野心の目覚め2
カルノー・オスカーはマクレイム伯爵領に住む、ある騎士家の三男としてこの世に生を受けた。父の名はクロムウェル。母の名はルクセラ。長兄の名はレムエルといい、次兄の名はミクロージュ、さらにカルノーの下に末娘のオルパがいた。
カルノーが8歳のとき、父親のクロムウェルが死んだ。そして一家の頭を失ったオスカー家は窮乏することになる。幸い畑を所有していたため借金をすることはなかったが、当時18歳であったレムエルと14歳のミクロージュはわき見をする余裕もないほど懸命に働かなければならなくなった。
この時カルノーはクロムウェルの弟、つまり叔父であるオズベッドの家に預けられた。そしてこのことは彼の心にしこりを残すことになった。
――――自分は母に愛されていなかったのではないだろうか。
カルノーとてそう思いたいわけではなかった。しかし、それ以外に納得のいく説明は見当たらなかった。この件について言えば年月はしこりを解きほぐしてはくれず、むしろ固くしていった。だからアーモルジュの下で働くようになった今でも、カルノーは母に対しどこかよそよそしい気持ちを捨てられずにいる。
実際のところ、ルクセラが義弟のオズベッドに対し「カルノーを預かってはくれませんか?」と頼んだわけではない。
クロムウェルが死んだ後のオスカー家の窮乏は厳しいもので、前述したとおりまだ10代だったレムエルやミクロージュも必至に働かなければならなかった。ルクセラも家事をこなして4歳だったオルパの面倒を見るので精一杯であり、カルノーの面倒を見てくれる者は一人もいなかった。
この窮乏を見かねたオズベッドの方が、「カルノーを預かりましょうか?」と切り出したのである。そして疲れ果てていたルクセラはこの義弟の申し出を容れた。だから決して彼女はカルノーのことを疎んでいたわけではないのだが、しかしその辺りの心の機微はすでに年月の中に埋もれてしまっている。もはや誰も掘り起こそうとはしないであろう。
オズベッドの家に預けられたカルノーは、道場を開いていた叔父のもとで剣術を学び、また書物に親しんだ。彼は物覚えの良い子供であり、そのためオズベッドは彼を可愛がった。
しかし、それを快く思わない者がいた。オズベッドの妻と子である。
オズベッドはオスカーの姓を持つ騎士だったが、彼の妻と子供は姓名を持たない平民である。二親が騎士の身分である場合のみ子供も騎士の身分を受け継げる、というのが皇国の法が定めるところだった。ちなみに、片親が貴族である場合は父親の身分を受け継ぐ、という規定になっている。ただ、細かい規定が色々とあり、必ずしもそのとおりになるわけではないのだが、今はいい。
オスカーの家を出たオズベッドは見栄を張ることなく平民の女性と結婚した。そのため彼の子供は全て平民だった。しかし、カルノーは騎士だ。それがオズベッドの妻子の疑念と不安を煽った。
『もしや彼はカルノーに家を継がせる気なのではないだろうか?』
オズベッドの妻子はそう考えるようになったのである。さらにオズベッドの道場はそこそこうまくいっており、この家は並みの平民よりも豊かな暮らしをしていた。「この暮らしを失うかもしれない」。それは危機感を持つのに十分な理由だった。
そしてカルノーがオズベッドの家に預けられてから4年後、12歳になった彼はひとまず窮乏を脱した実家に帰ることになった。彼自身にしてみれば、決して帰りたかったわけではない。しかし、オズベッドの妻子の冷淡な態度は露骨になっており、叔父の家に彼の居場所はもはやなかった。
実家に戻ってきたカルノーを、長兄のレムエルは酷使した。
『我らが汗水流して働いていたとき、お前は叔父の家で遊んでいただけではないか』
そう言わんばかりに、レムエルはカルノーを働かせた。あるいは、一種の復讐であったのかもしれない。
カルノーは兄の言いつけに逆らわなかった。ただ言われたとおり、汗を流し土にまみれて黙々と働いた。ただし、なにも感じていなかったわけではない。度々、土を掴んでは涙を流した。そんな彼を慰める者はいなかった。
