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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
起の章 野心の目覚め
2/86

野心の目覚め1


 ユーラクロネ、と呼ばれる大陸がある。その大陸の中央から西にかけて、〈アルヴェスク皇国〉と呼ばれる国がある。その版図は広大で、実に344州。ユーラクロネ大陸の中でも随一の大国である。


 このアルヴェスク皇国に一人の皇王がいた。名をレイスフォール・イクシオス・グラニア・アルヴェスクという。賢君と呼ばれ、その手腕は国内外で高く評価されている。彼の才覚とアルヴェスクの国力をもってすれば、ユーラクロネ大陸を統一することもあるいは夢ではなかったかもしれない。


 実際、その可能性を考えるものは国内外にいた。特にレイスフォールの側近たちはしきりに統一事業を行うよう彼を促したが、しかし彼は外征を行うことなくひたすら内政に力を注ぎ、皇国の国力を高め民衆の生活を豊かにすることに腐心した。


 だからと言ってレイスフォールは戦うことを恐れる臆病者だったわけではない。侵略者があれば自ら軍を率いて戦った。実際、彼の治世中に皇国の版図は僅かではあるが増えているし、また彼にその気があればきっと倍増していたに違いない、というのが後世の歴史家達の評価である。


 しかしながら、レイスフォールがどれだけ偉大であろうとも、決して逃れることの出来ない運命が一つだけあった。それは“死”である。大陸暦1055年、賢君と称されたアルヴェスク皇国の皇王レイスフォールは崩御した。彼の死は確かに急であり、また大きな事件であったが、いずれ必ずおとずれると予想されたものでもある。人々は偉大な皇王の死を悼みながらも、それぞれ自分の行うべき仕事をこなし、その死を消化していった。


 さて、レイスフォールには多くの子供がいたが、その中でも彼の後を継ぐ次期皇王の最有力候補とされていたのがアールレーム皇太子だった。この時、32歳。ただ、彼はレイスフォールが死んだとき皇都アルヴェーシスにはいなかった。ではどこにいたのかと言うと、皇都から遥か東、天領のクレミシス州というところへ数年前から総督として赴任していたのである。


 アールレームが総督としてクレミシス州へ行くことになった直接の原因は、レイスフォールとの政策面での対立だった。そのため、彼を東にやったその人事に、左遷の側面があったことは否めない。


 しかしこれは左遷であると同時に栄転でもあった。新設された総督という役職は相当に強い権限を持っていたのである。


 総督にはクレミシス州とその周辺の天領あわせて10州に対する権威が与えられていた。大貴族であるアルクリーフ公爵の領地が12州であることを考えると、総督に与えられたこの権威の大きさが分かる。


 もちろんそれら10州の直接の統治は中央から派遣された代官が行っていたのだが、総督はその人事に口を出すことが出来たし、不正の確たる証拠があれば独自の判断で罷免することも可能だった。


 とはいえ、これは総督の付加的な権能にすぎない。総督の本来の役割は東方諸国(アルヴェスク皇国から見て、だが)に対する軍事的な抑えだった。総督は天領10州の兵力全てを握っていたし、また補佐としてラムサリスとヤフディールという有能な二人の将軍が補佐に付けられていた。さらに一度事が起これば皇王の代わりに皇国の東方全域に号令をかけ、兵を動員させることも可能だった。その場合、総司令官となるのは言うまでもなく総督自身である。


 さてこのように強力な権限を持っている総督であるから、その人事に左遷的な側面があろうともその職責に付いたアールレーム皇太子が皇国の重要人物であることは変わらなかった。実際彼は皇太子であり続け、皇位継承権も変わることなく第一位だった。


 よってこの人事におけるレイスフォールの意図は明白だった。自分の後継者であるアールレームにより多くのことを経験させ、それによって彼を皇王の重責に耐えうる人間に育てること。これが父皇の目的だったし、またほとんど全ての貴族や官僚たちもまたこの人事からその目的を察していた。


