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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
エピローグ
85/86

三傑の時代

 ――――三傑の時代。

 この時代は、そう呼ばれることがある。


 三傑とは、以下の三人の事を指す。


 アルヴェスク皇国摂政ライシュハルト。


 ギルヴェルス王国王配エルストロキア。


 サザーネギア連邦グリフィス公爵カルノー。


 同じ時代に英雄と呼ばれる者が複数現れることは、決して珍しくない。ではなぜ、その中でこの三人は特別とされているのか。それはこの三人が、国を違えてなお、交誼を保ったからであろう。


 この三人の交誼は、三カ国だけでなくユーラクロネ大陸全体の安定に貢献した。もちろん、完全に争いがなくなったわけではない。ただこの三人がいる三カ国は、間違いなく大陸の重石となっていた。この比較的安定した期間が、長い歴史の中で見たときに、一つの転換点となっているということは、多くの歴史家が認めるところである。


 三人は、それぞれの国においても手腕を発揮し、その発展に貢献した。


 カルノーの功績として真っ先に挙げられるのは、(かえで)の木から取れる〈樹蜜〉をサザーネギアの特産品として世に広めたことであろう。これは彼がグリフィス公爵家の世子となってしばらくしてから、領地内を視察に出かけた際、ある地域の人々が伝統的な嗜好品として少量だけ生産しているのを見つけたことが始まりだった。


 一匙味見をさせてもらったカルノーは、すぐさまこれをグリフィス領の、ひいてはサザーネギアの特産品とすることを考えた。そしてアレスニールとも相談を重ね、まずは派閥内での生産を強化し、それをアルヴェスク皇国に向けて輸出することにしたのである。


 この際、カルノーの持つ人脈が大いに役立ったことは言うまでもない。さらに彼はこの交易にナルグレーク帝国を巻き込んだ。フラン・テス川を輸送のために用いたのである。これにより、この後のサザーネギアとアルヴェスクの交易はフラン・テス川を用いて、つまりナルグレークを挟んで行うことが常となった。


 これには、様々な思惑があった。まずは対外的に見た地域の安定である。これまでナルグレークは地理的な要因のせいで、交易を活発に行うことが出来ていなかった。それがこの国をメルーフィスとサザーネギアへの対外遠征に向かわせていた、とも言える。


 それが、このサザーネギアとアルヴェスクの交易において一変する。重要な交易路となったナルグレークでは、これまでとは比較にならない人・モノ・金の流れが生まれたのである。加えてこの国自体が積極的に交易を行うようになったことは言うまでもない。


 こうして金が稼げるようになれば、それを壊したいと思う者はいないものである。要するにナルグレークはサザーネギアにちょっかいを出す理由を失ったのだ。アルヴェスクとあわせ南北から挟まれているという軍事的な観点に加え、経済的な観点から見ても両国とは友好的な関係でいた方が国益にかなう。それがナルグレーク帝国上層部の判断であり、そういうふうに誘導したのはカルノーとアレスニールだった。


 加えて、サザーネギア内においてグリフィス公爵家の発言力を増すことが目的の一つとして挙げられる。フラン・テス川が最終的に流れ込むのはガルネシア海。そしてそのガルネシア海に面する領地は、グリフィス公爵家とその派閥によって独占されている。この地理的要素とカルノーの人脈を合わせれば、対アルヴェスク交易における窓口となるのは、グリフィス公爵家を置いて他にはなかった。


 サザーネギアとアルヴェスクの交易は、樹蜜の輸出を皮切りに拡大していく。グリフィス公爵家とその派閥は多くの富を得、またそこには数々の珍品が集まるようになった。この状況を、他の二つの公爵家が黙ってみているはずがない。他の二つの派閥もまた樹蜜や他の特産品の生産に力を入れるようになった。そしていざ交易を始めようとしたとき、彼らが頼りにしなければならなかったのは、他でもないグリフィス公爵家だったのである。


 この頃すでにアレスニールが引退し、グリフィス公爵家の当主となっていたカルノーは、他の派閥が対アルヴェスク交易に参加することを積極的に支援した。それが公爵家の力を増すという事を、十分に承知していたのである。


 実際、この頃すでにグリフィス公爵家の影響力と発言力は他の二つの公爵家を圧倒していた。奇しくも、エドモンドが望んだ筆頭公爵家とでも言うべき立場となっていたのである。


 だが、カルノーは殊更その力をひけらかそうとはしなかった。サザーネギア連邦の枠組みを変えようとはしなかったのである。ある時、持ち回りではなく常任の議長となる機会があったが、彼はそれを固辞している。そして彼のそういう態度は、派閥を超えて多くの領主たちの信頼を得ることに繋がった。


