交誼の酒20
エルストにとっては大変不都合なことに、二回目の交渉の席に姿を見せたエドモンドは、憮然とした態度ながらもこの交渉を継続する意向を見せた。同じく席に着いたアレスニールのほうを見れば、彼は満足げに莞爾とした笑みを浮かべている。どうやら彼が上手く説得してしまったらしい。
(ちっ……)
エルストは内心で舌打ちする。これで流れは大きく講和へと傾いてしまった。もし遠征軍が完全な一枚岩であるか、そうでなくともギルヴェルスの立場が圧倒的に強ければ、一方的にこの交渉を蹴って戦端を望むこともできただろう。しかし遠征軍の内部では、近衛軍8万を擁するラクタカスとカルノーが講和を望んでおり、いかにエルストとてこれを無視することはできなかった。
それでひとまずは、エルストも交渉に臨む姿勢を見せなければならない。そして交渉に臨む以上は、あまりにも非現実的な要求をするわけにはいかない。交渉に不誠実と思われれば、アルヴェスクとの同盟に亀裂が入るだろう。現時点で皇国と剣呑な関係になるのはエルストも望んでいなかったし、また普通に考えてあり得ない要求をすれば彼自身の能力が疑われる。ギルヴェルスでの基盤を確たるものとするためにも、それは避けなければならなかった。
「講和の条件として、ギルヴェルスは15州の割譲を要求します」
それで、エルストはまずそう述べた。敲き台となっているアレスニールの条件案と比べて、随分過大な要求である。ただ、最初は吹っ掛けるのが交渉事の基本だ。さらに、これに逆上したエドモンドが交渉の席を立てば、講和はご破算になる。何を隠そう、それこそがエルストの最大の望みだった。
(ロキめ……)
ラクタカスの後ろで交渉を見守っていたカルノーは、友人の提示した条件を聞き、思わず内心で苦笑した。彼が抱くもう一つの思惑に勘付いたのだ。
エルストは領土の割譲だけを要求し、賠償金を求めなかった。よって彼の要求が通った場合、アルヴェスクが得る分け前も金銭ではなく領地になる。
一見して結構なことのように思えるが、実際にはそうでもない。アルヴェスクとサザーネギアは国境を接していないからだ。つまり新たな領地は飛び地になる。ここを任された領主や代官は、さぞかし心細い思いをすることであろう。
そこに、エルストは付け込む気でいる。アルヴェスクが得た新たな領地。そこを任された領主や代官を、エルストは調略して自らの側に引き込むつもりなのだ。そうすれば、彼は遠征の成果を実質的に独り占めできる。
そういうエルストの思惑を、カルノーはほぼ正確に察していた。その上で苦笑する程度で済んでいたのは、彼がアルヴェスクとサザーネギアの同盟の話を知っていたからだろう。それにこの要求がそのまま通るとは、さすがに彼も思っていない。
「……講和の条件として、サザーネギアは10州分の年間租税相当額を提示する」
憮然とした表情のまま、エドモンドはエルストに自身の対案を提示した。予想通り、こちらは敲き台に比べ過小な内容である。
双方が条件案を出したことで、いよいよ本格的な交渉が始まった。まず口火を切ったのはエドモンドのほうだった。
「ギルヴェルス王国におかれては、先の内乱の傷がまだ癒えていないと聞き及んでおる。大軍を維持するのも苦であられよう。
加えて、王配殿下におかれては、義父のユーリアス殿下を亡くされたばかり。喪も明けぬうちにこのようにな仕儀に及ぶとは、人倫の道に反し不孝というもの。ここは早急に軍を退かれるがよろしいと存ずる」
意外と滑らかに口上を述べるものだ。これを聞いてカルノーはそう思った。エドモンドは確かに直情型の人間だが、しかし同時に巨大派閥の盟主でもある。その貫禄を垣間見た気がした。
「内乱の傷を癒し、義父上の喪に伏して妻共々静かに悲しんでいられれば、なるほどそれこそが最上。しかし義父上の願いは国と民の安寧。下劣な盗賊どもが跋扈するを放置していては、かえって叱られてしまいまする。ゆえに今はあえて馬上の人となり、王国を脅かす者どもに懲罰をくれてやるのが、我が孝にござる」
一方で舌の滑らかさならばエルストも負けてはいない。その上、彼の言葉は辛辣だった。無論、これは挑発であり、エドモンドを逆上させることが目的だった。
「ここはサザーネギア連邦でござる。どこに貴国を脅かす者がいると?」
「この私の、目の前に」
エルストがぬけぬけとそう言い返すと、エドモンドが猛々しい笑みを浮かべた。言うまでもなく怒っている。とはいえ、半分以上は演技だ。いい方はともかく、エルストの言っていることは事実なのだから。ただ、怒って見せなければ面子が立たないのである。
