交誼の酒11
「ええいっ! まだ落せんのか!?」
サザーネギア軍を率いるバルバトール公爵エドモンドは苛立っていた。敵の築いた野戦陣地がなかなか落せないのだ。
無論、攻略は着実に進んでいる。これまでに幾つもの柵を破壊してやぐらを倒し、また土塁を崩してきた。人的な被害も相応に与えている。しかし敵の野戦陣地はまだ落ちていなかった。そして敵に対し倍以上の被害を、サザーネギア軍はこの攻略戦の中で被っている。
(時間がないのだ、時間が……!)
苛々(いらいら)とした様子を隠そうともせず、エドモンドは足を揺すりながら爪を噛む。彼は焦っていた。敵遠征軍の本隊が進軍速度を上げ、刻一刻とこのグレンデン丘陵地帯へと向かって来ているのである。
放った斥候の報告によれば、本隊の戦力は約10万。先遣隊と合流されれば、戦力はおおよそ拮抗する。つまり数的な優位が消えるのだ。
(いや、数を増やす方法は、あるにはあるが……)
つまり、援軍を求めるのだ。アレスニールのほうは「ナルグレーク帝国の不穏な動きに備える」と言っていたから戦力は動かせないだろうが、カルナリアのほうはまだ派閥の戦力に余裕がある。すでに3万の援軍を約束してくれているが、求めればさらに最大で10万程度は積み増しができるだろう。しかしながらエドモンドは、実のところそれにあまり乗り気ではなかった。
援軍を出すということは、それだけサザーネギア軍内においてカルナリア、つまりロベリス公爵の派閥の発言力が増すということである。加えて、手柄を奪われることにもなる。手柄はともかくとしても恩賞は必ず出さなければならず、戦果を己の派閥で独占したいと考えているエドモンドにしてみれば都合が悪かった。
加えて、単純に扱いづらいという理由もある。もちろん総司令官はエドモンドだから、その命令には従うだろう。しかし彼らはエドモンドのやり方に慣れていない。そもそもカルナリアから何らかの“密命”を受けている可能性すらあり、本当の意味で戦力と数えていいのか、一抹の不安が残った。
(やはりなんとしても、先遣隊と本隊の合流は阻止せねば……!)
エドモンドはその思いをさらに強くした。先遣隊と本隊がまだ合流していない今こそが、各個撃破の最大の好機なのだ。無論、合流されたからと言って負ける気はないが、しかしここで先遣隊を叩いておけば今後も優位に立てるのは確実なのだ。エドモンド自身の野心を実現させるためにも、合流は阻止しなければならない。
決意を新たにしたエドモンドは、さらなる苛烈さをもって敵野戦陣地を攻めた。昼夜を問わず攻め立て、その防衛線を一つずつ破っていく。しかしそれでもなお、敵陣はなかなか落ちなかった。
そしてついにその日が来た。
「本隊はすぐそこまで来ている! 踏ん張れよ!!」
その日もサザーネギア軍は先遣隊の野戦陣地を激しく攻め立てていた。当初は丘の頂上に立てたやぐらの上から指揮を取っていたラジェルグだが、今は自ら槍を振るって前線に立ち味方を鼓舞している。つまりそれぐらい、もう余裕のない状況だった。
(ちっ……! 本隊はまだか……!?)
