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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
結の章 交誼の酒
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交誼の酒2

 アルヴェスク皇国とギルヴェルス王国の同盟が締結され王配(・・)エルストロキアがパルデースへ戻るとすぐ、摂政ライシュハルトはすぐさまラクタカス大将軍に命じてサザーネギアへの出兵計画を作成させた。アルヴェスク内での遠征の準備は、ギルヴェルスのそれよりも早く始まっていたのである。


 出兵計画を作成は難航した。そこには、大きく分けて二つの要因が関係していた。


 第一に、この出兵(あるいは遠征)は、純軍事的に見て難しい。サザーネギアはアルヴェスクと国境を接していない。そのため出兵は大掛かりになることが予想された。補給線の維持だけでも一苦労だろう。


 さらに、サザーネギアに関する情報が少ない。街道や地形はもとより、どんな将がいてどのような戦術を得意とするのか。過去の戦歴はどうなのか。軍勢の規模はどれほどになるのか。その編成はどうなるのか。ほとんど全ての情報が不足していた。これでは、戦う以前の問題である。


 第二に、ライシュの要求を達成することが難しい。


 ライシュの要求とはつまり、エルストに手柄を立てさせないことである。これによってギルヴェルスの取り分を減らし、その国力が増すことを防ぐ。それこそが、出兵の目的である。


 これが敵ならば話は簡単だ。叩き潰してしまえばよい。だが、エルストは一緒に戦う味方である。下手に牽制などしようものなら、ともすれば味方が割れる。その結果、遠征自体が失敗しては目も当てられない。加えて、後日その責任を追及されれば、結局はエルストの思う壺であろう。


 この二つの目的を達成するべく、近衛軍では何度も議論が行われた。しかしなかなか、これと言った案はでない。


 そもそも、アルヴェスク軍の立ち位置は「援軍」なのだ。つまり、この遠征の主導権は主にエルストの側にある。である以上、勝つことを前提にするならば、彼が望むものを手に入れるまでこの遠征は終わらない。しかしそれでは、アルヴェスク軍の戦略目的は達成されない。


「いっそ、わざと負けますか?」


 少々投げやり気味に、参謀の一人がそう発言した。わざと負けて味方の戦力を削り、それによって遠征自体を失敗させる。そうすれば、ギルヴェルスが得るものは何もない。尤もそれはアルヴェスクも同じであり、無用な損失ばかりを抱え込むことになるが。


「いや。我が軍が後退したとしても、ギルヴェルス軍は単独で遠征を続けるだろう。それでは意味がない」


 ラクタカスはそう言ってその案を却下した。アルヴェスク軍が躓けば、それはむしろエルストにとっては好都合であろう。何しろ彼らに与える分け前が減るのだから。意気揚々と遠征を続けるに違いない。確かに戦力は減るだろうが、もともと彼はギルヴェルス軍単独で遠征を行うつもりでいたのだ。大きな障害にはなるまい。


 なお、ここでいう「ギルヴェルス軍」とは、純粋な意味でのギルヴェルス国軍ではなく、そこにアルクリーフ領軍を混ぜた、いわゆるエルストの戦力と言う意味での「ギルヴェルス軍」である。近衛軍の中でそのことを理解していない者は一人もいない。無論、カルノーを含めて、だ。


 まあそれはそれとして。しかしながら、わざと負けることもできないとなると、後はもう「一戦して大いに勝ち、その戦功を盾に主導権を握る」といった具合の案しか出てこない。だが、これでは作戦とは言い難いのは一目瞭然だ。そもそも、どうやって勝つのかがすっぽり抜けている。これではとても出兵計画とは呼べない。


「分かってはいたことだが、情報が足りなさ過ぎる……」


 ラクタカスは頭を抱えた。もはや戦う以前の問題である。このままでは、アルヴェスク軍はただギルヴェルス軍の後を付いていき、彼らの指示に従って戦うことしかできそうにない。


 そうして会議が行き詰ったとき、ついにカルノーがある作戦を提案した。その作戦の内容は、驚くべきものだった。


 まず、軍勢を二手に分ける。主力はギルヴェルス軍と合流し、定石通り西からサザーネギアを攻める。その間に、別働隊は南のメルーフィスを経由し、フラン・テス川を下ってサザーネギアに進入。敵軍を背後から強襲してこれを壊滅させる。


 この作戦が上手く行けば、戦功が大きいのは言うまでもなくアルヴェスク軍のほうである。その発言力は大きくなるだろう。そしてその時、早急にサザーネギアと和睦を講じるのだ。