「まあまあお二人とも。和平がなれば双方良きようになりましょうぞ」
二人の視線が擦れて不可視の火花を散らしていると、頃合を見計らってアレスニールがそう声をかける。場違いに明るいその声に、エドモンドは毒気を抜かれたように大きく息を吐く。それから改めてエルストを見据えてこう言った。
「……ともかく、15州の割譲というのは過剰な要求である。受け入れられん」
「では何州なら良いのです?」
「先に述べたとおりだ。領土の割譲はせず、和解金を持って講和と為す」
エドモンドは「賠償金」と言わず、あくまでも「和解金」という言葉を使った。サザーネギアの責任を少しでも軽くするための言葉だ。
「ギルヴェルスの国庫は空であろう? 良き落し所であると思うが」
そう言ってエドモンドは嫌味ったらしい笑みを浮かべた。それをエルストもまた笑みを浮かべて真正面から迎え撃つ。
「ご心配なく。当座に不安はありませぬし、3年もあれば満ち溢れるほどになりましょう。そのためにも、今必要なのは実ではなく種なのです」
自信をのぞかせながらエルストはそう言った。それを実現不可能な大言壮語と思ったのだろう、エドモンドが失笑を浮かべる。とはいえその言葉が掛値なしに本気であることに、本人を別にすればカルノーだけが勘付いていた。
この日の交渉は、結局平行線のまま終わった。簡単に譲れば足元を見られる、という思惑もあったのだろう。互いに強硬な姿勢を崩さなかった。
(これは……、難儀な交渉になりそうだな……)
眉間に小さくしわを寄せながら、カルノーは内心でそうごちる。彼の懸念はエドモンドよりも、むしろエルストのほうに向いていた。
あの友人が、本心では交渉を纏めたくないと考えていることに、カルノーは気づいている。そのため、彼は交渉に臨みつつも強硬な姿勢を崩さないだろう。相手が呑み難い要求を突きつけ、それを拒否したことを理由に戦端を開く。万が一相手が要求を呑めば、その時は労せずして多くの戦果を得られる。それが彼の腹のうちだろう。
(あと一手、あと一手欲しいな……)
難しい顔をしながら、カルノーはそう思う。エルストを交渉に向かわせる、その一手が。しかしその一手が遠い。少なくとも、この場ですぐに思い浮かぶことはなかった。
(一人で考えても埒が明かない、か)
カルノーは一人でそれを考えることを諦め、後でラクタカスと相談することにした。彼の方が権限や影響力が強い。カルノーよりも多くの選択肢があるだろう。しかし結局のところ、交渉の行方がエルストの思惑に大きく左右されることに変わりはない。それで、どれだけ二人で意見を出し合おうとも、決定的な一手はなかなか思い付かなかった。
その一手は、意外なところからもたらされた。とはいえカルノーとラクタカスは、その中身を知らない。ただ交渉に臨むエルストの態度が変わった。それを見て彼らは、何かあったと感づいたのである。彼らが後に知ったことだが、それはライシュがそれと知らずに打った一手だった。
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「女王陛下からの書状だと……?」
二度目の交渉を終えて本陣に戻ってきたエルストを待っていたのは、ギルヴェルス女王にして彼の妻でもあるアンネローゼからの書状だった。彼は一瞬「勅書か」と身構えたが、使者の様子からしてどうやら普通の書状であるらしい。
「ご苦労であった。下がって休め」
大急ぎで来たらしく疲労の酷い使者を労って下がらせる。それからエルストは封筒を開け、中に入っていた便箋を取り出して目で文面を追う。
アンネローゼからの手紙は、まずは彼女の近況報告から始まっていた。そして娘のアンジェリカの成長を伝えるくだりになると、エルストも思わず笑みをこぼす。しかし読み進めるにしがたい、彼の表情はだんだんと険しくなっていった。
「ライめ……」
エルストは小さくそう呟いた。表情は険しいが、しかしそのくせ口元には小さく楽しげな笑みが浮かんでいる。
アンネローゼからの手紙には、要約すると次のような事柄が書かれていた。
曰く「最近、アルヴェスクの摂政殿下が皇国北部で調略の動きを活発化させている。そのせいか、ギルヴェルスとの交易には鈍化が見られる……」
