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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
転の章 薄氷の同盟
33/86

薄氷の同盟3

 ギルヴェルス王国には、かつて五人の王子がいた。しかし、今現在存命なのはそのうちの二人だけである。どういうことなのかと言うと、第一王子は病死し、第二王子は第三王子に暗殺され、第三王子はそのことが露見して処刑された。そのため今でも生きているのは、第四王子のユーリアスと第五王子のサンディアスだけなのである。


 上の兄が全て死んでしまったためユーリアスは王太子、つまり次期王位継承者となった。気楽な第四王子であったのに、と彼は思う。良くも悪くも放任されて育ってきたというのに、突然父王の期待と国家の命運を背負うことになってしまった。それを「重い」と思ったことは数知れない。


 しかしそれでも。その重荷を放り出すことなく、ユーリアスは王太子としての責務を果たしてきた。自分は決して有能ではない、と彼自身は思っている。だから大小含め多くの失敗をしてきた。しかしそれさえも彼は糧としてきた。さらに強権的にならず周囲の意見をよく聞く彼は、国内のみならず国外においても、信頼を勝ち得ることの出来る存在になっていた。


「……またそれを読んでおられるのですか、ユーリ?」


 王城の一画に設けられた、ユーリアスの私室の一つ。そこで彼はソファーに座り、アルヴェスク皇国のアルクリーフ公爵家に嫁いだ、娘のアンネローゼからの手紙を読み返していた。そんな彼の後ろから、少し呆れ気味の声が響く。


 手紙から目を離して声のした方に視線を向ければ、そこにいたのは王太子妃、つまり彼の妻であるフレイヤだった。アンネローゼによく似た女性で、いやこの場合は娘の方が母親に似たというべきなのだろう。卵形の美しい顔立ちに、上質のエメラルドにも似た緑色の瞳、そしてまるで金糸のような髪の毛。肌は、北国であるせいなのか、驚くほど白かった。


「もう何度も読み返されたのでしょう?」


 そう言ってフレイヤはユーリアスに近づき、後ろから彼の読んでいる手紙を覗き込む。そこに書かれている文字は間違いなくアンネローゼのもの。文面も、予想通りこれまで何度も読み返した内容だ。


「……直接会えないと、どうしても、ね」


 少々いい訳じみた口調で、ユーリアスはそう応じた。そんな夫に、フレイヤは「しょうがない」と言わんばかりに苦笑を浮かべながら小さく首を振る。


「これではメルディアが嫁ぐときには、また一悶着ありそうですわね」


「そうだねぇ……。あと何年かしたら、メルディアもどこかに行ってしまうんだねぇ……」


 隠す気もなく憂鬱そうな声でユーリアスはそう悲嘆した。メルディアとはアンネローゼの妹であり、ユーリアスとフレイヤの末の娘だ。もう少しで十歳になる。そろそろ縁談や婚約の話が現実味を帯びて語られるようになる年頃で、それがユーリアスの最近のちょっとした憂鬱の種だった。


 ちなみにアンネローゼとメルディアの間には今年15歳となる長男がいる。名をトレイズといい、この三人がユーリアスとフレイヤの間に生まれた子供たちとなる。


 長女アンネローゼの、アルクリーフ公爵家への輿入れの話が進んでいたとき、ユーリアスは一人それにごねて抵抗していた。それも政治的な理由ではなく、ただ単に娘可愛さのためである。


 父王がその話に乗り気であったから、最終的に彼の意思は無視された。そもそも国益を考えた場合、これはぜひとも実現させるべき話である。そのことはユーリアス自身も分かっていたはずなのだが、分かっていて最後までごね続けたそのときのことはちょっとした語り草になっている。


 メルディアがどこかへ輿入れするときも、きっとユーリアスはごねるに違いない。フレイヤは苦笑と共にそう確信していた。その時には、彼は役に立たないだろうから、自分が色々と段取りを行わなければならないだろう。


「良い降嫁先を探さなければなりませんね」


「うん、そうだね……」


 言葉の上でだけ、ユーリアスはフレイヤに同意した。そしてその現実から逃避するかのように視線を手元の手紙に戻しその文面を目で追う。


「でも、よかった。婿殿とも、上手くやっているようだ」


 アンネローゼからの手紙に書かれているのは、普段の生活のことばかりである。最近は昨年生まれた孫娘アンジェリカのことも多く書かれるようになってきた。別の手紙で「名前を自分で考え、付けてあげた」と書き送ってきたときから、孫娘の成長をこうして知るのはユーリアスの楽しみの一つとなっていた。無論、フレイヤもであるが。


