交誼の酒9
実はまだ全部書きあがってないです(泣)
というわけで、またしても最後までではなく、切りのいいところまでです。
どうぞお付き合いくださいませ。
ついに、ギルヴェルスによる本格的なサザーネギア遠征が始まろうとしていた。
ラクタカス大将軍率いるアルヴェスク軍8万(近衛軍5万とアルクリーフ領軍3万)は、ギルヴェルスとの国境を越えて王都パルデースを目指す。なお、近衛軍が全て出払ってしまった皇都には、リドルベル辺境伯が2万ほどの領軍を率いて後詰に入っている。
パルデースへ向かう道中は、至って平穏だった。行軍に支障をきたすような問題は何も起こらない。むしろそうでなければ困るのだが、ラクタカスはそこに徹底されたエルストの意志を感じ取っていた。
(アルクリーフ領軍と一緒に行軍してきたのは、やはり正解だったな)
ラクタカスはそう思う。アルクリーフ領軍は、区分としてはアルヴェスク軍だが、実際のところはギルヴェルス軍寄り、つまりエルスト側の戦力だ。彼が近衛軍のことをどう思っているかは知らないが(十中八九、心からの歓迎はしていないはずだ)、自らの戦力であるアルクリーフ領軍の移動を妨げたりはするまい。その思惑が当ってか、ここまでアルヴェスク軍の移動はすこぶる順調だった。
さて、パルデースに着くと、そこで今度はギルヴェルス軍2万と合流する。これを指揮するのは言うまでもなく王配エルストロキアだ。さらにラクタカスは予定していた通り、ここでアルクリーフ領軍3万の指揮権を彼に移譲する。
今更なような気もするが、アルヴェスク軍の指揮権はあくまでも大将軍たるラクタカスにある。指揮権の所在をはっきりさせておかなければ、遠征軍は内部で混乱してしまう。それにラクタカスにしても、エルストの影響力が強すぎるアルクリーフ領軍は扱いにくい存在だ。収めるべきところにさっさと収めてしまった方が、彼としても身軽で動きやすかったのだ。
さて総勢10万となった遠征軍は、パルデースからさらに東へ向かって進む。そしてサザーネギア連邦との国境を越え、ラジェルグ将軍が占領した領地に入った。
さて、半分は成り行きとはいえ先遣隊としてサザーネギアに攻め込んだラジェルグ将軍は、決して何もせずに本隊の到着を待っていたわけではない。さらなる進軍は差し止められていたとはいえ、やれる事、そしてやるべき事は数多い。彼は精力的にそれらをこなしていた。
第一にやるべき事は、占領した領地の実効支配を行うことである。ラジェルグは隷下の戦力5万から1万を選び、それを幾つかの部隊に編成して占領した領地内にある主要な街に派遣した。占領統治を行うためである。
なお、占領統治の重要性はエルストも十分に認識しており、それで本隊に先立ちやはり1万ほどの軍勢がパルデースから派遣された。その中には文官らも含まれており、この部隊がラジェルグの派遣した部隊と交代して占領統治を担った。
ラジェルグにしてみれば手柄を横取りされたようにも見える。ただ彼はさほどこれを気にしてはいなかった。彼はあくまでも武官であり、占領統治という文官の仕事はできないことはないにしても、やはり得意とは言い難い。それよりもそのために割いていた1万の戦力が手元に戻ってくることの方が彼には重要だった。
さてラジェルグがやるべき事はそれだけではない。占領されたこれらの領地を奪還するべく、いずれサザーネギアの軍勢が差し向けられてくるのは確実である。ならばそれに対して備えをしておくのは至極当然のことだ。
ラジェルグは方々に斥候を放って周辺の様子をつぶさに調べさせた。そしてなだらかな丘陵地帯を戦場と定めると、そこに大規模な野戦陣地を築いたのである。ちなみにその丘陵地帯の名を〈グレンデン丘陵地〉という。
土嚢を積み上げて塁を築き、柵を何重にも立てる。さらに物見やぐらを幾つも立てた。重厚な構えである。
さらに防衛戦を想定して弓矢を大量に用意した。無論、他の装備や兵糧の備蓄も進めているが、そのなかでも突出して弓矢の量が多かった。「こんなに使うのか」といぶかしむ声もあったが、別に腐るわけでもない。本隊と合流してからも使い道はあるし、これが無駄になるとラジェルグは思っていなかった。
そうして野戦陣地を築いている間も、ラジェルグは頻繁に斥候を放った。これは周辺の様子を調べることはもちろんだが、それと同時に敵方の斥候を発見して始末することもまたその目的だった。
「やはり敵も多数の斥候を放っているな……」
報告を聞きながら、ラジェルグはそう呟く。しかもそれらの報告からは、敵方の斥候がずいぶん活発に活動していることが伺える。
斥候が活発になるのは、軍勢が動く前触れである。とおからず敵軍は攻めてくるだろう。果たして本隊はそれに間にあうのか。
(難しいな……)
本隊がギルヴェルス軍だけで構成されているならば、あるいは間にあったかもしれない。しかし今回は援軍としてアルヴェスク軍が来る。援軍は確かにありがたいが、しかし合流には時間がかかる。これを待っていては、敵本隊の襲来に間に合わない。ラジェルグはそう結論した。
(ちっ……、これが今のギルヴェルスの現状か……!)