 そのためレイスフォールの死後、彼の後を継いで皇王となるのはまず間違いなくアールレーム皇太子であろう、というのが衆人の一致した見解だった。そもそも彼は皇太子であり、皇位継承権第一位である。一体彼以外の誰が次の皇王となろうというのか。


 しかし、レイスフォールの遺書が開封されると、その予想は裏切られることになる。その遺書の中身を要約すると、おおよそ次のようになる。


 一つ。葬儀の喪主となるのは、フロイトス・エルフルト・アルヴェスクである。


 一つ。ブレミシェス・ユディル・ロト・フィディル伯爵を宰相とする。


 一つ。アザリアス・オズモーネに男爵位を授け、侍従長とする。


 一つ。父に言い逆らったアールレームの言動は極めて不遜であり、このため彼には死を命ずる。


 一つ。ラムサリスとヤフディールの両名については将軍職を解き、蟄居閉門を命じる。


 幾つか初めて出てくる名前があるので、まずは彼らについて説明しよう。


 最初にフロイトス・エルフルト・アルヴェスクだが、〈アルヴェスク〉の姓を名乗っていることから分かるように彼もまた皇族の一人である。ただし、末っ子でありこの時生後わずか半年だった。さらに当主の葬儀において喪主となった者がその家を継ぐのが通例であるから、つまりこの幼児が次の皇王に指名されたことになる。


 次にブレミシェス・ユディル・ロト・フィディル伯爵。彼はレイスフォールに侍従長として仕えていた。つまり側近中の側近だったと思っていい。歳はこの時52才。ただ白髪が混じっているせいか、年上に見られることが多かった。


 そしてアザリアス・オズモーネ。〈ロト〉の称号を名乗っていないことから分かるように、彼は貴族ではなく騎士だった。もともとは諸国を渡り歩いて各地の逸話や御伽噺などを集め、それを別の土地で披露して路銀を稼ぐ吟遊詩人だったのだが、アルヴェスクを訪れた際にレイスフォールに気に入られ、騎士位を授けられて彼の御伽衆(相談や話の相手役)の一人として召抱えられたのである。


 さてレイスフォールの遺書が開封されると、その場に居並んだ群臣からすぐさま疑問の声が上がった。レイスフォールのことを少しでも知る者たちからすれば、その遺書の内容はとてもではないが彼が遺したものと信じることは出来なかったのである。


 レイスフォールは不正には厳しかったものの、人の失敗に対しては寛容な皇王だった。臣下が大きなミスを犯したとしても、ねんごろに労ってしばらく休ませ、それからまた仕事を与えるということが多くあった。そのような彼が自らの息子、しかも皇太子であるアールレームに対し「言い逆らうとは不遜」と言う理由で死を命じるなど考えられないことである。


 とはいえ、どれだけ疑問を呈そうとも遺書が本物であることは揺るがない。それゆえ、疑問の声を上げた者たちも最後には押し切られた。


 上記の旨を記したレイスフォールの遺書が開封されると、その内容はすぐさまクレミシス州にいたアールレームにも伝えられた。使者から遺書の内容を知らされると、彼はその場ですぐさま剣を抜いて自刎した。あるいは彼が生きていればこの後の混乱は小さくて済んだのかもしれないが、それはもはや言ってもせん無きことである。


 さらにアールレームの腹心とも言うべき二人の将軍、つまりラムサリスとヤフディールの両名にも遺書の内容は伝えられた。二人はその内容を不服としたが、しかし遺書の命令は明白である。それに逆らった二人は即刻拘束された。そして皇都に連行され、審問の末に処刑された。


 事態がここまで進んでも、レイスフォールの遺書に対する疑念は人々の胸のうちから消えることはなかった。むしろ、その疑念は大きくなるばかりだった。


 仮にあの遺書がレイスフォールの遺したものではなく偽造されたものだとしたら、それが可能だったのは一体誰か。


 病床に伏していたレイスフォールは、自分で遺書を書くことはもう出来ない状態だった。そのため、彼が口頭で述べた内容を代筆したのがアザリアスだった。ただし、それだけではその遺書にはなんの法的効力もない。その内容が間違いなくレイスフォールの意思であることを保証する皇王の印章、つまり玉璽が必要になるのだ。


