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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
起の章 野心の目覚め
11/86

野心の目覚め10

 川向こうから一筋の白い煙が立ち上っている。その煙を見ると、ホーエングラムは「来たか」と小さく呟いた。


「どれほどの兵を向こうに渡らせることが出来た?」


「3万と少し、かと。4万には届きませぬ」


 参謀の一人がそう答えると、ホーエングラムは小さく頷いた。


 昨晩の奇襲作戦によって、討伐軍はテムタス川の西岸を確保することに成功した。急造ではあるが堰も築いてあり、これによって敵の攻撃を受けることなく兵たちに川を渡渉させることが出来るようになった。


 夜が明け兵たちに朝食を取らせると、ホーエングラムは早速渡渉を開始させた。ただし、一度に多くの兵を渡らせることはしない。西方連合軍が今一度攻勢を仕掛けてくることを予期していたからだ。一度に多くの兵を渡らせ、そのせいで混乱したところを敵に狙われるのを警戒したのだ。


 そして確かに夜襲を仕掛けた翌日の、その日の昼前に西方連合軍は仕掛けてきた。先程の白い煙は、あらかじめ決めておいた襲来を知らせる狼煙だ。


「渡渉を中断。予定通り赤の狼煙を上げろ。川向こうにいる全ての兵について、指揮をラクタカス将軍に一任する」


 ホーエングラムの命令に従い、すぐさま赤色の狼煙が上げられた。これによって川向こうに渡った戦力はすべてラクタカス将軍の指揮下に入ることになる。その数、およそ8万。西方連合軍とほぼ同数だ。ラクタカス将軍の指揮に不安はないが、しかしここで負けて堰を切られると少々厄介なことになる。逆に勝てれば、討伐軍全軍を川向こうに渡らせ、全力を挙げて反乱軍を討つことが出来る。


「……渡渉のための部隊を集めておけ。いざという時には援護に向かわせる」


「川を渡っている最中に堰を切られると、最悪全滅する恐れがありますが……」


「それをさせぬための援軍だ。早くしろ」


 ホーエングラムがそう命じると、参謀の一人が素早く一礼してその前から出て行った。その背中を見送ってから、彼はわずかに苦笑を浮かべる。


(大軍というのは、思いのほか動きが重鈍だな……)


 大軍と言えば聞こえはいいが、全ての兵が精兵であるわけではない。どうしても新兵や老兵に合わせなければならない部分が出てくる。とはいえ、この大軍はホーエングラムが皇王になるために必要な戦力だ。


(焦らず、ゆっくりと勝てばよい)


 ホーエングラムは自分にそう言い聞かせる。そうしなければ、彼自身が前線に躍り出て剣を振るってしまいそうである。それほどまでに、今彼の血は滾っていた。


(あと少し、あと少しなのだ……)


 ここでライシュハルトの首を挙げ、さらに西方を平定する。その頃には、アザリアスも死んでいるだろう。そして皇都へ引き返してこれを落とし、晴れてホーエングラムは皇王となるのだ。その日はすでに、少なくとも彼のなかでは現実のものとなっていた。


 ホーエングラムが白い狼煙を見ていたころ、ライシュもまた同じものを確認していた。そしてさらに川向こうからは赤い狼煙が上がる。それぞれの狼煙にどのような意味があるのか、それは分からない。しかし予想することはそう難しくなかった。


「敵も準備万端、ということだ」


「でしょうなぁ」


 ライシュの言葉にベリアレオスは少々間延びした言葉でそう応じた。しかし彼の視線は鋭く敵の軍勢を見据えている。


「ではルノアバウム子爵、手筈通りに」


「承知しております」


 ライシュにそう応じたのはまだ若い貴族だった。歳は30の手前。少しくすんだ金髪を肩の長さまで伸ばしている。皇国の西部に領地を持つ、ルノアバウム子爵だ。


 ライシュの考えた作戦はこうだ。まずは目的だが、敵の築いた堰の破壊が目標になる。だが、敵は必ずそれを妨害しようとする。そこでライシュ率いる本隊が敵を抑え、その間にルノアバウム子爵率いる1万2000の別働隊が堰を破壊する。そういう手筈になっていた。


