薄氷の同盟9
ギルヴェルス王国において、第五王子サンディアスが謀反を企んだ。彼は父王を格殺し、さらに兄である王太子ユーリアスを殺そうとしたが、しかし彼は間一髪で弟の企みを察知し隣国アルヴェスク皇国へ逃れた。
サンディアスは父王から玉璽を奪い、王権をその手に納めたといっていい。しかしその支配が確たるものとなったとは言い難い。その理由は、言うまでもなくアルヴェスク皇国へ逃れた王太子ユーリアスである。
多くの有力な貴族たちは、いまだにサンディアスよりもユーリアスのほうを支持している。仮に今サンディアスに忠誠を誓ったとしても、そんなものはうわべだけだ。アルヴェスクの軍勢を伴ってユーリアスがギルヴェルスに帰還すれば、貴族たちはすぐさま手のひらを返して彼に尻尾を振るだろう。
それが容易に想像できたため、サンディアスは王城に拘束した貴族たちをいまだに解放せずにいた。計画通りであれば、すでに玉座につく資格を持っているのは、サンディアスだけになっているはずだった。ユーリアス派の貴族たちも担ぐ神輿がなくなれば、サンディアスに膝を屈せざるを得ない。ユーリアスを逃してしまったことで、彼らの計画には早くも綻びが出始めていた。
その影響は、実はすでに国中で出始めている。貴族達の大部分が王城に捕らわれていることで、彼らの領地の運営に支障が出始めているのだ。さらに領地間の交易なども滞りを見せている。国外、特にアルヴェスク皇国との交易など、ほとんど断絶状態と言っていい。
尤も、サンディアスや彼の配下のなかで、そのことを問題視する者はほとんどいなかった。ユーリアスを討つことこそ彼らの最優先事項であり、他の事柄がそのために犠牲になったとしても、それは必要なことだった。
唯一ゾルタークなどは経済活動の停滞による国力の低下などの影響を予測し、そのことにある種の危機感を抱いていた。しかし彼の真の目的は、サンディアスを王として彼を補佐しギルヴェルス王国を富ませること、ではない。むしろその逆でこの国を混乱させ、アルヴェスクの介入を招くことこそ、彼の真の目的であった。そしてその目的のためには今のこの状態が続いた方が都合がよく、そのため彼はむしろ進んで口をつぐんだ。
さて、大きな戦いがサンディアスの目の前に迫っていた。言うまでもなく、アルヴェスクの援軍を引き連れてくるユーリアスとの戦いである。彼らが南から侵攻してくるつもりであることをクシュベガの民からの情報で知ると、これを迎撃するためサンディアスはブロガ伯爵を総司令官に任じて軍を催させた。
ブロガ伯爵自身が持つ戦力はおよそ3万。これにスピノザがサンディアスから1万の兵を借りて加わる。しかし、それにしてもまだ4万。ユーリアスに味方するアルヴェスクの援軍はそれだけでも最低10万を超えると予想され、どう考えても彼らの戦力は足りていなかった。
足りない戦力は別のところから持ってくるしかない。ブロガ伯爵が目を付けたのは、王城に捕らえられている貴族たちだった。
ブロガ伯爵は彼らに兵を出させた。無論、断れば殺すと脅した上で。その上、当主の地位にある者たちが戦場に立つことは許さず、かえって彼らは王城に止めて人質とした。無理やり出させたその兵たちが、裏切らないようにするためである。
とはいえここまで来ると、貴族達の中にも態度を変化させ始める者が出始めていた。現にサンディアスは玉璽を握って玉座に座り王権を専らにしている。それに対し一方のユーリアスはほとんど全てを失って隣国へ逃れ、さらに家族を人質に取られている。
現在ギルヴェルス国内において、二人のどちらが優勢であるかは一目瞭然である。そのためユーリアスからサンディアスに乗換えを画策する貴族は少なくなかった。彼らが求めるのはあくまでも自己の利益。ユーリアス個人に忠誠を誓っているわけではないのだ。乗換えを画策していない貴族にしても、それはアルヴェスクを味方につけたユーリアスに分があると考えているからに過ぎない。