 さらにこの後、カルノーはギルヴェルスとの交易も始めた。エルストとの交誼を伝手としてのことである。その結果、外交的な権限は彼に集中することになる。いや権限と言うか、彼がいないと話が進まなくなったのである。


 そしてこの状況は彼の世子であるスアレスが後を継ぐころ、オスカー子爵家を継いだ次男リオネルが交易港ウルを含む領地を与えられたことで最も顕著になるのだが、それはまた別の話である。


 なおこの先の時代、砂糖や蜂蜜とはまた違った風味を持つ甘味として、サザーネギアの樹蜜は世界中で熱狂的な愛好家を生む事になる。樹蜜の中でも最高級品とされるものには、今でもカルノーの肖像画が描かれている。


 エルストロキアは、ギルヴェルス王国中興の祖として知られている。彼はサザーネギア遠征が失敗した頃から、ひたすら内政に力を注ぐようになった。本人は「それより他に道がなかった」とやや自嘲気味に書き残しているが、その手腕は多くの歴史家が賞賛するところである。


 ギルヴェルスの最大の不幸は何か。それは北国であることだ。長く厳しい冬は、人々の生産活動を大幅に制限する。他国に比べると、活動に適した時間が圧倒的に少ないのだ。それがこの国の経済的な発展を妨げていた。


 ただ、ギルヴェルスは恵まれた国でもあった。多くの資源を有していたのである。材木、石炭、各種の鉱脈、宝石。ギルヴェルスには多くの資源が眠っていた。エルストはこれらを開発し輸出することにより、ギルヴェルスを富ませた。


 エルストが推進したのは、資源の開発と輸出だけではない。彼は人々が家の中に閉じこもる、冬の期間にも目を付けた。生産活動が大きく制限されてしまうこの期間を、何とか有効活用できないかと考えたのである。


 彼は家内制手工業を奨励した。冬の間、家の中で工芸品を作るよう、人々に勧めたのである。これによりギルヴェルスの国民の間で、木工・金属細工・刺繍・裁縫・宝石の研磨などが幅広く行われるようになった。これによりギルヴェウルス国民の所得は底上げされ、同時に国を富ませるという結果になった。


 エルストが保護したこともあり、ギルヴェルスの手工業は急速にその技術を進歩させた。民家にさえ、精巧な木彫りの細工が施されていることがよくある。そしてそのような物件は、そのまま後の観光資源となった。


 最も大きく花開いたのは、金属細工の技術であろう。これは後の時代に、精密にして機能美を備えた機械式時計として一つの集大成を見る。今でもこの地域には、高級な機械式時計を全て手作業で作る工房が多く、その歴史を紐解くとほとんどはエルストの治めた時代に行き着くのだ。


 エルストは次代の女王を長女アンジェリカと定めて決して覆さず、これによって後継者争いが起こることを防いだ。これは長男レキエルが生まれてからも同様で、その一貫した方針は臣下たちに安堵を与えた。ちなみにレキエルは後にアルヴェスクのアルクリーフ公爵家を継いでいる。


 ギルヴェルスはアンネローゼ、アンジェリカと二代続けて女王によって統治されたわけだが、この期間は安定しそのため国が発展したこともあり、この二人の女王は国民から大いに愛された。


 歴史家たちはエルストを高く評価しているが、一般の民衆が慕うのは彼よりむしろ二人の女王の方である。それさえも彼の思惑のうちと見るのは、さすがに深読みが過ぎるか。なんにしろエルストは終生“王配”であり、決して自らが玉座につこうとはしなかった。「みっともないだけさ」というのが、彼の口癖であったという。


 ちなみに、これは余談であるが、二人の女王が国民から慕われたため、ギルヴェルスでは女王が求められる風潮が強くなった。もちろんこの先の歴史においては男の王のほうが多いのだが、それだけに暗君も多く、「世が乱れると女王が待望される」ということがこの先何度か起こることになる。


 ライシュハルトの功績を特に一つ挙げることは難しい。彼はそれだけ、広範な分野に足跡を残している。ただ強いて一つ挙げるならば、それは国内外における交易の拡大だろうか。


 ライシュが何か特定の特産物を世に送り出した、ということはない。それをするためには、たぶんアルヴェスクという国は広すぎたのだ。それで特産物の選定や生産は各地の代官や領主に任せ、彼はそれを支援する側に徹した。


 彼が行った交易の拡大においても、その方針は貫かれた。彼は交易を行いやすい環境を整えることに注力したのである。そのための方向性はおもに二つ。街道の整備と法制の改定である。


 まず街道の整備であるが、これによってライシュは国内において人が容易に移動できるようにした。物流を活性化させたのである。人・モノ・金の流れを生み出し、それが滞ることのないようにしたのである。


