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午前五時。私は主力の攻撃部隊が基地を出発したという連絡を受け、待機中の機械兵たちと共に装甲車を降りた。
肌をじりじりと焦がすような熱風が、むっとするほどの腐敗臭を乗せて、叩き付けるような勢いで吹き荒れる。近くの草木が靡き、私の髪も同じように靡いた。
「第四斥候部隊、状況を開始する」
私は機械兵たちに指示を出すと、遠くに見える高台を見据える。
そして、思わず目を見開く。
腹部に、雷が落ちたような衝撃が襲い掛かる。痛覚はある一定の数値を超えると自動的に遮断されるはずだが、この痛みはその基準を数倍近く上回っているはずだ。
業火に埋め尽くされた市街地。遥か遠くに見える、百を超える死人。
既視感。いや、そんなものではない。
(これは……ッ!)
視界が揺らぐ。全身に裂けるような痛みが走り、思わず呻く。
しかし私は、ぼやけた視界の中で確かに見た。燃え盛る街の中に聳える高台、その上に、あの媒介者の姿があったのを。
数秒後、痛みは次第に引いてきた。視界が鮮明になり、動きが僅かに軽くなった。
私は背負っていた背嚢を地面に落とすと、中身を取り出し、十秒ほどで組み立てる。どこにも異常がないことを確認すると、五十口径の弾が十発入った金属製の弾倉を入れ、槓桿を引いた。
跳躍。砲弾の如く飛び出し、数十米の距離を放物線を描きながら跳ぶ。そして着地したと同時に再び跳躍。それを何度も繰り返し、ようやく市街地のすぐ傍まで迫ることが出来た。
八七式を背負い、自作した大口径小銃を左手で持つと、右手に消音器を付けた拳銃を構える。死人は意外にも耳がいい。高火力の武装で一掃するのが基本だが、私はこれでも狙撃手だ。数体ならまだしも、数十体に囲まれれば対応し切れるかどうか怪しい。
群れから逸れている死人を数体ほど片付けながら、私は高台まで移動し、外側から跳躍して一気に上がった。
一度息を大きく吸い、吐き出す。私は目を細め、死人を確認する。
数は確認できるだけで百以上、おそらく建物内にもいるだろう。そして、最初から言われていなければ分からないような、絶妙な位置に隠れている媒介者の姿も、私には見えていた。
八七式を傍に立て掛け、小銃を構える。距離はおよそ八〇〇米、外すことは無いだろう。
「こちら第四斥候部隊。後方で待機中の全機械化兵、及び機械兵に告ぐ。死人を確認、数は百以上。殲滅作戦を開始する。後方支援に回れ。以上」
重大な命令違反だ。しかし私は、ここであの媒介者を殺さなければならない。
八七式のように、視界に文字は表示されない。弾道予測演算も無ければ、弾の装填も手動だ。安全装置に関しては付いてすらいない。
だが、これで十分だ。
「展開、作戦開始。一人残らず殺せッ!」
目を見開き、叫ぶ。同時に引き金を引く。轟音が辺りに響き渡り、強烈な反動が肩を襲う。
媒介者はこれくらいでは死なないだろう。あとは炙り出せばいい。
槓桿を引き、装填。するとすぐに八七式と交換し、今度は死人を狙う。
《電力供給:安定》《徹甲針弾の装填を確認》
《弾道予測演算開始》《終了》
《安全装置解除》
《発射可能》
引き金を引く。先ほどとは違う反動が襲い掛かるが、それを全て殺すと、私は機械兵が突撃するのを見届ける。
しかしここで、機械兵の数が一体多いことに気がついた。
『紅咲、聞こえるか?』
不意に、薙咲大尉から無線が入る。
『要点を先に言う、私の機械兵を一体向かわせておいた。いいか、私の機械兵はどうでもいい。とりあえず私たちが着くまでの間、絶対に死ぬんじゃないぞ!』
