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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
起の章 野心の目覚め
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野心の目覚め7

《アーモルジュ様。貴方がこの手紙を読むとき、私はすでにこの世にいないでしょう》


 ブルミシェスの遺書は、そんな書き出しで始まっていた。そしてさらにこう続く。


《このような書き出しですから、これが私の遺書であることはすでにお察しいただけたこと思います。いえ、遺書というのも正しくないのでしょう。これは私の罪の告白です。アーモルジュ様、どうか私の犯した大罪を聞いてください》


 そしてこの次の一文には、ブルミシェスが犯したという大罪について、簡潔にこう述べられていた。


 ――――私は、レイスフォール陛下のご遺書を書き換えてしまったのです。


《あの日、私は病床にあったレイスフォール陛下の枕元に呼ばれました。陛下のご遺言をお聞きするためです。そこにはアザリアスもおり、彼が陛下の話されたご遺言を書面にしたためました。……》


 レイスフォールの遺言は簡潔な内容であったと言う。アールレーム皇太子を葬儀の喪主、つまり次の皇王に指名し、その心構えを説いた。さらにその後、貴族や直臣たちへの訓示が続き、そして最後に「皆が新たな皇王を支え、アルヴェスク皇国をさらに発展させていくことを願っている」と締めくくられていた。


《……私はアザリアスが記した内容を確かめ、そこに玉璽を押しました。そして封筒に収めて封をし、保管するために預かりました。……》


 アザリアスがブルミシェスにその話を持ちかけてきたのは、その後であったという。「折り入って話がある」と言って二人きりになると、アザリアスはこう切り出した。


『ブルミシェス殿。陛下のご遺言について、いかが思われますかな?』


『予想通りの内容であったと思いますが……。何か意外な点でもありましたかな?』


『いいえ。わたしも、アールレーム皇太子が次の皇王に指名されるであろうと思っておりました』


 しかしそれではわたしが困るのですよ、とアザリアスは薄ら笑みを浮かべながらそう続けた。


『困る? 困るとは、一体……?』


『ブルミシェス殿もご存知の通り、わたしはもともと旅の吟遊詩人でした。つまり、皇国の生まれではありません。それゆえ、アールレーム皇太子には快く思われていない節がありましてなぁ……』


 アザリアスはそう言って大仰に嘆息して見せた。そしてさらにこう続ける。


『アールレーム皇太子が即位されれば、わたしはきっと御伽衆としての務めを解かれてしまうでしょう』


『それは……』


 十分に有り得ることだ、とブルミシェスは思った。新たな皇王の即位に際し、その周辺の人事が一新されることはよくある。まして御伽衆というのは要するに話し相手であり、つまり政治的な権限を持たない。そのため他の役職と比べて皇王自身の好みを反映しやすく、また簡単にその人事を変更できた。


『しかし、それは致し方のないことではありませんか? 実際、そのような役職であればこそ、あなたも陛下のお傍でお仕えすることができたのですから』


『御伽衆を解任されるだけであれば、むしろ幸運でしょう。ですがアールレーム皇太子は、きっとわたしを殺そうとされるに違いありません』


『まさか、そのようなことは……』


 ブルミシェスは笑ってそう否定したが、しかしそのような事例は年代記を紐解けば決して珍しくない。新たな皇王の即位と同時に何かしらの粛清が行われることは、アルヴェスク皇国の歴史の中でも少なからずあった。そしてそのように粛清された者の中には罪を犯したわけではなく、ただ邪魔であったから殺された者もいるのだ。


『それにブルミシェス殿。貴方も他人事ではありませんよ』


 そう言ってアザリアスはブルミシェスのほうに話の矛先を向けた。そして彼はどこか酷薄な笑みを浮かべながらこう続ける。


『アールレーム皇太子が皇王となられれば、貴方はきっと侍従長を解任される』


『それは……。そうかもしれませぬが、しかしそれは致し方のないこと』


 侍従長とは宮廷を取り仕切る、いわば要のような役職だ。皇王の私生活の一切を任され、行事があればその準備と監督を行い、主の相談に乗り、さらには玉璽の管理まで行う。能力はもちろんだが、それ以上に信頼にたる人物であることが何よりも求められる役職なのだ。


