第四十一話 開拓者たち
奥州が治まった。
それは同時に京より東が織田信長の勢力下に入った事を意味した。
上杉・武田・北條はこれを機に当主が上洛し帝と信長に忠誠を誓い、信長は彼らに官職を与え政権に迎え入れた。同時に毛利と島津も参加して羽柴秀吉によって治められた備前・但馬・因幡等の者たち、先年明智光秀によって治められた四国の者たちも参加し豊後・肥後・日向の一部の大友と肥前・筑後・壱岐を押さえる龍造寺のみが残る事となった。
今回毛利は関東に軍を発するに当って当主の輝元と吉川元春、小早川隆景を大友への備えとして残していた。関東の毛利軍総指揮官は元就の四男毛利元清が勤める事となり、それに鴻池警固衆を率いる亀井幸綱が鉄砲衆・大筒衆による火力支援を行う事で佐竹の諸城の攻略や蘆名の本拠地会津若松城攻略のために摺上原での蘆名勢との戦いに勝利を収めたのであった。
其の功績もあり元清は関東に所領を貰い亀井幸綱も大名と呼ばれる身分を貰った。
「義兄上が貰うべきなのではないでしょうか?」
彼はそう言うが、鴻池の主である俺が大名などをやるわけにはいかんのだよ。領地持ちになるとどうしても其処に縛られるから全国を自由に動けなくなるからね。幸綱には大名の家臣になりたい人の受け皿になって貰いたいと言うのもある。人には向き不向きもあるからね。
関東・東北勢で数少ない味方であった最上と小田だったが当然褒賞として最上は東北の纏め役となり加増され、小田は佐竹に奪われていた領地を返して貰った上に加増され領民たちと一丸となって喜んでいた。取潰された大名の領地は織田政権(織田家のではない)の直轄領となって代官が置かれ、検地が行われる事となった。その為に働くのは嘗ての大名たちの家臣達であった者たちであったがそれに加わることを潔しとせぬ者達も幾らかいた。
そして俺は今日そういった人たちの居る場所にやって来た。
★
「我らに話とは?」
寺の一画に作られた収容所に集められた旧蘆名家の家臣たちを代表して佐瀬種常と富田隆実が俺の前に座る。
「此処に居られる方々は織田殿の支配により土地の検地に参加して代官や官僚として働くのを断られたと聞いたのですが」
俺が直截に尋ねると、佐瀬常種が顔を顰めながら答える。
「山中殿、貴殿が織田殿と親しい事は我らみちのくの田舎者でも知っております。大方仕官を勧められるのでしょうが御受けする事はありませぬ」
その言葉に富田も頷く。まあ、予想通りだな。
「それは聞いております。今日話を持ってきたのはその事ではありませぬ、皆様方が織田殿の部下としてではなく独立した領主にならないかと言う話ですよ」
「なんと! そのような事が出来るのでしょうか?」
「出来ます、誰の支配下になっていない土地を開発すれば開発領主として帝がお認めになる事となりました。無論簡単な事ではありませんぞ、ですが挑まれたいと思われるのであればこの{鴻池}が協力いたしますぞ」
この度の戦には関東・東北の殆どの大名が元公方に味方した。その中には蝦夷地を治める蠣崎氏も居たのだ。その為蠣崎氏は改易されて蝦夷地(といっても蠣崎の領地は本州に近いほんの一部だが)は織田政権の直轄地となりその土地の特殊性から鴻池が代官として治める事となったのだ。
つまり俺は北海道とその先の千島・樺太までを差配出来る事となった訳だ。勿論大名では無く飽くまで鴻池が預かって経営するだけで、いずれ開発した者たちの領地となる訳だがね。
「……意地を立てる事で亡き主君への忠義を尽くして来ましたが、これからは家族や家来たちの為に働くこととします。山中殿、良しなにお計らい下され」
口を開いた佐瀬が頭を下げると富田も倣い、旧蘆名家臣の残りの者たちは蝦夷地に行くこととなった。最初は開墾に次ぐ開墾で米を作るどころではないけどその内米も作れるようになるし頑張って貰いたいものだ。
こうして蘆名家を始めとして取潰された家から集まって来た人員数千名と共に津軽海峡を渡る事となったのだが。
「何で貴方たちも居るのですか? 新当主と共に安土に行かれるのでは?」
佐竹義重と里見義弘が其処に居た。この二人は本来なら切腹だったのだが家が大きかったのと助命を願うものが多かったので出家で許されたのだ。伊達家も許されたし、それは良いのだが何故付いてきたのか?
「我が家の者たちも多く参加するそうなのでな、それにこちらに参加した方が面白そうじゃないか」
佐竹義重がそう言うと里見義弘も頷く。
しゃあないか、まあいざという時には警固衆に加わって貰ってもいい訳だし。開拓部隊もまとまるだろうしね。
こうして開拓者たちは海を渡ったのであった。
◇
蝦夷地 蠣崎地
渡島半島一円が蠣崎氏の領地で後は先住民のアイヌが住むアイヌ地と分けられている。それは蠣崎氏がアイヌとの交易を独占するために行われた分断政策の一端だ。
「これは雄大な景色ですな」
佐竹義重が目の前のパノラマを見て感嘆している。
「関東の平野も広いがこの蝦夷地はそれ以上ですな。この土地で再起を図る。腕が鳴ります」
「これはまだ序の口で、向こう(噴火湾の向こう側)には更に広い平野がありますぞ」
「何と! それは凄い」
「ですがめったに人の入らぬ秘境ゆえ開拓は大変ですぞ。まずは物資を運ぶ街道作りをしなくては、後は船をつける港作りですね」
無論ここだけではなく室蘭と呼ばれる事になる地に港を作ったり苫小牧になる所も開拓の拠点にしなくてはならないな。
「ですがこの地が蝦夷というのは辺境であったという事、これからは別の呼び名が宜しいのでは?」
里見義弘がそう言って俺に尋ねる。
「山中殿はいい案をお持ちですかな?」
「古の五機七道の名前に倣えば北に位置するこの地は北海道と呼ぶにふさわしいと思いますが」
「北海道! よき響きです。この北海道の大地を我らは新たな故郷とする訳ですな」
こうして彼らと鹿介が連れて来た各地で食い詰めた百姓たちは北海道の開拓に従事する事となる。長い年月を掛けてその地は拓かれて行きやがて有数の農業と工業の地となるのであった。
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