表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
承の章 勝利を飾りに
22/86

勝利を飾りに7

 スピノザ・ジェルク・ロト・カディエルティがジュリア・ルシェク・アルヴェスクを招いて開いたパーティーは、彼にとって不本意な結果で終わった。当初の計画では彼女に一服もって既成事実を作るはずだったのだが、叔父であるアーモルジュがエスコート役として同伴してきたことでこれを実行に移すことはできなくなった。


 そうであればと思いジュリアに婚約者であるカルノー・ヨセク・ロト・オスカーの醜聞を吹き込み、さらに彼女との距離を縮めようとしたのだが、それも上手くは行かなかった。そして、そうこうしている内に彼女はさっさと帰ってしまったのである。


(おのれ……!)


 これでは何のためにパーティーを開いたのか分からない。スピノザの胸のうちに苛々が募った。いっそ賊をけしかけて攫ってしまおうかとさえ考え始めたその矢先、彼のもとに宮廷から使者が来て摂政ライシュハルトからの書状を置いていった。


「これは……!」


 書状を読んだスピノザは思わずそう声を上げた。そこには「領地に戻り領軍を催すべし」と書かれていたのだ。


 遠征を行うつもりだ。スピノザはそう直感した。領軍を催すということは戦が起こるということ。先の内乱が終わってから国内は比較的安定しており、つまり皇国内に敵はいない。となれば、必然的に国の外にいる敵と戦うことになる。どこぞの国が戦を仕掛けてきたという話は聞かないから、戦は皇国の側が仕掛けることになるだろう。つまり、遠征である。


 この書状を読んだ瞬間、スピノザは自分の中にあった鬱屈とした気が一瞬にして身体の外へと叩きだされ、その代わりに雄々しい生気が五臓六腑に漲るのを感じた。


(これぞ天与……!)


 一服もって既成事実を作るだの、賊をけしかけて攫うだの。そのような手段をとれば後々後ろ指をさされる要因ともなりかねない。ここはやはり、誰も異論を差し挟むことのできない正攻法でジュリアを手に入れるべきであろう。


 すなわち、これから行われるであろう遠征で大きな功績を挙げ、それをもってジュリアを妻として迎えることを願い出るのだ。思えばカルノーは先の内乱で手柄を立て、その功績によってジュリアの婚約者となった。ならばどうして、スピノザに同じことが出来ないといえるのか。


「貧乏騎士家の三男坊にできたのだ。この私とて……!」


 スピノザとて、アーモルジュから教えを受けてきたのだ。それも、彼の後継者となるための教えを。彼の弟子であるカルノーが大きな手柄を立てたのだ。同じことがスピノザにできない道理はない。いや、カルノー以上の手柄を立てなければジュリアを手に入れることはできないだろう。しかしそれでもスピノザはやるつもりだった。


 幸いにしてカディエルティの兵士たちは屈強で知られている。カルノーが先の内乱で手柄を立てられたのも、カディエルティの騎兵たちを率いていたことが大きい。たった1000騎であれだけの働きができたのだ。3万、いや4万の兵を揃えれば一体どれほどの手柄を立てることができるのか。スピノザはそれを想像して身震いした。


 大きな手柄を立てるためにも、領軍の準備を万端に整えておかなければならない。スピノザは急ぎ領地に戻った。その合間に、同じようにして領地へ戻る貴族たちがいることを知る。しかもカディエルティ侯爵家と同じく、東方に領地を持っている者たちが多い。彼らもまた領軍を整えるために領地へ戻るのであろう。


(負けるわけにはいかぬ……!)


 スピノザは奮い立った。一番の大手柄を立てるのはこの自分である。その思いを胸に、彼は領軍の準備を進めた。



□■□■□■



 アルヴェスク皇国の南部というのは、皇国の他の地域と比べると少し毛色が違う。


 アルヴェスク皇国は外征によって大きくなった国だ。実際に征服したのか、それとも戦う前に恭順したのか、あるいは兵を置くことで実効支配しそのまま組み込んだのか。その手段や経緯に差はあれど、武力によって国を大きくしてきたという根本的な部分は共通している。


 しかし、南部は違う。皇国の南部は、少なくともその大部分は、武力によって獲得した領地ではなかった。皇国が武力を用いるより早く、彼らの方から皇国の一部になりたいと申し出てきたのである。


 皇国の南部は海に面している。そのため幾つもの港町があり、それぞれの都市が交易によって栄え、そして連合を組むようになっていた。これは、皇国の一部となる前の話である。


