野心の目覚め4
大陸暦1058年10月、アザリアスはフロイトス・エルフルト・グラニア・アルヴェスクから皇位を譲渡させる形で新たな皇王となった。それに伴い、彼は自分の名をアザリアス・オズモーネ・グラニア・アルヴェスクと改めた。レイスフォールから賜った〈オズモーネ〉の名を名乗り続けたのは彼に対する忠誠と敬愛の表れだったのか、はたまたそう見せかける小細工だったのか。年代記は黙して語らない。
さて、粛清による混乱ためか、いつになく寂しい年明けとなった翌1059年。その3月にアルクリーフ公爵家が新皇王アザリアスに叛旗を翻した。アルクリーフ領軍を率いるのは、粛清された父に代わって公爵家を継いだエルストロキア・レダス・ロト・アルクリーフである。なお、当主となった彼は新たに〈レダス〉のミドルネームを名乗っている。
さらにアルクリーフ公爵家に同調して北部の貴族たちが次々に決起した。貴族たちだけではない。天領の統治を皇王から任されている代官の中からも、アルクリーフ公爵家に味方する者が出た。それだけ北部におけるアルクリーフ公爵家の影響力が強く、またアザリアスが皇王として治めることへの正当性を疑問視している者が多かった、ということだろう。
「アザリアスとは何者か? 簒奪者である! その身に皇族の血が一滴も流れていないにも関わらずアルヴェスクの名を騙る、恥知らずな詐欺師である! レイスフォール先皇陛下のご恩を忘れ権力と野心にとり付かれた、卑しい咎人である!
そのように卑しい犬が、いま皇都アルヴェーシスの玉座にふんぞり返っている。これを見逃すことは、栄光あるアルヴェスク皇国の歴史に泥を塗り、また我ら皇国貴族の誇りを汚すことに他ならない!
アザリアスを! あの犬を! 断じて許してはならない!
我が同志たちよ! 今は座して見守るべきときではない。我らのこの怒りを、断固たる行動によって示すべきときである! 我らの愛すべき祖国を余所人の手に与えてはならない。我らの祖国は、我々の手で守らねばならないのだ!
詐欺師に正道を思い知らせ、咎人に応報たる裁きを! 簒奪者に正義の鉄槌を!」
エルストのこの言葉は檄文にも用いられ、北部一帯に瞬く間に流布された。さらに年代記にもこの言葉は記録され、それだけ大きな反響があったことが伺える。ちなみにこの言葉はアザリアスを簒奪者として糾弾する、公式では初の言葉となった。
エルストはアルクリーフ領軍を率い、自らに味方しなかった天領を次々に制圧していった。その手腕は鮮やかであり、歴戦の将軍たちも舌を巻くほどだった。若く、そして有能な公爵を旗頭に、北方連合軍(後の年代記にはそう記されている)は破竹の勢いで支配領域を広げていった。
さてこの事態に際し、新皇王となったアザリアスに座して静観するという選択肢はなかった。いや、そもそも最初から静観する気などない。エルストの父であるアルクリーフ公爵を殺したその時から、こうなることは予想されていたのだから。
(急ぎ兵を北に送るつもりではあったが……)
皇王に即位したためのごたごたと、それに伴う大掛かりな粛清のために忙殺され、なかなか兵を集めて北に送ることができなかった。そして、そうこうしている内に冬が来てしまったのである。
アルヴェスク皇国は広い国だ。その北部の冬は言うまでもなく厳しい。そのため冬季の遠征は困難が予想される。その上、敵はその冬に慣れている。わざわざ相手が有利になる季節に戦う必要もないだろうということで、暖かくなるのを待っていたのだ。
その隙を突かれた格好である。とはいえ、まだ手遅れには程遠い。叛旗を翻した者たちを叩き潰し、自らの権力基盤を確固たるものにすればいい。そしてそのための剣となるのは、言うまでもなくホーエングラム大将軍率いる近衛軍である。
「ホーエングラム大将軍、北で鼠どもが騒いでおる。何事も初めが肝心じゃ。後に続く者が現れぬよう、徹底的に叩き潰せ」
「御意」
そう言ってホーエングラム大将軍はその勅命を粛々と拝命した。しかし、彼はすぐさま動こうとはしなかった。そしてなかなか動こうとしない彼に対し、やがてアザリアスの方が焦れた。
