『湖面の月』 第三回
三
三造は馬を与えられると、仕官が叶ったことを叔父やおりょうに報告するため、すぐに庄川の村に向かった。馬を与えられたはいいが、三造は馬に乗れなかったため、馬を手で引いていかなくてはならなかったが、馬を置いていく気にはならなかった。自分が手に入れたものは槍と具足、そしてこの馬である。三造にとって、それらはどうしても必要なものであり、一つとして欠けてはならないものであった。
庄川に戻り、養家を訪ねると、叔父もおりょうも驚いた風であった。家を出て一月もしない内に槍と具足を身に付け、馬を引いて帰ってきたのである。驚くのも当然であった。
三造が事の仔細を述べると、叔父は三造の立身出世に喜んだが、おりょうはどうもあまり喜んでいる素振りを見せなかった。むしろ、どこか不安の色を漂わせており、三造にはそれが不思議であった。
三造は気を取り直すと、将来のことを語った。
「叔父には世話になったので、納屋に入りきらない程の米俵を送ってやろう。叔母には色鮮やかな着物を、従弟たちには街で買い求めた珍しい品を。そして、おりょうには……」
三造はそこまで言うと、急に真剣さを以って思いを巡らし始めた。叔父や叔母に対するものは、ちょっとした贅沢の類であったが、おりょうに対するものは、ちょっとした贅沢では済まされなかったからである。おりょうにとって何が最善であるのか。そう考えると、おりょうを嫁に行かせてやらなくてはならないと思った。それも、水呑百姓ではなく、これはと思うような武士のところへ行かせてやらなくてはならない。併し、その思いは胸中に収め、おりょうには何も言わなかった。
庄川の深く静かな夜の下、山に沿って折れ曲がった川は月の光を受けて銀光を放っていた。三造は一夜を明かすと、早朝すぐに村を発った。
佐久間盛政に従って暫くは、小競合いとも言えそうな戦ばかりが続いた。相手は専ら一向宗の小部隊であったが、ごく僅かな期間とはいえ、味方の関係であった者に刃を向けるというのも何か気持ちの悪いものがあった。併し、戦国の世ではよくあることらしい。名も知らぬ一人の老武者が言うには、その昔、柴田様に従って信長様と争ったことがある、とのこと。信長様から直接に恩顧を受けたことはない、直接与えられたものと言えばこの傷跡くらいのものだ、というようなことを半ば自慢話として語っていたのを三造は聞いていた。確かに、それは自慢話であったのかもしれない。その老武者は、つまらない戦の最中、一向宗の放った銃弾を受けて死んだ。三造は、敵も味方も、生きるも死ぬも、明日はどうなるか分からない世の中であることを知った。
三造は部隊の者の名前を覚えようとは思わなかった。覚えたところで、あの老武者のように、つまらない戦でつまらない死に方をするくらいなら名前など覚えない方が良いからである。併し、三造は一人だけ、すぐにその名前を覚えた男がいる。青木勘七郎という男で、歳は三造よりも二つ三つばかし年少であった。
勘七郎は己の武勇を鼻にかけるところがあり、三造はそれが気に食わなかった。だが、腕は確かであったので、ちょっとやそっとのことでは死ぬようには思われなかった。そうであるからか、三造は勘七郎の名前を覚えていたのである。
戦が始まると、三造は真先に陣を駆けた。併し、どうしても一騎駆けとはいかなかった。勘七郎が真横を駆け、三造を一人では行かせなかったからである。三造は半ば意地になって勘七郎よりも前に出ようと試みた。だが、何度戦を重ねても、勘七郎は三造の後ろを駆けることも、前を駆けることもなかった。それが三造をより一層意固地にさせた。
「勘七郎、死ぬなよ」
自分が勘七郎よりも前に出るまでは、勘七郎に死なれては癪に障る。そのように思ったことから出た言葉であった。
天正八年(一五八〇年)になると、柴田勝家の命を受けた前田、佐久間の両軍は尾山御坊を攻囲した。そして、今まさに突入せんとして準備を整えていた。銃声は無く、空気は張り詰め、時折軍馬の嘶きが聞こえる以外に音はなく、不気味な程の静けさが城と攻略軍との間に広がっていた。