 そしてその玉璽を管理していたのが、侍従長たるブルミシェスだった。彼がアザリアスの書いたものを確かめ、それをレイスフォールに確認してからそこに彼の印章を押してそれを法的に有効な遺書としたのである。


 つまり、アザリアスとブルミシェスが共謀すれば、レイスフォールの遺書を偽造することは可能だったのである。さらにこの二人は遺書の中でそれぞれ侍従長と宰相の位に就くよう書き遺されている。新たな皇王に指名されたフロイトスがまだ幼いことも含めれば、その二人が今後の皇国の意思決定に大きな影響力を持つようになるのは明白だった。そのため二人がレイスフォールの遺書を偽造したという可能性は、その内容を面白く思わない人々の間でまことしやかに語られるようになった。


 しかしその一方で、この二人がそのようなことをするはずが無い、という声もあった。アザリアスとブルミシェスの二人は宮廷の中で「忠臣」という評価を得ていたからである。


 アザリアスはレイスフォールが病床に伏したとき、彼を献身的に介護した。蓬髪垢面、つまり髪が(よもぎ)のようにぼさぼさになり、(かお)が垢まみれになってもその枕元から離れずに介護したのである。その献身から彼は忠臣と讃えられ、そのように慕う主君の遺書を偽造などするはずが無いとアザリアス自身も主張した。


 ブルミシェスもまた、長年レイスフォールに忠誠を捧げてきた家臣である。レイスフォールにとってまさに股肱の臣と言うべき存在であり、彼が皇都を離れる際には必ずと言っていいほどブルミシェスに留守居役をさせた。


 さらにまだ幼い、というより生まれたばかりのフロイトスが皇王となれば、どうしても彼が成長するまでの間、代わりに政を行う宰相が必要になる。そして宰相位に相応しい人材と言えば、ブルミシェスをおいて他にはいない。そういう意味では、この人事は妥当なものといえた。


 そうは言っても、やはり遺書の内容は露骨だった。特にまだ幼いフロイトスを新たな皇王とするというのは、いかに生まれたばかりの末っ子が可愛いとはいえ、賢君レイスフォールが下したとはとても思えない決定だ。それどころかフロイトスを影で操ろうという二人、つまりブルミシェスとアザリアスの意図が見え透いている。


 そのため、他の皇子たちや皇女たちが降嫁した先の貴族たちによる反発は、日に日に大きくなっていった。特にアザリアスはもともと他国の人間。そのような者に男爵位を与えることはおろか、宮廷の要たる侍従長とすることなどもってのほか、という意見は大きかった。ブルミシェスとアザリアスがレイスフォールの遺書を盾にすればするほど、反発は大きくなっていったのである。


 予想外のその反発に焦ったのか、ブルミシェスとアザリアスはフロイトスの戴冠を強行した。レイスフォールの喪が明けぬうちに、しかも主だった貴族達をほとんど招待することなく、新たな皇王の戴冠式を強行したのである。あまりにも異例なことで、周りのものから見れば、それは後ろ暗いところがあると言っているようなものだった。


『やはり、ブルミシェスとアザリアスの両名はレイスフォール陛下の遺書を偽造したに違いない!』


 その声はいよいよ大きくなった。そしてついにその声は臨界を越えた。すなわち、内乱の勃発である。フロイトスの戴冠を認めない皇子たちや彼らを担ぐ貴族たちが兵を起こしたのである。ただし、この内乱は国を揺るがすほどのものとはならなかった。近衛軍を率いる司令官、ホーエングラム大将軍がフロイトス新皇王の側についたのである。


 近衛軍の兵力はおよそ10万。精兵が揃えられており、練度も高い。さらにそれらの兵を率いるホーエングラム大将軍は歴戦の名将として知られている。兵の数と質、そして将の器。そのすべてにおいて皇国最強と呼ぶに相応しい軍だった。


