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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
転の章 薄氷の同盟
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薄氷の同盟21

「これはどういうことか、アルクリーフ公爵!?」


 戦いが終わり、王城内に入ったラジェルグ将軍は、ユーリアスが死んだことを聞き、また彼の首を見てエルストに掴みかかった。なぜユーリアスが死んでいるのか。それでは戦いに勝ったとしても何の意味もないではないか。


「突入部隊は……、いや、公爵殿は一体何をされていた!? この責任、どう取るおつもりか!?」


 胸元を掴み、ラジェルグはエルストに迫る。怒りに燃える彼の目を真っ直ぐに受け止め、エルストは落ち着いた声でこう言った。


「私は、アンネローゼをこのギルヴェルスの新たな女王にする」


 その言葉を聞いた瞬間、ラジェルグは目を見開いてよろけ、思わずエルストの胸元から手を放した。


「い、一体、何を言って……」


「それが、私なりの責任の取り方です。ラジェルグ将軍」


 ギルヴェルス王国は今、危機に瀕している。二人の王子が共に死んでしまったこともそうだが、なによりこの王位を巡る内乱によって国力が大いに低下してしまった。エルストはアンネローゼを女王とし、アルクリーフ公爵家が後ろ盾となることで、その低下してしまった国力を回復させる、と言う。


 一見して、筋が通っているようにも見える。しかしラジェルグはその上辺だけに騙されたりはしなかった。その重大な問題点を、彼は叫ぶようにして指摘する。


「ギルヴェルス王国を乗っ取るつもりか、アルクリーフ公爵!?」


 確かにアンネローゼはユーリアスの長女。血筋は申し分ない。二人の王子が死んでしまった以上、彼女以上に王位に相応しい候補はいないだろう。


 しかしアンネローゼはアルクリーフ公爵に嫁いだ身だ。彼女が女王となれば、エルストは王配になる。そして女王となったからと言って、アンネローゼが政務を行うことはほとんどないだろう。恐らくは王配となったエルストが政務を代行するはずだ。


 アルヴェスク皇国の大貴族たるアルクリーフ公爵が、ギルヴェルス王国の政務を取り仕切るのである。これを国の乗っ取りと言わずして何と言えばいい。


 ラジェルグは剣を抜いた。そして躊躇なくエルストに斬りかかる。その強烈な一撃を、エルストもまた剣を抜いて受け止めた。


「冷静になれ、ラジェルグ将軍!」


「私は冷静だ! 貴様をここで殺さねば、ギルヴェルスはアルヴェスクの属国になる。違うか!?」


「ではアンネローゼのほかに、一体誰を王位につける!?」


「王家の血を引く方は他にもまだいらっしゃる!」


「その中の一体誰に、今のこの国を纏めるだけの力がある!?」


「……っ」


 エルストの言葉にラジェルグは答えることができなかった。王城に捕らわれていた主だった貴族のほとんどが粛清されたことは、彼もすでに知っている。つまりギルヴェルスは今、国を支える柱の多くが倒された状態なのだ。


 その状態で王家の血にどれほどの力があるのか。血を引いているというだけで形ばかりの王を即位させても、国内の混乱は収まるまい。そもそも、一体誰がその王に代わって執務を行うと言うのか。少なくとも、ラジェルグには無理だ。


 今のギルヴェルスに必要なのは、はっきりとした力である。それは、例えばアルクリーフ公爵家が持っている経済力であり、またエルストが持っている政治力や影響力である。それらの力がなければ、ギルヴェルスは国力を回復させるどころか、逆に衰退していくだろう。


 この国の状況はさらに悪くなるかもしれない。そう考えたとき、ラジェルグは背中に氷刃を差し込まれたように感じた。弱った祖国。そして隣にいる、大国アルヴェスク。しかもその大国と繋がりのあったユーリアスはもういない。


 攻め込まれ、征服される未来が浮かんだ。自分はその未来を防げるだろうか。ラジェルグは自問する。その答えは否だった。軍を率いて戦ったとしても、恐らくは勝てない。兵の数が、特に優秀な指揮官の数が、違いすぎる。


(せめて、バフレン将軍が生きておられれば……!)