「……分かりました」
私はその時、媒介者の姿を視界の中に捉えていた。
赤衣を纏い、二振りの長剣を持つ、今まで戦ってきた媒介者とはまるで比べ物にならないような感じのする媒介者。
八七式と小銃を持ち換え、私は構えたとほぼ同時に引き金を引く。
思考が加速し、体感時間が一気に引き延ばされる。必殺の一撃となる一発の銃弾が、ゆっくりと、しかし確実に媒介者の方へと飛んでいく。
それは、ほぼ同時に起こった。
銃弾が媒介者の頭部を撃ち抜こうとした。媒介者を視認した四体の機械兵が一斉に機関砲を放った。そして媒介者は、戦場を一瞬にして凍らせるような悍ましい笑みを浮かべた。
媒介者を中心に、凄まじい爆発が起こる。轟音と共に、無数の瓦礫を散弾のように吹き飛ばす。
数秒ほどで爆発は収束し、辺りが静寂に包まれる。
《第四斥候部隊機械兵:全滅》
視界に赤く表示されたその文字すら意識の外に追いやり、私は槓桿を引いた。
《警告:至近距離に敵反応あり》
しかし次に表示されたものは、私の背筋を凍らせるには十分すぎた。
「私に傷を負わせたのはこれで三人目だ。まさかそんな隠し玉を持っているとは思わなかった」
その声が真後ろから聞こえた時には、私は小銃の銃口を声の聞こえる方に向けていた。
同時に、甲高い金属音が響く。
「無駄だ。所詮は狙撃手、この距離であれば貴様に勝ち目は無い」
長剣で小銃の銃身を斬られたことに気付くまで、少し時間がかかった。
左肩に途轍もなく重い衝撃。通常の人間であれば胴体が消し飛ぶような威力を持つ一撃を、私は何とか受け止めた。
しかし重傷だ。自然治癒するとはいえ、内部の骨格は粉々に砕けている。痛覚を遮断し、応急用の外部骨格を装着すれば銃くらいは撃てるが、今の状況ではそれすらも不可能だ。
小銃を捨て、私は立ち上がった。
「正しい選択だ。だが私は生憎、手加減というものを知らなくてな」
まるで大口径の銃弾のように飛んでくる蹴りを紙一重で躱すと、隠し持っていた自作の自動拳銃を取り出し、至近距離で連射する。
『……馬鹿め』
そんな囁きが聞こえた。
《警告:付近に巨大な爆発反応あり》
《警告:損傷率上昇に伴い、回避は不可能》
炎そのものを吹きつけられているような熱風が全身を焦がす。しかし私は全身を液体窒素に浸したような、激しい痛みを伴う刃物のような冷たさに襲われていた。
《警 :致命 と 》
意識が薄れる。視界に表示されていた文字もやがて見えなくなり、私は爆風に身を委ねようとした。
「死を選ぶか。愚か者め」
媒介者は興味が失せたような表情をすると、その場から去ろうとした。
そして私の意識も爆発と共に四散すると思った、その時だった。
ふと暖かい風のようなものが、全身を優しく包み込む感覚に襲われた。
『お前の目は節穴か?私がいる限りは死なせないし、そもそも死なないよ』
『夢を見る者。これほど恐ろしいものもない、ということだな』
『こいつは一度死んでいる。だが、その結果は全て無かったことになる。例え誰がどんな手法を用いて殺したとしても、それは全て、夢になる』
『そうすると、この状況もまた夢、ということか』
『いや、違うな。おそらくこいつはもう一つ、何かを持っている。まだ私たちは現実にいる』
『そう、なのか』
『あぁ。だから見ておけ。お前が相手に選んだ敵の、本当の姿をな』
意識の濁流に呑まれる。冷たい流水の中に落とされた感覚の中、私は何かを見ていた。
《 展開》
そこで私の意識は、ぷつりと切れた。