『アールレーム皇太子が信頼の置ける人物を探し、その方を侍従長とする。これが筋でしょう』


 かつてブルミシェスもそのようにしてレイスフォールから侍従長に指名されたのだ。当然、その時には先任の侍従長は解任された。だからアールレームが新たな侍従長を指名するときには、自分は潔く身を引く。ブルミシェスはそう決めていた。


 しかし、そんなブルミシェスに対し、アザリアスはやはり酷薄な笑みを浮かべながらこう言った。


『申し上げたはずですよ。他人事ではない、と。貴方もきっと殺されてしまう』


 まさかそのような、とブルミシェスは言うことが出来なかった。不正を働いた覚えはない。しかし侍従長という役職柄、表には出せない、墓場まで持っていかなければならない秘密は幾つか抱えている。そしてその中にはアールレームが関わっているものもあった。


『不正を行ったわけでもないのにその役職を取り上げられ、さらには殺されてしまう。長年の忠義に対するこの仕打ち。理不尽だとは思いませんか?』


 ブルミシェスが唾を飲み込み言葉を詰まらせたのを見て、アザリアスは酷薄なその笑みを深めながらそう言った。そしていとも滑らかに次の言葉を続けた。


『我々は、自らの命を守るために行動しなければなりません』


『……何を……、すると、言うのです……?』


 ブルミシェスはほとんど喘ぐようにしてそう言った。そんな彼に対し、アザリアスはいっそ優しげに微笑みながらこう答える。


『陛下のご遺書を、書き換えるのですよ』


『馬鹿な!!』


 さすがにブルミシェスは叫んだ。皇王の遺書を書き換えることは簒奪に匹敵する大罪だ。それに加え彼の場合、レイスフォールの遺書を書き換えること、つまり敬愛する主君の遺志を捻じ曲げることには、より重大な禁忌を感じざるを得ない。「法で禁じられているから」というではなく、より根本的な、生理的な拒絶とでも言うべき反応である。


 激昂するブルミシェスを前に、しかしアザリアスは優しげな笑みを崩さない。そして穏やかな口調でこう言った。


『ブルミシェス殿には、宰相職にお付願いたい』


 宰相、と言われた瞬間、ブルミシェスは一瞬だけその言葉に反応した。そしてアザリアスはその反応を見逃さない。続けて、こう言い添えた。


『存分に国を動かしてみたいとは思いませんか。かつてアーモルジュ殿が宰相としてその辣腕を振るわれたのと同じように』


 今度こそ、ブルミシェスは言葉を失った。彼にとってアーモルジュは尊敬すべき兄のような存在であり、また長年目標としてきた人物だった。そのアーモルジュと同じ役職に就く。それはブルミシェスにとって抗いがたい誘惑だった。


《……私にとって、宰相職は特別でした。いえ、アーモルジュ様、貴方こそが特別でした。レイスフォール陛下のことも尊敬し敬愛しておりましたが、あの方は私にとって遠すぎました。


 人は、月を眺めて美しいと思っても、そこに行ってみたいとは思わぬもの。仮にそう思ったとしても、時経つうちにそれは出来ないのだと悟る。私にとって陛下はそういうお方だったのです。


 その点アーモルジュ様は、こう言えばお怒りになられるかもしれませんが、手が届きそうに思えたのです。その背中を追っていればいずれ追いつけるのではないかと、そう思ってしまったのです。


 それが浅はかな考えであったことは、すぐに分かりました。アーモルジュ様の残された功績と実績は大きく、どれだけ私が職責を果たそうとも追いつけるものではありませんでした。


 だからこそ、なのでしょう。アザリアスから宰相職を提示されたとき、私の心はどうしようもなく揺れました。このことについて、アーモルジュ様が責任をお感じなる必要はまったくありません。全ては、私の弱さが原因なのです。……》


 結局、ブルミシェスはアザリアスの手を取った。取って、しまった。つまり、レイスフォールの遺書を書き換えることに同意したのである。このときアザリアスがどのような笑みを浮かべていたのか、年代記はもとよりブルミシェスの遺書にも書かれてはいない。


『しかし、ご遺書を書き換えたとしても、反発はあるでしょう』


 ブルミシェスはそう懸念を口にした。なにしろ誰も考えていなかったような内容になるのである。裏を訝しがる者は必ず出てくる。武力を使われれば、ブルミシェスとアザリアスに抗うすべはない。


