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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
結の章 交誼の酒
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交誼の酒10

 戦が、始まった。後に〈グレンデン会戦〉と呼ばれる戦いである。


 ラジェルグが築いた大規模な野戦陣地に対し、エドモンドはそれを半包囲するようにして三方向から仕掛けた。彼の号令と共に、サザーネギア軍の兵士たちがギルヴェルス軍の陣取る小高い丘に向かって攻撃を始める。


「来たか……! 手厚く歓迎してやれ!」


 丘の頂上に立てたやぐらの上。そこから戦場を見渡していたラジェルグは、サザーネギア軍が動き始めたのを見て獰猛に笑った。そしてすぐさま“歓迎”の指示を出す。その命令は忠実に実行された。


 野戦陣地に改造された丘のあちこちから、大量の矢が放たれた。放たれた矢は山なりの軌道を描いて飛ぶ。その結果、大量の矢がまるで雨のように降り注いだ。サザーネギアの兵士たちは盾を構えてそれを防ぐが、到底全てを防ぎきれるものではない。その手荒い“歓迎”を受け、兵士たちが次々に倒れていく。


「何をしているか!? 射返せ!」


 エドモンドの命令が響く。それに従い、サザーネギア軍の側からも矢が放たれた。しかし、届かない。


 当たり前の話だが、弓矢というのは高いところから射た方がより遠くへ飛ぶ。そして今の場合、高い位置を確保しているのはギルヴェルス軍の側であった。当然、彼らの方が弓矢の射程は広い。


 その射程の有利を、ギルヴェルス軍は最大限に活用した。敵の攻撃が届かないうちに、ありったけの矢を浴びせかける。矢の備蓄は過剰なほどにある。使いすぎを心配する必要はない。サザーネギア軍の被害は瞬く間に拡大していった。


 とはいえ、それで近づいてくるサザーネギア兵の全てを討ち取れるはずもない。やがて彼らの矢も届くようになった。


 しかし、なかなか当らない。柵のせいだ。それが盾の代わりになって矢を防ぐのだ。そためサザーネギア兵の射る矢の命中率は大きく下がった。


 加えて、サザーネギア兵にとって敵は上方にいる。そのため、矢を射るときには身体を仰け反らせなければならない。ギルヴェルスの弓兵にとって、そういう姿勢をしている敵はいい的だった。特にやぐらの上にいる兵から狙われ、優先的に殺された。


 重厚な構えを用意していたこともあり、グレンデン会戦はギルヴェルス軍優位で始まった。しかし被害を出しているとはいえ、サザーネギア軍は足を止めない。そもそも、数の上では彼らの方が圧倒的に有利なのだ。盾を構え、さらに味方の屍を踏み越えながら、彼らは前へ前へと進む。


 やがて、サザーネギア軍は最も外側に張り巡らされた柵のところ、すなわちギルヴェルス軍の第一防衛線にまで来た。柵があると、そこで足が止まる。そこを狙われ、またサザーネギア軍の被害が拡大した。柵を乗り越えようとしても同じで、むしろ優先的に狙われた。


 さらに柵の配置の仕方も巧妙だった。完全に進路を塞いでいるわけではなく、何箇所か通れる場所が用意されているのだ。当然、そこに多くの兵が殺到した。


 ただし、隙間が開いているとはいえ、その幅は決して広くない。一度に通れるのは、多くて二人か三人。加えて隙間の空いている箇所はギルヴェルス軍も把握しているから、そこに多くの矢が集中して射掛けられた。


 さらにそこを通過できても、人数が少ない。人数をかけて攻めることが難しく、ようやく格闘戦に入れたと思っても、サザーネギアの兵士たちは各個撃破のような形で次々に討ち取られていった。


「何をしている!? 柵を破壊しろ!」


 指揮官の怒号が飛ぶ。その命令に従い、斧が振り上げられた。しかし柵の格子の間から槍が突き出され、そう易々と破壊させてはもらえない。その様子を、エドモンドは苛立った様子で見ていた。


 やがて、時間はかかったものの柵が破壊された。サザーネギア兵たちが柵の破壊された箇所からその内側に雪崩れ込む。それを見て、それまで戦っていたギルヴェルスの兵士たちはすぐに後退した。命令が徹底されているらしく、無理をして押し止めようとは決してしない。同時に援護射撃が行われ、彼らは悠々と後方へ退避した。