 ラジェルグは彼を死なせてしまったことを、改めて悔いた。とはいえ、例えバフレンが生きていたとしても軍事的な劣勢は変わらない。そして、「誰を王とするべきか」という問題も。


「ラジェルグ将軍」


 凛とした声が、その場に響いた。女の声である。ラジェルグが反射的に声のした方に視線を向けると、そこにいたのはアンネローゼだった。彼女は真っ直ぐにラジェルグを見ている。その視線に彼は思わずたじろいだ。


 よく見れば、アンネローゼの目は赤くはれていた。きっと、ユーリアスの遺体に縋りついて泣いてきたのだろう。これで彼女は、両親と兄弟の全てを失ったのである。しかし彼女は悲しみにくれて塞ぎ込むことなく、こうして泰然とラジェルグの前に立っている。その彼女が纏っているのは、確かに女王の風格だった。


「お話は、わたくしも伺いました。祖国が荒れ果てていくのは、見るに耐えません。わたくしは父の意思を継ぎ、ギルヴェルス王国の女王となります。ラジェルグ将軍。将軍のお力も貸してはいただけませんか?」


 アンネローゼの声は穏やかだった。しかし同時に、決意を込めた力強い声だった。その声が、ラジェルグの心を動かした。


「……女王陛下の御心のままに」


 わずかな逡巡の後、ラジェルグは片膝を付いて頭を垂れた。アンネローゼをギルヴェルスの新たな女王と認めたのである。


 次にアンネローゼは、夫であるエルストに視線を向ける。その顔は、まさしく女王のものである。


「アルクリーフ公爵、アルヴェスク皇国との橋渡しをお願いできますか?」


「もちろんでございます」


 そう言ってエルストはラジェルグと同様に片膝を付いた。二人の男が、一人の女に対して頭を下げたのである。それは彼女が女王でなければありえない光景だった。


「……エルスト様、助けて、いただけますか?」


 最後にアンネローゼはそう言った。震える、涙声だった。彼女の抱える不安が、その一言に全て表れているかのようだった。


「もちろん、もちろんだ。アンネローゼ」


 不安げな妻の声を聞いて、エルストは立ち上がった。そして縋りつく彼女を優しく抱きしめる。


「……酷いお方。でも、愛しています」


 抱きしめられたアンネローゼが、エルストにだけ聞こえるように小さな声でそう呟いた。それを聞いて、彼は苦笑を浮かべる。


 そして、同時に確信する。彼女が自ら進んで彼の共犯者となったことを。それはつまりすべてを彼女に見透かされていると言うことで、エルストにとってそれは非常に痛快なことのように思えた。


 ラジェルグがふと視線を上げると、抱き合う二人がそこにはいた。抱きしめられたアンネローゼは、目に涙を浮かべていた。その姿は弱々しく、先ほどまでの泰然とした様子は少しも感じられない。何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、ラジェルグはまた視線を下げた。


 この後、略式ではあったがアンネローゼの戴冠式が執り行われた。そしてサンディアスの遺体から回収された玉璽が彼女に献上される。こうして、アンネローゼは正式にギルヴェルス王国の女王となったのである。



□■□■□■



「どういうつもりだ、ロキ!?」


 カルノーに詰め寄られ、エルストは苦笑した。ラジェルグといい彼といい、最近は詰め寄られることが多い。


 カルノーが王城に入ったのは、攻防戦が終わった翌々日のことだった。エルストが王城に入ってそこでの事後処理を行っていたので、カルノーは主に城壁の外での事後処理を担当していたのである。