それで、乗換えを目論む貴族たちにとって、今回の出兵は絶好の機会となった。ここで懸命に戦い手柄を立てれば、サンディアスの治世において厚遇されるかも知れぬ。仮にユーリアスが舞い戻ってきたとしても、「脅されて仕方がなかった」と言えばことさら責任を問われることはあるまい。そう考えた者たちは、積極的に出兵に協力した。
当主が協力的でなくとも、その座を狙う者が協力的である場合もあった。その場合、事が成った暁にはその者に当主の座を約束する。下克上を望む者たちにとって、日陰者であったためにしがらみの少ないサンディアスは理想的な主君といえた。
ブロガ伯爵はそれら出兵に協力的な者たちの兵を優先的に選んだ。その数、およそ15万。兵の士気は総じて高く、また裏切られる心配も少ない。よい軍勢であると、ブロガ伯爵は満足げに一つ頷いた。
一方、後方の備えを任されたデレスタ子爵も、王都パルデースに兵を集めた。その数、およそ10万。こちらにはいわば、非協力的な貴族の兵が集まっている。そのことにデレスタ子爵は一抹の不安と不満を覚えるが、すぐにそれを打ち消した。当主とその家族は王城で人質となっている。彼らが裏切るはずはない。彼はそう考えていた。
余談になるがこれより先、サンディアスの側の軍勢を「迎撃軍」、ユーリアスの側の軍勢を「解放軍」とそれぞれ呼称する。迎撃軍の中でも、特にブロガ伯爵が率いるのを第一迎撃軍、デレスタ子爵が率いるのを第二迎撃軍とそれぞれ呼ぶことにする。
ブロガ伯爵とデレスタ子爵がそれぞれ第一及び第二迎撃軍を組織している間、サンディアスは一体どんな仕事をしていたのか。その答えは、「何もしていなかった」。彼は王として行うべき仕事のほとんどをゾルタークにやらせていた。サンディアスがしていた仕事らしきことと言えば、ただ彼が持って来た書類に玉璽を押すだけだった。
どうせなら玉璽もゾルタークに預けてしまえば仕事の効率は上がったのだろうが、しかし彼はそれを自分以外の誰かに触らせることをことのほか嫌がった。それはまるで、サンディアスの王権が正当なものではなく、玉璽を奪われてしまえばすぐに瓦解してしまう脆いものであることを、彼自身が暗示しているかのようだった。
王の執務を代行しながら、ゾルタークはなぜ自分がこれをしているのか不思議だった。彼の真の目的は、端的に言えばギルヴェルスをアルヴェスクに滅ぼさせることである。それなのに今の彼はこの国を立ち行かせるための仕事をしている。これでは本末転倒である。この仕事を放棄すれば、ギルヴェルスは勝手に滅びるのではないか。ゾルタークはふとそんなことを考えた。
(いや。アルクリーフ公爵が来る可能性も捨てきれぬ)
解放軍は南から来る。その総司令官はカルノー。その情報に基づいてブロガ伯爵とデレスタ子爵は迎撃軍の準備を進めている。しかし結局のところ、解放軍がどこから侵攻してきて、その総司令官が誰であるのかと言うことは、その時になってみなければ分からない。今のように情報が錯綜していればなおさらだ。
ライシュはエルストを警戒している。それゆえ、エルストに負けるわけにはいかない。それにエルストが勝つと言うことは、ユーリアスが次の王になると言うことだ。それではライシュの目論むギルヴェルスの完全併合はならず、ゾルタークはシルディアーナ姫を妻に迎えるという念願をかなえることが出来ない。
エルストを負かすためにも、今ここでギルヴェルス王国を瓦解させるわけには行かない。そう考え、ゾルタークは王の執務の代行を続けた。
それで、ゾルタークが王の執務の代行している間、肝心のサンディアスは何をしていたのか。彼は日々、酒に溺れ女と戯れていた。
それもただの女たちではない。王城に捕らえた貴族の令嬢たちであった。逆らえば殺すと脅して彼女たちを侍らせ、ワインを呷って豪遊していた。