 ギルヴェルスの戦果を全くのゼロにすることはできないだろう。恐らく幾つかの州を手に入れるはずである。しかし、サザーネギアの全てを併合されてしまうという事態は避けることができる。これによってギルヴェルスの国力増大を最小限に止める、と言うのがカルノーの作戦だった。


「…………幾つか、聞きたいことがある」


 一見して荒唐無稽なカルノーの作戦を聞いても、ラクタカスは一笑に付したりはしなかった。真剣な目をして、彼はカルノーにまずは二つの点について尋ねた。


 フラン・テス川はナルグレーク帝国が管理している。当然、アルヴェスク皇国の軍隊が自由に使えるようなものではない。それで、この川をどうやって使えるようにするのか、と言うのがまず一点。


 さらに、フラン・テス川が使えるようになったとしても、サザーネギアに関する情報の不足は解決しない。むしろこの場合、情報不足はさらに致命的と言えるだろう。なにしろ案内役のギルヴェルス軍もおらず、単独で敵のど真ん中に飛び込むのだから。悪くすれば、別働隊はそのまま野垂れ死にである。この問題をどう解決するのかというのが、二点目である。


 この、指摘された二つの問題点に関し、カルノーは簡潔に一言でこう答えた。


「ナルグレーク帝国に協力させます」


 ナルグレーク帝国が協力してくれれば、フラン・テス川の使用に問題はない。むしろ兵や物資を輸送する船舶などについても融通してくれるだろう。いやそれどころか、カルノーは軍需物資についても帝国に提供させるつもりでいた。


 さらに、サザーネギアに関する情報についても、ナルグレーク帝国から提供してもらう。ナルグレークはサザーネギアの隣国だから、政治情勢や地理情報についても、アルヴェスクよりはるかに詳細な情報を持っているだろう。それを利用させてもらうのだ、とカルノーは言った。


「しかし一体どうやって……。いや、そうか……」


 一体どうやってナルグレーク帝国にそれらの協力をさせるのか。カルノーにそれを尋ねようとしたラクタカスは、しかし自分でその答えにたどり着いた。


「はい。ナルグレーク帝国が我が国に対して負っている賠償金。その残高を帳消しにすることを条件に、かの国から協力を取り付けます」


 かつてのメルーフィス遠征のおり、メルーフィス領に侵入したナルグレーク軍はアルヴェスク軍によって撃退された。その際の講和の条件として、ナルグレーク帝国はアルヴェスク皇国に対し、金貨で5000万枚を支払うことになった。


 その残高が、現在の時点でまだ金貨で2000万枚以上残っている。これを帳消しにすることで、ナルグレーク帝国からの協力を取り付けるのだ、とカルノーは説明する。


 カルノーの案を聞き、ラクタカスは考え込んだ。実際に別働隊を組織して送り込むかは別としても、ナルグレーク帝国が持つサザーネギアに関する情報は貴重だ。それは是非とも入手したい。


 情報はギルヴェルスに提供してもらうと言う手もあるが、あのエルストが素直に応じるかは不明だ。提供してもらえたとしても、必要な情報が揃っているかは怪しい。それでやはり、ナルグレーク帝国の持つ情報は喉から手が出るほど欲しいものだった。


「仮に……」


 ラクタカスは腕組みをして天井を睨みつけたまま、そう呟いた。そして首を動かしてその視線を真っ直ぐにカルノーへと向ける。依然腕組みをし、目つきは鋭いままだ。そして彼はこう続けた。


「仮に、この作戦が決行されたとして、別働隊の指揮ができるのはカルノー、お前だけだ。それは分かっているな?」


「はい」


 ラクタカスの問い掛けに、カルノーは短くそう答えた。ラクタカスは大将軍として主力の指揮を執ることになる。カルノーに続く二人目の近衛将軍は未だ任命されておらず、そのため別働隊を率いる指揮官は彼しか残されていない。


「危険な任務になる。それも、分かっているな?」


「ギルヴェルスを肥大化させ、アルヴェスクに対抗する存在にならせるわけにはいきませぬ。そのためならば、少々の危険も冒しましょう」


 内心の苦さを隠しながら、カルノーはそう言った。ライシュとエルストの二人を争わせるわけにはいかぬ。彼はそう言ってしまいたかった。しかし一度口に出してしまえば、それを取り消すことはできない。まして今の彼は責任ある地位にいる。発言には気をつけなければならなかった。