戦の喧騒の中、ラジェルグは胸の中でそう愚痴る。先ほど言ったとおり、本隊がもう近くまで来ているのは間違いない。しかしまだ合流は果たせていない。徐々に追い詰められ、しかし援軍がなかなか来ないこの状況に、ラジェルグは少なからず苛立っていた。その苛立ちを敵兵に叩きつけながら、彼は槍を振るっている。
ただ、ラジェルグの苛立ちはある面で自業自得でもある。この野戦陣地を放棄せず、ここで防戦に徹することを決めたのは彼なのだから。エルストが陣地の放棄と撤退を容認していたにもかかわらず、彼はそれを選ばなかったのだ。
そうしたのは、勝算があったからだ。本隊と合流するまでなら、先遣隊の戦力だけでも持ちこたえられる。ラジェルグはそう計算していた。
しかしそれ以上に、ラジェルグは撤退することを拒んだ。それを一種の敗走と見たからだ。勲功を求めるあまりに気持ちが急いていた、とも言えるだろう。敵に背を見せたというその事実が、今後の遠征の中で自らの足枷になることを彼は嫌ったのだ。
そうやって戦い続けた彼のもとに、ついに待ち望んだ知らせがもたらされる。それを見つけて大声で叫んだのは、やぐらの上で弓を引いていた兵士だった。
「南より軍勢! あれは……、ギルヴェルスの旗です!」
歓喜の入り混じったその報告が耳に届くと、ラジェルグは反射的に視線を南に向けた。しかし群がる敵兵に視界を遮られて件の軍勢を、なによりギルヴェルスの旗を見つけることができない。
眉間にしわを寄せるラジェルグに、二人のサザーネギア兵が襲い掛かる。彼はまず一人を槍の石突で無造作に突き飛ばし、流れるようにしてもう一人の胸を穂先で貫く。そして槍を引き抜くことなくそのまま投げ捨て、身を翻してやぐらへ向かった。
「どこだ?」
やぐらに登ったラジェルグは、報告をした兵士にそう尋ねる。その兵士が「あそこです!」と指差す先に視線を向けると、そこには確かにギルヴェルスの旗を掲げる軍勢の姿があった。ちなみにそのすぐ隣には、アルクリーフ領軍の旗もまた翻っている。
軍勢の規模は、およそ5万といったところか。丘の陰を移動してきたらしく、彼らはすでに随分と接近していた。彼らは丘と丘の間の、ちょうど谷の地形になっているその場所を猛然と北上していく。そしてギルヴェルス軍の野戦陣地を攻め立てるサザーネギア軍の側面に襲い掛かった。
「味方が、本隊が来たぞ! 各員奮起せよ! この戦、勝った!!」
ラジェルグがそう声を張り上げる。その声に、これまで彼と共にこの苦しい防衛戦を戦ってきたギルヴェルスの兵士たちは、力強く「おお!」と言って応えた。そして力を振り絞り、サザーネギア軍を押し返していく。
「おのれっ! 間に合わなかったか……!」
南からギルヴェルス軍の援軍が現れたことは、サザーネギア軍の本陣で戦況を見守っていたエドモンドからも見えた。彼は木製の簡素な机に拳を叩き付け、目を血走らせながら歯軋りする。
そうこうしている間にも、戦況は急速に変化していく。援軍が現れたことでギルヴェルス軍は勢い付き、逆にサザーネギア軍は側面を突かれたこともあって動揺している。趨勢の天秤は、一気にギルヴェルス側に傾いた。
(数の上ではまだこちらが多いのだろうが……!)
エドモンドは唸る。戦場では数が多ければ必ず優位、ということはない。それが勢いというものだ。そして今、勢いは完全に敵側にあった。
加えて、現れた援軍が本隊の全てであるとは思えない。斥候の報告によれば、遠征軍の本隊はおよそ10万。つまり、まだどこかに別の敵部隊がいる可能性が高い。
(まさか、ここを狙っているのか……?)
そう思った瞬間、エドモンドの背中に一筋の冷や汗が流れた。彼はそれを悟られぬよう、眉間にしわを寄せて不機嫌な顔をしたまま戦場を睨みつける。そしておもむろにこう命令を下した。
「仕方がない……! 全軍一時後退せよ!」
その命令に従い、サザーネギア軍が後退を始めた。そこへ戦局を決定付ける最後の一押しが、今度は北から現れた。アルヴェスク皇国近衛軍の旗を掲げる一軍が北に現れたのである。その数、こちらもおよそ5万。南に現れた軍勢と合わせれば、合計で約10万。これがエドモンドの警戒していた遠征軍本隊の別部隊で間違いないだろう。
近衛軍5万が現れたことで、趨勢の天秤はギルヴェルスの側に完全に傾ききったと言っていい。ただしすでに後退を始めていたこともあり、サザーネギア軍はほとんど混乱しなかった。北を警戒しながら後退を続け、そのままエドモンドのいる本陣の辺りにまで下がった。結局、この場で近衛軍が戦闘をすることはなかったのである。