いや、侍らせるだけで終わるはずがなかった。サンディアスは彼女たちを押し倒して犯し、その身体を貪った。逆らえば親兄弟を殺すと脅して無理やり身体を開かせ、泣き叫ぶ彼女らを犯したのである。破瓜の血がついたシーツを持たせて家族のところに帰らせたと言うから、相当に趣味が悪い。
「最初に俺の子を、男児を生んだ者を后にしてやるぞ」
サンディアスは高笑いしながらそのように豪語した。鞍替えを目論む貴族の中には、后の地位を狙い進んで娘を差し出す者までいた。
言うまでもなく、醜聞である。まともな常識のある者ならば、間違いなく眉をひそめるであろう。しかしそれを咎めてサンディアスを諌めるものは、彼の周りにはいなかった。彼には愚かな傀儡でいてもらった方が都合がよい。そういう者が多かったのである。
さて、ブロガ伯爵は第一迎撃軍を組織し終えると、その軍勢を率いて王都を発ち南に向かった。そちらから侵攻してくる解放軍を迎え撃つためである。
とはいえ、王都パルデースの南には大軍を迎え撃つのに適した堅牢な城や砦はない。ギルヴェルスの南にあるのはクシュベガであり、その地の民が領地を求めて侵攻してくることなど、これまでなかったからだ。
そこでブロガ伯爵は戦場と定めた平原に大規模な野戦防衛用の陣地を作った。土嚢を積み上げて塁を築き、策を幾重にも立てた。さらにやぐらを組んで物見台を作る。これは弓兵を配置するためのものだが、一際高い物見台にはブロガ伯爵自身が上り、そこから全体を見渡して指揮を執るつもりだった。
さらにブロガ伯爵は、情報収集にも余念がなかった。協力関係にあるクシュベガの民に命じて解放軍の動向を探らせる。彼らがクシュベガの地に足を踏み入れれば、そのことはすぐにブロガ伯爵に知らされる手筈になっていた。
さらにブロガ伯爵はクシュベガの民に対し、遊撃部隊として解放軍の後方を脅かすように命じた。補給線の分断を狙ってのことである。クシュベガの地は彼らの庭で、さらに素早い襲撃と略奪は彼らの得意とするところ。解放軍はさぞかし彼らに悩まされるであろうと、ブロガ伯爵は考えてほくそ笑んだ。
しかし、彼のその目論見は大きく外れた。いつまで経っても、解放軍は姿を現さなかったのである。
「ここまでは婿殿の思惑通りだね」
「上手くいってなによりですよ、義父上」
ユーリアスとエルストは馬上でそう言葉を交わす。彼らがいるのは、すでにギルヴェルス王国の領内だった。
エルストら解放軍は、定石通りギルヴェルスの西の国境から領内に侵攻した。流言に惑わされ、解放軍が南から来ると思っていたサンディアスらは、西からの侵攻に対してほとんど何も備えをしていなかった。そのため解放軍はまるで無人の野を往くが如くに、王都パルデースに向け歩を進めていた。
解放軍の戦力はおよそ15万。このうち3万はユーリアスがつれてきたギルヴェルスの兵士で、残りの12万がアルヴェスクの特に北部から集められた、アルクリーフ領軍を中心とする軍勢だった。
さらに後方にはカルノーが率いる近衛軍を中心とした援軍が控えている。ちなみにラクタカスではないのは、彼は大将軍であり、彼が出て行くとエルストと指揮権でぶつかってしまうからだ。もしラクタカスが出陣することがあれば、それはエルストが失敗したとライシュが判断したときである。
解放軍の体制は万全であるように思えた。さらにこうして謀略によって敵の目先を南に向けてその隙に西から侵攻し、こうして阻まれることなく王都パルデースへ向けて進んでいる。理想的な出だし、と言っていい。
(確かに、ここまでは上手くいっている。しかし……)
ユーリアスは馬上で顔を曇らせた。現在、解放軍は可能な限り急いで王都パルデースへ向かっている。エルストの謀略によって稼いだ時間的な猶予を最大限に活用し、こちらの刃をサンディアスの喉元にできるだけ近づけるためだ。
無論、ここは敵地であり、不意の伏兵がないとも限らない。それに、いずれ目の前に敵軍が現れることは確実なのだ。いざという時に兵が疲れ果てていて戦えなければ何の意味もない。そのため行軍の速度はそれらのことを勘案した上での、「可能な限り速く」であった。