 孫娘のアンジェリカには、昨年一度だけ会うことができた。アルヴェスク皇国の皇王フロイトスの戴冠式と披露宴に出席したその帰り、アルクリーフ公爵領に立ち寄ってそこに一週間ほど滞在したのだ。そのころはまだ乳飲み子だったが、最近ではよく動き回るようになってきたと手紙には書いてある。


「フレイヤ、お爺さんになってしまったよ」


「わたしはお婆さんですわ、ユーリ」


 そう言って二人は楽しげな笑みを交わした。


「また、会いたいねぇ……。子供の成長は本当に早いから……」


 とはいえユーリアスはギルヴェルスの王太子で、アンネローゼとアンジェリカはアルヴェスクの貴族の夫人と令嬢だ。互いにそう軽々しく会うことはできない。こういう時、ユーリアスは自分の立場を煩わしく思ってしまう。


「アルヴェスクと我が国の関係は良好です。いずれまた近いうちに会う機会もありますわ」


「うん、そうだね……」


 フレイヤの言葉にユーリアスはひとまず同意した。確かにまた会うことは出来るだろう。とはいえそれは年に二度か三度か。少なくとも月に一度の頻度で孫と会うことなど、絶対にかなわない。


「楽しみだよ、その時が」


 それでもユーリアスは妻に笑顔を見せた。確かに娘や孫になかなか会えないのは寂しい。しかし自分がギルヴェルスを安定させれば、彼らは穏やかに暮らしていける。そのように考えれば王太子としての、そして将来的には国王としての重い責務を背負うことにも耐えられそうだった。


(家族のためだなんて、王としては失格なのかもしれないけれど……)


 自分にはそれくらいがちょうどいい、とユーリアスは思う。地位だの名誉だの利権だの、そんなもののために自分はきっと一生懸命にはなれないだろうから。


「それじゃあ、アンネローゼとアンジェリカに会うためにも、仕事を頑張るかな」


「ええ、そうしてくださいな」


 フレイヤの言葉に背中を押され、ユーリアスは手に持っていた手紙を丁寧に封筒に戻して立ち上がる。そして妻と軽く口づけをしてから執務室へと向かった。隣国に嫁いでしまった娘と孫に会う日を楽しみにしながら。


 この数ヵ月後、ユーリアスはアンネローゼとアンジェリカとの再会を果たす。しかし、それは決して望んでいた形とはならなかったのである。



□■□■□■



「ご苦労だったな。良くやってくれた、ゾルターク」


 クシュベガの民からの協力を取り付けて戻ってきたゾルタークに、ギルヴェルスの第五王子サンディアスはそう満足げな声をかけた。これでクシュベガの屈強な騎兵を味方に付けることができた。さらに彼らを味方にしたことで、戦略面でも幅が広がった。これでまた一歩、サンディアスは玉座に近づいたといえるだろう。


「お役に立つことができ、幸いと存じます。ですが、私のことはエルガンとお呼びください」


「そうであったな」


 そう言ってサンディアスは苦笑を漏らした。〈エルガン〉とはゾルタークが今現在名乗っている偽名である。


 メルーフィス王国の宰相であった彼がギルヴェルスの、しかもサンディアスという権力中枢に食い込む人物の下で働いているとなると、アルヴェスクが妙な勘繰りをするかもしれない。そうでなくとも、「アルヴェスクが勘繰る」という理由でユーリアスの側に付け入る隙を与えかねない。ゾルタークはそう説明して、今はエルガンという偽名を名乗っていた。


 ちなみに、〈エルガン〉の素性としては、「メルーフィスの官僚であったがアルヴェスクによる併合によって職を失い、ギルヴェルスに流れ着いた」という筋書きにしてある。嘘なのだが完全に嘘とも言い切れないし、そもそもメルーフィスに行ってまでエルガンの素性を確かめようとする者などいない。それで今のところ、エルガンがゾルタークであることは、サンディアス周辺の数人を除けば誰にも露見していない。