ただし、見ていた者はいた。母のルクセラである。カルノーが土を掴んで涙を流すたび、彼女はよほど慰めてやりたいと思った。しかし、声をかければ彼は恐ろしい目を向けるであろう。母である彼女にはそれが分かった。立身出世を志し野心を隠そうともしないレムエルより、一見して大人しそうに見えるカルノーのほうに恐ろしさを感じるのは、あるいは母として予感めいたものであったのかもしれない。
『アルヴェスク皇国を建国した初代皇王ヴェルフリード陛下がまだ流浪の身分であったころ、ついに食料がなくなり農夫に食事を求めたとき、彼は泥の団子を差し出されたというではありませんか。その泥団子を受け取ったがゆえに、彼は建国を果たしたのです。あなたも土を掴んで大望を果たせばよいではありませんか』
ルクセラは心の中でそう言った。声に出せなかったことは、彼女の中で後悔となっている。
状況が変わったのはその2年後、カルノーが14歳のときである。皇国の東にあるクシュベガの略奪隊がマクレイム伯爵領を襲ったのである。すぐさま軍が催されそこにレムエルも参加したのだが、その時彼は弟のカルノーを供として連れて行ったのである。
この時、連れて行ったのが次兄のミクロージュではなくカルノーだった理由について説明しておこう。この頃、レムエルはすでに結婚していたが子供はまだなかった。そのため彼が戦死した場合はミクロージュが兄嫁を娶って家を継ぐことになっていた。
逆に戦死しなかった場合、ミクロージュは家を出ることになっていた。この場合、レムエルが生きて帰れば恩賞が出るであろうから、彼に幾ばくかの支度金を持たせてやることができる。
つまり三男のカルノーが死んだとしても家にとっては何の問題もないので、レムエルは彼を連れて行ったのである。カルノーが生き残れば彼が貰う恩賞はオスカーの家に入るし、逆に死んだとしても食い扶持が一人減る。兄はそのように考えていたのではないかとカルノーは思っている。
さてクシュベガの略奪隊である。マクレイム伯爵は急ぎ軍を催したが、しかしこの時の略奪隊は大規模であり数が足りなかった。さりとてこれ以上兵を集めるために時間をかけていられず、マクレイム伯は寡兵でありながらも果敢に略奪隊に立ち向かった。
とはいえ、マクレイム伯は単独でクシュベガの略奪隊と戦ったわけではなかった。彼の求めに応じ、援軍が来たのである。それがアーモルジュ率いるカディエルティ領軍だった。
クシュベガの略奪隊との戦いは混戦になった。その混戦の中、アーモルジュは護衛とはぐれて一人孤立してしまう。そんな彼に対してクシュベガの兵が二人、馬を駆って襲いかかった。
そのとき現れたのが、やはり混戦のなか兄のレムエルとはぐれてしまったカルノーだった。彼は拾った槍を投げつけてまず一人を馬から落とし、さらにアーモルジュともう一人のクシュベガ兵の間に割り込んだ。
「小僧っ! 退け!!」
このクシュベガ兵がアーモルジュのことを彼と知っていたのか、つまり自分が狙っている相手がカディエルティ領軍の大将であることを知っていたのかは分からない。しかし、その立派な出で立ちから大物であることは察しが付いていたのだろう。今まさに大手柄を立てようとしているのに、それを邪魔する子供つまりカルノーに対し、彼はいらついた様子で馬上から槍を突き出した。
その槍をカルノーは地面を転がりながら避ける。そして起き上がりざまに剣を振り抜き、馬の後ろ足を切りつけた。傷を負った馬は悲しげな嘶きを上げながら身をよじり、その背に乗っていたクシュベガ兵を振り落とす。落馬し背中を強かに打ちつけたクシュベガ兵はすぐには起き上がることができない。その隙にカルノーは敵兵のみぞおちを踏みつけて動きを封じ、そして逆手に持った剣を相手の顔面に突き刺した。
「少年、後ろじゃ!!」
ようやく敵兵を倒し、肩で大きく息をするカルノーに鋭い声がかけられた。その声に反射敵に反応したカルノーは、姿勢を低くして地面を転がる。そして素早く起き上がると、そこにいたのは最初に槍を投げつけて落馬させたクシュベガ兵だった。彼は血走った目でカルノーを睨みつけ、さらにその手には剣が握られている。あの声がなければ、きっと斬られていたに違いない。
「餓鬼があぁぁぁぁあ!!」
クシュベガ兵はそう叫ぶと、剣を両手で振り上げカルノーに襲い掛かった。カルノーも剣を両手で持って敵兵の攻撃を受け止めるが、如何せん相手は立派な成人男性。力の差は歴然で、カルノーは徐々に押し込まれていった。
(殺される……!)