とはいえ、戦って、勝って、それで終わりではない。ユーリアスの顔色が優れぬ理由もそこにある。
「やはり、ご家族のことが心配ですか?」
エルストにそう問い掛けられ、ユーリアスは弱々しい笑みを浮かべた。彼の妻であるフレイヤ、それに長男のトレイズと次女のメルディアは現在、パルデースの王城でサンディアスの人質になっている。彼らを助け出さなければ、ユーリアスにとってそれは勝利とは成らない。そしてそれは、単純に軍勢を率いて戦い、そして勝つことよりもはるかに難しいことだった。
「まずは勝つことです。勝たなければ、交渉の余地もありません」
「左様。公爵殿の言うとおりでございますぞ、王太子殿下」
エルストの言葉に、バフレン将軍は大きく頷く。解放軍が手強ければ手強いほど、サンディアスは切り札となるユーリアスの妻子を殺せなくなる。そして、そこに交渉の余地が生まれるのだ。例えば軍を退くことを条件に人質を解放させる、といったこともできるだろう。
「私の都合で婿殿には迷惑をかけるね」
「なんの。義父上の妻子なれば、私にとっても家族。そのような遠慮は無用です」
明るい笑みを浮かべながら、エルストはそう応じた。しかし内心では苦笑しつつ首をかしげる。実の家族である父が死んだ時、自分は悲しむどころかむしろ歓喜した。果たして自分は家族というものにどれほどの価値を見出していているのだろうか、と。
さて、解放軍が王都パルデースまであと7日程度の距離にまで迫った頃、サンディアスらはようやく彼らが西から侵攻してきたことを知った。その報告を聞いたとき、サンディアスは例によって女たちと戯れていたのだが、それを聞いて金の杯を手から落とし、顔色を失ってみっともなく狼狽した。
「な、なぜだ!? て、敵は南から来るのではなかったのか!?」
「そう思わせるエルストめの策略だった、と言うことでしょう」
喚き立てるサンディアスに対し、ゾルタークもまた苦い声でそう応じた。実際、彼にとってもこれは好ましからざる状況だった。このままではエルストが手柄を立ててしまう。何とかせねば、とゾルタークの頭は忙しく回転した。
「む、無能共め! 何のために高い給金をくれてやっていると思っているのだ。このような事態を防ぐためではないか! それを、まんまとしてやられおって……!」
サンディアスはそう怒鳴る。解放軍が南から来ると最終的に判断したのは彼自身であるし、また給金はむしろ安いくらいだ。そもそも、サンディアスが遊び呆けずきちんと仕事をしていれば、西から来る解放軍をもっと早く発見できたはずだ。そうすれば傷はもっと浅くて済んだはずである。結局身から出た錆ではないか。
そう言いたくなるのを、ゾルタークは何とか堪えた。そのような諫言を今のサンディアスにすれば、この場で斬り捨てられかねない。それで、彼は垂れた頭をさらに低く下げながらこう言った。
「無能のそしりは甘んじて受けましょう。ですが、今は敵軍に対し何かしらの手を打たなければ」
「う、うむ。そうだな」
ようやく少しの冷静さを取り戻したサンディアスは、急いでデレスタ子爵に解放軍の迎撃を命じた。さらにブロガ伯爵に使いを出して、急ぎ第一迎撃軍を王都に呼び戻す。だたしこれは、第二迎撃軍が解放軍と戦端を開くのには間に合わないであろうと予想された。
「そうだ、兄上の妻子がいるではないか! これを人質にして降伏させるのだ!」
サンディアスは歓声を上げてそう命じた。ユーリアスが家族を深く愛していることは彼もよく知っている。それゆえ、これを人質にして脅せばユーリアスは簡単に降伏するであろうと彼は思った。
解放軍にいるのがユーリアスだけならば、サンディアスの思惑通りになっていたであろう。しかしそこにはもう一人、エルストがいた。彼と言う存在は、サンディアスが思う以上に強大であった。
「我が妻子に毛筋ほどの傷でも付けてみよ。その首必ずやねじ切ってくれる。サンディアスにはそう伝えろ!」