 戦の後の事後処理の中で、カルノーが最も頭と感情を悩ませたのは、なにを隠そうスピノザのことだった。


 攻防戦が終わったとき、スピノザはすでに死んでいた。というより、彼が死んで攻防戦が終わった。彼は白旗を無視して頑強に交戦を続けようとし、その結果味方に粛清されて死んだ。身体中を槍で貫かれ、その首は斬りおとされて槍の穂先に括り付けられ、白旗の代わりに掲げられた。


 カルノーはスピノザのことを、決して恨んでもいなければ憎んでもいなかった。しかしスピノザは確かに彼のことを憎悪していた。そしてその理由は、結局彼には分からずじまいだった。


 そのスピノザの遺体をどうするのか。悩んだ結果、カルノーは彼の首と胴体を繋げてから丁重に葬った。理由は分からないが憎悪されていたことへの、あるいは謝罪だったのかもしれない。


 後にこの話を聞いたエルストは、思わず皮肉気な笑みを浮かべた。カルノーから幾ら丁重に葬られても、スピノザは喜ばないであろう。それどころか侮辱されたと感じて憤然とするはずである。エルストにはその様子が容易に想像できた。


 とはいえ、エルストはそのことを友人に教えてやろうとは微塵も思わなかった。死んでしまった道化の遺志よりは、生きている友人の自己満足のほうが、彼にとっては重要だった。


 ちなみにスピノザが乗っていた、アーモルジュが彼に贈った黒毛の駿馬であるが、エルストの勧めもありカルノーが戦利品としてもらうことになった。ただし、彼はスピノザに気兼ねし、結局一度もその馬に乗ることはなかった。


 閑話休題。苦笑を浮かべる友人に、カルノーはもう一度「どういうつもりなんだ」と問い掛ける。彼が問い詰めているのは、彼の知らぬ間に即位した新たなギルヴェルスの女王についてである。


「アンネローゼ夫人をギルヴェルスの女王にするだなんて、どうしてそんなことを……!」


「それが今のギルヴェルスに必要で、また最良の方策であると判断したからだ」


「それを知ったライが、いやライの周りの人間が何を考えるのか、分からないわけじゃないだろう!?」


 アルヴェスク皇国における最有力貴族であるアルクリーフ公爵家は、宮廷(つまり皇国の政治中枢)から大いに警戒されている。その公爵家の夫人がギルヴェルス王国の女王となり、そして当主が王配となる。これを皇国の脅威と考える者は少なくないだろう。


「粛清されるかも知れないんだぞ!?」


 カルノーはそう言ったが、実際のところ彼は友人が殺されてしまうことは心配していない。この図太い友人が、大人しく粛清されるはずがないのだ。むしろ粛清されそうになれば、これこそ好機と言わんばかりに彼は決起するだろう。彼が決起すれば、同調する者は少なからずいる。そうして国が割れることを、彼は心配していた。


「そのことについては、私に考えがある」


 エルストは落ち着いた様子でそう言った。彼のその声に宥められるようにして、カルノーも落ち着きを取り戻す。そんな友人に、エルストはさらにこう言った。


「それでカルノー、お前に頼みたいことがある」


 エルストの頼みとはこうだった。曰く「この件についての説明は、いずれ私自身がライに直接行う。ライにそのことを伝え、彼やその周囲の人間が早まったことをしないよう働きかけて欲しい」


「すぐに、説明に向かうわけじゃないのか……?」


「今朝方、報告があった。東のサザーネギアが国境を侵したらしい」


 ギルヴェルスの混乱に付け込み、秋の収穫物を根こそぎ奪うつもりらしい、とエルストは嗤う。そして「私はこれを撃退しなければならん」と続けた。


 それを聞いて、カルノーは眉間に皺を寄せる。確かにそれは捨て置けない事態である。しかし、所詮は他国のこと。皇国分裂の危機を前にすれば、どうしても霞んで見える。とはいえ、それが皇国人から見た物事の見方である事をカルノーはわきまえていた。


