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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
結の章 交誼の酒
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交誼の酒33

「まったく。やってくれたな、ライ」


 愚塵ながら賞賛するという、器用な声音を実現しながらエルストはそう言った。カルノーをグリフィス公爵家の世子とし、それを礎としてアルヴェスクとサザーネギアの間に同盟を締結する。この途方もない策を実現したことは、間違いなく賞賛に値する。


 しかしエルストにとっては歓迎せざる事態で、しかも自分が知らないところで全てを決められてしまった。己の力不足が原因なので恨む気持ちはないが、しかし愚痴の一つくらいは言いたくもなる。そんな友人に、ライシュはおどけるようにしながらこう応じた。


「文句ならカルノーに言ってくれ。どちらかと言うと、俺も被害者だ」


「やはり、そうか」


 同盟はともかく、ライシュがカルノーを手放すのはエルストにとっても意外だった。だが同盟の発案者がカルノーであるなら、この一連の流れにも納得がいく。


「……恐ろしい男だな、カルノーは。知ってはいたが、知っているだけだった……」


 グラスに注がれた白ワインを半分ほど飲み干してから、エルストは呟くようにしてそう言った。そして少しの間、考え込むようにして沈黙する。やがて、話すべき時は今しかないと思ったのか、おもむろに口を開いた。


「俺はな、ライ。ずっと…………、カルノーの奴が、羨ましかったんだ」


 長年、ずっと秘め続けてきたその想いを、エルストはこの時ついに吐露した。グラスを両手で持ち、俯き加減になりながら、彼はさらに言葉を続ける。ライシュはただ静かにそれに耳を傾けた。


「自分の力と才覚だけを頼りに、どこまでも駆け上っていく。俺も、そんな生き方がしてみたいと、心のどこかでずっとそう思っていた」


 しかしエルストはアルクリーフ公爵家の世子であった。そのような生き方が許されるはずもない。そして彼自身、それを選ばなかった。しかしその願望は、彼の心の奥底にずっとあり続けた。


 そんな彼が皇王の座を望んだのは、ある意味で必然と言えるかもしれない。彼が目指すべき場所は、もうそこしかなかったのだ。


 しかしその一方で、彼は劣等感を抱え続けた。それは出会って以来のことである。一体自分は、自分の力だけで何をなしたのか。そんな事を考えるとき、彼はライシュやカルノーに対しいつも劣等感を覚えるのだった。


「士官学校時代は、本当にお前達のことが羨ましかった……」


 ライシュは後にレイスフォールの御落胤であることが判明したから、彼に対しては劣等感を覚えることはなくなった。彼に才覚や実力があることは間違いない。だがその一方で血筋による恩恵を彼もまた確かに受けていた。そのことを知って、エルストの劣等感は薄らいだのである。


 だがカルノーへの劣等感が解消されることはなかった。彼は自分の力だけでここまで来た。そしてどこまでも往くことだろう。彼自身は否定するかもしれないが、しかしエルストはそう思っていたのである。そう思い、その姿を眩しく感じ、そのために劣等感を抱かずにはいられなかったのである。


「……アザリアスの簒奪に端を発してあの内乱が始まったとき、俺は血が騒いだよ」


 これでやっと、自分の力を世に問える。皇位を目指すべきときが、己が才覚を頼りに駆け上るときが来たのだ。エルストはそう思った。彼にとって野心とは、あるいは自己の表現の発露であったのかもしれない。


「だが、肝心なところで俺は慎重になりすぎた。いや、臆病になったと言うべきかも知れないな」


 エルストの言葉に自嘲が混じる。彼はあの内乱の際、まずギルヴェルスとの連携を強化しようとした。実効支配している、皇国北部の安定を重視したのだ。そのことを言っているのだろう、とライシュは思った。


「結果は散々さ。カルノーに全て持っていかれた」


 もちろん、カルノーが一人であの内乱を収めたわけで決してはない。アザリアスを討ったのはアーモルジュだし、ホーエングラムを討ったのはライシュとジュリアだ。そもそも彼の動き自体、アーモルジュの命令だった。


 しかしあの内乱の中、一番大きな勝負に出たのはカルノーだ。少なくともエルストはそう思っている。そして彼はその勝負に見事勝ち、また大きく飛翔することになった。その姿は、エルストの目に一際輝いて見えた。