「……ナルグレークの賠償金が絡んでくるとなると、私の独断では決めかねる。後日、摂政殿下とご相談した上で判断しよう」


 ラクタカスが最後にそう言って会議は散会となった。ライシュと相談すると言っていたが、彼が反対せず、さらに他に有力な案が出ていないのだから、ほとんどこれで決まったようなものである。


 他の出席者たちが次々に席を立つ。ラクタカスも資料をまとめ、足早に会議室を後にした。恐らくこの後、ライシュに謁見を申し込むのだろう。摂政ともなれば貴族であっても一週間や10日待たされることもよくあるが、ラクタカスであればおそらく今日明日中に謁見はなる。そうなればカルノーの提案した作戦案が最終的に可決されるのにも、そう時間はかかるまい。


(我ながら、早まったかもしれないな……)


 静まり返った会議室の中、一人残ったカルノーは口元に自虐的な笑みを浮かべながら内心でそう漏らした。


 これが危険な作戦であることは、提案した本人が一番よく承知している。仮に首尾よくナルグレークから情報提供を受けられたとしても、一部隊だけを率いて敵国のど真ん中に乗り込んでいくことに変わりはない。下手をすれば、文字通り全滅である。


 それが分かっていたからこそ、他に作戦案が出ることを期待して今日まで人に話すこともなかった。しかし今日までにこれといった作戦案が出ることはなく、結局カルノーは自分の案を発表せざるを得なかった。


(それでも、あの二人を争わせるわけにはいかない……!)


 すべては、ライシュとエルストを争わせないためだ。二人が争うということは、つまりギルヴェルスとアルヴェスクが争うということである。また多くの血が流れ、国内は混乱する。決して戦うことを忌避するわけではないが、近衛将軍として無用な混乱は看過できない。


 いや、そんな建前は本当のところどうでもいいのだ。単純に、カルノーは友人である二人が争うところを見たくない。二人とも、もう気楽な学生ではないのだ。負けてもそれを糧にさらなる成長を、などとはもう言っていられないのである。一人はアルヴェスク皇国の摂政で、もう一人は大貴族アルクリーフ公爵にしてギルヴェルス王国の王配。そんな二人が争えば、敗れたほうに待っているのは「死」のみだ。


(あの二人はそれが……、分かっているのだろうな……)


 力なく、カルノーはため息を吐いた。あの二人のことだから、全て承知の上だろう。それでもなお、彼らは争うことを選ぶ。それはまるで本能のように思えるし、あるいは「業のようだ」と言わなければならないかもしれない。カルノーはそう思った。


「まったく、勝手な奴らだ」


 苦笑気味に呟いたカルノーの言葉に、わずかな怒りが混じる。人の気も知らないで、と声に出さずにごちる。


(私は私にできることをやる。それしかないか……)


 ライシュとエルストは互いに争いたいと思っているのか、少なくとも衝突は不可避だと考えているのだろう。しかしカルノーはそれを望んでいない。ならばそのためにできることをやるしかない。


 その決意を新たにしながら、カルノーは立ち上がる。今日はもう、このまま屋敷に帰るつもりだった。


 その道すがら、彼はふと考える。もしもライシュとエルストが争うことになった場合、自分は果たしてどちらの味方をするのだろうか。普通に考えるならば、主君であり義兄でもあるライシュだろう。では、自分はエルストと戦うことができるのか。彼を殺すことができるのか。


「…………っ」


 不吉なその考えを、カルノーは振り払う。そして「そういう事態にしないために尽力するのだ」と自分に言い聞かす。


(だが、このままでは……)


 結局は問題の先送りでしかないのではないのか。そんな考えが頭をよぎる。それを無視することはできても、振り払うことはできなかった。


 さて、近衛軍の内部で作戦案の検討会議が行われた次の日。摂政ライシュハルトに謁見した大将軍ラクタカスは、会議で提案されたカルノーの作戦案について彼に説明した。一通り説明を聞き終えると、ライシュは眉間にしわを寄せ難しい顔をしながら一言こう言った。


「……大胆な作戦、だな」


「私もそう思います」


 確かに大胆であり、そして危険な作戦だった。それをカルノーにやらせるのは躊躇われる。しかしこれ以上の作戦は、恐らくない。


「…………なんにせよ、情報の不足を解消しないことには、主導権をこちらで握ることは不可能だな」


「御意」


 ライシュの言葉にラクタカスはすかさず同意した。どんな作戦で行くにせよ、情報が不足している今の状態で兵を出しても主導権を握ることはできない。結局、援軍としていいように使われるだけである。