 逃げる敵を追うようにして丘を登るサザーネギア軍。しかし彼らはまたすぐに柵に阻まれた。ギルヴェルス軍の第二防衛線である。彼らはまた柵を破壊しにかかるが、しかしそう簡単にさせてはもらえない。激しく抵抗され、被害を増やしていく。部隊ごとに交代しながらの戦闘とはいえ、徐々に兵士たちの疲労もたまり、やがてサザーネギア軍の動きは明らかに精彩を欠くようになっていった。


 その、遅々として進まぬ敵陣攻略の様子を、エドモンドは苦虫を噛み潰したような顔をしながら見ていた。やはり敵の守りは堅牢で、これを突き崩すには一筋縄ではいかない。予想していたことではあったが、その通りになると忌々しさが募った。


「ちっ……、全軍後退!」


 やがて自軍の動きが悪くなってきたのを見て取ると、エドモンドは苛立った様子を見せながらも撤退の命令を下した。疲れ果てた兵がどれだけ群がろうとも、あの堅牢な野戦陣地は攻略できない。思い通りに進まない進捗状況に苛立ちながらも、彼はすでにこの攻略戦が長丁場になることを覚悟し始めていた。


(斥候を放たねばならんな……)


 敵本隊の動きを探るためである。攻略戦が長引けば、それだけ敵本隊が先遣隊と合流してしまう危険性が増す。敵本隊の動き如何によっては、少々無茶な攻略をする必要も出てくるだろう。合流自体は仕方ないにしても、拠点となるあの野戦陣地を残しておくわけにはいかないのだ。


 エドモンドがそんな事を考えていたその矢先、戦場が大きくざわついた。戦況が動いたのである。サザーネギア軍が後退を始め、それで今日の戦闘は終わりかと思われた。だがその気の緩みをまるで見透かしたかのように、ギルヴェルス軍が動いたのである。


 これまで温存されていた、ギルヴェルス軍の騎兵が動いた。三方向から攻撃を仕掛けていたサザーネギア軍に対し、三つの部隊がやはり三方に分かれ、援護射撃を笠に着ながら丘を勢いよく駆け下る。そして後退するサザーネギア軍の背中を襲った。


 丘を駆け下る騎兵隊の勢いは凄まじいものだった。盾を構えようとも、防げるものではない。仮に人か馬を仕留めることができたとしても、その勢いまで殺すことはできない。特に馬の場合、殺されてもその巨体は構わず丘を転がり落ちてくる。これを受け止めることなどできるはずもない。


 人を弾き飛ばしながら、ギルヴェルスの騎兵隊は敵陣に突撃した。彼らはその勢いだけで敵兵を殺していく。弾き飛ばし、倒れたところを後続が踏みつけて斃死させてしまうのだ。


 そして乱れてしまった陣形ではこの騎兵隊を止められない。敵陣に突入した騎兵の数は全部で6000程度か。彼らはサザーネギア軍の腹の中で散々に暴れまわった。さらに混乱が拡大した箇所には集中して矢が射ち込まれる。かろうじて騎兵隊の槍の切っ先を逃れた兵士たちが、またばたばたと倒れていった。


「撤退! 撤退急げ!」


 甚だしく混乱してしまった隊列を立て直すより、早く野戦陣地からの援護射撃が届かない場所へ下がった方がいいと考えたのだろう。サザーネギア軍の部隊指揮官らが必死の形相でそう声を張り上げる。


 あらかじめラジェルグ将軍から厳重に命令されていたのだろう。ギルヴェルス軍の騎兵隊はサザーネギア軍が向こうの丘を登り始めたころ撤退を開始した。その背中を襲い追撃を企むサザーネギア軍の部隊もあったが、上手く行くことはほとんどない。逆に討ち払われ被害を増すばかりだった。


「おのれぇぇ……!」


 その散々な結果に、エドモンドは顔を真っ赤にしながら歯軋りして激しい怒りを見せた。しかしその一方でその怒りを爆発させて部下たちに当り散らしたりはしない。尤も、怒りに震える彼の回りに人が近づこうとしないだけかもしれないが。


 さて、初日はギルヴェルス軍の大勝と言っていい結果になった。兵士たちは歓声を上げて喜んでいる。しかし軍を率いるラジェルグは、そう無邪気に喜んでいるわけにもいかなかった。


「さて、まずは押し返せたか」


 喜ぶというよりは、むしろ安堵した様子でラジェルグはそう呟いた。一日でこの野戦陣地が落ちることはないだろうと思っていた。味方の損害も、若干だが想定よりも低く抑えられている。