「羨ましかったよ……。正直なところ、ライが摂政になったことより、ずっと羨ましかった……」


 貧乏な騎士家の三男坊でしかなかったカルノーが、子爵位を与えられて近衛軍の士官となり、さらにはジュリア姫の婚約者となった。まさに人も羨む出世である。しかしエルストが本当に羨ましかったのは、周りの人々がその出世を当然のものとして受け入れていたことだ。彼が立てた功績は、それほど大きくまた輝かしいものだったのである。


 それに引き換え自分は、とエルストは自嘲する。大層な野心を抱いているくせに安全策に走った。そんな自分が、たまらなく小さく思えて仕方がなかった。そして決めたのだ。「次こそは躊躇わない」と。


「それで、ユーリアス殿下を殺したのか?」


「そうだ」


 その衝撃的な告白を、ライシュはむしろ当然のこととして受け止めた。最初からおかしいとは思っていたのだ。エルストほどの男が傍にいながら、ユーリアスを死なせてしまうなど。さらにその後、ギルヴェルスで誰が実権を握ったのかを見れば、その仮説が思い浮かぶのはむしろ必然だった。


「お前とて、ゾルタークを(けしか)けたのだろう?」


「まあ、そうだな」


 エルストの言葉に、ライシュは苦笑を浮かべながら同意した。これまた衝撃的な事実であったが、やはりエルストはさも当然のことのように話している。


「お互い、阿漕(あこぎ)な手を打ったものだな」


 白ワインを飲み干し、自分でボトルからお代りを注ぎながら、ライシュは自嘲気味にそう言う。そしてエルストも自嘲気味に笑いながらこう応じた。


「まったくだな。そのせいで、お互い未だに『陛下』と呼ばれていないのかもしれん」


「否定できないのが辛いところだ」


 喉の奥を鳴らすようにして笑いながら、ライシュはそう言った。そんな友人を見て苦笑を漏らしながら、エルストはグラスに残っていた白ワインを飲み干す。そこへライシュにお代わりを注いでもらいながら、エルストはぽつりと呟くようにしてこう言った。


「カルノーの奴なら……」


「ん?」


「いや。カルノー奴ならもっと上手くやったのかもしれない、と思ってな……」


 その言葉は、エルストの抱く劣等感が言わせたのかもしれない。それを聞いたライシュは首をかしげて少し考え、「どうかな……」と言った。そしてさらにこう続ける。


「あいつは思いのほか不器用だからな。意外と四苦八苦していそうだ」


 なかなか表には出さないがな、とライシュは意地悪げに付け加える。それを聞いて、エルストも「そういえばそうだった」と昔を思い出す。士官学校時代、三人の中で課題などに最も時間をかけるのは、決まってカルノーだった。


「……これからどうするつもりだ、ロキ?」


 わずかな沈黙の後、何でも無さそうな口調でライシュがそう尋ねる。そしてつまみのチーズを一切れ食べてから、さらにこう続けた。


「お前の野心について、どうこう言うつもりはない。好きにすればいい。思い通りにさせてやるかは、また別問題だがな」


 にやり、と凄みのある笑みを浮かべてライシュはそう言った。それに対し、エルストは苦笑で応じる。実際いいようにやり込められて、今の彼はまったく打つ手なしの状態だ。本当に容赦のない友人である。


「ただ何にせよ、今のお前はアルクリーフ公爵で、ギルヴェルスの王配だ。つまり、な……」


 少し言いにくそうにしてライシュが言いよどむ。そんな彼に苦笑しながら、エルストはこう応じた。


「心配するな。いまさら放り出したりはしないさ」


「それは何よりだ。好敵手が暗君では、俺の評価まで疑われるからな」


「それはこちらの台詞だ」


 エルストがそう言うと、二人はそれぞれ猛々しい笑みを浮かべた。そして同時にグラスを傾けて白ワインを飲み干した。


「……次は赤を開けるか? ブランデーもあるが」


「では、ブランデーを貰おうか」


 わかった、と言ってエルストがソファーから腰を上げる。新しいグラスを用意し、そこへ芳醇な香りを放つブランデーを注ぎながら、エルストはふとこう思った。


(次は、三人で一杯やりたいものだな……)