 さらにフロイトス(の背後にいるブルミシェスとアザリアス)に叛旗を翻した者たちはこの内乱の後の展望、つまり誰が新しい皇王になるのかについて、意見を統一することが出来ずにいた。そのため彼らは連携して協力することができず、そこを近衛軍に一つずつ各個撃破されていった。ただし、反乱の数は多くまた散発して起こったため、その全てを鎮めるには実に三年の時間がかかることになった。


 さてこの時期、カルノー、エルストロキア、ライシュハルトの三人の若者たちは何をしていたのか。


 まずエルストロキアであるが、彼は結婚した。相手はかねてから話を進めていたギルヴェルスのアンネローゼ姫である。他国の姫君ということもあり、当初皇国の宮廷は難色を示していたのだが、アルクリーフ公爵はフロイトスの戴冠を認めることを条件に息子の結婚を成立させたのである。


 これにより、アルクリーフ公爵家とその影響力が強い皇国の北部一帯は揃ってフロイトス新皇王の味方となった。そのため北部で反乱が起こることはなく、この三年間は比較的安定していたといえる。アンネローゼ姫が嫁入りしたことによりギルヴェルスとの交易も盛んになり、アルクリーフ公爵家はますます富を蓄え、養う兵を多くし、影響力を増していった。


 次にライシュハルトだが、彼もまた結婚していた。相手は無論、ベリアレオス・ラカト・ロト・リドルベル辺境伯の一人娘、マリアンヌである。ただ、残念なことにあちらこちらで散発する反乱のため、結婚式は内々で行われ外からの招待客はほとんど招かれなかった。当然、エルストロキアとカルノーも式には招かれず、ライシュハルトはそのことを残念がっていた。


 さて、ライシュハルトが跡継ぎとなったリドルベル家もまた、この時期の政変において選択を迫られていた。つまり、フロイトス新皇王の側に付くのか、それとも敵対するのか。その選択を下さなければならなかったのである。


 結局、リドルベル家はフロイトス新皇王に味方した。レイスフォールの遺書を有効なものと認めたのである。そして領軍を出して反乱の鎮圧に協力した。その領軍を率いたのはライシュハルトであり、彼に率いられたリドルベル軍は勝利を重ねた。これらの勝利によって彼は一角の将として知られるようになり、またリドルベル家の家臣たちにも認められていったのである。


 さて、最後にカルノーである。この頃、彼の存在はまだ大きくはない。彼はまだアーモルジュ・ヨセク・ロト・カディエルティ侯爵に仕える家臣の一人であり、世間が注目していたのはカルノーではなくアーモルジュの動向と選択だった。


 そのアーモルジュだが、彼もまたリドルベル家と同じくレイスフォールの遺書を有効なものと認め、フロイトス新皇王に味方した。そしてやはり領軍を出して反乱の鎮圧に協力した。将としても優秀な彼は手堅く勝利を重ね、老いたとはいえ未だ健在であることを世に示して見せたのである。


 そんなアーモルジュの指揮下でカルノーは戦った。そして戦功を重ね、三年の終わりには500人の兵の指揮を任されるまでになっていた。順調に出世した、と言っていいだろう。ただ、この頃の彼の注目度はまだまだ低い。彼はまだアーモルジュの弟子でしかなかったのである。



□■□■□■



 レイスフォールの死から3年が経過した大陸暦1058年、散発していた反乱も落ち着き、アルヴェスク皇国の情勢は安定を見せていた。この年の春先、カルノー・ヨセク・オスカーは久方ぶりに皇都アルヴェーシスを訪れていた。


 彼が皇立士官学校を卒業してから4年が経ち、彼は23歳になっていた。この3年の間に大小幾つもの戦いを経験したせいなのか、顔つきは精悍さを増し、立ち振る舞いにも風格のようなものが滲むようになっていた。


 カルノーが皇都アルヴェーシスを訪れたのは、宮廷に報告する事柄があったからだ。アーモルジュが鎮圧した反乱の事後処理に関する事柄であり、報告する相手は宰相のブルミシェスだった。