「ホーエングラム、なぜ動かん!? 余は北の鼠どもを叩き潰せと、汝にそう命じたはずじゃ!」
甲高い声でそう叫ぶアザリアスに対し、ホーエングラムは対照的に落ち着いた声でこう答えた。
「何事も初めが肝心であると、陛下御自身がそう仰ったはず。3年前から続く内乱のせいでこの国は今疲弊しております。北での反乱を国全体に飛び火させるわけにはいかないのです。
そしてそのためには、緒戦で必ずや勝たなければなりません。緒戦で勝たなければ、例え我らが十分な力を持っていたとしても、反乱軍は勢いづき各地で呼応する者が現れるでしょう。ですが、地の利は彼奴らにあることを認めなければなりません。そこで確実に勝つためには大軍が必要なのです。
陛下、どうかご心配召されるな。大軍をもって堂々と乗り進み、そして彼奴らの本拠地であるアルクリーフ領を制圧する。これで北の反乱は鎮まりまする。このように鮮やかに反乱を鎮圧すれば、陛下のご威光は皇国の全土にいき渡ることでございましょう。そうすればこの先、陛下に叛旗を翻す愚か者が現れることもありますまい」
必要な戦力と物資が集まるまで今しばらくのご辛抱を、と言ってホーエングラムは頭を下げた。アザリアスは少々不満そうな顔ではあったが、ホーエングラムが言うことには一理あった。北の反乱を鎮圧することは当然だが、その戦いで圧倒的な強さを見せ付けることで各地の不穏分子の動きを封じる。それはこの先、皇国を安定させる上で必要なことのように思えた。
さらに現実的な問題として、ホーエングラム以外に軍を率いて北の反乱を鎮圧できる人材はいない。アザリアスに軍を率いて指揮する能力はないのだ。そのためホーエングラムがそう言うのであれば、そうする以外にアザリアスに選択肢はなかった。
しかし、ホーエングラム率いる討伐軍が北に向かうことは結局なかった。彼が大軍を組織している間に状況が変化したのである。
エルストが叛旗を翻してからおよそ一ヵ月後の4月半ば、西で新たにアザリアスに対し叛旗が翻された。後の年代記で言うところの、西方連合軍の決起である。その軍を率いているのはライシュハルト・リドルベル・アルヴェスク。レイスフォールが西に残した御落胤だった。
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その日、ライシュはある決意を胸に、義父であるベリアレオス・ラカト・ロト・リドルベル辺境伯の執務室を目指し歩いていた。北で起こったエルストを中心とする反乱は、すでに彼もまた知っている。その手腕は見事であり、彼は素直に学友を賞賛していた。
しかしエルストをよく知っているがために、ライシュは彼に対してある種の危惧を抱かずにはいられない。それはまだ言葉にならない、否、言葉にしたことのない危惧である。その危惧を彼が抱いていたのは、ライシュもまたエルストと同種の気持ちを胸に秘めていたからなのかもしれない。
ライシュはベリアレオスの執務室に着くと、その歩みを止めることなく扉を開け放って室内に入り、そして義父と執務用の大きな机を挟んで対峙した。
「ライ、どうした?」
ベリアレオスはよく鍛えられた身体を持つ、武闘派の貴族だった。歳はこの時点で47才。黒目に黒髪で、立派な口ひげを蓄えている。背はライシュよりは低いが、それでも彼に見劣りすることのない堂々たる体躯をしていた。そんな義父にライシュはこう言い放った。
「リドルベル辺境伯、すぐに領軍の準備を。アザリアスを討つ」
義理の息子のその言葉と態度に、ベリアレオスは思わず眉をひそめた。ライシュは確かに豪快な性格をしているが、しかし義父である彼にここまで高圧的な態度を取ったことはない。
「ライ、何を言っている。どうしたと言うのだ?」
「アザリアスを討つと、そう言ったのだ。この、ライシュハルト・リドルベル・アルヴェスクが!」
ライシュは堂々とその名を名乗った。彼が今まで一度も名乗ることのなかった、その名を。
「ライシュハルト!!」
ベリアレオスの反応は激烈だった。顔を真っ赤にし、唾を飛ばしながら勢いよく立ち上がったのである。その反動で彼の座っていた椅子が倒れる。二人の間に大きな執務机がなければ、彼はライシュに掴みかかっていたことだろう。