ライシュが何を仕掛けてきたのか、エルストはすぐにそれを理解した。国内交易や他の貴族家との婚姻や婚約を駆使して、皇国北部におけるアルクリーフ公爵家の影響力を弱めようとしているのである。それが来るべき対決に向けた布石であることはすぐに分かった。
「やってくれる……」
やはり口元には楽しげな笑みを浮かべながら、エルストはそうごちる。彼がアルヴェスクに、いやせめてギルヴェルスの王宮にいれば、ライシュのこの動きに割って入ることもできただろう。しかし今、彼は遠くサザーネギアの地にいて敵軍と相対している。指示を出すにも、報告を受けるにも、ここでは時間がかかりすぎる。ライシュの動きに対抗したくとも、この状態では身動きが取れなかった。
講和、という単語がエルストの脳裏に浮かぶ。講和して軍勢を引き、ライシュの動きを牽制する。今ならばまだ、アルクリーフ公爵家の影響力を十分に保持できるだろう。彼にはその自信があった。
しかし講和の落し所として思い浮かぶのは、カルノーとアレスニールが纏めてきたあの条件案である。当然その内容はエルストにとって不満だった。だがここで交渉が長引けば、皇国における自身の地盤を失いかねない。悩ましい問題だった。
「これが、あの二人を敵に回すということか」
片手で目を覆い、喉の奥を鳴らすようにしながらエルストは笑った。カルノーとライシュの二人が有能であることは十分承知している。その点から言えば、この状況は予想外でもなんでもない。
予想外であったのは、カルノーがこうも早く積極的な動きを見せたことだ。エルストの最初の予想では、ライシュとの対立がいよいよ決定的にならない限り、彼が自分の前に立ちふさがることはないだろうと思っていた。
カルノーを侮っていたわけではない。ただ彼は性格的に、敵でもない相手の足を引っ張るのが苦手だ。嫌っている、と言ってもいい。それは彼の高潔なところだろう。ただそれゆえ権力を握るには向かない、というのがエルストの評価だった。
(動かぬと、思っていたのだがなぁ……)
内心でエルストはそうぼやく。ラクタカス大将軍が援軍を率いると聞いて、彼はカルノーの出番はないと踏んでいた。昨年のギルヴェルスの内乱で戦ったばかりであったし、今回は骨休めを兼ねて留守居役だろうと思っていたのだ。メルーフィスへ向かうという話は聞いていたが、それも近衛軍再編に伴う兵の調練と言う話で、エルストはそれを疑っていなかった。
だがカルノーは動いた。そしてライシュと対決する前の、勢力拡大の段階で盛大な横槍を入れられた。言うまでもなくあの条件案のことだ。あれはギルヴェルスではなく、エルストを牽制するためのものだ。彼にはそれがすぐに分かった。
カルノーは、エルストとライシュが争うことを望んでいない。いや、「争わせるものか」とさえ思っている。そういう彼の意思がはっきりと感じられる行動だった。
「やれやれ、手強いな……」
ライシュも、そしてカルノーも。本来であれば嘆くべきなのだろうが、エルストはむしろ誇らしさを感じていた。
「講和を受けるか、それとも受けざるか、それが問題だな」
エルストは頭を切り替え、意識をそこに戻す。それはつまり、アルヴェスクにおける公爵家の影響力を優先するのか、それともサザーネギアから切り取る新たな領土を重要視するのか、という問題でもある。
「……受けるか」
僅かな逡巡の後、エルストはそう決断した。彼はサザーネギアよりもアルヴェスクの方に重きを置いたのだ。加えて言えばライシュの動きは好機でもある。上手く割り込めれば、公爵家の影響力を皇国の北部だけでなく、他の地域においても強めることができるだろう。そう、まるで木が根を伸ばしていくかのように。
それにサザーネギアの領土についても、また近いうちに好機が訪れるだろうとエルストは見ている。この講和で多少なりとも領土を割譲させれば、エドモンドはそれを取り戻したいと思うに違いない。サザーネギア軍の損耗は大きくないから、遅くとも5年以内に彼は動くだろう。
(その時こそ……)
その時こそ、サザーネギア全土を併合するのだ。しかもギルヴェルス単独で。アルヴェスクの影響力を排除するためにも、ここで講和に応じるのは存外いい手かもしれない。エルストはふとそう思った。
(気の長い話だな……)
エルストは苦笑気味に内心でそう呟いた。将来を見据えて布石を打つのは、貴族として、いや野心を持つ者として当然のことだ。さらに現実問題として、遠征軍が一枚岩になっていないという懸念もある。