「…………以上が報告となります」


「ご苦労様でした。……さすがはアーモルジュ殿。そつのない、見事な事後処理です」


 カルノーが提出した書類を見ながら彼の報告を聞いていたブルミシェスは、書類から顔を上げるとそう言って笑顔を見せた。そして満足そうに書類を整えると、彼はさらにカルノーにこう言った。


「アーモルジュ殿には、『ご苦労様でした』とお伝えください。後は、こちらで引き継ぎます」


「了解しました」


 そう言ってカルノーは一礼する。そんな彼を見てブルミシェスはふと優しい笑みを浮かべた。その眼差しは教師が出来の良い生徒を見るときのそれによく似ていた。


「カルノー君も立派になりましたね」


「はっ。宰相閣下と師父のおかげをもちまして」


「私など、何もしていませんよ」


 ブルミシェスが苦笑しながらそう言うと、カルノーも引き締めていた表情を少しだけ緩めた。


「いえ、ブルミシェス様からは多くのことを教えていただきました」


「さて、そうであれば良いのですが」


 そう言ってブルミシェスは小さく笑った。


 ここまでの会話から分かるように、カルノーはブルミシェスと面識がある。もともとブルミシェスはアーモルジュと親しく、彼が皇都に来た際にはよく一緒に食事をしていた。その席に当時まだ士官学校の学生だったカルノーも呼ばれて紹介されたのである。それ以来、何度か相伴に預かることがあり、またブルミシェスはアーモルジュが皇都にいないときにもカルノーのことを何かと気にかけてくれた。


『私はね、きっと君のことが羨ましいんですよ』


 レイスフォールの信頼も厚く侍従長として重用されているブルミシェスが、なぜ一介の学生でしかないカルノーのことをこれほど気にかけるのか。その理由を聞いたとき、彼は少し恥ずかしそうにしながらそう答えた。


『そう、私は羨ましいんです。アーモルジュ殿の弟子となった、君のことがね』


 どこかすっきりとした笑顔さえ浮かべながら、ブルミシェスはそう言った。「羨ましい」と言いながらも自分のことを疎まず、それどころか多くの助けを与えてくれた彼の心のうちを、この時のカルノーは想像することさえできなかった。そして今もまだ、慮ることはできずにいる。


 それでもブルミシェスがカルノーに多くのことを教えてくれたことは間違いない。彼の話はカルノーにとってためになるものばかりだった。そのため彼もまたカルノーにとっては恩師を呼ぶべき存在なのだ。


「ところで、アーモルジュ殿はお元気ですか?」


「お元気ですよ。ただ、ご自身は老いを感じておられるようですが……」


 カルノーがそう答えると、ブルミシェスは小さく一つ頷いた。そして机の引き出しから一通の手紙を取り出し、それをカルノーに差し出した。


「あの、これは……?」


「手紙です。私的なもので恐縮ですが、アーモルジュ殿に渡してもらえますか?」


 そう言われ、カルノーはブルミシェスが差し出した手紙を受け取った。封筒の表には、確かにアーモルジュの名前が記されている。


「分かりました。必ず師父にお渡しします」


「ええ、よろしくお願いします」


 そう言葉を交わしてから、カルノーはブルミシェスの執務室を辞した。そして宮廷を出て、皇都の街に出る。貴族の屋敷が立ち並ぶ区画を抜けると、途端に喧騒が大きくなった。その喧騒の中をカルノーは学生時代を思い出して懐かしい気分になりながら少しだけ歩いた。


 皇都の賑やかな街並みの中を歩いていると、カルノーはある種の不思議さを感じた。まるで自分が別の世界に来てしまったかのような、そんな不思議な感覚である。学生時代に感じたことはないから、それはもしかしたら成長して余裕が生まれたことの証拠なのかもしれない。


 本来であるならば、カルノーは宰相に顔を覚えてもらうどころか、皇都へ来ることさえなかったであろう。そして士官学校で友を得ることもなかったはずだ。恐らくは騎士の位にありながらも、平民と変わらず畑を耕す生活をしていたはずである。


(全ては師父のおかげ、か……)


 全てはアーモルジュが繋いでくれた縁だ。そのことを思いながら、カルノーはふと自分のこれまでの人生を振り返った。


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