第四十四話 再度九州へ
美祢での亀寿以外は修羅場となった惨劇から一月、九州の肥前国にやって来た。
結局、押し切られて元清殿の娘とも結婚する事になった。無論播磨に居る千明にも根回しが行われていた。小早川隆景め、その辺は卒が無い。元清殿は「景様が進めるのだから」と簡単に賛成したらしい。これに関しては俺の味方は居なかった。俺がこの世界で目覚めた時に傍に居たおっさん(大谷猪助というそうだ)なんかは「これで山中家も磐石でございますな」と言って泣いていたそうだ。今は歳なので隠居して千明と其の子供たちの世話係をしている。
咲が反対すると思ったが、今は傍には居ない。えんと一緒に播磨にいる。其の訳は二人とも子供が出来たからだ。それも三人づつである。とりあえず国内が統一されたので北海道行きのあと解禁したそうだ。彼女たちの代わりに鉢屋と風魔から代わりの護衛役が来たけど当然其方の方も引き継いでいる。何がって?野暮な事を聞かないで欲しい。
結婚の儀は京で行う事となった。信長が聞き付けて面白いので此方でやればいい。なんだったら織田家からも出すけどと言われたけど其処は勘弁してもらった。島津家の面々も京へ挨拶に行く序で良かったと言われて何か謀られた感じだ。
其の前に肥前へ出かけたのはこの地を治める人物から依頼を受けたからである。
「鹿介殿、この地に宝の山があるのですか?」
「左様です。羽柴殿、この有田の地には大変な宝がありますぞ」
「堅苦しい、秀吉と呼んでくだされ。この肥前の地を治める領主になれたのも鹿介殿のお陰でござる」
そう、今の肥前の領主は羽柴藤吉郎秀吉になっている。なぜそうなったのかは蘆名達との戦いをしていた頃に遡る。
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蘆名達を討つ為に毛利より三万の兵と配下の毛利水軍、村上水軍、塩飽水軍などが出発した時豊後の大友宗麟は好機と感じていた。彼は配下の武将たちに豊前に攻め寄せるように命じる。
「御屋形様、それは危険でございますぞ。帝が全国静謐の詔を下しておる事はご存知のはず。なぜその様な事を!」
戸次鑑連が諌めるも宗麟は考えを変えなかった。
「此度の戦は私戦に非ず。肥前の龍造寺が筑後で蠢動しておる。これを叩かねば筑後の我が領地が危うくなる。豊前は徒の通り道よ」
「その様な詭弁が通るはずもござらん。御翻意を!」
だが宗麟に賛成する家臣たちも多く鑑連とそれに同心する吉弘鎮理らの意見は退けられ出陣が決まった。
「嗚呼、これにて大友家も終わりじゃ。御屋形様は織田殿を甘く見ておる」
こう嘆いて戸次鑑連・吉弘鎮理の両名は領地に引き篭もるのであった。
其の頃肥前国でも龍造寺隆信が陣触れを起こしていた。
「殿! 詔を無視なさいますのか!」
鍋島信生が仰天する。
「織田の成り上がりが帝を脅して出させた偽の詔が恐ろしくて大名などやっておれんわ! それに我らは大義名分がある!」
「なんと! いかなることでございます?」
「大友が豊前に打って出る。我らは大友を討つ為に出陣するのだ。私戦では無い!」
「それは無茶が過ぎると言うもの、誰が認めましょうか!」
「認めるも何も織田信長たちは蘆名達の対応で一杯の筈。奴等が其れを鎮めるまでに、この九州を平らげてみせる」
「……」
「そうなれば奴らとて我々を認め無い訳にはいかぬ。逆賊大友を討つのだからな。島津も帝に逆意ありとして討てばよかろう」
「織田を甘く見てはなりませぬ。それにあの山中鹿介が向こうにはおるのですぞ」
「其れこそ笑止と言うもの、一介の商人を名乗る者にいかほどの力があろうか」
「某はお止めしましたぞ、後悔はなさいますな」
「ふん、そなたは儂の義兄弟に当るゆえ逼塞で許してやる。早々に領地へ戻るのだな」
大声で笑いながら席を立つ隆信とそれに追従する家臣たちを見送りながら信生は誰にともなく呟く。
「龍造寺ももはやこれまで、早々に我が家の行く末を決めねば」
こうして大友・龍造寺両家が蜂起したのだった。
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こうして両家は当然の事ながら詔に反した事で朝敵判定される事となった。
大友家が攻め込んだ豊前では毛利方の守備部隊と小競り合いが続いていたが其処に毛利本領から吉川・小早川を従えた輝元の部隊が反撃を仕掛けた。大友の誤算は彼らが本国に残っていた事で代わりに元清が遠征軍の司令官に任命されていた事を知らなかった事であった。
彼らによって大友軍は壊滅し慌てて豊後に逃げ帰った。そして蘆名達が討たれた頃には日向からは島津が、四国から明智・長宗我部が、近畿から羽柴勢が加わり豊後に侵攻、大友宗麟は降伏するも許されず切腹となり大友は滅んだ。
龍造寺も同じ結末を辿った。敗れた隆信は佐嘉へ逃れたが離反した鍋島信生に捕らわれて羽柴達に引き渡されて首を打たれた。
こうして九州も平定されたのであったがその後豊後は明智殿が移ってきて、肥前に羽柴殿が入った。鍋島は味方したので肥前の領地を安堵されてこれからは織田殿の政府に仕える事となり、同じく戸次鑑連・吉弘鎮理も豊後に領地を貰う事になった。
それから五年経ち、領地の経営も軌道に乗ってきたので更なる発展の為の相談を受けて此処に来ているのだ。
「秀吉殿、この有田の地には此れまでの陶器とは違う新しき器が生まれる地なのです」
「なんと! その様な事が?」
「左様、この地で取れる石は陶石と呼ばれる石で大陸の景徳鎮と呼ばれる地で作られている磁器の原料となる石と同じなのです。磁器というものはこのような器を言います」
俺が包みから出した皿を見て秀吉が驚く。
「白くて薄い! 此れが磁器」
「既に磁器の焼ける陶工たちを大陸から招聘していますからな。後はいかに早く商品化するか、其れは秀吉殿にかかっております」
「よし! 必ずこの有田の地を磁器の一大産地にしてくれようぞ」
後にこの器を積み出した伊万里の名を冠した{伊万里焼}は別名{羽柴焼}とも言われて珍重され、後には貴重な輸出品として名を馳せたのであった。
※戸次鑑連…立花道雪 吉弘鎮理…高橋紹運 となるはずだったが豊前・筑前が毛利の物になっているので名前が変わらなかった事になっています。
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