 ルノアバウム子爵が馬を駆って後方に待機させている部隊と合流に向かう。それを見送ると、ライシュは剣を抜いてその刃を高々と掲げた。そして勢いよく振り下ろしその切っ先を敵部隊へと向ける。


「全軍、攻撃開始!!」


 テムタス川の会戦、その第二幕が始まったのである。


 ライシュ率いる西方連合軍は勇敢に、そして苛烈に攻勢をかけた。しかしラクタカス将軍は落ち着いていた。敵の目的が自分達の撃破ではなく、堰の破壊であることを見抜いていたのである。


 そのため、ラクタカス将軍も別働隊を組織して堰の防衛に当らせた。ルノアバウム子爵の動きが遅かったわけではない。しかし彼は討伐軍が堰を築いた正確な場所を把握していなかった。その場所を調べるだけの時間的な猶予がなかったのである。このことが勝敗を決した。


 ルノアバウム子爵は増水しているテムタス川の北側から川沿いに南下する形で堰を探したのだが、このせいで大回りすることになってしまった。その間にラクタカス将軍が出した別働隊が堰に到着し、守りを固めてしまったのである。


 西方連合軍は日暮れまで果敢に攻め続けたが、しかし結局堰を破壊することはできなかった。撤退する馬上で、ライシュの胸には苦いものがこみ上げる。ここから先の戦いは非常に苦しいものになるだろう。それは予感と言うよりもはや確信だった。


(後は奇襲作戦に期待するのみ、か……)


 ライシュは自嘲気味に胸の中でそう呟く。上手くすれば本隊も連動して動き、堰を切ることができるかもしれない。彼はそう考えたが、それはあまりにも都合のいい考えだ。


 しかし、このとき彼はまだ知らない。この奇襲作戦こそがテムタス川の会戦の第三幕であり、そして最終幕であったことを。


 ライシュらが撤退を開始した頃、そこからさらに南の川沿いに西方連合軍の一部隊の姿があった。その部隊の先頭には二人の人物がいて、二人とも難しい顔をしながらテムタス川の水面を睨んでいた。


「水の量は、戻りませんなぁ……」


「そう、だな。兄上は失敗されたか……」


 そう言葉を交わすのは、ライシュから1万の兵を預けられているアトーフェル将軍と、「リドルベル領に戻れ」と言われたはずのジュリアだった。


 川の水の水位が戻らない場合は、川を渡って向こう岸に行き、そして討伐軍本隊に奇襲を仕掛ける。これが、アトーフェルがライシュから受けた命令である。どうやら、その命令を実行に移すときが来たようである。


 これは難しい作戦になる。アトーフェルはそう覚悟していた。指揮官である彼自身、文字通りに命をかけなければならないだろう。彼自身、そのことに異論はない。ここで果てたとしても本望である。しかし、そのような戦いにジュリアを連れて行ってもいいものか。


「……ところで姫様、本当に一緒に来られるつもりですかな?」


 あなたは引き返した方が良い、という意図を言外に含ませながらアトーフェルはそう言った。そんな彼の意図に気付いているのかいないのか、しかしジュリアはこう答えた。


「ここまで連れて来ておいて何をいまさら。本隊が失敗したというのであれば、この奇襲作戦は必ず成功させねばならん。そのためには、わたしがいた方が何かと便利なはずであろう?」


 ジュリアが一緒に戦えば、兵達の士気は上がるだろう。数が限られている以上、それは重要な要素である。アトーフェルもそれは認めている。だがこの作戦は本当に厳しいものになる。ともすれば1万の兵ことごとく討ち死にである。そのような玉砕覚悟の作戦にジュリアをつき合わせるのは、さすがに気が引けた。


「姫様がおいでくだされば士気は高くなる。それは認めましょう。ですが、後方で援軍を組織するのも重要なお役目のはず」


「すでに兄上の手紙は後方に送っておる。わたしが戻ったところでやる事はない。それに……」


 そこまで言って、ジュリアは思わず言葉を濁した。この皇王になるための戦いは、ライシュがようやく掴んだ父皇レイスフォールとの繋がりなのだ。その繋がりを切らせるわけにはいかない。ジュリアのその思いは、もはや祈りのようだった。


