していたのだった。


「わああああああああ」


 私の何かが壊れた。まだ五歳の私に、いや、娘にとって親のその姿は、心そのものを破壊してしまうに十分足りる絶望だったろう。

《神》は右手を父だったものに向けてかざしていた。何かしらの異様な術を使ったのは間違いない。


「あーあー、こうなるともう話は出来んな。つまらないが、仕方ない。君も父さんのところに――」

「殺してやる!」


 私は無我夢中で叫んでいた。視界が赤く染まる。


「ほう……」

「殺してやる!」


 事切れた父から刃を力ずくで抜き取る。手に激痛が走る。痛い。が、その痛さをただ『痛い』という言葉として受けとめる。それだけだった。行動に支障は出なかった。

 その勢いで《神》に斬りかかる。にやにやと胸くそ悪い笑みを浮かべる男に向かって。

 意外なことに《神》は何もしなかった。私の繰り出した刃を生身でそのまま受け止めたのだ。服を切り裂き、血線が走る。迸る紅。にやりと笑う《神》。

 深々とした傷が袈裟懸けに一本の線と成った。が、《神》はまったく動じた様子を見せない。


「ふん、中々良い攻撃だ。辛くて苦みのある意志が籠っている。これが恨みというやつか」

「まだよ!」


 見た目には深手を負った《神》にむけてふたたび振りかぶった刃。

 しかし、次の瞬間には跡形もなく消えていた。

 私の両手も一緒に。

 私は茫然として消滅した手があった部分を見つめた。痛みはなく、ただそこには肉と骨からなるいびつな二重丸の断面が表れていた。


「く、くそ!」


 破れかぶれになり体当たりするが、容易く躱され床に倒れ堕つ。慌てて振り返ると、変わらずにやけ顔を浮かべる《神》がそこにいた。


「やるじゃないか。ここまで絶望的な状況に追い込まれ、まだ俺という目先の悪を殺そうともがく。お前のような齢の女には珍しい。その意志だけは認めよう。……どれ、気まぐれだ」


《神》は父と自身の血に塗れた手を、ゆっくりと私に近づける。振り払おうとするが、何かの気のような形ないものによって弾かれた。


「おい、やめろ! やめて!」


 私の必死の抗議に当然耳を貸さず、《神》の手は私の肩に到達した。そして一言二言何か聞き取れない言葉を呟く。すると触れられている部分の肌がぼんやりと温かくなった。この場にそぐわぬ優しい温かさだった。

 やがて《神》は手を離した。

 私は首を曲げ、そこに謎の絵が描かれているのを発見する。私の指三本分ぐらいの幅しかない小さな物であるにも関わらず、一目見て全体像を把握できない複雑で立体的な図柄だった。


「俺は神の祝福を受け、完全無欠の存在となった。その一部をお前にも分け与えよう。その紋章が印だ。俺を殺したいというその意志が途絶えぬ限り、紋章はお前を何度でも生き返らせる。たとえ塵になったとしても」


《神》が何を言ってるのか分からなかった。ただ、目の前の男を殺さねばならない、考え得る限りの残虐に殺してやらねばならない、でなければ村の皆は救われないという妄念に囚われていたのだ。


「これは神の恩寵だ。それでいて、呪いでもある。君は永遠の時間をその紋章とともに、俺を恨み、殺すために使わねばならない。そして俺を殺したとき、紋章は消滅し君も安楽の死へと到達することとなる。……まあ、不死身の神を殺せるかは知らないが」


 私はもう一度突進するために立ち上がろうとした。が、両手がないのでバランスを取れず惨めに再び地を舐めることになった。


「くそ……」

「そうだ、その意気だ。……だがまあ、今世はここまでで良いだろう。来世はもう少し成長し力をつけて俺の前に立つことを期待するぞ」


《神》は足下に落ちていた刃を手に取った。そして躊躇うことなく私の胸を突き刺した。

 綿のような私の皮膚と筋肉は容易く突き破られ、《神》の一撃は必死で足りない血を全身に送ろうと胎動する心臓を貫いた。

 そう、私はその時死んだ。

 最期の一瞬は、やはり《神》の憎たらしい笑みで終わった。

 暗転。

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