カルノーがそう思ったとき、不意に圧力がなくなった。そして彼に圧し掛かっていたクシュベガ兵が力を失って倒れこんでくる。その後ろには剣を振りぬく、マントの付いた立派な鎧を着た壮年の男性、つまりアーモルジュが立っていた。わざわざ馬を下りて助けに来てくれたのである。
「大事無いか、少年?」
「……は、はは! 大事ありませぬ!」
声をかけられたカルノーは慌てて片膝を付いて頭を垂れた。本当のことを言えば、彼は目の前にいるこの男性がアーモルジュであることには気づいていない。その名前はもちろん知っていたが、しかし顔を見たことなどあるわけが無いし、またカディエルティ領軍の大将がこんなところに護衛もなしにいるなど考えられなかった。
とはいえ、その立派な装備品からして彼が貴族であることは間違いない。要するにカルノーにしてみれば目上の人間であることに代わりはなく、彼はかつて叔父に教えられていた通りに礼をした。
「うむ。それは重畳。……お主のおかげで命拾いしたぞ」
「もったいないお言葉でございます!」
そう言ってカルノーはさらに深く頭を垂れた。そんな彼を見てアーモルジュはふっと表情を緩め、優しげな顔をする。もちろん、カルノーからは見えていなかったが。
「ところでお主、名は何と言う?」
「はっ! マクレイム伯爵様が騎士、クロムウェル・オスカーが三男カルノーにございます!」
この名乗り方はカルノーにとって一種の賭けだった。このような場合であれば、普通すでに故人となっているクロムウェルの名を告げる必要はない。むしろ現在家を継いでいるレムエルの名を告げるのが一般的だ。
しかしカルノーはあえてクロムウェルの名をアーモルジュに告げた。それは彼の父が戦で活躍したことがあると聞いたことがあったからだ。それゆえ目の前のこの貴族が、もしかしたら父の名を知っているかもしれないと思ったのだ。
そして、カルノーのその予感は当った。アーモルジュがクロムウェルの名に反応したのである。
「ほう、あの騎士クロムウェルの……。父上は息災か?」
「残念ながらぼ……、わたしが8歳のときに他界いたしました。今は長兄のレムエルが家を継いでおります」
「そうか……。惜しい騎士を亡くしたな」
アーモルジュは少しだけ沈痛な声でそう言った。もしかしたら父と関わりのある方なのだろうかとカルノーは思ったが、その疑問を口に出すことはできなかった。口に出せるような身分ではなかったし、またその前にアーモルジュがこう言ったのだ。
「ではカルノーよ、お主に儂の護衛を命じる。戦況が落ち着くまで我が傍らに立て」
この通り護衛に置いていかれてしまってな、とアーモルジュは冗談めかしてそう言った。こう命じられてしまってはカルノーに拒否権などない。彼は短く「はっ!」と返事をすると、言われたとおりにアーモルジュの傍に立った。幸い、再び敵が襲い掛かってくることはなく、カルノーはただそこに立っているだけでよかった。
カルノーがアーモルジュのことをそれと知ったのは、彼が護衛たちと合流した時のことである。カディエルティ領軍の騎士たち(身分は貴族なのかもしれない)が彼のことを「御館様!」と呼ぶのを聞いて初めて、彼がアーモルジュであることを知ったのである。
「さてカルノーよ。儂の護衛、ご苦労であった。此度の働きには必ず報いるゆえ、楽しみにしているが良い。さあ、マクレイム伯爵の陣に戻るが良かろう」
「はっ! 失礼いたします!」
戻れと言われて嫌ですと言えるはずもない。カルノーはそう言って一礼してからアーモルジュのもとを去った。そしてマクレイム領軍の陣に戻ると、彼は兄のレムエルのところに向かった。
「カルノー、無事だったか」
「兄上もご無事で何よりです」
そう言って兄弟は言葉を交わした。とはいえその言葉は熱を帯びきらず、どこか淡白だった。お互いに疲れていた、といえばそれまでではある。しかし言葉が上滑りし、寒々と響くように感じられたこともまた事実だった。
「戦いの中ではぐれてしまったが、どこへ行っていた?」
「実は……」
カルノーはアーモルジュを助け、さらに彼の護衛を命じられていたことを話した。それを聞いたレムエルは半信半疑の様子だったが、彼はことさら信じて欲しいとは思わなかった。なにしろ、彼自身もまた自分の話をどこか信じきれていなかったのだから。
クシュベガとの戦いは、この日の会戦を境にマクレイム及びカディエルティ連合軍の側が優勢になっていった。連合軍は略奪された物資と人を取り戻し、さらに略奪隊を皇国の領土内から追い出した。