『もう一人引き込みましょう。心当たりがあります』


 そう言ってアザリアスが名前を挙げたのが、他ならぬ近衛軍司令官ホーエングラム大将軍だった。彼に対し、アザリアスはこう囁いた。


『アールレーム皇太子が即位されれば、近衛軍司令官の座はラムサリス将軍か、あるいはヤフディール将軍のものとなるでしょう。大将軍はこれまで立派にその職責を果たしてこられました。それなのに、アールレーム皇太子はそれに報いようとはされないのです』


 そしてさらに彼はこう続ける。


『フロイトス様が次の皇王となられれば、当然成人されるまで親征されることはないしょう。その場合、皇国軍の全軍を率いるのは、大将軍、あなたです。大将軍の武威と堯勇、そしてアルヴェスク皇国の精鋭が揃えば大陸の統一も夢ではありません』


 アザリアスの説得が功を奏し、ホーエングラムもまた彼ら二人の盟友、あるいは共犯者となった。そして三人は秘密裏にレイスフォールの遺書を書き換えたのである。


《……文面は三人で考え、それをアザリアスが清書し、最後に私が玉璽を押しました。私が保管していた本物の遺書は、三人の目の前で燃やしました。こうして私たちは、レイスフォール陛下のご遺書を書き換えてしまったのです。そこから先のことは、アーモルジュ様もご存知の通りです。……》


 レイスフォールの死後、偽の遺書が開封されアールレーム皇太子はそこに書かれたとおりに自決した。そしてフロイトスが新たな皇王となり、アザリアスは侍従長に、ブルミシェスは宰相になった。ホーエングラムも近衛軍司令官の地位を安泰のものとした。


《……しかしながら、内乱はやはり起こりました。私は宰相としてそれを鎮圧するよう命じなければなりませんでした。


 私は、レイスフォール陛下のお子を、次々に殺していったのです。しかもその根拠となっているのは、あろうことか私たちが書き換えたあの遺書でした。……》


 それはブルミシェスにとって耐えられない呵責となった。それでも、内乱状態の国を放り出すわけにはいかぬと自分に言い聞かせながら、彼は宰相としての務めを果たし続けた。しかし宰相としての務めを果たせばはたすほど、彼はさらなる呵責と自己嫌悪に苛まれていく。


 望んでいた宰相という地位にいるとはいえ、しかし所詮それは小狡い謀略の果てに手に入れたに過ぎないもの。アーモルジュのように自らの力で上り詰めたわけではない。自分と言う存在が彼の不出来なまがい物であることは、ブルミシェス自身もうすでに気づいていた。


《……大罪を犯した私に、このようなことを言う資格はないのでしょう。ですが、もう耐えられません。死を持ってすら償いきれるものではないのでしょうが、しかし私が生き続けることはそれ自体が罪でしょう。されば、これ以上の罪を犯さぬために、私は自らの命を絶つことを選択します。……》


 こう書かれた後もブルミシェルの遺書はまだ続きがあった。そこで彼は自分が死んだ後のことを、こう予測している。


《……これが私の遺書ですから、私が死んだ後、そのすぐ近くで遺書が見つかることはありません。そのようにして私が死ねば、アザリアスとホーエングラムは互いが私を暗殺したと疑い、疑心暗鬼になるでしょう。


 彼らがどのように動くのかは分かりませんが、あるいはもう一度大きな内乱が起こるかもしれません。その時、アーモルジュ様にはこの遺書を公開して彼らを糾弾し、その内乱を治めていただきたく思います。


 まことに勝手なお願いでご不快に思われることと存じますが、しかしアーモルジュ様以外にこの遺書を託すことの出来る方は思いつきませんでした。レイスフォール陛下の御為、なにとぞよろしくお願い致します》


 ブルミシェスの遺書はこのようにして締めくくられていた。謁見の間でカディエルティ領軍の屈強な兵士に取り押さえられたアザリアスは、目の前でアーモルジュが読み上げるブルミシェスの遺書のその内容を聞いて顔面を蒼白にしていた。そして、アーモルジュがそれを読み終えるとこう叫んだ。


「で、出鱈目だっ! カ、カディエルティ侯爵! 余を貶めようとしてこのようなものを捏造するなど、恥を知れっ!!」


 アザリアスは唯一自由になる首から上を駆使してそう喚く。アザリアスのその見苦しい反応に、アーモルジュは怒りで顔を赤黒くする。


「この期に及んでまだそのようなことを言うのか! ではなぜブルミシェスは死んだ!? この遺書が出鱈目であるというのであれば、なぜ奴は宰相の職責を放り出して死んだのだ!?」