ここで講和に応じるがやはり上策。エルストの理性的な部分はそう結論を出しているし、彼自身その結論に納得している。しかしそれでも彼の心は躍らない。結局その心に残ったのは、釣り針に引っ掛けた大きな魚を、しかし後一歩のところで逃してしまったという、失望にも似た苦い喪失感だけだった。
さてその翌日。三度目の交渉の席が設けられた。エルストはその席で初めて歩み寄りの姿勢を見せた。講和条件を引き下げたのだ。
「国境際から8州の割譲と、賠償金として10州分を要求します」
これを聞いたとき、多くのものが僅かずつではあったが表情を変えた。まず仲介役のアレスニールが莞爾とした笑みを浮かべて一つ頷き、さらにエドモンドが少々苦い顔をして「むう」と小さく唸った。カルノーとラクタカスは互いに無言で頷きあい、ラジェルグは驚いたように目を見開いてから苦々しげに顔を歪めた。
「……和解金として15州分の年間租税相当額を提示する」
そう言ってエドモンドのほうも条件の内容を引き上げてきた。双方まだ隔たりは大きいが、それでも一応歩み寄りと交渉継続の姿勢は見せたのだ。和平交渉を成立させる上で大きな一歩と言えるだろう。
そこから始まった交渉において、双方は徐々にではあるが歩み寄っていった。そして交渉四日目で、ついにエドモンドが領土の割譲に合意した。そもそも彼とて、交渉を成立させるために領土の割譲が必要であることは理解しているのだ。
それでも派閥の貴族達、特に領地を失うことになるルルガート男爵らの手前、なかなかそれを言い出すことができなかった。要するに仕方がなかったのだと理解し、また納得してもらうための、実績作りと時間稼ぎである。
そして交渉五日目。ここまで来ると、二人の提示する条件はかなりアレスニールの条件案に近いものになっていた。というより、二人とも最初からそれを落し所として意識しているのだ。
しかし、双方それをなかなか言い出さない。先に相手に言わせて、そこからさらに譲歩を引き出そうとしているのだ。しばらくの間、腹の探りあいのような会話が続く。そしてついに、エドモンドが少々うんざりした口調でこう言った。
「……現在、そちらが占拠している3州。これの割譲と和解金3州分。もうこれでよかろう」
「和解金は8州分いただきたい」
これで最後と言わんばかりにエルストが踏み込む。エドモンドは不快げに眉をひそめた。そこへアレスニールの声が割り込む。
「間を取って、和解金は5州分でいかがですかな?」
「……尽力されたアレスニール殿の顔を立てよう」
「仕方ありませんね」
莞爾と笑うアレスニールに促され、立ち上がって二人は握手を交わす。こうしてついに、遠征軍とサザーネギア軍の和平交渉は成立したのである。その条件は「現在遠征軍が占拠している3州を正式に割譲し、さらに和解金として5州分の年間租税相当額を支払う」となった。
カルノーとアレスニールがあらかじめ合意し、用意してきた条件案ほとんどそのままである。これがあったからこそ、五日という比較的短期間で両軍が合意に至ったといえるだろう。いや、最初に両者を交渉の席に着かせたことそれ自体も、この条件案があればこそと言えるかもしれない。
アレスニール立会いのもと、すぐさま講和条約の調印が行われた。調印が終わった後、両軍は撤退することになるのだが、これはすんなりとは行かなかった。お互いに条約を無視しての追撃を気にしていたのである。
そこでまず、アレスニール率いるグリフィス領軍2万がサザーネギア軍の本陣に合流した。彼らがそこに居残り、万が一追撃された場合には殿となるのである。
さらにカルノー率いる別働隊たる近衛軍3万が、両軍の陣の間の谷間に移動した。言わずと知れた、サザーネギア軍の追撃への備えである。本来ならアレスニールと同様に、ラジェルグ率いるギルヴェルス軍が構える陣にでも合流できれば良かったのだろうが、両者の軋轢を考えてカルノーは少し離れたところに部隊を展開させたのだった。
そして交渉が纏まった次の日、遠征軍とサザーネギア軍の両軍は、いよいよゆっくりとではあるが軍を退きはじめた。陣取っていた丘から降り、それぞれ西と東へ進んでいく。
西へ撤退する遠征軍の背中を、カルノーはラジェルグが陣を敷いていた丘の上から見送る。遠征軍が撤退を開始して空になった丘に、僅かな供だけを連れて登ってきたのだ。そこからは西へ向かう遠征軍の様子がよく見えた。
遠征軍の先頭を行く第一陣はエルストが率いる部隊である。その次に第二陣としてラジェルグの率いる部隊が続き、ラクタカス率いる近衛軍は第三陣として最後尾に位置した。
