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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
転の章 薄氷の同盟
47/86

薄氷の同盟17


「そうか……。バフレン将軍が……」


「ああ。惜しい方を亡くした」


 ブロガ伯爵を討ち取り、迎撃軍を退けたその二日後。解放軍は戦場となった草原で、後続の近衛軍と合流していた。そこでカルノーはバフレン将軍の戦死をエルストから聞くことになった。


 カルノーとバフレンの間に、接点はほとんどない。国境近くの野戦陣地で開かれた軍議で顔を合わせ、そこで二言三言話しただけである。とはいえバフレンは、言ってみればギルヴェルス王国における近衛軍の将。二人の立場は似通っている。そのため、主君であるユーリアスを王座につけようとして戦場で散ったバフレンに、カルノーも何かしら思うところがあったのかもしれない。


「…………それでロキ、これからどうするんだ?」


 バフレンのために短く黙祷を捧げてから、カルノーはエルストにそう訪ねた。


 ブロガ伯爵が戦死したことを知ると、迎撃軍の兵士たちは次々に武器を捨てて降服し投降した。ただしその降服した兵士たちはここにはもういない。武装解除した後、エルストはユーリアスとも相談して彼らを解放したのである。


 理由は幾つかある。最大の理由は、彼らを養うだけの余裕が解放軍にはないからである。近衛軍と合流したことで、兵糧は十分にある。しかし、それは味方の人数を前提にした量だ。10万を超える捕虜を養うには到底足りない。


 兵糧が足りなくなれば、現地調達するしかなくなる。つまり、略奪である。ユーリアスにしてみれば、それは絶対に避けなければならない。それで実のところ、捕虜の解放を提案したのは彼のほうだった。


「それは……、大丈夫なのか?」


 少し心配そうにカルノーはそう尋ねた。捕虜を解放するということは、つまり敵の戦力を解放するということでもある。解放軍はこれから最低でももう一度戦わなければならず、それを控えて捕虜を解放するというのは、利敵行為であるように思えた。


「なに、構わんさ」


 しかしエルストの自信は揺るがない。ただしその自信は根拠のないものではなく、これまでの戦いを総合的に考えての結論だった。


 ブロガ伯爵を討ち取り迎撃軍を破ったことで、この遠征の趨勢が解放軍の側に一気に傾いたことは一目瞭然である。それは負けた迎撃軍の兵士たちにも分かっているだろう。それゆえ、劣勢と分かっているサンディアスの側にどれほどの兵が戻るのか。ゼロではないにしても、そう多くはないと言うのがエルストの予測だ。


「それに、我々の最終目的は王都パルデースを落すことだ。堅牢な城壁を持つあの王都を、正攻法で落すのは骨が折れる」


 ならばなおのこと、捕虜を解放して敵の戦力を増やすのは止めておくべきではなかったのか。カルノーはそう思ったが、エルストが悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべていることに気付き、彼がただ捕虜を解放しただけではないことを察した。


「ロキ。さては何か企んだね?」


「企むとは人聞きの悪い。捕虜の中にこちらの手の者を紛れ込ませただけだ」


 にやり、と笑みを浮かべながらエルストはそう言った。彼はギルヴェルス軍の中から精兵を1000名ほど選び、捕虜に紛れさせて王都に潜入させたのだ。王都攻略戦の際に、内側から城門を開くのが彼らの役目であるという。


「それで、その王都の攻略についてだが……」


 近衛軍の力を借りたい、とエルストは言った。


「それは構わないけど、アンネローゼ様とアンジェリカ様の護衛はどうするんだ?」


「二人の護衛は、ラジェルグ将軍とギルヴェルス軍に担当してもらう」


 ギルヴェルス軍は先の戦いで勇戦し、きわめて大きな働きをした。しかしその反面、大きな被害を出してもいる。現在のギルヴェルス軍の参戦可能数はおよそ2万。約1万の戦力が削られた計算である。さらに主将であったバフレン将軍も戦死しており、とてもではないが先鋒として戦える状況ではなかった。それでエルストはギルヴェルス軍の抜けた穴を、近衛軍で埋めることを考えたのだ。