ラジェルグは忌々しげに舌打ちした。ギルヴェルスの戦力だけで遠征ができるなら、それが一番良い。だがそれだけの地力が、今のギルヴェルスにはない。何をするにも、アルヴェスクの力を借りねば立ち行かない。
(これではまるで……!)
これではまるで、従属国になったようではないか。今はまだ良い。援助を受けているだけだ。だがいずれ、アルヴェスクは様々な要求を突きつけてくるだろう。借りを返すことに否やはないが、理不尽で不公平な要求をされ、挙句に内政にまで口を出されては目も当てられぬ。
そもそも、アルヴェスクの大貴族アルクリーフ公爵エルストロキアが王配の地位にいるこの現状が、まさに内政干渉そのものと言える。そのうち従属国どころかただの一地方とされてしまうのではないか。ラジェルグは己のその悪い予想を、「有り得ぬ」と笑い捨てることはできなかった。
(なればこそ……!)
なればこそ、このサザーネギア遠征は好機なのだ。この遠征でギルヴェルスは国力を増さねばならない。エルストでも、ましてアルヴェスクでもなく、あくまでもギルヴェルスが、である。そのためには純粋なギルヴェルスの武官であるラジェルグが手柄を立てなければならない。彼はその思いをまた新たにした。
閑話休題。現在差し当たっての問題は、サザーネギア軍の本格的な襲来に遠征軍の本隊がどうも間に合いそうにない、ということである。では、どうするか。
合流される前に、大軍になる前にできるだけ叩く。それがラジェルグの選択だった。
サザーネギア連邦には王がいない。そのため、いわゆる国軍が存在しない。そのため戦力となるのは、それぞれの領主たちが保有する領軍だけ。しかし単独で10万を越える領軍を保有する領主はいない。よって、その規模の戦力を揃えるためには、複数の領軍を合流させなければならない。
その領軍を、合流される前に叩く。一つ一つの領軍の戦力は、数千から多くとも1万。合流されれば厄介だが、単体ならばそう恐れることはない。
(各領軍が合流するのは、十中八九バルバトール公爵の領地だろうな……)
サザーネギア西部の貴族たちを纏めているのは、三公爵の一人バルバトール公爵エドモンド。よって、各領軍は公爵領で合流すると予想される。
ラジェルグは机の上に地図を広げて目を走らせる。彼が目で追っているのは、バルバトール公爵領から外へと伸びる街道だ。数千程度とはいえ、集団としては大規模。移動にはそれに適した街道を使うだろう。
街道が伸びる先へ、ラジェルグの目が動く。そこにある領地の大きさは大小さまざまだ。彼はさらに、それぞれの領地から派遣されるであろう領軍の戦力を推測する。
(それに対し我が方は……)
続いて、ラジェルグは手元にある5万のうち、どのくらいならば動かせるか計算する。彼の頭はその結果を3万とはじき出した。
(3万、か……)
3万というのは、手元に残せる戦力を可能なかぎり削った結果の数字だった。例え攻め込まれたとしても、造った野戦陣地があれば多少数的に不利でも持ちこたえられる。そう考えてのことである。
しかしラジェルグの顔は不満げである。できれば二方面にそれぞれ2万ずつ、合計で4万程度を動かしたかった。だがそれでは彼の手元に残る戦力が少なすぎる。占領した領地の確保が最優先なのだ。防衛戦力を減らしてここを奪還されては、元も子もない。
(ままならん)
ラジェルグは内心でそう苦く呟いた。とはいえ、ないものねだりをしても仕方がない。手持ちの戦力でやりくりするほかなかった。
結局、ラジェルグは二方面に1万5000ずつの戦力を動かした。そして、それらの部隊を率いる指揮官らに彼はこう指示を出した。
「いたずらに動くことなく、まずは斥候を多く放って索敵を密にせよ。無理をする必要はない。勝てる敵とだけ戦え。深追いをせず、臨機応変に考え、柔軟に行動せよ」
さらに本陣としていた野戦陣地から部隊を送り出すに当たり、ラジェルグはそれらの将兵らに次のような訓示の言葉を与えている。
「ギルヴェルス王国は今、新たな時代を迎えようとしている。古き時代を脱ぎ捨てて脱皮し、生まれ変わろうとしているのだ。しかしその道は言うまでもなく困難なものである。そしてまさに今、我々はその困難に直面している。