 しかし、数の差は如何ともしがたい。双方の戦力がこのままなら、最終的には押し切られるだろう。よってその前に本隊と合流しなければならないのだが、ラジェルグにはここで防戦しながら待つことしかできない。


(まあ、王配殿下ならなんとかするだろう)


 エルストのことを皮肉気にそう呼びながら、ラジェルグは胸の中でそう呟いた。彼はもちろん、エルストのことを信用していない。しかしその能力については公平に判断しなければならない。


 エルストは間違いなく有能だった。その彼が間に合わないということは考えにくい。全てが間に合わないのなら、騎兵を先行させるくらいの奇策は打つだろう。そして援軍がくれば、その分防衛は楽になる。


 そのため負けることについては、ラジェルグはさほど心配していない。後はどれだけ味方の損害を減らすかである。遠征の本番はこの防衛戦の後で、そこで比類なき手柄を立てることこそ彼の本懐なのだから。



□■□■□■



 アルヴェスクの援軍と合流し、合計で10万となったエルスト率いる遠征軍本隊は、王都パルデースを発って東へ向かいサザーネギアとの国境を越えていた。ただし彼らが足を踏み入れたのは、すでにラジェルグ将軍が確保して実効支配を行っている地域。敵軍が待ち構えていることもなく、彼らはさらに東を目指して歩を進めた。


「サザーネギア軍の斥候は、こちらを監視していることだろうな」


「恐らくは」


 馬上にあってエルストとアルクリーフ領軍の主将イシュリア将軍はそう言葉を交わした。ラジェルグもそうだろうがサザーネギア軍にとっても、遠征軍本隊がいつ先遣隊と合流するのか、ということは大きな関心事であるに違いない。ゆえに、その動きを探るに敵方が斥候を放つのは至極当然のことだった。


 加えて言えば、いかに実行支配しているとはいえ、元々ここはサザーネギアの国土である。当然彼らには土地勘がある。大軍をもって進路を妨害するならともかく、少数の斥候を送り込んで敵を監視し、その動きを本陣に報告するだけならそう難しいことではないだろう。


「二手に分かれますか?」


 イシュリアはそう提案した。敵の斥候の目先をずらす、ということだ。しかしエルストは苦笑しながら首を横に振った。


「土地勘のない者がばらばらに進んでも迷うだけだ」


 二手に分かれて進み、その結果どちらか片方が合流に遅れてしまっては意味がない。それに余計なことをしようと思えば、それだけでまた時間を必要とする。今は一日も早くラジェルグ将軍率いる先遣隊と合流することこそが重要なのであって、敵の斥候から隠れることが重要なのではない。


(それに……)


 それに、仮に軍を二手に分けるのであれば、その一方はラクタカス大将軍率いる近衛軍ということになるだろう。この精強な軍隊に、自分の目の届かないところで自由に動かれることをエルストは嫌った。ただし、彼がそれを口に出すことはしない。相手が腹心のイシュリア将軍であってもだ。代わりに彼が口にしたのは別のことだった。


「とはいえ、敵にばかり状況が伝わるのは面白くないな」


 そう言ってエルストは50騎ほどの騎兵を用意させ、彼らをグレンデン丘陵地帯の野戦陣地にいるラジェルグのところへ遣わした。本隊の状況を伝え、さらに攻防戦の戦況を知るためである。50騎と数が多いのは、敵の斥候の妨害を懸念してのことだ。


 やがて、遣わした50騎が戻ってきた。彼らの持ち帰った報告は、ある意味で予想通りのものだった。


「サザーネギア軍はずいぶん苛烈に攻めているようだな」


 眉間にしわを寄せながら、エルストはそう呟いた。敵はやはり本隊が接近してきていることを知っているのだろう。それで多少の犠牲を厭わず、勝負を急いでいる。先遣隊の被害も拡大しているようだった。


「将軍にあの命令は伝えたか?」


「もちろんでございます」


 エルストがラジェルグに伝えさせた命令。それは「戦力の保持を優先し、いざとなれば野戦陣地を放棄して撤退するように」というものだった。彼にしてみれば、野戦陣地一つよりも先遣隊の戦力の方が重要だったのだ。