サザーネギア軍が完全に後退すると、遠征軍本隊は先遣隊と合流した。エルストは早速軍議を開き、ラジェルグ将軍からこれまでの報告を聞く。そして一通りの報告を聞くと、彼は一つ頷いてまずは将軍を褒めた。
「ラジェルグ将軍の勇戦、見事である。占領した領地を保持しえたのは、将軍の懸命な働きがあればこそである。この遠征が成功裏に終わった暁には、きっとその勲功に報いようぞ」
「はっ、ありがたき幸せにございます」
どちらかと言うと平坦な声でラジェルグはそう応じた。エルストは内心では苦笑しつつも笑みを見せながらさらにこう言った。
「とはいえ、先遣隊の被害は大きいな」
報告によれば、先遣隊のうち明日以降も参戦が可能なのはおよそ4万。一連の攻防戦により、参戦数で1万の戦力が削られた計算である。先遣隊だけで言えば、二割の損害になる。三割で全滅と言われているくらいだから、大きな被害と言っていい。攻防戦の激しさが伺える数字である。サザーネギア軍にはこれ以上の損害を与えているはずなのだが、それはそれとして。
「恐れながら申し上げます。我らはまだ十分に戦えます。これより先も、どうぞ先鋒をお任せいただけますように」
後方に下がれ、と言われることを警戒したのか、エルストの言葉を遮るようにしてラジェルグはそう言った。彼のその言葉にエルストは鷹揚に頷きながら、しかしその求めにすぐに応じるのではなく、むしろこう言った。
「将軍の意気やよし。しかし先鋒を決めるより前に、まずは今後の戦略の方向性を定めなければなるまい」
先遣隊と本隊が合流したことで、遠征軍は全隊が揃った。サザーネギア遠征の、新たな段階に進むべき時が来たのだ。今後どう動くべきかについてエルストが幕僚らに意見を求めると、真っ先にラジェルグ将軍が進み出てこう主張した。
「恐れながら申し上げます。合流がかなったことにより、味方の戦力は十分なものとなりました。もはや恐れるものはございません。今こそ、打って出るべき時なのです。サザーネギア軍を打ち破り、かの国をギルヴェルスの一地方としましょうぞ」
要するに、積極的に打って出るべきだと彼は主張した。打って出なければ新たな領土を得ることはできない。十分な戦力が揃ったのだから、いよいよ本格的にサザーネギアの領土を切り取りにかかるべき。ラジェルグのその主張は明快で力強く、また“遠征”という軍事行動の目的に沿ったものだった。
幕僚たちから賛成の声が次々に上がった。しかしそこへ異議を唱える者が現れる。近衛軍を率いるラクタカス大将軍だった。
「少々お待ちを。遮二無二攻めるだけが、用兵ではござらぬ」
ラクタカスのその言葉で、議場が静まり返る。燃え立っていた戦意が萎んでいく。それはある意味で冷静になったということなのだが、その場にいた多くの人々はむしろ冷や水を浴びせられたと感じていた。
「……ラクタカス大将軍におかれては、臆病風に吹かれ申したか?」
その筆頭が、ラジェルグである。彼は忌々しげにしながら、嘲笑うかのようにそう言った。しかしラクタカスはそれを飄々と受け流す。
「これは異なことを。このラクタカス、戦場で臆病風に吹かれたことなど、ただの一度もありませぬぞ」
「左様であろうか。大将軍は先ほど、一戦もされなかったようにお見受けするが」
ラジェルグはそう噛み付く。しかしラクタカスは余裕のある態度を崩さない。
「同士討ちを避けるためでござる。そもそも我々が戦場に到着したあの時点で、サザーネギア軍は後退を始めていた。お味方も追撃する気配はありませんでしたし、それに従ったまでのこと」
「それはつまり、戦場に遅れたという事ではござらぬか」
「本隊を二手に分け、南北から敵を挟撃するというのは王配殿下の策。それにラジェルグ将軍もご承知の通り、二手に分かれれば落ち合う時刻にずれが生じるのは当然のこと。半日にも満たぬ遅れであれこれと言われるのは、心外ですなぁ」
突っかかるラジェルグに対し、ラクタカスは苦笑を浮かべながらそう応じた。彼のその目は、年長の者が年少の者を諭すときのそれに似ている。確かにラクタカスはラジェルグよりも年上だったが、しかし昨年の内乱で戦死したバフレンほどその歳は離れていない。そのせいか、その目はラジェルグの癇に障った。
「しかし……!」