 兄と父のことを考えるたび、ジュリアは心穏やかではいられなくなる。彼女にとってレイスフォールは優しい父親だった。滅多に会えなかったが、子供の頃はその膝の上に乗り本を読んでもらうのが楽しみだった。膝の上に乗らなくなってからも、彼女は父に会う機会を楽しみにしていた。ジュリアはよく、父と一緒に鷹狩りや遠乗りに行ったものである。


 しかしジュリアが父と会うとき、そこにライシュがいることはなかった。彼はレイスフォールの子ではない、と言う事になっていたからである。小さいと気はそれが不思議で、ジュリアは兄のことを父に尋ねてみたことがある。その時、彼は悲しそうに微笑みただ彼女の頭を撫でるだけだった。むしろ周りの方が慌て、彼のことを話してはいけないとジュリアに言い聞かせた。


 不思議に思ったジュリアは、今度は兄のライシュに尋ねた。「どうして父に会わないのか」と尋ねたのである。その時ライシュは、子供ながらに恐ろしい目を妹に向けた。そしてただの一言も答えず、彼女に背を向けたのである。


 今にして思えば、なんと無神経で無思慮な言葉だったのだろう。その言葉がどれほど兄の心を傷つけたのか、ジュリアは今でもそれを思うと胸が苦しくなる。


 どうして兄のことを父に話してはいけないのか。ジュリアがそのことを理解できるようになるまで、相応の時間がかかった。分かってしまえばくだらない、しかし切実な理由だった。そして何より悲しい理由だった、と彼女は思っている。


 ライシュがどれだけ父という存在を求めていたのか。ジュリアはある種の罪悪感さえ抱えながら、それをすぐ横でずっと見ていた。見ていることしか出来ない自分が、なんとも無力で滑稽だった。


 父を嫌いになろうとしたこともある。しかし、嫌いになることは出来なかった。ジュリアもまた、滅多に会うことの出来ない父と言う存在を、心の底から求めていたのである。


 レイスフォールとライシュの間に親子の繋がりが生まれたのは、皮肉にもレイスフォールが死んだ後のことだった。


『ライシュハルト・ロト・リドルベルは間違いなく我が息子であり、彼がライシュハルト・リドルベル・アルヴェスクと名乗ることをここに認める』


 レイスフォールの残したその言葉が開封されたその瞬間、ライシュは晴れて彼の息子となった。しかし息子として追うべき父の背中は、もうどこにもない。


 だからこそ兄は皇王になろうとしているのではないか。ジュリアはそう思っている。かつて父が歩いたその道を自分もまた歩むことで、ライシュは父の背中のその幻影を追っているのではないか。そんなふうに思うのだ。


 それはとても報われないことだ、とジュリアは思う。幻影は幻影でしかなく、追い続けたとしても追いつくことは出来ない。しかしそれを口に出すことはできなかった。彼女にできたのはライシュが皇王となれるよう、ジュリア・ルシェク・アルヴェスクという存在を全面に出して協力することだけだった。


 兄がそう望むのなら、彼を皇王としよう。ジュリアはそう思い戦ってきた。しかし今ここで状況を打開しておかないと、恐らくライシュは皇王となる前にここで死ぬことになる。兄と自分であれば、兄の方が重要人物だ。死ぬのであれば、まず自分から。ジュリアのその覚悟は、言葉にせずともアトーフェルにしっかりと伝わった。


「では、玉砕するわけには参りませんな。必ず、この作戦を成功させて生き残らなければ」


 明るく、しかし真摯な声でアトーフェルはそう言った。ジュリアもまた生き残らなければならない。彼はそう言ったのだ。彼の見せた笑顔にジュリアは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに表情を明るくして一つ頷いた。


