2話 対極世界の1つの箱
自己主張の激しい青の上に悠々と流される白い綿菓子。つまり、とても綺麗な空である。俺の席からはそのような空が網戸越しに見える。
今は火曜日の2限目、国語の時間。授業の内容に耳を傾けると、先生は十八史略の説明をしているようだ。古代から南宋やらなんやら。意味わからん。
と、まぁ、授業放棄を早速行おうか。
『無駄ごと』しようか。
お題は、この網戸越しに見える景色にしよう。
ねぇ、網戸ってじっと見ているとテレビの画素に見えない?え、見えない?俺には、そう見えるから気にしない。
とにかく、じっと見ているとテレビの画素に見えるんだ。そこでこんなことを思った。
「もし、この網戸がテレビの画面でこの世界、もしくは向こうの世界が実はテレビに映る別の世界だったら。」と。
では、この今画面越しに見えている空と雲はなんだろう?
きっと、向こうの世界の空と雲がこの画面に映し出されているのだろう。このような、綺麗な空が映し出されているのだ。きっとこのテレビがある場所はとても美しいところなのだろう。
じゃあ、どんな場所だろう?
多分、見渡す限りの草原に、鈴の音のような音を奏でる川、その近くに立つ1本の広葉樹。
この木の根本に置かれた、たった1つの薄汚れた箱。葉の擦れる音と鈴の音をBGMに、その世界の空のみを映し出している機械仕掛けの箱。
それがこのテレビで、この画面から見える景色の場所だろう。
対してこちらの世界は?
ただただ、日々の日常を、1週間のサイクルを、8時40分から3時20分までの光景を、50分の授業と10分の休み時間の繰り返しを、その一部を切り出して映し出しているのみである。
確かに、向こうの世界に比べれば変化の連続である。しかし、向こうの世界はただ同じような景色であるが故に洗練られたものである。
それに比べ、こちらの世界はただ怠惰に繰り返される日常劇である。そんなものを映し出して面白いのだろうか。
そもそも向こうには世界に視聴が存在するのだろうか?
この世界には人間という視聴者が存在する。
しかし、向こうの世界は?あれほど綺麗なのだ。もし人間がいるのならば荒れていたであろう。
と、いうことは向こうの世界には人間が存在しない。いても虫や動物ぐらいであろう。
ではなぜ、この世界と向こうの世界の景色を映し出すテレビが置かれたのだ?
まず、誰が置いたのだろうか。
多分、神なる者が置いたのだろう。そして、そのテレビは人間の存在しない世界と人間が存在する世界を映し出した。
対極にある世界に対極よ世界の景色を魅せているのだ。
人間が誕生せず、洗練された美しさと停滞を生んだ世界。
人間が誕生し、進化を繰り返してなお、進化を繰り返す怠惰な循環をおこなう世界。
2つの生まれた対極の世界を見せて誰がなにを望むのか。そんなことが分かるのは、それこそこれを置いた本人しか分からないことであろう。
ーーキーンコーンカーンコーンーー
今日の『無駄ごと』はここまでかな。
神は何を望み、その先に何を見たのか。
それは君の想像におまかせしよう。
2話目更新です!
このストロークでやってけたらと思います!