「まったく、あの軟弱者はアルヴェスクの顔色を気にしすぎなのだ」


 サンディアスはそう吐き捨てる。彼の言う「軟弱者」とは、彼の兄であるユーリアスのことだ。


 ユーリアスの娘がアルヴェスクの公爵家に嫁いでいる関係で、彼はギルヴェルスの中でも皇国寄りの立場として知られている。しかしサンディアスの目から見れば、それは隣国に擦り寄りへつらっているようにしか見えなかった。


「ギルヴェルスはアルヴェスクの属国ではないのだぞ……!」


 怒りを滲ませながら、サンディアスはそう呟いた。確かにアンネローゼとエルストロキアの婚姻によって、アルヴェスクの特に北部との交易は盛んになった。それはここ数年税収が増えてきていることからも明らかである。


 しかし、国王の孫姫を公爵家とはいえ皇王の血縁者でもない者、ただの臣下に嫁がせるとは一体どういう了見なのか。これではギルヴェルスがアルヴェスクよりも格下である、と自ら認めているようなものではないか。


 これは国家の面子に関わる問題である。たとえ実利があろうとも誇りを失っては、国は立ち行かぬ。このままではギルヴェルスはアルヴェスクの属国となってしまうだろう。その前に誰かがこの国を変えなければならない。サンディアスはそう熱弁をふるう。その様子をゾルタークは少し冷ややかな目で見ていたが、しかし彼はそれに気付かなかった。そして最後に、いつもの通りこう締めくくる。


「兄上が王となれば、この国はアルヴェスクの属国となる。それを許すわけにはいかぬ。そのためにはこの俺が王となるほかない」


「その通りでございます。どうぞ王座にお付きくださいませ。それがこの国のためでございます」


 サンディアスの言葉に、ゾルタークはそう追従の言葉を述べた。あまり熱は篭らなかったが、自らの言葉に酔うサンディアスはそのことに気付いていない。


「うむ、そのつもりだ。……ところでエルガンよ。そなたはなぜ私に協力する?」


「アルヴェスクに恨みがあるゆえ、とお答えしたはずですが」


「確かにそう聞いた。しかしそなたはメルーフィスの併合の際、アルヴェスクに大いに協力したとも聞いているぞ」


 サンディアスはメルーフィスの併合当初のことを言っているのだろう。その頃ゾルタークは確かにアルヴェスクの支配の安定に尽力した。その様は同国人から「売国奴」と罵られるほどであったから、少し調べればすぐに分かったであろう。だからゾルタークもそれを否定するつもりはない。それでこう答えた。


「だからこそ、でございます。私の尽力に対し、しかしライシュハルトは報いようとはしてくれなかった。あまつさえ、仕事が終われば用済みとばかりに私を放逐したのでございます」


 それこそがアルヴェスクへの恨みである、とゾルタークは語った。それを聞いてサンディアスは愉快そうに「ふん」と鼻を鳴らす。彼の顔に浮かぶのは人を見下して自分を高める、喜悦の混じった嘲笑だった。


「大国アルヴェスクの摂政ともあろう者が、なんとも器の小さいことだな」


 だが私は違うぞ、とサンディアスは豪語する。


「もし私が王座に就けば、お前にも相応の褒美をくれてやろう」


「ありがたき幸せにございます」


 相応の褒美とは一体何なのか、サンディアスは具体的には述べなかったがゾルタークは殊勝な態度で頭を垂れた。もとより彼はサンディアスから貰う褒美になど興味はない。とはいえそれを悟られるわけにもいかないので、彼はおもむろに話題を変えた。


「ところで、お味方はどれほど集まりましたかな?」


 ゾルタークがその話題を振ると、サンディアスは不機嫌そうな顔になった。そして苛立ちを滲ませた声でこう答える。


「集まりは悪いな」


 それを聞き、ゾルタークは内心でため息を付いた。集まりが悪とは言いつつ、その実サンディアスはたいしたことをしていないのだろう。


 確かにギルヴェルス国内の有力貴族は大体がユーリアス王子寄りである。そんな彼らに謀反に加担するよう持ちかけても、協力が得られるかは怪しい。それどころか、その話をユーリアスに漏らされれば、謀反を起こす前にサンディアスは破滅する。


 それを警戒する気持ちはよく分かる。しかし謀反を起こして王位を狙おうというのだ。少々の危ない橋はどうしても渡らなければならない。そうしなければどうして野心を遂げることができようか。