「…………国が、割れるようなことには、ならないんだな?」


 苦しげに、カルノーはそう問い掛けた。ともすれば危険な問い掛けである。しかし友人のその素直さが、エルストには眩しかった。


「もちろんだ。そんな事にはならない」


 エルストはそう即答した。ただし、その後に心の中で「少なくとも、今は」と付け足す。それがたまらなく卑屈で矮小なことのように思えた。


「……分かった。明日、皇国へ帰還する。その際、ライは私から口添えをしておこう。アルクリーフ領軍以外のアルヴェスクの戦力も一緒に連れて帰ることになるが、構わないな?」


「ああ、それでいい」


 エルストは苦笑気味にそう答えた。


 そして次の日の早朝、この二人の友人は王都パルデースからそれぞれ真逆の方向へ出て行った。エルストはサザーネギアの略奪隊を討伐するために東へ、カルノーは皇国へ帰還するために西へ、それぞれ軍を率いて出立した。


「そうか……。なかなか、予想外の事態になっているようだな……」


 皇都アルヴェーシスに帰還したカルノーからの報告を聞き、ライシュは思わずため息を吐きながらそう呟いた。ユーリアスでもサンディアスでもなく、まさかアンネローゼがギルヴェルスの王位に付くとは。まったくをもって予想外である。


「申し訳ございません。監視役の任、全うすることができませんでした」


「構わん。幾ら監視していても、これではどうにもならん」


 謝罪するカルノーにライシュは苦笑しながらそう言った。二人の王子が死んでしまったのであれば、残った中での最有力候補は間違いなくアンネローゼだ。それを押し退けて別の候補を王位につけるというのは、それこそ一国の王でもなければ無理な話だ。


 いや、仮にライシュがその場にいたとしても、アンネローゼの即位を阻止できたかは怪しい。というより、無理であったろう。それを他人に求めて、できなかったからと言って責める気にはなれなかった。


「まあ、アルクリーフ公爵が直々に釈明に訪れるというのだ。まずはそれを待とうではないか」


 ライシュがそう言うと、それがひとまずの結論となった。摂政である彼がそういう中、反論は出なかった。


 他の者たちを退出させ一人になった部屋の中で、ライシュは椅子の背もたれに身体を預けて天井を見上げる。


「く……っく、っく……」


 思わず、笑い声が漏れる。


 まさか。まさか、まさか、まさか。


「まさか、これほど鮮やかに一国切り取って見せるとは……」


 愉快だった。痛快だった。笑いが、止まらなかった。


 ライシュはエルストの野心に気付いている。彼が皇位を狙っていることに、気付いている。それゆえ、ライシュは友人がいつか自分に対抗してくるだろうと予感していた。


 国を割るのだろう。国を割り、特に北部の貴族や代官たちを纏め上げ、自分に挑んでくるのだろう。ライシュはずっとそう思っていた。


 それなのに、まさか国を割るのではなく、こうも鮮やかに国を取るとは。流石はロキ、流石は我が親友。誇らしく、そしてそれ以上に、恐ろしい。


「次は、次はどうするつもりだ、ロキ? 悪いが、そうそう思い通りにさせてはやらぬぞ?」


 心が、躍った。度し難い、と自分でも思う。しかしライシュは心躍らせずにはいられなかった。ライシュがこの時、どれほど獰猛で危険な笑みを浮かべていたのか、彼を含め誰も知ることがなかった。


 ライシュのもとを辞したカルノーは久しぶりに自分の屋敷に帰った。玄関をくぐるとすぐ、美しい銀髪が彼の視界を覆う。ジュリアだ。


「カルノー!」


「姫……」


「姫はよせ。お主の妻になって、どれほど経つと思っている」


 まあお主は忘れておるかもしれんがな、とジュリアはそっぽを向いた。その分かりやすい拗ね方に、カルノーは苦笑する。そういえば新婚らしく一緒に過ごせたことは、あまりない。


 遠征から帰ってきた彼は、とんでもない難問に直面してしまった。何とかして、ジュリアの機嫌を宥めなければならない。しかしこういう事柄に関し、カルノーはまったく経験不足だった。