「このことを、ユーリアス殿下やラジェルグ将軍には?」


「まだ伝えていない。まずはお前の意思を確認しておこうと思ってな」


「アルヴェスク軍の総司令官はロキなのだから、そう気を使わなくてもいいのに」


 ただ命令してくれるだけでいい、とカルノーは笑う。しかし実際のところ、そんなに単純な話ではないのだ。


 カルノー率いる近衛軍は皇王の、現在でいえば摂政ライシュハルトの直属部隊である。それためいくら指揮下にあると言っても、近衛軍は一種独特な独立性を保持しているのだ。それで時と場合によっては、いかに総司令官の命令であろうとも、近衛軍はそれに従わない場合がある。エルストはその辺りの事情を気にしていた。


「まあ、ともかく了解がもらえてよかった。次の軍議で提案するので、そのつもりでいてくれ」


「分かった」


 エルストの言葉に、カルノーは短くそう答えて頷いた。そしてもう二言三言言葉を交わしてから、エルストは友人の天幕を辞する。


 外に出ると、エルストはしばらく解放軍の陣内を見て回った。勝ち戦の後だからだろう。兵士達の表情は明るく、雰囲気は快活である。


(では、負け戦の後の、連中の雰囲気はどうかな?)


 王都パルデースに残るサンディアスとスピノザも、ブロガ伯爵率いる迎撃軍の敗北をすでに知らされているだろう。きっと、大いに胆を冷やしているに違いない、とエルストは冷笑を浮かべる。


 主力を失った彼らには、もはやあとがない。パルデースの堅牢な城壁を頼りに篭城戦を戦うつもりなのだろうが、しかし彼らに援軍は来ない。そして援軍の来ない篭城戦ほど、絶望的なものはない。


(人質がいればまた話も変わってくるのだろうが……)


 しかし人質とするべきユーリアスの妻子はすでに処刑してしまっている。そのため人質を盾に交渉して、解放軍を撤退させたり、あるいは自身の身の安全を確保したりすることはもうできない。そもそも、妻子を殺したサンディアスをユーリアスは許すまい。


「閉幕は近い、か……」


 エルストはそう小さく呟いた。今回の、このギルヴェルス遠征の終わりは近い。それはきっと、当事者の全てが感じていることだろう。


(この状況なら、勝つことはそう難しくない)


 問題は、勝ったその時にどれほど望みどおりの状況になっているのか、である。エルストが望むもの。それは……。


「欲を出しすぎて全てを失っては話にならぬ、な」


 エルストは自嘲気味にそう呟いて苦笑した。まずは勝たなければ意味がない。そしてあまり遠くを見すぎていると、足元をすくわれる。彼はそう自戒した。


(だが……)


 だが、もしも機会があるのならその時は。


 その時は、一歩を踏み出してみたい。例えその一歩が、決して後戻りできないものであったとしても。それが、野心という名の獣を己が内に飼う者の宿命なのだ。


 そこまで考え、エルストはふっと苦笑した。まったく、これではまるで業を背負った聖者を気取っているようではないか。少なくとも彼は、自分が聖者と呼ばれるには相応しくない俗物であることを自覚している。


 そしてなにより。彼は聖者になりたいとは、少しも思っていなかった。



□■□■□■



「負けた……、だと……?」


 ――――迎撃軍、敗北。ブロガ伯爵は戦死。


 その報告を、珍しく謁見の間の玉座で聞いたサンディアスはしばしの間呆然とした。ブロガ伯爵が率いていた迎撃軍の戦力はおよそ15万。サンディアスの手元にあった戦力の四分の三以上であり、言うまでもなく主力だった。これが、負けたという。


「なぜだ!? なぜ負けた!?」


 その問いに答えられる者はいない。いや、答えを持っている者はいたのかもしれないが、皆サンディアスの癇癪を恐れ、あえて進み出ようとする者はいなかった。


「そ、そうだ! モリード、モリードを呼べ!」


 血の気の引いた青白い顔をしながら、サンディアスは一縷の希望にすがるようにしてその名前を呼んだ。すぐにその場にいた兵士がスピノザを呼びに走る。ちなみに彼は王の執務室で、その執務を代行している。ゾルターク行っていたのと同じ仕事だ。


(なぜだ……? なぜ負けた……?)