「メルーフィス総督に命じて、ナルグレークからサザーネギアに関する情報を入手させろ。実際に別働隊を組織し動かすかは、その情報を精査しからだな」


「対価無しにナルグレークに情報を提供させることは難しいと思いますが、賠償金の扱いはいかがいたしましょう?」


 ラクタカスはライシュにそう尋ねた。


「メルーフィス総督に一任する。ただし、別働隊を動かす可能性もあるのだ。あまり大盤振る舞いさせるなよ」


「御意」


 こうして、ライシュとラクタカスの間でサザーネギア出兵に関する作戦計画の大枠が作られた。その概要は以下の通りである。


 まずナルグレークからサザーネギアに関する情報を入手する。この折衝にはメルーフィス総督が当る。なお、余談になるがゾルタークの死はすでにライシュにも伝わっており、そのため彼は自身の代理として残していた者をそのまま総督職に付かせていた。


 次に入手した情報を精査する。不足している情報があれば、メルーフィス総督を通じて補完することになる。


 そして最後に、精査した情報を元に、最終的な作戦計画を決定することになる。とはいえ、選択可能な作戦計画など、大まかに言えば二つしかない。つまり別働隊を組織するか、それともしないか、である。


 暫定的に、別働隊を組織した場合の作戦は「第一号作戦」と呼ばれ、組織しなかった場合の作戦は「第二号作戦」と呼ばれることになった。入手した情報を元に、いずれかの作戦計画を選ぶことになる。その最終的な判断はラクタカス大将軍に一任されることになった。


 ライシュとの謁見を終えると、ラクタカスはすぐさま近衛軍の幕僚を集めて会議を開き、その結果について説明した。方向性が示されたことにより、会議室の空気が引き締まる。程よい緊張感が、その場を支配した。


「大将軍。メルーフィスの総督府に近衛軍から何名か人を派遣することを提案します」


 参謀の一人がそう発言した。皇都アルヴェーシスと総督府の置かれたプレシーザの間でやり取りをしていては時間がかかりすぎる。それで、総督府に人を派遣しそこで入手した情報を一度整理する。そうすれば、不足している情報の補完もすぐに行えるし、その後の予定も円滑に消化していけるだろう。


「尤もである。すぐに人選を行おう」


 ラクタカスは頷きながらそう応えた。それから「他に意見のある者は?」と言って議場を見渡した。


「大将軍。一つお願いがあります」


 そう言って立ち上がったのはカルノーだった。ラクタカスは彼に視線を向けると、無言で続きを促す。


「部隊を率いてメルーフィスに赴き、そこで調練を行うことを許可してください」


「それは……」


 ラクタカスは思わず目を見開いた。それは言うまでもなく、第一号作戦が決行された場合を見越しての調練である。さらにカルノーは、入手された情報にいち早く目を通し、サザーネギア領内でどう動くべきかについても、考えておくつもりであるに違いない。


「まだ第一号作戦で行くと決まったわけではないのだぞ」


「第二号作戦であったとしても、厳しい調練を受けた精兵は役に立ちます」


 カルノーは堂々とそう答えた。出兵自体は確定しているのだ。兵の質を高めておくことは、決して間違いではない。


「調練だけならば、わざわざメルーフィスにまで赴く必要はないと思うが?」


「皇都の周辺で大規模な演習を繰り返せば、アルクリーフ公爵にもそのことは伝わりましょう。それに温かいメルーフィスであれば、兵もよく動くというものです」


 カルノーのそのぬけぬけとした物言いに、ラクタカスは思わず苦笑した。彼が調練のためにメルーフィスを選んだ最大の理由は、やはり第一号作戦の決行を見越してのことである。


 その作戦の実行が決まれば、フラン・テス川の使用や兵の輸送などについて、ナルグレーク側と協議が必要になる。その大部分はメルーフィス総督にやってもらうことになるが、やはり実務者間での調整はどうしても必要だろう。であれば、別働隊を率いることになるカルノーがその場にいた方が何かと都合はいい。


「……よかろう。メルーフィスでの調練を許可する。ついでだ、情報の整理もお前が監督しろ。人選も任せる」


「了解しました」


 結局、ラクタカスはカルノーの要望をほぼ全てかなえた。そのおよそ5日後、カルノーは部隊を率いてメルーフィスへ向けて出立した。


 今年もまだ、動乱の気配は絶えない。人の野心がそうするのか、あるいはその気配が人に野心を持たせるのか。カルノーはふと、そんな事を考えた。


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