「さあ、姫様。御下知を」


「うむ。全軍、渡渉開始!」


 ジュリアを先頭に、西方連合軍の奇襲部隊総勢1万が整然とテムタス川を渡っていく。そして川の東岸に着くと、そのまま川沿いを北上していく。この川をもう一度生きて渡るのだ。ジュリアは自分にそう言い聞かせた。


 ジュリアらがテムタス川の渡渉を開始したちょうどその頃、カルノーは昼間の戦いの顛末について報告を受けていた。ただし、ライシュとラクタカス将軍の戦いを監視していたわけではない。彼が監視させていたのは、討伐軍が築いた堰である。


「そうか……。崩せなかったか」


 報告を受けると、カルノーは少しだけ苦い声でそう呟いた。ライシュも全力を尽くしたはずなのだろうが、しかし力及ばなかったということになる。学友の単純な心情としては彼に成功を掴んでほしかったのだが、どうやらそれは叶わなかったようだ。


「隊長、それで……」


「ああ、動くぞ。今晩だ」


 今までずっと機を窺っていたカルノーが、ついに動くと宣言した。彼の言葉を聞いた部下達の間に緊張が走る。ついにこの時がやってきたのである。


 そして日が完全に暮れた頃、カルノー率いる騎馬1000は行動を開始した。まず手始めに討伐軍の陣の端っこにあった小さな詰め所を素早く制圧する。そしてカルノーはそこにあった近衛軍の旗を奪い、逆にカディエルティ領軍の旗を畳ませた。さらに彼はこう命令を出した。


「明かりを掲げろ」


「しかし隊長。それでは我々の存在が敵に知られてしまいます。奇襲になりません」


 カルノーの命令に対し、副官が怪訝な表情をしながらそう当然の反応を返した。カルノーらはこれから、討伐軍の輜重が集積してある地点に奇襲をかける。奇襲である以上、彼らの存在が知られることがあってはならない。だが明かりを掲げていればすぐに見つかってしまう。それでは今までの全ての努力が無駄になってしまう。副官はそう主張したが、しかしカルノーは笑ってこう答えた。


「周りは敵ばかりなのだ。こそこそとしていては、逆に目立つ」


 そう言ってカルノーは松明を掲げさせた。そして馬に跨ると、奪った近衛軍の旗を掲げさせる。


「堂々としていろ。『ここにいるのが当然』という顔をするんだ」


 不安そうな顔をする部下たちに、カルノーは笑顔を見せながらそう言った。彼自身その言葉の通り、胸を張って馬をゆっくりと歩かせる。そしてそのまま、討伐軍の兵士たちが休んでいるその陣中の真っ只中に入って行った。


 それは不思議な体験だった、とこの作戦に参加したカディエルティ領軍の兵士の一人は後に語っている。討伐軍の陣中を真っ直ぐ、そしてゆっくりと進むこの騎馬1000の部隊に対し、敵である兵士たちはまったく不審げな視線を向けなかったのである。


 どのような軍隊であっても、「夜、兵は騒いではならず、また勝手に動き回ってはならない」という規則が存在する。また近くに敵の存在はないと思い込んでいるのであれば、この堂々と進む部隊はホーエングラム直属の部隊で、夜の陣中を巡見しているのだろうと考えるのが自然だ。実際、討伐軍の兵士の中には、敬礼をしながらこの部隊を見送るものまでいた。


 部隊の先頭を行くカルノーはまさに大胆不敵だった。厳しい顔つきで討伐軍の兵たちを見回し、まるで本当に巡見をしているかのようである。稀に敬礼を受ければ、厳しい顔つきのままで馬上から敬礼を返した。


 幾つもの陣をそうやって抜けていく。ゆっくりと歩いているため時間は掛かるが、しかし彼らは確実に輜重の集積地に近づいていた。


 カルノーとて、内心では今すぐにでも駆け出したい。背中は冷や汗が流れすぎて気持ちが悪い。しかしここで彼が不安な顔を見せるわけには行かなかった。彼が不安を見せれば、その不安は部隊の全員に瞬く間に伝染し、それは不審な挙動となって現れる。その挙動を周りの討伐軍兵士たちが不審に思えば、その時点でこの奇襲作戦は失敗である。