ラジェルグはなおも言い募ろうとする。ただし、彼はただラクタカスのことが気に入らないだけで噛み付いているわけではない。喧嘩腰になっているのは事実だったが、何よりもここで彼の失敗を指摘し、今後の遠征における彼の発言力を低下させておくことが目的だった。
ラジェルグにしてみれば、純粋なアルヴェスクの戦力である近衛軍に、これからの遠征で大いに活躍してもらうわけにはいかないのだ。それではアルヴェスクの取り分が増えてしまう。ギルヴェルスの国力を増すための遠征であるはずなのに、それでは本末転倒である。何よりそれでは、ラジェルグ自身の手柄が減ってしまう。
彼らをただの援軍とし、遠征の戦略方針に口を出させない。それがどうしても必要であるとラジェルグは考えた。そのためには最初が肝心だ。少々強引ではあってもここで彼らの鼻っ柱をへし折っておく。それはギルヴェルスの国益にかなうはずだった。
「止めよ、ラジェルグ将軍」
しかし、そのラジェルグをエルストが止めた。彼はむしろ遠征軍が割れることを危惧したのだ。ラジェルグはまだ何か言いたそうな目をしていたが、彼のその危惧は理解できたのだろう。結局その制止に従って椅子に座りなおした。
「……それで、大将軍におかれては今後どのようにするべきとお考えか?」
一呼吸置いてから、エルストは逸れていた話題を元に戻した。意見を求められたラクタカスは落ち着いた様子で端的にこう言った。
「今は守りを固めるべきです」
ラクタカスの示した方針は大方の予想通りのものだった。積極策に反対して献策しているのだから、いわば“消極策”とでも言うべきものが出てくるのは予定調和的である。エルストが無言で続きを促すと、彼は落ち着いた口調で説明を始めた。
「ラジェルグ将軍の勇戦を見ても明らかなように、高地で守りを固めた敵を討つのは困難を極めます」
サザーネギア軍は現在、ラジェルグが築いた野戦陣地のある丘の、その向かいに位置する丘に本陣を置いて陣を敷いている。これを攻略するには一度谷へ降り、そこから丘を登るようにして攻撃を仕掛けなければならない。つまり敵方が高地に陣取っており、ちょうど今までの攻守が逆転した形だ。
これを、少なくとも正面から攻略しようとすれば、多大な犠牲が予想される。本格的な陣地の造営はしていないにせよ、高地を確保しているというだけで有利なのだ。それで、「わざわざ敵に有利な場所で戦う必要はない」とラクタカスは言った。
「むしろ我々はこのまま守りを固め、敵に攻めさせればよろしい」
そうやって不利になる攻め手側を敵に押し付け、こちらは高地を確保した有利な状態で戦う。加えて、これならばラジェルグの築いた野戦陣地も有効に活用することができる。兵の数もほぼ同じになり、今まで以上に余裕を持った防衛が可能になるであろう。
「しかし、守るばかりではいつまで経っても勝てませぬぞ」
ギルヴェルス軍の参謀の一人が、腕を組みながら不満そうにそう言う。その発言に続いて、さらに別の参謀たちも次々に声を上げた。
「それに、守りに徹していては敵に時間を与えることになる」
「ここは敵国なのだ。敵には増援が次々に来るだろう。そうなれば押し切られるのは我々ぞ」
「やはりここは早急に敵軍を排除するべきではありませんか?」
次々に反対意見が上がるが、しかしラクタカスは顔色を変えない。そして一通り参謀達の意見を聞き終えてからさらにこう言った。
「好機があれば、攻めることもやぶさかではござらぬ。しかし、今は敵軍も警戒しているはず。そこを攻めても、上手くは行かぬでしょう」
だからまずは攻めるのではなく守る。敵が攻めてくれば、これを撃退して損害を与えればよい。攻勢に打って出るのは、そうやって敵の戦力を削ってからでも遅くはない。なによりこちらが攻めの姿勢を見せなければ敵は油断する。その時こそが真の好機である。ラクタカスはそう言った。
「それに、守りの姿勢を見せるのは、援軍を呼ばせぬためでもあるのです」
現在サザーネギア軍を率いているのは、バルバトール公爵エドモンドである。彼は同格である他の二人の公爵から、軍の運用や戦略にあれこれと口を出されるのを好まないだろう。よって彼らの影響力を排除するためにも、なるべく援軍は求めたくないと思っているはず。
「しかしここで我々が打って出て、さらに彼を退けたとなれば、バルバトール公爵といえども面子に拘っているわけにはいかなくなりまする。恥を忍んででも援軍を請うことでしょう」
しかし守りに徹して見せれば、エドモンドはまずは自分の手で決着を付けることを望むであろう。援軍を求めることもあるか知れないが、しかし比較的少数であるはず。ラクタカスはそう自分の推測を語った。