「貴様!! 自分が何を言っているか、分かっているのか!?」
「俺が俺の名を名乗って何が悪い!?」
ライシュがそう答えた瞬間、ベリアレオスの顔が更なる怒りに染まった。そして彼はライシュに歩み寄ると、彼の顔を問答無用で殴りつけた。
ライシュは義父の拳を避けようとはしなかった。目を逸らさず、甘んじてその拳を受け入れる。さすがにベリアレオスの鉄拳は強烈で、殴られると彼の身体が一瞬だけ泳いだ。しかし床に倒れることは無い。
「レイスフォール陛下は、お前をその名で呼ぶことはされなかった!!」
ベリアレオスはライシュの胸倉を掴んで引き寄せるとそう怒鳴った。ただし、その声音はまるで懇願するかのようだった、とある兵士が証言している。
――――ライシュハルト・リドルベル・アルヴェスク。
それは特別な名前である。アルヴェスクの姓を名乗っていることから分かるように、ライシュは自分が皇族の一人であると、先皇レイスフォールの息子であると宣言したのである。
しかしベリアレオスが言うとおり、レイスフォールは彼をその名で呼ぶことはなかった。それはつまり、ライシュを自分の子供として認知しない、皇族の一人として認めないと言っていたことに等しい。
その理由は、ライシュが男だったからだ。男の皇族は権力闘争の火種になる。レイスフォールやライシュ自身にその気がなくとも、周りの者たちは彼の血筋に何かしらの価値を見出し利用しようと企むだろう。まして、ライシュの母親の身分は騎士階級。御しやすい駒に見えるとしても不思議はない。
それに、皇族と言うのは名前以上に不自由な立場だ。何よりもまず皇族であることが優先される彼らは、貴族たちよりも決められた生き方しかできない。それでも後ろ盾がしっかりとしていればある程度自分で生き方を選べるかもしれないが、ライシュのように母親の身分が低ければそれも無理だ。何も出来ず、何もさせてもらえず、無聊を囲って一生を過ごすことになる。
だから、レイスフォールはライシュを自分から遠ざけた。それが彼を守ることになると、その方が彼のためになると言い訳をして。
その決定が、レイスフォールにとっても苦しいものであったことをベリアレオスは知っている。ただ単に自分の不甲斐なさの結果を子供に押し付けただけなのではないか。彼はいつもそう悩み、そして苦しんでいた。
ライシュに妹のジュリアが生まれると、レイスフォールの悩みと苦しみはさらに大きくなった。この娘もまた、認知するべきではないのか。しかしそうするとこの子は私生児になる。女の私生児にとって、この世界は生き辛い。男であれば己の才覚次第で成り上がることも可能だが、女でそれが出来るのは本当に一握りだ。大半の女性は生まれによってその人生を左右されてしまう。
悩んだ末、レイスフォールはジュリアを自分の娘と認知して〈アルヴェスク〉の姓を名乗らせた。彼女に関して言えば、その名が身の守りとなると思ったからだ。しかしその結果、兄妹の間で格差が生まれた。
同じ両親を持ちながら、片方は私生児であり、片方は皇族。兄妹の仲は良かったのでその格差は普段は目に付かなかったが、父であるレイスフォールが来ると途端に顕著になった。ライシュは父に会うことができず、ジュリアは甘えることが出来る。それはライシュにとって辛いことだったが、同時にレイスフォールにとっても辛いことだった。レイスフォールがベリアレオスと二人で飲むときはいつも、彼は自分の後悔ばかりを語ったものである。
だからこそ、ベリアレオスは誓ったのである。最後の最後まで、主君の意向に沿うことを。
「……お前を世子にしたいと申し上げたとき、陛下は小声で『すまん』と仰られた。あの方はずっと、お前のことで苦しんでおられたのだ。それを分かれとは言わぬ。だが、陛下の御心を踏みにじるような真似だけはしてはならぬ」
言い聞かせるように、そしてまるで嘆願するかのように、ベリアレオスはライシュにそう語った。だが彼の言葉を聞けば聞くほど、ライシュの顔は悲しげに歪んでいった。
「親父殿! 俺を、この俺を見ろ!!」