「それで、将軍は何と言っていた?」


「『ここは必ず守り抜く』と……」


「そうか」


 言いたいことは、色々あった。しかし撤退の判断はラジェルグに(ゆだ)ねられている。その判断を尊重するほかはなかった。


「ラジェルグ殿は良将です。無茶はなさらないでしょう」


 報告を聞いて少し難しい顔をしたエルストにイシュリアはそう言った。ちなみに彼の言う「無茶」とは徹底防戦のことではなく、その果てに先遣隊が壊滅してしまうことを指している。要するに、ラジェルグは野戦陣地に拘りそのため意固地になっているわけではないだろう、と言っているのだ。


「そうだな。私もラジェルグ将軍のことは信頼している」


 少なくともその能力は、とエルストは胸の中で付け足した。ラジェルグの持つむき出しの野心に、彼が気付いていないはずはなかった。そしてふと思いなおす。


(いや。今ならば野心を含めて信頼できるか……)


 己が野心のため、つまり遠征本番で手柄を立てるため、ラジェルグは戦力の保持に苦心してくれるだろう。それはエルストの意向にも合致する。


「とはいえ、敵の攻撃が激しさを増しているのも事実。ここは味方の被害を抑えるためにも急ぐべきではありませぬか?」


 そう発言したのは近衛軍を率いるラクタカス大将軍だった。アルヴェスクにおける武官の最高位にいる彼だが、これまでは援軍という立場に徹して積極的な発言はしてこなかった。その彼が、誰もが考え付く常識的な方針とはいえ、明確な意思表示をしたことにエルストは少しだけ驚いた。


 無論、ラクタカスには彼なりの思惑があった。彼が気にしていたのは、カルノーが率いる別働隊の動きだ。別働隊はサザーネギア軍の背後を突くことになっているが、しかしその時に遠征軍本隊が敵の正面にいなければ挟み撃ちは成立しない。そのため本隊が別働隊に遅れることがあってはまずいのだ。


 とはいえ、エルストはカルノーのそのような動きなど知る由もない。彼がメルーフィスで兵の調練を行っていることは知っているが、それも近衛軍再編の一環だと思っている。ラクタカス大将軍が援軍を率いて来たのも、カルノーは昨年十分に働いたので、ライシュが休ませたからだと考えていた。そう考えればジュリア夫人がメルーフィスへ一緒に行ったことも納得できるからだ。


 それでエルストはラクタカスの進言を言葉通りに受け取った。この遠征が上手く行き過ぎることを彼は望んでいないはずだが、しかし失敗することもまた望んではいないはず。ならばそのために一刻も早く先遣隊と合流する、というのは理にかなっていた。


「大将軍の仰ることはご尤。伏兵もいないようだし、進軍速度を上げるぞ」


「御意」


 エルストの言葉にイシュリアがそう応え、ラクタカスもまた無言ではあったがしっかりと頷いた。


 軍議が終わり、一人残った天幕の中で、エルストは低い天井を見上げながら皮肉気な笑みを浮かべていた。


 結果的に、進軍速度は上げることになった。しかし彼の中には、あえて進軍速度を落すという選択肢もあったのだ。その狙いはもちろん、ラジェルグ将軍率いる先遣隊の戦力を消耗させることである。


 先遣隊が、つまりラジェルグの戦力が消耗すれば、それを理由に遠征本番では後方に下がらせてしまうことができる。それができなくとも、戦力が消耗していればその分手柄は立てにくくなる。対抗馬になろうとしている彼に手柄を立てさせないことは、エルストにとっては利となる。


(とはいえ、さすがにあからさま過ぎるか……)


 胸の中でそう呟き、エルストは苦笑した。あからさまであるし、また特にギルヴェルスの将兵の中には彼が「ラジェルグ将軍を見殺しにしようとしている」と考えて、不信感を募らせる者も出てくるだろう。


 それでは遠征どころか、今後の統治にさえ差しさわりがでる。そう思っていたからこそ、彼はラジェルグに戦力の保持に努めるよう命令し、さらに進軍速度を上げることに賛成したのだ。


(それに……)


 それに、先遣隊の戦力が消耗するということは、すなわちエルストの戦力が消耗するということでもある。そうなると、その埋め合わせにアルヴェスクの援軍をあてにしなければならなくなる。彼らの功績が増えてしまうことは、ラジェルグ以上に警戒しなければならなかった。


(ままならん)


 苦笑しつつ、エルストは首を小さく左右に振った。あちらを立てればこちらが立たず。結局、小ざかしいことなど考えず、最大の目標に向かって邁進することが最善なのかもしれない。エルストはそう思った。


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