石山本願寺が開城し、一向宗の拠点と言える拠点は、残すところ尾山御坊のみであった。そして、その尾山御坊に拠って最後の抵抗を試みようというのが一向宗の思惑でもあった。
尾山御坊は御坊と呼ばれてはいるが、堀に囲まれた堅固な平城であり、又、鉄砲や火薬の類も運び込まれていることから、全くの要塞という他はなく、この城を抜くというのも相当に骨の折れる仕事であった。併し、尾山御坊はどうしても抜かなくてはならない城であり、激戦となるのも必至であった。兵士の一人一人も、そのことをよく知っていたため、殺気だった緊張感が各部隊の中に充満していたのである。
佐久間盛政の一番手に配された部隊の中に、三造と勘七郎はいた。
やがて攻城に取り掛かる合図が鳴り響くと、前田、佐久間の両軍は鯨波を上げて一斉に攻めかかった。大地は粉塵を巻き上げ、静寂を銃声が切り裂き、空渇を弓矢の応酬が埋めていく。三造は城壁を越え、城兵を認めると次から次へと切り伏せていった。三造の視界の端では、勘七郎が同じように敵兵を討ち取っていた。
終始織田方の優勢に事は運び、大勢は決して落城を待つばかりとなった。最早周囲に敵らしい敵はおらず、どこか遠い場所で小競り合いが行われている程度の状況であった。三造はそのことに気が付くと、刀を持つ手を緩め、一息ついた。真横では、勘七郎が同じように刀の持つ手を緩めていた。
三造は、この戦で耳に残った音を思い返した。喚声と絶叫、銃声と風切音、刃を交える音、破城槌が城門を叩く音。そういった音で溢れかえっているはずであった。だが、三造の耳には一つの声しか残っていなかった。
「死ぬなよ」
その言葉だけが耳に残り、そして又、三造と勘七郎を生かしているようでもあった。
尾山御坊を攻略し、勝鬨を挙げると、兵士は皆々車座になり、振舞われた酒を飲んで戦勝を祝った。三造は杯を傾け、酒を飲みながら勘七郎を見た。勘七郎も又、同じように三造を睨み返していた。
――ついぞこの戦でも先駆けできなかった。だが、戦などいくらでもある。でかい戦! そうだ、勘七郎よりも先に駆けるにはでかい戦でなければならない。今に見ていろよ、これまでにないでかい戦になれば、俺は貴様の前を駆けてみせるぞ!
三造はそう思いつつ、酩酊状態になるまで飲み続けた。篝火の明かりを受けた勘七郎の横顔が、酔いのためか、揺らめいて見えていた。
八月。ちょっとした事件が起こった。織田家筆頭格の重臣・佐久間信盛が信長から十九箇条の折檻状を受けて失脚し、高野山へ追放となった。盛政にとって信盛は一族の長に当たるため、連座する形で謹慎処分となったのだが、すぐに赦され、加賀一国を与えられて尾山御坊へと戻ったのである。
盛政の謹慎は僅かな期間であったが、三造には酷く長いものに思われた。断続的に続いていた戦の日々が途切れ、何か突然戦のない日々に引き戻されてしまったからである。
その平穏な日々に置かれたことで、三造はふと思い返したことがあった。おりょうのことである。このまま手柄を立て続ければ、城の一つや二つは手に入るであろうし、勿論、米俵や着物など幾らでも用立てることができるだろうと思われた。併し、おりょうを嫁にやる算段は容易に考えつくものではなかった。三造は、どういう人物がおりょうに相応しいかを考えた。すると、篝火に照らされた勘七郎の横顔が浮かんできたのである。それは三造にとっても意外なことであった。よりにもよって、あの憎らしい勘七郎である。何とか自分の考えを消そうとするも、考えれば考える程勘七郎以外に相応しい人物はいないように思われた。三造は、自分の考えに観念する他なかった。
天正九年、柴田勝家が安土城へ上った隙を突いて上杉景勝が加賀白山城へ兵を進め、盛政はこれを討つために白山城へ向かった。
盛政の部隊は上杉軍を認めると、すぐにこれへと襲い掛かった。
三造は勘七郎に言う。
「勘七郎、死ぬなよ」
その言葉の中には、それまでにない意味が込められていた。
併し、その二つの意味を込められたまじないのような言葉は、やがて意味を失うことになる。