結局、エルストはラクタカスの献策通り、まずは守りを固め敵の出方を伺うことに決めた。打って出ることを主張していた参謀たちも、「今は敵軍も警戒している」という言葉には頷かざるを得なかったのだ。
それに、仮にこのまま戦端が開かれなかったとしても、遠征軍の側が何を失うということはない。このままグレンデン丘陵地帯に防衛線をしき、占領した領地を保持するだけでひとまずの利益を確保することは可能なのだ。
後がないのはむしろサザーネギアの、いやエドモンドの側だった。このまま占領された領地を奪還できなければ、実効支配が強まるか、あるいは終戦の講和で正式にギルヴェルス側に割譲されてしまう。そうすると、その分彼の派閥の発言力は低下することになる。加えて、彼は「敗戦の将」という汚名を着せられることになるだろう。
それは彼にとって容認しがたいことのはず。エルストはそう見込んでいる。彼の野心を見抜いた上で、そう見込んでいる。
ゆえに、遠征軍が守勢を見せれば、サザーネギア軍は攻めてくる。いや、エドモンドは攻めざるを得ない。そしてこの地形であれば、ラクタカスの言うとおり守る方が有利だ。ならばわざわざその優位を捨てる必要はあるまい。会戦の前、ラジェルグが別働隊を動かしてサザーネギアの各領軍を強襲させた際、多量の輜重を奪取しており、そのため物資に余裕があることもエルストの決定の一因となった。
まずは守勢を見せる。その決定に沿って陣割りも決められた。ラジェルグはこれまで通り野戦陣地に陣取り、その南にエルスト、北にラクタカスがそれぞれの部隊を率いて配置された。無論、それぞれ丘の上の高地を確保して防備を固めることになる。
軍議が終わり、ラクタカスは自らが指揮する近衛軍のところへ戻ってきた。すでに「守勢を見せる」という方針は各部隊長たちに伝えられており、近衛軍の兵士たちは勢力的に動いて陣を造っている。それを見て、ラクタカスは満足げに一つ頷いた。本格的な造営はできないが、それでもこうして備えておくに越したことはない。
『戦争とは、より多くの準備をした方が勝つのだ』
これは先皇レイスフォールの言葉だ。ラクタカスはこの言葉を胸に刻み、今日まで戦場を生き抜いてきた。
まあそれはそれとして。軍議の結論は、おおよそラクタカスの思惑通りになった。
(さて、これで多少は時間を稼ぐことができたか……)
それは無論、カルノー率いる別働隊がサザーネギア軍の背後を突くまでの時間である。守勢の方が損害は少なくて済むというのもあるが、なによりその時間を稼ぐことがラクタカスの最大の目的だった。もちろん本当に別働隊が間に合うのかはまた別の話だが、少なくともその援護はできただろう。
(あとは実際に戦いながら、か……)
ラクタカスは胸のうちでそう呟くと頭を小さく振った。正直なところ、この作戦が上手くいくのかラクタカスには見通せない。だがせめて、別働隊が壊滅するような事態だけは避けなければならない。サザーネギア領内に入り、そこが本当に見ず知らずの土地であることを実感してからというもの、彼はそう考えるようになっていた。
「ふう……」
ラクタカスはため息を吐いた。そして頭を切り替える。
「それにしても、奇妙な軍勢だ」
苦笑するようにして、ラクタカスはそう呟いた。「奇妙な軍勢」というのは、もちろん遠征軍のことだ。
遠征軍動員数の内訳を国別に見てみると、アルヴェスク軍が8万でギルヴェルス軍が7万となる。カルノー率いる別働隊は数に入れていないが、援軍であるはずのアルヴェスク軍の方が多いのだ。
しかし、これをエルストとライシュの軍勢という観点で分けてみると、前者が10万で後者が5万となる。
つまりこの遠征は決してギルヴェルスの遠征ではないのだ。これは、エルストの遠征なのである。個人の思惑が国を越えて世界さえ動かしている。そのことに、ラクタカスは薄ら寒いものさえ感じる。
(やはり、エルストロキアは危険だな……)
その思いをラクタカスはさらに強くした。しかし現状、彼を力ずくで排除することはできない。ならばやはり、今はこの遠征の戦果を最小限に抑える方向で動くしかない。そのための鍵を握るのは、言うまでもなく別働隊を率いるカルノーだ。
「巧くやれよ」
ラクタカスは小さくそう呟いた。別働隊を動かす作戦が上手く行くかは分からぬ。それを踏まえたうえでの彼の言葉は、願うような口調だった。