この困難を乗り越えて遠征を成功させてこそ、ギルヴェルスは輝かしい時代を迎えることができるのである! そしてそのためには諸君の勇戦が必要である。各員奮起せよ! ギルヴェルスの未来は諸君の双肩にかかっている!」
本陣から出立した二つの部隊は、それぞれ北西方向と南東方向に進路を取った。そしてラジェルグの指示通り、まずは多くの斥候を放って情報収集に努める。そしてバルバトール公爵領へ向かう軍勢を見つけると、直ちに行動を起こしてこれを奇襲した。
二方面とも、最初の奇襲はあっけないほど簡単に成功した。敵はギルヴェルス軍が占領した領地から出てくることを想定していなかったのである。「襲われることはない」と思っていたところを襲われたものだから、ほとんど何の抵抗もできず散々に追い払われた。
緒戦の大勝に勢い付いた二つの部隊は、それぞれ大いに暴れまわった。奇襲を繰り返し、バルバトール公爵領での合流を目指す各領軍に損害を強いた。特に足が遅くまた護衛の戦力も十分でない輜重の輸送部隊は格好の獲物だった。
どこか一つの領軍に対して徹底的な攻勢を仕掛けることはない。それどころか彼らは一撃離脱を旨とし、決して深追いすることはなかった。彼らは神出鬼没で捕捉が難しく、サザーネギアの各領軍は大いに振り回されることになった。
やがて、サザーネギアの各領軍も対策を講じるようになる。バルバトール公爵領に着く前に、それぞれ申し合わせて合流を始めたのだ。これまでは合流したその軍勢を誰が指揮するのかでもめていたようだが、被害が大きくなるにつれて四の五の言っていられなくなったようだ。
さらに彼らは被害が大きかった輜重の輸送部隊を、合流して戦力の増えた軍勢の真ん中に配置した。これ以上輜重に被害が出れば、そもそもギルヴェルス軍と戦うことさえできなくなってしまう。それを懸念してのことだった。
これが功を奏し、合流した後はギルヴェルス軍から奇襲を受けることはなかった。しかしだからと言って、警戒を緩めることはできない。彼らは斥候を放って周辺をつぶさに調べながら進んだ。
当然、時間がかかる。さらに足の遅い輸送部隊を腹の中に抱え込んでいるせいで、さらに行軍の速度が落ちた。だが味方の斥候が持ち帰る情報に寄れば、敵方の斥候はまだこの彼らを監視していた。隙を見せれば、たちまち奇襲を受けるだろう。それで結局、ゆっくりではあっても警戒しながらバルバトール公爵領を目指すほかなかった。
「何ということだ!」
派閥の各領軍の到着が遅れて苛立っていたエドモンドは、報告を受けてついに怒りを爆発させた。彼は怒りで目を血走らせながら握った拳を机の上に振り下ろす。報告によればギルヴェルス軍のこの一連の作戦で、エドモンドのもとに集うはずだった戦力は、参戦数でおよそ4万も削られてしまった。
無論、この全てが戦死してしまったわけではない。怪我が治れば戦線復帰可能な兵も多くいる。しかし直近の戦力として4万も削られてしまったことに変わりはない。
加えて輜重が、戦うための物資が不足していた。これもまたギルヴェルス軍による被害のためである。このままではとおからず軍勢を維持することができなくなる。それではエドモンドが目指す、ギルヴェルスへの再侵攻もまたできなくなってしまう。
エドモンドは怒りに震えつつペンを取った。二人の公爵に対し、援軍と物資の援助を要請するためである。目下最大の政敵とも言うべき二人に弱みを見せるのは、気が狂いそうになるほどの屈辱だが、しかしここで一時の恥を忍ばねば大願成就を果たすことはできない。彼は何度か失敗しつつも二通の書状をしたため、それをアレスニールとカルナリアに送った。
返事はすぐに来た。カルナリアは「すぐに3万規模の援軍を整え、輜重と共にそちらへ送る」と書き送ってきた。ただ「すぐに」とはいえ、当然それ相応の時間はかかる。負傷した兵が戦線復帰するよりは早いだろうが、エドモンドが当初考えていた予定よりも遅れが出るのは避けられそうになかった。
一方、アレスニールは「援軍は送れない。物資のみ送る」と言ってきた。その理由について彼は「南のナルグレークに不穏な動きがある。ギルヴェルスの侵攻に呼応して兵を動かすかも知れず、それに対処する必要がある」と説明した。
その旨記されたアレスニールからの書状に目を通すと、エドモンドは眉間にシワを寄せながら「ぬう」と唸る。彼がどれだけギルヴェルス軍相手に勝利を重ねても、背後でナルグレーク軍に国土を蹂躙されては意味がない。確かに南からの侵攻は想定しておく必要があった。