 領地が増えその力が増すにしたがって、これらの都市連合にとってのアルヴェスク皇国の存在はその大きさを増していった。皇国は重要な交易相手であると同時に、いつ牙を剥くとも知れない眠れる獅子だったのである。


 このままではいずれ、自分たちは皇国によって征服されてしまうだろう。都市連合の代表者たちはそう結論を下した。そして征服されれば街や港は大きな被害を受け、さらに自分たちが今もっている権益は全て失われてしまうだろう。


 そのような最悪の未来を回避するための方策こそ、逆に自分達の方からアルヴェスク皇国の懐に飛び込み、その国の一部になってしまうことであった。簡単に言えば身売りしたということで、相当な覚悟であったことが伺える。


 これにより、都市連合は確かにそれぞれの都市が持っていた自主性や独立性を手放すことになった。彼らは皇国の一部としてその法に従い、また義務を負わなければならなくなったのである。


 ただし、そう悪いことばかりではない。特に、皇国という巨大な市場に食い込み、さらにはその強大な後ろ盾を得たことは、彼らにとって大きな利点であった。


 加えて戦争に巻き込まれる危険というものが一気に減った。皇国の一部となったことで彼らの溜め込んだ財を狙う敵は少なくなった。仮に戦となったとしても、皇国の強力な軍隊が守ってくれる。その安全な環境はさらに多くの人とモノと金を呼び込み、皇国の南部はさらに栄えることとなった。


 無論、その富を彼らだけのものとしておくことは出来ず、歴代の皇王たちは南部の交易によって得られた富を使ってさらに国を広げたり、あるいは国内を発展させたりしてきた。そのことを不満に思う南部の貴族はいたが、しかしそれはごく僅かだった。そのようにして皇国がますます栄えれば、それに伴って自分たちも栄える。多くの南方貴族たちはそれを知っていたのである。


 カルノーが盗賊団の討伐に赴くより前のこと、摂政ライシュハルトの執務室を一人の男が訪ねてきた。その男の名を、クレニオ・カレア・ロト・ブランメール伯爵という。南方における有力貴族の一人である。


 黒い目に黒い髪。ライシュには及ばぬものの、彼もまた長身である。肌が浅黒いのは生まれつきではなく、日に焼けているためだ。目元の傷は、若い頃に海賊と戦った際のものであるという。なるほど、確かによく鍛えられた身体をしていた。


 だが、ライシュはクレニオに対して武人の雰囲気を感じない。彼はこの南方の有力貴族のことを武人よりは商人に近いと考えていた。ただし、それは前述した歴史のためか南方貴族全体に共通するいわば先入観なのだが、まあそれはそれとして。


「……実は最近、とは言ってもここ2、3年のことでしょうか。商船が海賊に襲われることが多くなりました」


 ライシュと向かい合ってソファーに座り出されたお茶を一口啜ると、クレニオはおもむろにそう話し始めた。


「海賊か……。しかしそれは……」


「左様。海賊の被害というものは常にあるもの。商船が海賊に襲われることそれ自体は、重大ではありますが驚くようなことではありませぬ」


 クレニオは落ち着いた様子でそう話す。しかしそうは言いつつも彼の話の主眼は、どうやら海賊にあるらしい。つまり普通の海賊ではないということだ。


「結論から申し上げましょう。これらの海賊はメルーフィスの私掠しりゃく船です」


 メルーフィスとはアルヴェスク皇国の東、皇都アルヴェーシスから見れば南東に位置する国である。版図は54州。幾つかの良港を持ち、大陸の東西を結ぶ交易の要衝として栄えている。


 次に私掠船だが、これは国家の許しを得て海賊行為を行う船のことである。無論、略奪の対象となるのは自国ではなく敵国の船だ。つまりメルーフィスという国が、アルヴェスク皇国を敵視してその商船を襲わせている、ということである。これは明確な敵対行為であると言っていい。クレニオの話を聞いてそれを理解した瞬間、ライシュの目がすっと細くそして鋭くなった。


「何か、証拠はあるのか?」


「ございます」


 そう言ってクレニオが取り出したのは、一通の書状だった。まるで燃やそうとしたかのようにその一部が焦げている。それはメルーフィスが発行した私掠の免状であった。


「偽装した商船に海兵を乗り込ませ、襲ってきた海賊どもを摘発したのですが、これはその際に押収したものです」


 私掠船の船長が燃やして処分しようとしていたところを、間一髪で押収したのだという。ライシュが中身を改めていると、聞きなれない商会の名前とサイン、それに印が押されている。クレニオによればその商会は私掠による略奪品を買取り、そして転売するための商会であり、メルーフィスの国家そのものが深く関わっているという。