 それがサンディアスには分からないらしい。彼は博打を打つことなく、安全で確実な手だけで王位を得ようとしている。安全と確実性を求めるなら兄の下で働く方がよいとゾルタークは思うのだが、しかしそれも彼には受け入れがたい。そういうサンディアスの性質を思うと、ゾルタークは舌打ちしたい気分になる。


「……では、お味方として計算できるのは、今のところ国内ではブロガ伯爵とデレスタ子爵だけですか」


 舌打ちしたいのを堪えながら、ゾルタークは確認するようにそう言った。それに対しサンディアスは少々不機嫌になりつつ、「そうなるな」と答える。それを聞いてゾルタークは考え込んだ。


「……兵の数については、金をばら撒けば傭兵を集めることができましょう。ですが、問題は……」


 その傭兵たちを纏め上げる指揮官が足りない。さらに言えば、王位を付いた後に国を治めるための人材も足りない。特にこちらは相応の能力がなければ逆に国を傾けることになりかねない。そういう意味では軍を纏める指揮官よりも切実に必要である。


「私が王位に付けば、大半のものは私に靡くであろう? その中から適当な者を見繕えばよいのではないか?」


「まあそうではありますが……。しかし傭兵を纏める指揮官は、殿下が王位に付くために必要になります」


「そうだな……。誰か、味方に引き込めそうな者に心当たりはないか、エルガン?」


 サンディアスが口にしたのは、普通であれば無理難題だった。有能な人材となれるかどうかは、主に教育を受けられるかにかかっている。だがこの時代、高度な教育を受けられるのはごく一部の者たちに限られた。そして、ギルヴェルス国内にいるそのごく一部の者たちは、大半がユーリアスの側にいる。


 そのような状況で、そもそも外国人であるゾルタークに「味方に引き込めそうな者に心当たりはないか」と言っているのだ。ここで彼が「残念ながら」と答えても無理からぬことであろう。


 しかし、ゾルタークはその言葉を待っていたとばかりに笑みを浮かべた。そしてサンディアスにこう告げた。


「一人、心当たりがございます。実は、クシュベガの族長たちのところで面白い話を聞いて参りましてなぁ」


 一人のアルヴェスク人が落ちぶれて彼らのところにやって来たという。そして数日滞在してからさらに北に、つまりギルヴェルスに向かったという。


「ほう、してそのアルヴェスク人とは一体誰だ?」


「スピノザ卿でございますよ」


 その名前は、サンディアスも最近聞いたことがあった。たしか、元カディエルティ侯爵であり、メルーフィス遠征の帰りに近衛軍に私戦を仕掛けて負け、そのまま遁走してどこぞへ消えた男である。彼はアルヴェスク国内における一切の地位と権利を剥奪されて国外追放処分となった。


 そのため、現在のスピノザはわざわざ「卿」と敬称をつける必要もないただの平民、いや罪人である。当然、金も地位もないから、彼に戦力を期待することはできない。しかし彼自身の価値はどうか。


 スピノザはこの世界でごく一部の人間しか受けられない、高度な教育を施されている。しかも彼を教えたのは、あのアーモルジュである。その能力は非常に魅力的だった。


 さらに、彼がアルヴェスク国内において罪人であることは、サンディアスにとって欠点とはならない。なんなら、偽名を名乗らせてギルヴェルスにおける適当な地位を与えてやればよいのである。むしろそれは長所であると言っていい。なにしろアルヴェスクと通じている可能性がないのだから。


 それにユーリアスに何かあればアルヴェスクが、特にアルクリーフ公爵家が黙っていない。恐らくエルストは娘婿の立場を利用して何事かを仕掛けてくるだろう。その時、アルヴェスクを恨むスピノザは大いに働いてくれるに違いない。その様子を想像して、サンディアスは薄い笑みを浮かべた。


「よかろう。私の下で働く気があるのであれば、連れて来い」


 乗り気な様子でサンディアスはそう言った。彼のその答えに、ゾルタークも満足げな笑みを浮かべる。


「とはいえ、まずは彼を探し出さなければなりませぬ。幾人か人をお貸しいただけませぬか?」


「何人だ?」


「20人ほど貸していただければ……」


「よかろう、好きに使え」


 そう言ってサンディアスは鷹揚(おうよう)に頷いた。その言葉に、ゾルタークは「有難き幸せ」と言って頭を垂れる。彼のその禿げた頭を、サンディアスは満足げに見下ろしていた。


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