ただし、ラクタカス率いる近衛軍はエルストらと同じ道を往くわけではなかった。彼らは南へ向かい、ナルグレーク帝国の領土の縁を回るようにして、メルーフィスへと向かうことになっていた。
これには無論、理由がある。最大の理由は遠征軍の戦力を削ることだ。意を翻して遠征を続けたくなったとしても、戦力が足りなければどうしようもない。
さらにアレスニールから預かった、ライシュに宛てた親書の存在があった。カルノーはこれを国へ戻るラクタカスに託している。この親書の存在を間違ってもエルストに知られるわけにはいかなかった。そのためにもいっそ別々の道を行く方が、都合が良かったのである。
ちなみにカルノーは両軍の撤退が完了した後、改めてアレスニールと合流して東へ、彼の領地へ向かうことになっている。アレスニールの話によれば、ガルネシア海の南岸にはいまだにナルグレーク軍が陣を張って侵攻の機を伺っているという。
これを解散させないことには、サザーネギアの緊張した状態は緩和されない。時間が経てば遠征軍との講和も伝わり、騒乱の隙に乗じるつもりでいた彼らは諦めるだろう。しかし「せっかく兵を集めておいて一戦もしないなど有り得ない」などと考える輩がいるかもしれない。
そこでアレスニールは一計を案じた。カルノーが率いるアルヴェスク軍を利用することにしたのだ。彼らに、来たのと全く同じ道順でメルーフィスへ帰還してもらうことにしたのである。
当然、ナルグレーク帝国国内を通ることになる。とはいえアレスニールの目的は、アルヴェスク軍の姿をナルグレーク軍に見せることそのものだった。
アルヴェスク軍がサザーネギア軍に案内されて姿を見せる。その様子を見れば、ナルグレーク軍は両者の間に何かしらの友好的な関係が生まれたことに勘付くだろう。さすれば強いてこれ以上サザーネギアにちょっかいを出そうとは思わないはず。アレスニールはそう考えていた。
さらにこうして“友好的な関係”を喧伝することで、両国の同盟を既成事実として広め、その道筋を整える。アレスニールにはそんな思惑もあった。尤も、こちらは多分にして希望的観測だが。
アレスニールからこれらの説明を受け、協力を要請されたカルノーは、ナルグレークと交わした此度の協定を見直し、帰路も十分にその範疇であると結論してこれを承諾した。加えて、今回の遠征で得た和解金を受け取り、持って帰ることもできる。これで手間を一つ省くことができるだろう。
『その代わりと言っては何ですが、一つお願いがあります』
『何でしょうか?』
『しばらくの間、私をアレスニール殿の屋敷に泊めていただけませんか?』
妻のことが気がかりで、とカルノーは言った。それに彼がアレスニールのところにいることをナルグレーク側が知れば、彼らは勝手にアルヴェスクとサザーネギアの関係を深読みしてくれることだろう。同盟を既成事実とするうえで、それは好都合なはずだった。
『私は構いませんが……、よろしいのですか?』
そう問い掛けるアレスニールに対し、カルノーは穏やかに微笑んで頷いた。実は、アレスニールの申し出がなくとも、彼は同じことを願い出るつもりで、そのことをすでにラクタカスにも話していたのだ。
無論、その際にはジュリアのことを含めて事情を説明してある。彼は驚いていたが、交渉がすでに纏まっていることもあって了解してくれた。なおカルノーはライシュに宛てて事情を記した手紙をしたため、それをラクタカスに託してある。これを読んだときに義兄殿が一体どんな顔をするのか、それを見られないのは少し残念だな、と彼は思った。
閑話休題。西へと向かう遠征軍。その先頭を行くエルストらの姿は、もうカルノーの目からは見えない。最後尾にいたラクタカス率いる近衛軍も、すでに進路を南に変えてやはり彼の視界からは姿を消していた。今カルノーの目に映っているのは、ラジェルグの率いる部隊だけである。
(何とか、終わったな)
カルノーは内心でそう呟き、安堵の息を漏らす。当初考えていた以上に、アルヴェスクにとって都合の良い結果となったと言えるだろう。任務はまだ終わっていないが、最大の山は越えた。彼はそう思った。
しかし、そうではなかった。安堵の息を漏らしたその直後、カルノーはそれを思い知らせる。
彼の目の前で、ギルヴェルス軍が反転を開始したのである。
これで全体の四分の三、といったところでしょうか?
今回はここまでです。
続きは今度こそ書き上げてからになると思います。