□■□■□■



 三人で杯を交わしたいと言うエルストの願いは、思いのほか早く実現した。アルヴェーシスで同盟の調印を終えたカルノーは、ライシュの要望もあって今度は北周りでサザーネギアへ帰るのだが、その際にパルデースへ立ち寄ったのである。


 グリフィス公爵家の世子となったカルノーに対する反応は、決して芳しいものではなかった。とはいえ、サザーネギアはアルヴェスクの同盟国となり、さらにライシュの義弟である彼を粗略には扱えぬ。そのため極めて形式的な歓待が行われた。


 カルノーにしてみれば、居心地がいいわけがない。そんな彼をエルストはなにくわぬ顔でもてなした。彼が笑い出したいのを堪えていることに、本人を別にすればカルノーとライシュだけが気付いていた。


 やがて居心地が悪いだけの晩餐会も終わり、カルノーら三人はエルストがよく使う私室の一つに集まった。ちなみに、少し前にライシュとエルストが二人で飲んだのもこの部屋である。


「まったく、新手の拷問かと思ったよ」


 酒と軽食を運んできた侍女が下がると、珍しく疲れきった顔をしてカルノーがそうぼやく。“歓迎されていない歓待”というのは、エルストなどにしてみれば結構馴染みのあるものなのだが、彼にはまだ精神的負荷が大きいらしい。


「まあ、慣れることだな。これからはたぶん、よくあるぞ」


 エルストが意地悪げにそう言うと、カルノーは露骨に顔をしかめた。そんなところは昔と変わらず純朴で、彼は少しだけ安心するのだった。


「ひとまず飲もうじゃないか。ああいう席でいくら飲んでも、気持ち良くは酔えん」


「そのせいで余計に疲れる」


「まったくだ」


 そんな言葉を交わしながら、三人は揃って酒の用意をした。開けるのはライシュが適当に選んだ赤ワインのボトルだ。コルクを抜き、並べられた三つのグラスに注ぐと、華やかだが厚みのある果実の香りが部屋の中に広がった。


「乾杯でもするか。……俺達の未来に」


「再会に」


「繁栄に」


 三人はそれぞれ好き勝手な言葉を口にして、グラスを掲げた。そして軽く触れさせて軽やかな音を立ててから、それぞれグラスを口に運んだ。


「……美味いな。いいワインだ」


 一息で赤ワインを飲み干したライシュが、満足そうにそう呟く。そして無造作に赤ワインのボトルを掴んで二杯目を注ぐ。


「……そういえばカルノー。ジュリアの手紙を届けてくれたこと、感謝するぞ」


 グラスの中で赤い液体を回して香りを楽しみながら、ライシュはサンドイッチに手を伸ばすカルノーにそう言った。アルヴェーシスで彼に渡すはずだった手紙だが、彼が留守だったのでこうしてパルデースまで持参したのだ。カルノー自身は忙しく、そのため直接手渡すことができず部下に届けさせたのだが、どうやらちゃんとライシュの手に届いたようである。


「何が書いてあった?」


「謝罪と言い訳と、子供のことさ」


 面白がるようにライシュがそう答える。それを聞いて、カルノーは「やっぱり」と笑った。


「今、返事を書いている。後で届けさせるから、持っていってくれ」


「分かった。それにしても、ライのところは筆まめだね」


 ステラとマリアンヌからも、当たり前にジュリアに宛てた手紙を預かっている。一方のカルノーは実家や師父と仰ぐアーモルジュに何の手紙も出していないことをステラに知られ、懇々とお説教をされてしまった。


 それで手紙を出すことを約束したのだが、いざ筆を持って便箋を目の前にしてみると、何を書いていいのかさっぱり思い浮かばない。おかげで一晩、白い便箋を前にして散々苦労することになった。


「お前も大概だな……。まあ、俺の場合は言っておかねばならぬことが山ほどあるだけだ。あのじゃじゃ馬のお転婆には、な」


 苦笑を浮かべながら、ライシュはそう言った。どうやら手紙は長大に、封筒は分厚くなりそうだ。ちなみにステラとマリアンヌの手紙も同様である。


「……そういえば、オスカー子爵家はどうするつもりだ?」


 そう尋ねたのはエルストだった。根っからの貴族である彼にとって、家の行く末というのはやはり気になるものなのかもしれない。


「ああ、それならしばらくは当主不在のまま存続させることにした」


 領地があるわけではないからな、とライシュは付け足す。カルノーがグリフィス公爵家の世子となってしまったせいで、現在オスカー子爵家は当主・後継者ともに不在の状態である。普通なら断絶となるのだろうが、ライシュはそうはせず当主不在のまま子爵家を残すことにした。