 ただ、私掠などという犯罪行為を許可する免状を、一介の商会が発行できるわけがない。つまり、名前こそ表に出していないが、これはメルーフィス王国が発行している私掠免状で間違いない。


「私からの、いえ我々南方貴族一同から、殿下の摂政位ご着任のお祝いとしてその免状を献上させていただきたく存じます」


「……なるほど。なかなか気の利いた贈り物だな、ブランメール伯爵。南方貴族の方々のご好意、確かに賜った。これは有効に使わせてもらうぞ」


 ライシュがそう言うと、クレニオは静かに一礼した。アルヴェスク皇国に対するメルフィールの発行した私掠免状。これは立派に宣戦布告の理由となる。なにしろ、メルーフィスの側がアルヴェスクを敵と見なすと言っているに等しいのだから。


 しかも、この免状がライシュの手元にある以上、宣戦布告を行う時期もまた彼の胸一つ。つまり十分な準備を整えてから宣戦布告を行い、相手の準備が整うまえに攻め込むことができるのだ。


(メルフィールの54州をたいらげ、そして……)


 頭の中に広げた大陸地図の上で、ライシュはアルヴェスク皇国の版図を広げていく。果たしてどこまで広げることができるのか、それは彼自身にも分からない。しかし彼には功績が必要なのだ。摂政から皇王となるための、巨大な功績が。メルーフィス54州では足りないかもしれないが、足がかりにはなるだろう。


 そこまで考えると、ライシュは気を引き締め、意識を目の前のクレニオに向けた。彼が持ってきたこのメルーフィス発行の私掠免状は、確かに今のライシュにとって金鉱山にも勝る宝だった。なぜならこの免状を口実に、メルーフィスに対して戦を仕掛けることができるからだ。メルーフィスを併合できれば、ライシュは摂政として大きな功績を残すことになる。その功績は彼を皇王の椅子に近づけてくれるだろう。


 しかしこの私掠免状はクレニオら南方貴族たちにとっても切り札となる手札のはずだ。その存在を盾にしてメルーフィスと独自に交渉を行い、自分たちに有利な条件を引き出すのは難しくないはずだ。


 しかし彼らはこの免状をライシュのもとへ持ってきた。すでに交渉を行い、そして失敗した、とは思わない。恐らく彼らは独自の交渉をすることなく、この免状をライシュに献上したはずだ。そのことを選んだ彼らの目的とは、一体何なのか。


「……ときにブランメール伯爵。我が国の商船を略奪させていたメルーフィスには、いかなる罰をくれてやるのが適当であろうか?」


「思い浮かぶものは、幾つかございます」


 例えば皇国に有利な交易の条件を飲ませる。あるいは、多額の賠償金を支払わせる。国土の何州かを割譲させる。人質をとって属国とする。クレニオはそのような案を幾つか出した。


「……わざわざ一つに絞る必要もないでしょう。幾つかを組み合わせることも可能です。そして免状を相手に突きつけ、さらに皇国の武力を背景に交渉を行えば、それらの条件を飲ませることは容易でしょう」


 そこでクレニオは一旦言葉を切り、一呼吸置いてから「ですが」と続けた。


「ですが、もし仮に摂政殿下がメルーフィスの全てを望まれるのでしたら、それをただ交渉によってのみ手にすることは不可能です。実際に軍を動かし、遠征を行ってその地を征服する必要があります。そうなれば当然、掛かる手間も費用も桁違いのものとなります。それをご承知いただいた上で、あとは殿下が何を望まれるのか、それ次第でございましょう」


「なるほど。私が何を望むのか、それが重要だと言うのだな?」


「御意」


 涼しげな顔でそう答えるクレニオを見て、ライシュは自分の思いを確信に変えた。彼は、クレニオは自分の野心に気付いている。それを確信したのだ。だからこそ宣戦布告の大儀となるこの私掠免状をライシュのもとへ持ってきたのだ。


「……伯爵の望みは何だ?」


「我らの望みはただ一つ。東方との交易拡大でございます」


 クレニオはライシュの目を真っ直ぐに見ながらそう言った。ライシュは“伯爵の”望みを聞いたわけだが、彼はそこを拡大して“我々の”と答えた。つまり彼はあくまでも南方貴族の代表という立場を崩していない。そしてこう続ける。