ついにライシュはそう叫んだ。その剣幕に、ベリアレオスがわずかに身を仰け反らせた。
「俺は! この俺は! アザリアスと、フロイトスと比べてどうだ!? 俺よりも奴らの方が皇王に相応しいと、良い皇王になると、親父殿はそう言うのか!?」
フロイトスは4歳数ヶ月の子供に過ぎず、アザリアスに至っては姑息な手段で皇位に就いた簒奪者だ。その二人と比べ、自分が劣っていることなど有り得ない。ライシュにはその自信があった。
「親父殿、俺は悔しいのだ」
搾り出すようにしてライシュはそう言った。レイスフォールの後継者が彼のような名君であるならば、ライシュは自分の心を慰めて諦めることができただろう。だが現実にはどうか。国は乱れ、いま皇位についているのは簒奪者である。この上なぜ自らの出自をことさら隠し、この事態をただ傍観していなければならないのか。
「……今思えば、いや、聞いたその時から分かっていた。卒業式でレイスフォール陛下が、父上が話してくださったあのお言葉は、他でもないこの俺に対して話されていたのだと」
人は自分の思うようには生きられない。どうしても限界がある。だが出来ないことの多さに腐るのではなく、出来ることの多さを喜んで欲しい。あの日、レイスフォールが話したのはそんな話だった。
その話を聞いたからこそ、ライシュは今の今までずっと我慢してきた。フロイトスが新たな皇王となった時にも、リドルベル家の世子として彼を支えるつもりだった。だが、今皇王を名乗っているのはよりにもよってあのアザリアスである。
『アザリアスめに頭を垂れるくらいならば、この俺が皇王となる! それが通らぬ道理がどこにある!?』
ライシュはそう思ったのである。そして彼はその思いを抑え切れなくなった。
「……アザリアスを、あの簒奪者を皇王の座から引き摺り下ろす。そのことに否やはない。だが、それだけであればお前が〈アルヴェスク〉の名を名乗る必要はないぞ」
アザリアスを倒した後、今一度フロイトスを皇王とする。道理と言うのであれば、それこそまず第一の道理だろう。
それにフロイトスを立てるのであれば、北のアルクリーフ公爵を中心とする勢力と合流することも可能だ。そうすればより確実にアザリアスを倒すことが出来る。
だがライシュに〈アルヴェスク〉の名を名乗らせ旗頭とすれば、北方勢力との合流は恐らくかなわない。少なくともその可能性は出てくる。彼らとてアザリアスの打倒だけを目的としているわけではない。その先を見据えていないはずが無いのだから。
「俺がライシュハルト・リドルベル・アルヴェスクでなければ、それでも良かっただろう。だが、俺はライシュハルト・リドルベル・アルヴェスクだ」
俺は俺がフロイトスやアザリアスに劣るとは思わない、とライシュは言った。彼のその言葉をベリアレオスは否定できない。彼は確かに才気に溢れているのだ。若き日のレイスフォールを彷彿とさせるくらいに。死んでしまったアールレーム皇太子も有能ではあったが、ベリアレオスとしては彼よりもライシュの方に器の大きさを感じる。ただ、それを自分の目贔屓ではないと言い切ることが出来ない。そのため、どうしても躊躇を感じてしまうのだ。
「……お前のことをレイスフォール陛下にお話しするとき、嬉しそうにその話を聞いておられた。あの方は、確かにお前を愛しておられたのだ」
訥々とそう語るベリアレオスに、当初の怒りはもう少しも残ってはいなかった。説得という形をとりながら、その実彼の内心はすでに諦めに傾いている。ただこの機会に、今まで話せなかったことを話してやりたい。彼はそう思っていた。
「陛下は、いつもお前のことを気にかけておられたよ。士官学校の成績も独自に取り寄せておられてな。目を細め、誇らしげに見ておられたものだ」
それだけではない。アーモルジュに提出したはずのレポートのいくつかはレイスフォールの手に渡っていた。最後には送り返されてきたからずっと彼が保管していたわけではないが、手元に来たレポートには全て目を通し、その内容に痛く感心しておられたとベリアレオスは言う。