降伏しなければ妻子を殺す。そう書かれたサンディアスからの書状を、ユーリアスは使者の目の前で二つに破いて捨てた。温厚で知られる彼の怒りを露にしたその対応に、使者は胆を冷やしてほうほうの体で逃げ帰った。
「……これで良かったのかな、婿殿?」
使者を追い払うと、ユーリアスは一つ息を大きく吐いてからエルストにそう尋ねた。慣れないことをしたせいか、少々疲れた様子を見せる義父に彼は満足げな様子で大きく頷く。ユーリアスの強硬な態度は、エルストの指示によるものだったのだ。
『ここで降伏しても、だれも助かりませぬ』
サンディアスがユーリアスの妻子を人質にすることを見越していたエルストは、あらかじめ彼にそう言い含めていたのである。一戦してそして勝ち、優位を築いてから交渉に臨むべき。それがエルストの考えだった。戦に勝つことが最も難しいようにも思うが、その点に関して彼は自分の勝利を疑っていない。
『スピノザ如きを傍に置かねばならぬ男の度量など、たかが知れておる。それに仕える者どもも同じだ』
それがエルストの言い分であり、そしてこれまでのところそれはどうやら正しいようだった。解放軍は順調に王都パルデースへと近づいている。
「しかし、本当にフレイヤ様やお子様方は大丈夫なのでしょうか? あのような返答をしてもしサンディアスが逆上すれば……」
不安げというよりは不満げな様子を見せながらそう言ったのは、バフレン将軍の副将であるラジェルグ将軍だった。ギルヴェルス王への忠誠心が人一倍強い男で、そのため現在は正当な王位継承者であるユーリアスに忠誠を誓っている。そのせいかアルヴェスク皇国の大貴族であるエルストが、解放軍の実質的な総司令官として振舞っていることをあまり快く思っていない。
「いいんだ、ラジェルグ将軍。婿殿が提案してくれたとは言え、決めたのはこの私。どのような結果になろうとも、責任は私にある」
「それにじゃ、ラジェルグよ。ここで降服なんぞしてみよ。殿下の命はないぞ」
ユーリアスとバフレンにそう言われ、さすがにラジェルグも口を噤んだ。とはいえ、彼の瞳から不満げな光が消えることはない。ただし、彼が不満なのは降服勧告を突っぱねたことではない。主君のユーリアスが自分よりもむしろエルストのほうを頼りにしているのが気に入らないのだ。
さて、使者を通してユーリアスの言葉を聞いたサンディアスは、ラジェルグの言った通りに逆上した。ただし、それは恐れゆえの逆上であった。
「殺せっ! 妻子の首をあの軟弱者のところに送りつけてやれ!!」
サンディアスはそう叫んだ。そんな彼の前に進み出て諫言する者がいた。ゾルタークである。
「お待ちください! 人質を殺しても解放軍は止まりませぬ。それどころか、ここで人質を殺せば狡猾なエルストめにそれを利用されるだけにございます。どうぞご再考を!」
ゾルタークはそのように述べた。ユーリアスの名を出さなかったのは、サンディアスを刺激しないためである。また、解放軍の総司令官はエルストであるから、ユーリアスの妻子は彼に対しては人質として効果が薄いことも匂わせる。
(それに……)
それに、どのみち一戦することは避けられないのだ。ならばこちらが握っている交渉の手札をわざわざ捨てることはない。勝ったならば勝ったなりの、負けたならば負けたなりの使い方があるのだ。ここで殺してしまうのは愚策である。
「むう……、分かった……。殺すのは止めておこう。だが、万が一にも逃げられるわけにはいかぬ。地下牢に放り込んでおけ!」
ゾルタークは平伏し、その命令に従った。彼が退出すると、サンディアスは青白い顔をしながら頭を抱えた。軍勢が迫ってくる。それも、思いもかけぬ方向から。それがただ恐ろしかった。
やがてサンディアスは杯のワインを飲み干し、近くに侍らせていた女に襲い掛かった。女の悲鳴と衣服を引き裂く音が重なる。彼は望んでいたはずのこの現実から逃れようとするかのように、ただ女の柔らかい身体に溺れた。