「そのためにも、航路の安全を脅かすメルーフィスを捨て置くことはできませぬ。どうかかの国を成敗していただきたく、こうしてまかりこした次第にございます」


「なるほど、な……」


 くえない男だ、とライシュは思った。クレニオは彼が遠征により功績を欲していることを察し、その口実となるメルーフィスの私掠免状を持ってきた。ただし、そこにはクレニオをはじめとする南方貴族たちの思惑も絡んでいる。略奪を行わせているメルーフィスは彼らにとって邪魔な存在だ。それをライシュに遠征させることで排除する。それが彼らの目的なのだ。


 さらに、恐らくだが私掠以外の要素も絡んでいるのだろう、とライシュは思った。南方の貴族たちは海上の権益と覇権に大きな関心を持っている。メルーフィスは国土こそアルヴェスク皇国に遠く及ばないが、しかし大陸の東西を結ぶ海上交易の要衝として栄え、その分野においては大きな影響力を持っている。だが遠征によって完全に併合してしまえば、その影響力は消滅する。


 要するに南方貴族たちは海上からメルーフィスの影響力を根こそぎ排除したいと思っているのだ。そして排除して空いたその巨大な隙間に、自分たちが入り込もうと画策しているに違いない。


「メルーフィスの海軍力は侮りがたい。仮に遠征を行うことになれば、南方貴族の方々にも協力してもらいたいが、いかがか?」


「もちろんでございます。最大限の協力を約束いたします」


 答えなど最初から決まっていたのだろう。クレニオは滑らかにそう応じた。ライシュも断られるとは思っていなかったが、ともかく言質を取ることができた。そのことに満足して一つ頷くと、彼はお茶を一口啜った。


「……それにしても、なぜメルーフィスはこのような暴挙をしでかしたのであろうな?」


 前述したとおり、私掠免状の発行はアルヴェスク皇国への明確な敵対行為である。遠回しな宣戦布告と言ってもいいくらいで、これが発覚すればアルヴェスクの逆鱗に触れることくらい、メルーフィスも十分に理解していたはずだ。それなのにメルーフィスは免状を発行した。そこにはよほど大きな理由があるはずだった。


「メルーフィスの目的は、つまるところ我々の逆でしょう」


 クレニオはお茶を啜りながら端的にそう答えた。彼らの目的は東方との交易の拡大だ。その逆と言うことは、つまりメルーフィスはアルヴェスクに東方との交易を拡大して欲しくないと言うことになる。


 ここでクレニオの言う東方とはただメルーフィスのことだけはない。メルーフィスよりもさらに東の地域のことである。メルーフィスのさらに東には〈ハルン・ジ・ミール半島〉という巨大な半島が大陸から南に向かって突き出している。この半島のさらに東にも国々があるのだが、南方貴族たちが拡大したがっているのは、このハルン・ジ・ミール半島との直接交易であると言っておおよそ間違いはない。


 ハルン・ジ・ミール半島の広さは、実に413州。ただし幾つかの国によって分かたれているため、アルヴェスク皇国を超える版図を持つ国は存在しない。ユーラクロネ大陸における随一の大国は、やはり皇国である。


 さてこのハルン・ジ・ミール半島であるが、大陸でも最大の香辛料の産地であり、またお茶や絹の生産量も多い。これらの特産品を求め、昔から多くの商人たちがこの半島を目指してきた。南方の貴族たちがここと直接交易をしたいと思っていることからも分かるように、それは今でも代わらない。


 しかし半島の入り口は全て険しいカラン・モン山脈によってふさがれている。無論道はあるが、細くまた険しいために大規模なキャラバン隊が通るのには向かない。そのため自然と海路による交易が主流となった。


 余談になるが、このカラン・モン山脈はなかなかの曲者だった。前述したとおり、この山脈はハルン・ジ・ミール半島の大陸側の入り口を丸ごと塞いでいる。しかしこの山脈は、言ってみればユーラクロネ大陸の東西の陸路さえも塞いでいた。


 もちろん、この山脈が地理的に大陸の東西を分断しているわけではない。ただ、大陸の南部に限れば、確かにこの山脈が東西を分断していた。


 だが、それならば他にも道はあるはずだった。実際、地図上でならば、大規模なキャラバン隊を引き連れて大陸の東西を行き来する道は確かに存在する。それは大陸の中央部を通るルートだ。しかし、ここで大陸の中央部に大きな勢力を持つクシュベガが絡んでくる。