 それでも彼は考える。そして「そうだ」と彼は思った。


「実は、受け取って欲しいものがある」


 そう言ってカルノーがジュリアに見せたのは、スピノザが乗っていたあの黒毛の駿馬だった。その馬を一目見て、ジュリアは眼を輝かせた。


「カルノー、カルノー! 今から遠乗りに行こう!」


 結局、カルノーはジュリアに付き合った。そしてジュリアは母のステラに怒られた。


 エルストが皇都へ戻ってきたのは、冬の足音が聞こえてくる季節だった。彼はふてぶてしくも悠然とした様子でライシュの前に現れた。


 二人は謁見の間で対峙した。その場にはカルノーを含め、何人かが同席していたが、誰一人として言葉を発しようとしない。静寂が重く圧し掛かる。カルノーは戦場でもないのに戦慄を感じていた。


「ギルヴェルスでの戦い、ごくろうであった。アルクリーフ公爵」


 まず言葉を発したのはライシュだった。それに対し、エルストは片膝を付いたまま頭を深く垂れる。


「はっ。恐悦至極にございます」


「うむ。詳しい報告は、カルノーからすでに聞いている。どうやら、思いがけない結果になったようだな?」


 ライシュの言う「思いがけない結果」とは、アンネローゼの即位のことに他ならない。その場にいた全員が、そのことを理解していた。


「これで卿はギルヴェルスの王配となった。皇国の大貴族アルクリーフ公爵にしてギルヴェルスの王配。なんとも奇妙にして偉大な地位だな」


 ライシュの言葉には皮肉気な響きがあった。これでは警戒するなと言う方が無理である。まるでそう言っているかのようだった。


「摂政殿下のお言葉通り、歴史上でも類を見ないことでございましょう。ですが、両国の安寧のためには必要なことでございます。さすれば命をとして、両国の平和と繁栄のために尽くす所存でございます」


 エルストは恭しく、しかし卑屈なところなど微塵も見せずにそう言った。


「アルクリーフ公爵が皇国とギルヴェルスの平和と繁栄のために尽くしてくれれば、これほど心強いことはない」


 言葉ではそう言いつつ、ライシュは態度を少しも変えていなかった。そんな彼に、エルストはさらにこう言った。


「摂政殿下。『両国のために尽くす』。私のその言葉に嘘偽りはございません。その証拠を、ここにお持ちいたしました」


 そう言ってエルストは一通の封筒をライシュに差し出した。ライシュは怪訝な顔をしながらその封筒を受け取り、そして中身を改める。しばらくすると、彼は目を見開いた。


「これは……!」


「アルヴェスク皇国との同盟を望む、ギルヴェルス王国女王アンネローゼ陛下からの親書でございます」


(やられた……!)


 ライシュはそう思った。まず間違いなく、同盟を望んでいるのはアンネローゼではなくエルストである。彼にはすぐにそれが分かった。


 ここで同盟を結べば、アルヴェスクはギルヴェルスに手出しができなくなる。一度同盟を結べば、皇国の側から破棄することも難しい。アルクリーフ公爵家に近い貴族や代官たちは頑強に反対するだろう。そしてそうこうしている間に、エルストはギルヴェルスの国力を回復させ、そしてさらに発展させ、その力もって皇国に挑んでくる。


 しかしギルヴェルスとの同盟を拒めば、アルヴェスクが、ライシュが平和を拒んだと受け取られるだろう。さすればそのことに対し、国内から批判が起こる。そしてその批判は、エルストが決起する理由となる。