「まあ、よい」
鼻息荒く顔を真っ赤にしつつも、エドモンドはそう呟いて気持ちを落ち着けた。参戦数で4万の被害を出したとはいえ、彼のもとには合計で14万の戦力が集まった。そして援軍の目途も立っている。反撃の準備は、十分に整ったと言っていい。
援軍の到着を待たずして、エドモンドは全軍を出撃させた。まず行うべきはサザーネギア領内に侵攻してきた敵先遣隊の排除である。ギルヴェルス軍の本隊はすでに動き始めているはずで、これが合流する前に先遣隊を排除する必要があった。
先遣隊の戦力は5万程度。いくら野戦陣地を造営しているとはいえ、三倍近い戦力を持ってすればもみ潰すのは容易い。エドモンドはそう思っていた。だからこそ彼は援軍の到着を待たなかったのだが、しかしそれは同時に合流に時間がかかりすぎ、敵本隊の到着が差し迫っているためでもあった。
そして大陸暦1062年7月の末、エドモンド率いるサザーネギア軍はラジェルグが野戦陣地を築いたなだらかな丘陵地帯へとやって来た。彼は小高い丘の上に本陣を置く。高い位置にあるその本陣からは、敵陣の様子がよく見えた。
「随分と、大規模な野戦陣地を築いたものだな……」
サザーネギア軍の本陣に対し西南西の方角にある敵陣の様子を見て、エドモンドは唸るようにしてそう言った。報告は受けていた。その中には図面の形で提出されたものもあり、敵の野戦陣地が大規模であることは十分に承知していた。しかし実際にこうして自分の目で見ていると、それは彼の予想以上のものであった。
ラジェルグは小高い丘に野戦陣地を築いていた。丘の上、ではない。彼はその丘そのものを、言ってみれば野戦陣地に改造してしまったのである。堅牢な土塁が築かれ、柵が幾重にも張り巡らされている。やぐらが幾つも立てられており、そこには弓を持つ兵の姿があった。
ここまで来ると、もはや「陣地」というよりは「城」である。当然、これだけの規模のものを築くためには相応の時間が必要であり、エドモンドはその時間を敵に与えてしまったことを悔んだ。
(だいたい、いちいち合議で事を決していては、時間が掛かりすぎるのだ!)
エドモンドは内心でそう吐き捨てる。連邦議会における話し合いで物事を決めるサザーネギアのやり方は、専制君主制のそれと比べると明らかに決断の速度で劣る。その弱点が、今回露骨に露呈してしまったように彼には思えた。
(やはりこの国には強権者が、筆頭公爵が必要なのだ……!)
サザーネギア連邦に王が必要であるとは、エドモンドも思わない。しかし今のように三人の公爵が同等の発言力を持っていては、議論が延々と続くばかりで結論が出るまでに時間がかかりすぎる。
ここはやはり三人の中で突出した発言力を持つ者、すなわち筆頭公爵とでも呼ぶべき存在が必要である。エドモンドはそう思っていた。そして思うだけではなく、自らがその筆頭公爵たる存在になろうと志していた。
そしてこの戦は、そのために絶好の機会なのだ。派閥の勢力はほぼ固定化し、国内で影響力を増すには限界がある。ならば新たな領土を獲得して、そこに自らの息のかかった者を送り込むほかない。
それこそが、エドモンドの野心だった。そして余談になるかもしれないが、その野心がラジェルグに時間を与える一因になっていた。
ギルヴェルス軍の先遣隊が野戦陣地を造営していることは、早い段階でエドモンドにも報告されていた。しかし彼はそれを監視させるだけで、それ以上なにか手を打つことをしなかった。
例えば、各領軍が合流し終わる前であっても、数万程度の軍勢を先遣隊として送り出すことはできたはずである。そうやって敵の陣地造営を牽制すれば、これほど大規模になることはあるいはなかったかもしれない。
しかしエドモンドはそれをしなかった。意識してであったのか、無意識であったのか、それは分からない。しかしいずれにせよ、彼の野心がその決定に影響を与えていたことは間違いないであろう。
要するに彼は、自分以外の誰かが目立った手柄を立てることを嫌ったのだ。敵がさらなる侵攻の気配を見せなかったことで油断した部分もあるだろう。だが彼は、言ってしまえば先を見すぎていた。
閑話休題。過程はどうあれ、両軍はこうしてついに相対した。
戦が、始まろうとしていた。