マクレイム伯は略奪隊を追ってクシュベガの領内に侵入し逆襲すべきであると主張したが、アーモルジュがこれを諌めた。結局マクレイム伯はこの諫言を聞き容れ、こうしてアルヴェスク皇国の建国以来何十回目かの防衛戦は終わったのである。全体として総括すれば、十分に「勝った」といえる内容だった。
戦いが終わると、戦勝を祝うパーティーが開かれた。戦いに参加した兵士たちにはご馳走と酒が振舞われた。パーティーとはいえ陣中で行うものだから、煌びやかな装飾や典雅な音楽などはあるはずもない。とはいえ、その方が堅苦しくなくて兵士たちにはいいのだろう。あちらこちらから楽しげな笑い声や陽気な歌声が聞かれた。
「レムエル・オスカー殿とカルノー・オスカー殿はおられるか!?」
レムエルとカルノーもまたなかなか食べられないご馳走に舌鼓を打ちパーティーを楽しんでいたのだが、その最中に自分たちを呼ぶ声が聞こえおもむろに立ち上がった。
「私と弟でしたら、ここにおりますが」
「御館様がお二人をお呼びです。付いて来てください」
案内役の騎士にそう促され、二人は彼の後について歩いた。向かった先は陣の中でも一際大きくて立派な天幕、つまりマクレイム伯爵の天幕である。
天幕の中に入ると、二人の男がその真ん中で杯を傾けていた。一人はアーモルジュ・ヨセク・ロト・カディエルティ侯爵であり、もう一人はオルブレヒト・リクトル・ロト・マクレイム伯爵である。オルブレヒトはアーモルジュよりも一回り程度年下に見えた。二人が囲むテーブルには、当たり前だが一般の兵士たちよりも豪華な食事が並べられている。その半分ほどは、すでに空になっているように見えた。
天幕の中に入ると、レムエルとカルノーは片膝を付いて頭を垂れる。するとすぐにアーモルジュの声がかけられた。
「おお、カルノー。待っておったぞ」
アーモルジュは戦場で見たときよりもはるかに明るく、また柔らかい表情をしていた。戦場のように緊張する必要が無いからだろうし、またお酒が入っているせいもあるかもしれない。
「今、オルブレヒト殿にそなたに窮地を救われたことを話しておったところだ」
「カルノー・オスカーと言ったか。大儀である」
そう話すオルブレヒトの声も明るい。どうやら機嫌は良いらしい。
「はっ! 恐悦至極にございます!」
カルノーは頭を下げたままそう応じた。それを聞いてアーモルジュとオルブレヒトは満足そうに頷く。
「さて、お主の働きに報いねばならんな。此度の働き、まことに見事であった。よって金貨100枚を与えるものとする。レムエル殿、前へ」
アーモルジュから名前を呼ばれたのは、カルノーではなくレムエルだった。これは珍しいことではない。戦功褒賞において正式に仕官している者ならばともかく、そうではない者たちまで領主が一人ずつ恩賞を手渡すことなどしないのだ。
その場合、家や集団の代表者が全体の分を一括して受け取り、そののち配下に分配するというのが一般的だった。だからこの場合、レムエルがカルノーの分の恩賞まで受け取ることは通例に倣ったことだったといえる。
名前を呼ばれると、レムエルは短く返事をしてから前に出た。そしてアーモルジュから直々に金貨の入った皮袋を受け取る。カルノーは頭を下げたままでその様子を見ることはできない。しかし耳に入ってくる音でおおよその動きを察することが出来た。
ジャラリ、と皮袋に入った金貨が音を立てる。その音を聞いて、一瞬自分の血が沸騰したかのような錯覚を覚えた。
金貨100枚といえば、言うまでもなく大金である。一般的な家庭の3~4年分、ともすれば5年分の収入に相当する。しかしその金がカルノーの懐に入ってくることはまずないだろう。兄が家の金として管理し、そして使ってしまうはずだ。形式上、この恩賞はカルノーではなくオスカー家に与えられたものだからだ。そのためこれは不当なことではなく、ごく一般的なことといえた。
とはいえ、カルノーにしてみれば面白くない。「手柄を立てたのは自分だ」という意識がやはり彼にはある。そしてそれはまた事実であるゆえに、彼は気持ちを収めることができない。だがしかし、その不満を口に出してもどうにもならないという事もまた知っている。そのため悔しさは積もるばかりだった。
「……それにしても、オルブレヒト殿は優れた騎士を多く抱えておられる。羨ましい限りですなぁ」