「知らぬ! 余は何も知らぬのだ!!」


 アザリアスは唾を飛ばしながらそう叫んだ。アーモルジュはそんな彼を静かに、いや冷たく見据える。いまや彼の怒りは沸点を突破し、凍えるような殺気が彼の中で渦巻いている。


「そうか」


 アーモルジュは短くそう呟いた。初めて聞く彼のその冷たすぎる声に、その場にいたカディエルティ領軍の兵士たちは揃って背中を粟立たせていた。そんな中で、しかしアザリアスだけは場違いにも安堵の笑みを浮かべる。


「お、おお。ようやく分かってくれたか、カディエルティ侯爵。では早く自由にしてくれ。腕が痛くてかなわん」


「腕が痛いか。では、斬り落としてやれ」


 ゾッとするほど平坦な声でアーモルジュはそう命じた。彼が口にした言葉の意味が理解できなかったのか、アザリアスは「は?」と声を漏らして間抜けな面をさらす。そして彼がその言葉の意味を理解するより早く、彼の両腕は兵士たちの手によってその肩口から斬り落とされた。


「あぎゃあああぁぁあああああ!!?」


 アザリアスが身を仰け反らせて悲鳴を上げる。彼は身を捩じらせたが、しかしすぐさま兵士たちによって顔を大理石の床に押し付けられる。その様子を、アーモルジュは表情一つ変えずに冷たく見下ろしていた。


「……じ……、じひ……、じひ、を……」


 アザリアスが息も絶えだえになりながらそう喘ぐ。涙と涎を流しながら慈悲を嘆願する彼に、アーモルジュは凍えるような声のままこう応じた。


「慈悲が欲しいか」


「……じひ、を……。ごじひ、を……」


「では死ね」


 淡々とした、しかし凍えるように冷たい声で、アーモルジュはアザリアスに死を命じた。そしてゆっくりとした動作で腰間の剣を抜く。彼は構えを取らなかったのでその剣の切っ先は床に向けられ、磨かれたその刀身に怯えたアザリアスの顔が映った。


「貴様の犯した大罪、報いるのであれば死すら温い。だが、慈悲が欲しいというのであればくれてやろう」


 そう言ってアーモルジュは剣を構える。それを見てアザリアスの頭を床に押さえつけていた兵士がその手を放す。拘束の緩んだアザリアスが首を上げると、そこには剣を構えるアーモルジュがいた。その時ようやく、アザリアスは彼の全身から噴出す冷たい殺気に気がついた。


「死こそが、儂がお前にくれてやれる最大の慈悲じゃ」


 そう言ってアーモルジュはアザリアスの首を刎ねた。大理石の床の上に転がったその首を見て、彼は一つ小さな息を吐く。そして剣に付いた血を払うと、それを鞘に戻した。


「その首は蝋蜜漬けにして保管せよ。身体は犬にでも喰わせておけ」


 アーモルジュはそう命令を出してから玉座に近づいた。そしてその前で静かに一礼する。ようやくレイスフォールへの忠義を果たせたように思った。


 一礼をし終えると、アーモルジュはすぐに頭を切り替えた。考えるべきこと、そしてやるべきことはまだまだ数多い。アザリアスを討ったとはいえ、この内乱を終わらせアルヴェスク皇国に平穏を取り戻すにはまだ遠い。もう一人の大罪人、ホーエングラム大将軍率と彼が率いる50万の討伐軍がまだ無傷で残っている。さらに彼を討ったとしても、北方・西方の両連合軍に矛を収めさせなければならない。


 そのためには、アーモルジュ一人ではどうしても力が足りない。皇国の民全てが納得する旗頭が必要だ。


「イセリナ様とフロイトス様はどうした?」


「はっ! すでに我が軍が保護しております!」


 兵士の一人が答えると、アーモルジュは満足げに頷いた。


「うむ。ではお二方にお会いしてくるとしよう。まずはそれからじゃ」


 そう言ってアーモルジュは謁見の間を後にした。宮廷の廊下を歩きながら、彼はふと先行して討伐軍の後を追わせた弟子のことを思い浮かべた。


(巧くやれよ、カルノー)


 アーモルジュは心の中でそう呟き、彼のことを激励した。


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