 スピノザが来るまでの間、サンディアスは頭を抱え込んでそのことばかり考えていた。しかし一向に答えはでない。


 戦力はほぼ互角であり、ブロガ伯爵はあれほどまでに自信に溢れていた。ユーリアスの妻子を見せしめに処刑したことで敵軍の士気は最低になっていたはず。その状態で戦いを急いだエルストは敗北し、己が不明を悔いながら死んでいく、はずだった。


 それなのに、迎撃軍は負けた。そして解放軍はこの王都パルデースへ迫ってきている。以前よりも、状況は悪い。サンディアスの内心を、恐怖が急速に侵食していく。


「お呼びでございますか、陛下」


 そこへスピノザが現れた。彼の声を聞き、サンディアスは勢いよく頭を上げる。泰然と立つスピノザの姿は、サンディアスにはことさら頼もしく思えた。


「お、おお! 来たか、モリード」


 スピノザの姿を見て、サンディアスは幾分明るい声を上げた。しかし、顔色は悪いままである。その顔色を見て、スピノザは凶報が入ったことを察した。そして予想される凶報は一つしかない。


「実は先程、報告が入ってな……」


 そう言って、サンディアスは迎撃軍の敗北とブロガ伯爵の戦死をスピノザに伝えた。それはスピノザが予想した内容と同じであった。


「モリード、モリードよ。余は、余はどうすればよい? 教えてくれ」


 献策を求めるサンディアスの声は弱々しく、まるで嘆願しているようであった。その口調は追い詰められた彼の内心をよく反映している。実際彼はこの時、まさに藁にも縋りたい思いだった。そして目の前には藁よりはるかに頼もしい臣下がいるのだ。これに頼らない理由はない。


「陛下、どうか心配されませぬように。陛下の御世を脅かす不貞の輩は、このモリードが打ち払ってご覧に入れましょう」


「お、おお。そうか! やってくれるか!」


 スピノザの言葉に、サンディアスは喜びをあらわにした。ゾルタークの裏切りを暴露してからというもの、この臣下に対するサンディアスの信頼はあつい。彼が「やる」と言うからにはやってくれるに違いない。サンディアスは無邪気なほどにそう信じていた。


「つきましては、全軍の指揮権の委任状をいただきたく……」


 スピノザは恭しく頭を垂れながらそう願い出た。現在、彼に手持ちの戦力を一兵としてない。全てはサンディアスの戦力であり、それを指揮するためには玉璽の押された全権委任状が必要であった。


「うむ、分かった。後で届けさせよう」


 サンディアスは鷹揚に頷きながら、スピノザの願いを聞き入れる。こうして彼に残された全戦力はスピノザに託されることになった。サンディアスはこうして己が命運さえも彼に託したのだが、果たしてそのことをきちんと認識していたのであろうか。多少の想像が許される。


 それにしても、結局サンディアスは自らが戦場に立とうとはしなかった。いつも誰かに任せ、自分は安全なところにいる。それが彼のこれまでのやり方だった。


 それが悪いとは言わない。出来る者に、自信のある者に任せてしまうのは、それもまた一つのやり方だ。安全なところにいるのだって、彼らの中ではサンディアスが一番の重要人物なのだから、決して間違ってはいない。


 とはいえ、自らの力で国を奪おうとする簒奪者にしては、覇気が足りないといわざるを得ない。道理を踏み超えて国を掴もうとしているのに、自らが矢面に立とうとしないその姿勢に共感する者は少ないだろう。


 そんな彼に果たして王者の器があると言えるのか。後世の歴史家だけでなく、同時代の人々さえそれを疑問に思っていたに違いない。ユーリアスは常に戦場にいたから、二人のその対象性はより際立つものとなっている。人々の目からも、そう見えていたに違いない。ただし、サンディアス自身がそれを悔やむことはついぞなかった。この時彼が悔やんでいたのは、まったく別のことだったのである。