 カルノーは虚勢を張り続けた。意識して背筋を伸ばし、顎を引いて胸を張った。そうしなければ、すぐにでも背中は丸くなってしまいそうだった。


 ついに、兵たちが固まっている陣を抜けた。ゆっくりと歩いてきたせいか、だいぶ時間がかかってしまった。東の空をみれば、もう薄っすらと明るくなってきている。


(夜明けが近い、か……)


 いい時間だ、とカルノーは思った。夜明け間近のこの時間が、最も見張りの兵の気が緩む時間である。さらに明るくなってきたことで、ついに目的地である輜重が一箇所に集められているその様子がカルノーの目に入った。


「駆けるぞ」


 カルノーがそう言うと、副官は獰猛に笑いながら頷いた。まさにこの瞬間のために、彼らはこれまで機を窺い続けてきたのである。その全てが、今まさに報われようとしていた。


 カルノーは馬の腹を軽く蹴って合図を出し、馬を走らせ始めた。すぐさま、彼の後ろに1000の騎兵が続く。地響きを立てながら、彼らは討伐軍の輜重目掛けて突撃した。


「旗掲げぇ!!」


 カルノーが命令を出す。すぐさま近衛軍の旗が投げ捨てられ、代わりにカディエルティ領軍の旗が立てられた。


 カルノーら1000騎の行動は迅速だった。突然目の前に現れた敵兵に対し、輜重の護衛についていた討伐軍の兵士たちはまったく反応できない。ある者は殺され、ある者は馬に蹴られ、ある者はそれを見て逃げ出し、すぐさま散りぢりになった。


 敵兵を追い払うと、カルノーらはすぐさま輜重に火をかけた。都合のいいことに、松明は準備済みである。それを使ってあちらこちらで火をかけていく。すぐさま赤い炎が燃え上がり、黒々とした煙が天に向かって立ち上る。


「撤収だ! 退くぞ!!」


 頃合を見計らい、カルノーはそう号令をかけた。そして彼を先頭にしてカディエルティ領軍の騎馬1000騎は敵陣を縦横無尽に駆け抜けていく。


 戦闘は、起こらなかった。討伐軍の兵士たちは、突然現れた(かに見える)この敵部隊に対し度肝を抜かれて逃げ惑うことしか出来なかったのである。これがホーエングラム直属の精兵たちであれば話は違ったのかもしれないが、しかし彼らはここにはいない。それが全てだった。


 カルノーらは敵兵をいいように散らしながら敵陣を突っ走る。馬を走らせる彼の隣に副官が並び、そしてこう尋ねた。


「このまま北に離脱しますか!?」


 奇襲を終えたら北に離脱する。これはあらかじめ決めておいたことである。南に離脱できるはずがないので、これは常識的な判断である。それに、北に行けば北方連合軍の支配地域だ。討伐軍の手を逃れるにはちょうどいい。


「いや、堰に向かう! 出来ることならばこれを切るぞ!」


 カルノーのその言葉に、副官は思わず息を呑んだ。敵の輜重はほとんどを始末した。これで彼らの目的は達したはずである。しかしそれでも、カルノーは堰を切らなければならないと思っていた。


 奇襲作戦が上手く行き過ぎて欲が出た、わけではない。彼が考えたのは、ホーエングラムがこの後どう動くのか、と言うことである。


 ホーエングラムは兵糧をはじめとする物資を失った。そんな彼の前に、水量の減ったテムタス川があったらどうか。彼は迷わず川を渡るだろう。そして物資を皇国の西部で現地調達するに違いない。


 45万の大軍を養うための物資を現地調達するのだ。討伐軍の通った後には何も残らないだろう。彼らが物資だけを奪うのであればまだいい。しかし、そのような幸運は起こらない。必ずや住民を殺し、女を犯すだろう。そのような事態を避けるためにも、ここでテムタス川という道を塞いでおかなければならないのだ。


「しかし!」


「御館様なら、こうされる!!」


 反論しようとする副官を、カルノーはそう言って黙らせる。そしてただひたすらに馬を走らせた。


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