 クシュベガは正確に言って国家ではない。〈クシュベガの民〉という、遊牧民族の集合体である。そして彼らは度々略奪隊を結成しては周辺国家への略奪を繰り返していた。


 つまり、陸路で大陸の東西を行き来しようと思った場合、大陸の中央部を通るわけだが、その時クシュベガの略奪隊に襲われてしまうのだ。少なくとも、その危険性が非常に高い。安全でないルートを使いたがる商人はおらず、結果としてこのルートが使われることはほとんどなかった。


 大陸の中央部を避けるとなると、北か南に迂回しなければならない。しかし北のルートは気候が厳しく、使える季節が限られている。そして南のルートはカラン・モン山脈によって分断されており、使うのであればこの山脈に沿って大回りしなければならない。どちらも使いやすいルートとは言えず、このようなわけで大陸の東西を結ぶ陸路は発展しなかったのである。


 そのため、ハルン・ジ・ミール半島へ向かうだけでなく、大陸の東西を行き来することに関しても、海路が主流となった。だが南に突き出した巨大な半島であるため、海路で東西を行き来しようと思った場合、これを大きく迂回しなければならない。これは相当な距離である。そのため、この半島で引き返す商人たちが多くいた。これは東西の双方で同様である。


 つまり、ハルン・ジ・ミール半島は東西交易の要衝となったのだ。香辛料やお茶、それに絹などを求めて、大陸の東西から自国の特産品を持った商人たちが集まってくる。そのためハルン・ジ・ミール半島にまで来れば、半島の特産品だけでなく大陸東西の特産品が揃っていた。はるか西の、あるいは東の珍品や特産品を求め、商人たちはハルン・ジ・ミール半島を目指したのである。


 メルーフィスについて「東西交易の要衝として栄えた」と前述したが、本当の意味でその記述が正しいのはハルン・ジ・ミール半島のほうであろう。メルーフィスは、言ってみればその恩恵を受けているに過ぎない。つまりアルヴェスク皇国とハルン・ジ・ミール半島を行き来する、その中継地点として栄えていたのである。


 そしてこれこそが、メルーフィスがこの度私掠免状を発行した理由だった。


 これまでアルヴェスクとハルン・ジ・ミール半島の間を行き来する商船は、ほとんど全てメルーフィスの港に立ち寄っていた。それは補給や休憩のためであったし、中にはそこで商品を売ったり仕入れたりして引き返す船もあっただろう。そのようにメルーフィスは交易の中継地点として栄えていた。


 しかし近年、航海技術と船舶の建造技術の進歩により、アルヴェスク皇国とハルン・ジ・ミール半島を直接結ぶ航路が開拓されてきた。だが、皇国がメルーフィスを飛び越えて直接半島と交易を行うようになれば、これまで両者の中継地点として栄えていたこの国は大きな収入源を失うことになる。メルーフィスにこの代わりとなるような産業はなく、つまり国家衰退の危機だったわけである。


 放っておけば、皇国はメルーフィス抜きで半島との交易を活発化させるだろう。そうなればメルーフィスは衰退していく。しかしだからと言って、皇国に表立って文句を言えるほどの国力はメルーフィスにはない。陰ながら邪魔をするほかなく、その手段が私掠船だったのだろう、とクレニオは推測を語った。


「なるほど、な」


 クレニオの推測を聞き、ライシュはひとまず納得した。自国が衰退していくその瀬戸際になりふり構ってなどいられない。少なくともその心情は彼にも理解できた。


「だが、だからと言って全ての手段が正当化されるわけではない。人も国も、蒔いたものを刈り取るのだ。メルーフィスにはその真理を教えてやれねばならぬな」


「御意」


 ライシュの言葉に、クレニオは短くそう応じた。それからもうしばらくの間話をすると、クレニオはライシュの執務室を辞した。これから屋敷に戻り、皇都にいる南方貴族たちに報告を行うのだという。その中で、これからライシュが行う遠征にどのように協力していくかも話し合われるだろう。


 クレニオが去り部屋の中で一人になると、ライシュは改めて執務机に向かった。やるべき仕事は多いのだが、しかしどうにも手につかない。彼は苦笑気味にため息を一つ吐くと、椅子の背もたれに身体を預けた。


(どう、攻める……?)


 頭に浮かぶのは、そんな事ばかりだ。彼はしばしの間、自らの野心の行く先に思いをはせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