レムエルに金貨を渡すと、アーモルジュはオルブレヒトにそう声をかけた。オルブレヒトもまんざらではない様子で、「アーモルジュ殿の抱える精兵には敵いませぬが」と謙遜してみせる。それを聞くとアーモルジュは楽しげに頷き、そしてさらにこう言った。
「時にオルブレヒト殿、そこの騎士カルノーを儂に譲っては下さらぬか?」
見所のある若者なので手元において育ててみたい、とアーモルジュは言った。
余談になるが、本来であればアーモルジュはオルブレヒトに対しこのような申し出をする必要はない。なぜならカルノーはオルブレヒトに仕えているわけではないからだ。だから本来であればカルノー本人に対し「自分のところへ来ないか」と誘うだけでよかった。
しかしオルブレヒトの目の前で、しかも今のところマクレイム領軍の兵士であるカルノーを誘えば彼の面子を潰すことになる。それでは話が面倒になるし、また領主としての二人の関係にもひびが入るだろう。それを避けるために、アーモルジュは彼の顔を立てるような話し方をしたのである。
アーモルジュの申し出を聞くと、オルブレヒトは「ほう」と面白がるような声を出した。そしてそのままレムエルに視線を向ける。
「アーモルジュ殿はこう言っておられるが、どうか? レムエルよ」
「はっ。不肖の弟なれば、ご迷惑をお掛けするばかりかと愚考いたします」
その兄の言葉を聞き、カルノーは奥歯を噛み締めた。受け答えとしては、定型的と言っていいだろう。しかしこの時の彼には、兄が自分の栄達を嫉んで阻んでいるようにしか聞こえなかった。
「はは、それでこそ育て甲斐があるというもの。どうじゃ、カルノーよ。儂の弟子になるのは嫌か?」
「いいえ! とんでもございません!!」
レムエルが何か言うよりも早く、カルノーは大きな声でそう答えた。その際に頭を上げてしまったのだが、その時アーモルジュと目があった。優しい、まるで子か孫を見るかのような目だった。
その目を見たとき、カルノーはアーモルジュの考えを直感的にではあるが悟った。きっとこれこそが彼の「恩賞」なのだ。
騎士家の三男であるカルノーにいくら金で報いても、その金は彼のものとはならない。そういう事情はアーモルジュもよく知っているのだろう。だからこそよりカルノーの、自分の命を救ってくれた少年のためになる恩賞を与えてやりたいと思った。そしてその恩賞こそが、こうして自分の弟子とすることだったのだ。あの金貨100枚は、言ってみれば実家との手切れ金である。少なくともカルノーはそう捉えた。
「よろしい。ではこの今時より儂に……、いや、一度実家に帰すべきか……?」
アーモルジュが呟いたそのつぶやきに、カルノーは反射的な危機感を覚えた。一度家に戻ればこの話は無かった事になってしまうかもしれない。そんな可能性がまことしやかに彼の頭をよぎった。
「恐れながら!」
気が付けば、声を上げていた。隣で傅くレムエルが「無礼であるぞ!」と鋭くたしなめるが、カルノーはそれを無視してアーモルジュを真っ直ぐに見つめた。
「どうした?」
アーモルジュが優しくそう問いかける。カルノーは叫ぶようにしてこう言った。
「母との今生の別れは、戦に出る前にすでに済ませてあります! どうぞ今この時よりお傍に控えさせてくださいますように!」
カルノーがそう言うと、アーモルジュは「ふむ」とつぶやき思案するかのように顎を撫でた。そして彼が次に視線を向けたのはオルブレヒトだった。
「オルブレヒト殿、いかがかな?」
「アーモルジュ殿の良いように」
オルブレヒトはそう答えた。彼にしてみれば、数ある騎士家の三男坊などどこへ行こうとも構わない。いちいち気にするような存在ではないのだ。
「レムエル殿はいかがかな?」
「はっ、カディエルティ侯爵様の望まれるままに」
オルブレヒトとレムエルの承諾が取れると、アーモルジュは満足そうに頷いた。そして席から立ち上がると、オルブレヒトに歓待の礼を言ってから天幕の出口へと歩き始めた。
「カルノーよ、何をしておる? カディエルティの陣に戻るぞ。供をせよ」
天幕の出口に近づくと、アーモルジュは未だに片膝を付いたままのカルノーにそう言い付けた。カルノーは慌てて立ち上がり、彼の後ろに従った。この時より、カルノーはアーモルジュの弟子となった。
余談になるが、ルクセラは一人で帰ってきたレムエルを見たとき、カルノーが死んだものと思い顔色を失った。しかしレムエルから一連の話を聞くと、今度は安堵して涙を流した。
――――アーモルジュ様のもとでは、土を掴んで泣くことはないだろう。
母のその思いは、もはや祈りに近かった。