「……陛下は己の才覚を試し、また自由に生きられるようにするため、あえてお前に〈アルヴェスク〉の名を名乗らせなかった。それは承知しているな?」
ベリアレオスのその問い掛けに、ライシュは彼の目を真っ直ぐに見ながら頷いた。それを見てから、彼はさらにこう問い掛けた。
「では、〈アルヴェスク〉の名を名乗るということは、レイスフォール陛下の御心に逆らうことになると、それも承知しているな?」
もう一度、ライシュは無言で頷いた。真っ直ぐにベリアレオスの目を見据えたまま。
「それでもなお、お前は〈アルヴェスク〉の名を名乗り皇王となると、そう言うのだな?」
「無論だ」
ライシュはそう答えながら力強く頷いた。彼が頷くのを見て、ベリアレオスは静かに目を閉じる。そして目を開けると彼から視線をそらし、壁際に並ぶ本棚の方に足を向けた。その本棚には仕掛けがあったらしく、彼が幾つかの操作をすると棚の一部が横に動き、奥に小さな金庫が現れた。ベリアレオスは懐から鍵を取り出してその金庫を開ける。中に入っていたのは、一通の封筒だった。
「……これは、これだけは誰にも知らせず墓場まで持っていくつもりであった」
苦悩が滲む声でそう言うと、ベリアレオスは金庫から取り出した封筒をライシュに差し出した。そして彼がその封筒を受け取ろうとしたその間際、ベリアレオスはさらにこう言った。
「……本当に、これで良いのだな?」
ベリアレオスの強い眼差しに見据えられ、ライシュの手が止まる。
「お前が進もうとしているのは茨の道だ。『なぜ今更』という声は必ず上がる。その批判をねじ伏せていくには、レイスフォール陛下以上の成果が求められる。失敗すれば『所詮は認知されなかった隠し子』と言われるだろう。このままリドルベルの名を名乗っていた方が遥かに楽だ。それでも、往くのか?」
その最後の問い掛けに、ライシュは小さな笑みを浮かべることで答えた。そして彼はベリアレオスの手から封筒を受け取る。その封筒には、裏にも表にも何も書かれていない。
「そうか……」
ベリアレオスは万感の思いを込めてそう呟いた。後悔と達成感が混ぜこぜになり、うまく笑みを浮かべることができない。ただ、自分のこの行動は後の年代記に記されるだろう。ならばこのことの評価は後の世に任せればよい。彼はそう思った。
「さあ、その封を解くがいい。その封を解いた瞬間から、お前はライシュハルト・リドルベル・アルヴェスクだ」
ベリアレオスに促され、ライシュはその封筒の封印を解いた。中には折りたたまれた二枚の紙。一枚目は美しい縁飾りの装飾がなされた、皇王の勅命など最上位の公文書を作成するために用いられる紙で、そこには簡潔にこう書かれていた。
『ライシュハルト・ロト・リドルベルは間違いなく我が息子であり、彼がライシュハルト・リドルベル・アルヴェスクと名乗ることをここに認める。
――――レイスフォール・イクシオス・グラニア・アルヴェスク』
玉璽が押された正式な公文書だ。これはライシュが〈アルヴェスク〉の名を名乗る上でこれ以上ない証となるだろう。
「『万が一、これが必要になった時には迷わず使え』。レイスフォール陛下がそう仰って私に託されたものだ」
今がその時なのであろうな、と言ってベリアレオスは小さく笑った。
「二枚目も見てみるがいい」
ベリアレオスに促され、ライシュは一緒に折りたたまれていた二枚目の紙を見た。なんの装飾もされていないただの紙で、そこには一枚目と同じく簡潔にこう書かれていた。
『若獅子は成長すると親の群れを離れ、自らの群れを求めて荒野を彷徨うという。獅子となれ、ライシュハルトよ』
その文面を読んだ瞬間、手紙を持つライシュの手が震えた。これは彼にとって、初めて父から直接にかけられた言葉だった。他の誰でもない、ただ彼のためだけにレイスフォールが書き残した言葉だった。
もはや立っていられず、ライシュは絨毯の上に膝をついた。目からは涙が滂沱のごとくに流れ落ちてくる。それでも彼は二枚目の手紙から目を離さなかった。
「父上……、父上……」
搾り出すようにして、ライシュはそう呟く。そしてついに大声を上げて泣き始めた。
――――その日、若獅子の咆哮を聞いた。
後にベリアレオスはそう書き残している。