「最初から、ブロガ伯爵などではなくそなたに迎撃を任せていればよかった。余の不明を許せ……」


 サンディアスは心の底からそう後悔していた。最初から万事をスピノザに任せていれば、今ごろはエルストの首を取り、解放軍を撃退していたことであろう。そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。


「そのようなことを仰ることがありませんように、陛下。ここで敵軍を撃退すれば、何を悔やむことがございましょう。そのために私も、微力を尽くす所存でございます」


 スピノザがそう言って頭を垂れると、サンディアスは感極まった様子で目に涙を浮かべながら「そうだな」と応じた。そしてスピノザはもう二言三言サンディアスと言葉を交わしてから謁見の間を辞した。


「くそっ……。役立たずめ……!」


 仕事をしていた執務室に戻ったスピノザは、彼以外に人のいない室内で、戦死したブロガ伯爵にそう毒づいた。謁見の間で見せていた自信に満ちた顔とは裏腹に、彼の顔には苦渋の顔が浮かんでいる。


 ブロガ伯爵率いる迎撃軍が敗北した今、この王都パルデースに残っている戦力はおよそ5万。敗残兵がどれほど王都に戻ってくるかは分からないが、しかしこちらが劣勢であることは末端の兵士たちも承知しているはず。そう多くは期待できそうにない。


 おそらく10万には届くまい。スピノザはそう見積もっていた。いくら堅牢な城壁があるとはいえ、その少ない戦力で解放軍と戦わなければならない。それが難しく苦しい戦いになることを、彼はこの時すでに予感していた。


「すぐに、新たな兵を……。軟禁している貴族どもに出させれば……」


 そう考える一方で、しかしスピノザはそれが無理であることも悟っていた。兵を出させることはできるだろう。しかし、時間が足りない。解放軍が迫ってくるまでの間に、その兵を王都に集めることはできない。


(どうする……? どう戦う……?)


 スピノザは必死に考える。そしてあることに気が付いた。もう三ヶ月もすれば冬が来る。ギルヴェルスの冬は寒くて厳しい。解放軍は撤退を余儀なくされるだろう。そして一度退かせることができれば、次の侵攻は来春以降。それだけ時間があれば、また兵を集めることは十分に可能だ。


「冬が来るまでの間、耐えれば……」


 勝てる。スピノザはそう思った。そして約三ヶ月間耐えるだけならば、今の手持ちの戦力でもどうにかできるだろう。彼はそう計算した。


(そうだ……。私に、私で出来ないはずがない……!)


 スピノザは自分にそう言い聞かせる。これまでサンディアスに幾つもの献策を行い、ことごとく成功させてきた。それは自分に才能があることの証拠に他ならない。その才覚はエルストを、ライシュを、そしてカルノーを超えている。ならばこの程度の難事、切り抜けられないはずがない。彼は自分の中で湧き上がってくる全能感に酔いしれた。


(それに、いざとなれば……)


 最悪、この身さえ助かればよい。サンディアスの首を差し出せば、それくらいは叶うだろう。パルデースにいる全戦力は、現在スピノザの隷下にある。サンディアス一人を殺すか、あるいは捕らえるだけなら、そう難しいことではない。


 とはいえ、スピノザとて今のこの身分には未練がある。今の彼はギルヴェルス王国における宰相と同じであり、実質的には王権を預かっていると言っても過言ではない。これを失うのは、やはり惜しい。


 それゆえ、スピノザはこれからの篭城戦で死力を尽くすつもりでいる。ここまで上り詰めたのだ。捨てるには惜しいし、全てを取り戻すためにも力はあったほうがいい。スピノザは他でもない彼自身のために戦うのだ。


 しかしだからと言って、サンディアスと心中するつもりはない。スピノザにとって優先すべきなのは自分自身のことなのだ。たとえギルヴェルスで全てを失ったとしても、この身さえ無事ならばまたどこかでやり直せる。他でもないこのギルヴェルスで、短期間のうちにここまで出世できたことが、彼にその自信を与えていた。


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