 もちろん、全国津々浦々まで街道を張り巡らせたわけではない。そのためには金と時間が足りなかった。ただライシュはもともとあった主要な街道をつなぎ合わせ、そこから外れることなく国の端から端までいけるようにした。さらにメルーフィスとの間に巨大な街道を通し、これによってかの地を完全に皇国の一部とした。


 次に法制の改定であるが、ライシュは人とモノが天領から天領へと移動する際にかけられていた、通行税と関税を廃止した。これもまた物流を活性化させるための方策である。天領に限られているのは、この分野に関する摂政(皇王)の権限が貴族の領地には及ばないからだ。


 とはいえ、ライシュがこの方針を打ち出すと、これに倣う領主が次々に現れた。どういうことかというと、通行税と関税を課したままでは、その領地に商人が寄り付かなくなるのだ。考えてみれば当然で、わざわざ税金を取られる所へ行きたいと思う商人はいない。


 この結果、皇国のほぼ全土で通行税と関税が撤廃された。これにより皇国内の物流、つまり交易は目覚しく発展する。税の撤廃により一時的な税収の落ち込みはあったものの、活発になった交易による利益はすぐにそれを埋め合わせた。


 さらに商売がしやすいと聞けば、外からも商人がやって来る。こうしてアルヴェスクはユーラクロネ大陸の経済の中心となったのである。すべてはライシュの狙い通りであった。


 ライシュが摂政として政を取り仕切るのは、皇王フロイトスが二十歳になるまでという話であった。しかしフロイトスが二十歳になった時、彼自身が望んでこの腹違いの兄を留任させた。特に大きかったのはエルストの存在であろう。二十歳になったばかりの若造では、彼と対等に渡り合うのは難しかったのである。


 それで結局、ライシュはフロイトスが三十歳になるまで、摂政として政にかかわり続けた。その時もフロイトスは彼に留任を望んだのだが、「これ以上は害悪にしかなりませぬ」と言い切り、引き止める手を振り払って宮廷を後にした。そしてこの後はフロイトスからどれだけ国政に関わる意見を求められても、「ご自分で考えられますように」としか答えなかったという。


 摂政位を辞し、皇籍からも抜けたライシュはリドルベル辺境伯を名乗るつもりでいたのだが、大公位を賜ったことでリドルベル大公と名乗ることになった。この先三代にわたり、リドルベルの家は大公を名乗ることになる。ちなみにライシュの後を継いだのは、長女リーンフィアラの婿となった人物である。


 その後は公爵位となったのだが、もともとが辺境伯であったためか、〈辺境公〉などとも呼ばれるようになる。もちろん正式な爵位ではないのだが、歴代の当主たちは面白がって、この名を好んで使った。


 三人の残した功績はまことに大きく、研究者たちの好奇心を刺激し続けている。未だに新たな資料が発見されることもあって、研究に終わりは見えない。戯曲や舞台の題材として彼らを取り上げたものも多い。誰一人“王”となることなく、しかしこれほどまでに人々の注目を集める彼らは、やはり特異な存在と言えるだろう。


 最後に、付記として三人に大きな影響を与えた妻たちに触れ、筆を置くこととする。


                     ――――とある歴史家の草稿より。



 付記


 ジュリア

 カルノーとの間に、二男二女をもうける。ちなみに女児は双子だった。

 サザーネギアの有名な特産品として樹蜜の他に、毛皮のコートと高い防寒技術が挙げあれる。この二つはカルノーが大きく水準を向上させたとされてきたが、近年の研究で主体的に関わっていたのはむしろジュリアのほうであったことが分かってきた。比較的温暖な地域で生まれ育った彼女にとって、サザーネギアは寒すぎたのかもしれない。



 アンネローゼ

 エルストロキアとの間に、一男二女をもうける。

 アンネローゼは常に女王としてあらゆる場面において矢面にたった。もちろんそのための段取り等を全て整えていたのはエルストだが、彼女は女王の責務から決して逃げなかったのである。また国内外の賓客をもてなす際には、国内で作られた美しい装飾品で身を飾り、その品質と技術力の高さを世に伝えた。ある貴族曰く「華やかな事柄を、華やかにこなす点において、類稀なる人物」だった。



 マリアンヌ

 ライシュハルトとの間に一男一女をもうける。

 マリアンヌについて資料はあまり残されていない。彼女は政に関わろうとはしなかった。ただ彼女は一貫して家族としての皇王家を守ろうとした。フロイトスの后となる女性を見定め、教育したのも彼女であるといわれている。彼女は母であり、また姉であった。悪戯をしたフロイトスを叱るのは専ら彼女の役割で、何度も拳骨を落とされた彼は、生涯この義姉に頭が上がらなかったという。


これにてアルヴェスク年代記、完結でこざいます。

この後、一時間後に人物一覧とあとがきを投稿し、完結設定をします。


いままでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!!


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