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『湖面の月』 第二回


 越中国に庄川という村がある。庄川は越中国の中でも比較的南方に位置した小村で、これといって何かがあるわけでもない。戦乱らしい戦乱も、上杉が飛騨白川の内ヶ島氏に攻め入って敗北を喫した際に退却路として使用された程度で、それ以外に目立った戦は行われなかった。庄川は戦国の世にあって、どこか時代に取り残されたような場所であった。だが、織田が北上を開始し、愈々加賀の一向宗と干戈を交えるということになると、状況は変わり始めた。織田の部隊が加賀に進軍し、加賀を攻略後に越中へ攻め上るのは必定であり、庄川も含めた越中一帯が戦乱に突入するのも現実味を帯びてきたのである。そうであるからか、庄川の村も俄かに騒がしくなってきた。

 その庄川の村で、三造は生まれた。早くに両親を亡くし、妹であるおりょうと共に叔父の元へ身を寄せ、気が付けば歳も二十を迎えていた。

 三造は、ある日突然思い立ち、自分も戦に身を投じようと考えた。元より余分な食い扶持である。叔父にしても、特に引き止める理由もなかったため、三造が行くというのなら行けばいいという風であった。

 三造は早速加賀へと行き、仕官を試みた。併し、三造は一笑に付されて追い返された。

「仕官したければ槍と具足を身に付けてこい」

 勿論、農村生まれの三造に、そのようなものはなかった。

 三造は失意を抱えたまま村へと引き返し始めた。街道を歩いていると、居ても立ってもいられないような怒りが沸々と込み上げて来た。仕官を試みたのは前田利家という武将の部隊であった。意地でも前田利家に仕官を認めさせたいと思ったが、身体をどう見回してみても、槍と具足はどうにもならなかった。

 行き場のない怒りを抱えたまま歩いていると、気付けば夜になっていた。三造は近くの寺に寄り、一夜の宿を願い出ると、寺の住職は快く承諾した。

 さて、三造は寺の中に入ると、何か想像のしていた寺とは雰囲気が違うことに気が付いた。それもそのはずで、三造が宿を求めた寺は一向宗の支寺の一つであり、武器等が備蓄された一種の補給基地であった。よく見れば、武装した兵士が車座になって屯しており、なんとも物騒な寺と言わざるを得なかった。三造は思い切って寺の住職に訊ねてみると、あれよあれよという間に槍と具足を宛がわれ、一向宗の兵士へと仕立て上げられていったのである。

 それから数日の間、特にこれといった戦はなかった。併し、それ程遠くない内に柴田勝家の幕僚である前田利家の部隊と戦うであろうという話を聞いた。三造は、前田利家という名を聞いて、先日のことを思い出した。意地でも前田利家に仕官を認めさせなくてはならない。三造はそう思い、自身の身体を見回してみた。そこには槍と具足があった。夜半、三造は寺を抜け出し、前田利家の陣所へと向かった。そして仕官を試みると、これもまた一笑に付されて追い返された。

「仕官したければ馬を連れて来い」

 勿論、そのようなものは持っていなかった。

 三造は失意のまま寺へと引き返した。

「槍と具足があるのに何故だ! 畜生! 畜生!」

 悪態をつきながら歩いていると、より一層腹が立っていった。

 寺に辿り着いても尚、三造の怒りは治まらず、前田利家に仕官を認めさせたいという思いは掻き消え、ただただ前田利家に対する恨みばかりが積もっていった。

「嫌な奴だ! 嫌な奴だ!」

 前田利家は格好や見栄ばかりの嫌な奴だ。戦が始まるまで、三造はずっとそう口にし続けていた。

 ただ、前田利家への怒りとは無関係に、武士になるには馬が必要なのだという思いも強くなっていった。とにかく馬を手に入れなければならない。三造の目標は、その一点へと向かっていた。

 そして戦になった。


 丈の伸びた夏草が揺れ、その影が地を左右に掃いている。山々から吹き降ろされる風が平野に満ち、どこか静かな午後の陽に照らされながら、三造は石の上に腰を下ろしていた。風は手取川の爽気を含み、山鳥の間延びした鳴声が遠くに響いていた。その長閑な風景が、三造には異様に思われた。三造の血槍を中心に、二十を下らない死体が自然の中に溶け込んでいたからである。

 金沢平野の中部、手取川の南岸に於いて一向宗と織田の部隊が対峙し、戦端が開かれたのは二刻程前のことであった。三造は一向宗の部隊に属し、織田方の先鋒である前田の部隊と戦い、怒りに任せて遮二無二槍を突き、眼前に現れる敵兵を只管討っていった。併し、気付けば味方の兵は全て討たれ、もしくは敗走し、周囲には一人の味方もいなくなっていた。既に勝敗は決し、纏まった数の部隊同士による戦闘はどこにも見られない中、それでも三造は退かず、襲い来る寄せ手を次々と打ち倒し、半刻の後、周囲には三造以外の生者は見当たらなくなっていた。三造は、刃を向ける相手が途絶えたのを認めると、近場にあった石に腰を下ろした。身体に受けた傷は十数創。満身創痍そのものであり、腰を下ろしたと同時に、どっと疲れが押し寄せ、最早立って敵と切り結ぶ余力は残されていなかった。

 三造は目を閉じてじっとしていた。起きたまま寝ているような感覚の中、馬の嘶きを聞いた。その嘶きが、遠いとも近いとも思われなかった。ただそういう音がしているということしか認識できないほど、意識は朦朧としていたからである。だが、三造の意識は突然引き戻された。

「貴様がやったのか?」

 随分高い所から声が聞こえ、三造はゆっくりと目を開いた。栗毛の馬に乗った威風堂々たる若武者が、その馬上から三造を見下ろしていた。

 三造は問い掛けに答えず、暫く若武者を睨み据えていた。そして三造は言った。

「どこの者だ?」

「ふん、どこの者だと訊ねるか。織田家中にあって、佐久間盛政の顔と名を知らぬ者はいない。貴様、織田の者ではないな」

 三造は沈黙した。沈黙は肯定と同義であった。

 盛政は再び口を開いた。

「貴様がやったのか?」

「……いかにも」

「どのようにして?」

「迫り来る敵は全て殺した。証拠はこの槍一本で十分だろう。ただそれだけだ」

 盛政は特に驚く素振りもなく、ただ三造を見下ろしていた。そして言った。

「貴様、俺の配下になれ」

 思いがけぬ言葉であったが、三造も驚く素振りを見せなかった。

「俺が織田に降るとでも?」

「この戦で貴様が殺した者の知行と役目をくれてやる。他に欲しい物があれば言ってみろ」

 三造の言葉を全く無視する形で盛政は言った。その態度は高圧的であったが、どこか実力に裏打ちされた自信に因るものを感じさせられた。三造は、盛政が只者ではないことに気付いた。

 三造は暫し目を閉じ、黙考している風を装った。元より一向宗に加担し、命を捨てる義理はない。前田利家に対する個人的な恨みがあっただけで、織田に仕官できるのであれば、それに越したことはないのである。そして、前田利家に対する恨みも、前田の兵を散々打ち倒したことで半ば薄れていた。ただ、盛政の提案にすぐに飛び付いては癪に障るという程度のことであった。

 三造は目を開き、盛政を凝視しつつ微動だにしなかった。そして、

「馬を……馬を一頭戴ければ」

 と言った。併し、三造は、その後の盛政の返事を聞いてはいなかった。

 ――これで俺は武士になれる!

 そのような思いが、三造の心中を駆け巡っていたからである。


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