 これは将来的にカルノーとジュリアの子供を、つまり自分の甥(姪になるかもしれないが)をアルヴェスクに招くための布石である。それが無理なら、自分の子や孫を送り込めばよい。どちらに転んでも、損となることは何一つない。ライシュはそう考えていた。


 そしてさらにもう一つ、オスカー子爵家を残しておくには理由があった。


「それに、母上が皇都に逗留される際、あの屋敷があると何かと都合がいい」


 ライシュの母であるステラは、皇太后イセリナとの間に波風を立てぬよう、細心の注意を払っている。そのため彼女は宮廷に部屋を用意することをひたすら固辞していた。そんな彼女が気兼ねなく皇都へ来られるようにするために、当主不在であるオスカー子爵家の屋敷は都合がいいのだという。


「有効に使ってもらえればありがたいよ。使用人達のこともあるしね」


 ほっとした顔を見せながらカルノーはそう言った。維持管理のため、当然屋敷では幾人かの使用人たちが働いている。暇を出さねばならないのなら十分な支度金を持たせるつもりではいたが、オスカー子爵家が存続するなら人手では必要だ。継続して働けるなら彼らもそれが一番いいだろう。ちなみに彼らの給金はライシュの懐から出ることになっている。本人曰く「大した額でもないので気にするな」だそうだ。


「……ところで、二人の子供の婚約が正式に決まったと聞いたよ。めでたい話だ。祝福してあげよう」


 含み笑いをしつつ悪戯っぽくそういって、カルノーは赤ワインのボトルを掲げた。ライシュは笑みを、エルストは苦笑を浮かべながらグラスを差し出す。そこへ彼はなみなみとワインを注いでやった。


「亜父殿を説得するのに少し時間がかかったが、この話を纏められて満足している」


「おかげで俺は“籠の鳥”だ」


 少々憮然とした口調でエルストがそう言う。どちらかと言うと「檻の野獣」と言った感じだが、それは今更か。


「ひどいな、それは」


「ロキを閉じ込めてしまうなんて、悪魔のような手腕だね」


「お前らのせいだよ」


 楽しげな表情で好き勝手に言う友人二人に、エルストはげんなりしつつぞんざいな口調でそう言った。


「ロキが“籠の鳥”なら、俺は“釣り人”だな。餌だけ取られて魚には逃げられた」


 ライシュがカルノーのほうを見ながら少々恨めしげにそう言う。彼が何を言いたいのか、カルノーはもちろん承知している。だが、彼は素知らぬふりを決め込んでこう応じた。


「下手だね」


 見も蓋もないその言葉に、ライシュはますます渋い顔をした。そしてエルストのほうに顔を寄せ、声を潜めてこう言う。


「腹黒くなってないか?」


「だろう?」


 そのひそひそ話しはもちろんカルノーの耳にも届いていたのだが、彼はそれこそ素知らぬふりである。


(それにしても……)


 それにしても自分たち三人は奇妙な関係だ、とカルノーはふと思った。牽制し、隙を狙い、戦場で殺しあう。自分達のことながら、それでよく友人をやっていられるものだと思う。


(それでも……)


 それでも、一人も欠けることなくこうして三人でいられることが、何よりも嬉しい。そう思い、カルノーはふっと笑みを浮かべた。


「どうした、カルノー?」


「気色悪いぞ」


 遠慮のないその物言いも、気心の知れた仲であればこそ。


「三人で飲む酒は美味いと思ってね」


 カルノーのその言葉に、ライシュとエルストは一瞬だけ呆けた顔をしたが、すぐに二人ともしっかりと頷いて見せた。


 そして三人はグラスを掲げる。乾杯の音頭はない。それでも三人は同時にグラスの中身を飲み干した。


 後にカルノーはこの時の酒について、こんな言葉を書き残している。


『……交誼の酒はまことに美味く、勝利の美酒といえどもこれには及ばないであろう』



 結の章 ―完―


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