 どちらに転んでも、エルストに都合が良い。なんとも痛烈な一手である。流石はロキ、とライシュは舌を巻いた。


 しかし、彼もやられっぱなしではない。


「同盟の件は、前向きに検討させていただこう。…………ところでアルクリーフ公爵、サザーネギアの略奪隊についてカルノーから聞いたが、被害はいかほどであった?」


「幾つかの村が襲われましたが、奪われたものはほぼ取り戻すことができました。ただ、取り戻せなかったものも多くありますが……」


 エルストは沈痛な声を出した。その姿はまさしく、自国の民を案ずる王配のものだった。それに対し、ライシュもまた顔を歪めてこう応じた。


「痛ましいことだな。このように残虐極まりないサザーネギアの所業に対し、アンネローゼ女王陛下はどうされるおつもりかな?」


「冬があけましたら、兵を集め懲罰の軍勢を催すこととなりましょう。その際には、是非我がアルクリーフ領軍が助力することをお許しいただきたく……」


 やはりな、とライシュは内心でほくそ笑む。アルヴェスクと同盟を結んで西の憂いを断ち、その間に東のサザーネギアを討ち、そして併合する。完全な併合は無理でも、何州かは国土を割譲させる。そうやって、彼は彼の力を増すつもりなのだ。しかしライシュに、それを黙って見ているつもりはない。


「無論である。しかし、それだけでは足りんな。アルヴェスク皇国として正式な援軍を出そう」


「それは……!」


「何を驚くことがある? ギルヴェルスとアルヴェスクは同盟国となる。同盟国を助けるのは、当然のことであろう?」


 ギルヴェルスから、いやエルストから持ちかけられた同盟の話。それをライシュは利用した。同盟を盾に、サザーネギアへ出兵する大義名分を得たのである。すべては、エルストを牽制するためだ。


 サザーネギアの全てをお前にくれてやるわけにはいかぬ。ライシュは言外にそう言っていた。彼のその意図は、エルストにも間違いなく伝わっていただろう。


「……摂政殿下のご配慮、痛み入ります。アンネローゼ陛下も、お喜びになるでしょう」


「そうか。それは良かった」


 その後、話し合いは和やかな雰囲気で進んだ。そして数日後、アルヴェスクとギルヴェルスの同盟が成立。ライシュとエルストがそれぞれ署名と捺印を交わした。そして交わされた条約文章を持ってエルストはギルヴェルスの王都パルデースへ向かった。冬はそこで過ごすらしい。


 パルデースへ向かう道中、馬を走らせながらエルストは全身の血が滾るのを感じていた。


「ライめ……、やる……!」


 やはり、あの友人は易々と勝たせてはくれない。カルノーを取り込まれてしまったことといい、ここまでは負けが先行している。ギルヴェルスを取りはしたが、まだまだ五分には遠い。その劣勢が、エルストには楽しくて仕方がなかった。


 執務室の椅子に座るライシュは、しかし一向に仕事に手が付かない。


「ロキ……、野心とは、度し難いな……」


 サザーネギアを、ギルヴェルスをたいらげ、そして……。考えるのは、そんな事ばかりだ。友人と覇を競う。それはきっと、傍から見れば不幸なことなのだろう。しかしライシュは、自分がそれほど不幸だとは思っていない。片方が倒れても、片方が残る。それはきっと、幸運なことなのだろう。彼はそう思った。


 ライシュとエルストのやり取りを間近で見ていたカルノーは、自分の無力を恨んでいた。


(本当に、二人で争うつもりなのか……! ライ、ロキ……!)


 何とかして、止めなければならない。幸いにも現在、アルヴェスクとギルヴェルスの間には同盟が結ばれ、両国の関係は少なくとも表面上は良好だ。無理やりにでも、これを固定化してしまわなければならない。二人が争うところなど、カルノーは見たくなかった。


「まずは……」


 まずは、サザーネギアへの出兵。ここでなんとか、両国のパワーバランスを調整する。エルストが対アルヴェスクの開戦を躊躇うように。一介の将軍でしかない彼にできることは多くない。しかし、やらねばならない。


 やらねば、ならないのだ。


 この薄氷の同盟を割らないために。



 第三話 ―完―

というわけで。


第三話 薄氷の同盟、いかがでしたでしょうか?

物語が大きく動いてきたような気がしますね。


この次は……、まだ何も考えていません(笑)

また書き上げてから投稿しますので、気長にお待ちください。


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