『湖面の月』 第一回
一
「死ぬなよ」
それが勘七郎と三造の儀式であった。
天正十一年(一五八三年)の五月、眼下に広がる余呉湖の水面は夜の空を映して暗かった。佐久間盛政の部隊は大岩山砦に篭った中川清秀を屠り、続いて桑山重晴の守る賤ヶ岳砦を攻略する算段であった。併し、日は既に暮れており、将士は皆疲れ切っていたため、強行軍を控え、一先ず大岩山砦で一夜を明かすこととした。将兵は何時でも戦えるよう身形を整えると、それぞれ思い思いに身を横たえた。
勘七郎は松木に背を預け、一息ついた。周囲に視線を遣ると、すぐに三造が目に入った。三造も勘七郎と同じように、松の木に背中を預けて目を閉じていた。勘七郎は三造のことを考えていた。
如何なる戦であっても勘七郎と三造は先陣を競って争い、勘七郎の真横には三造が、三造の真横には勘七郎が常に並んで駆けているという間柄であった。勘七郎と三造は特に仲が良いわけでもない。むしろ、勘七郎にとっては、どちらかと言えば三造は気に食わない相手であった。三造は己の武勇を鼻にかけるところがあり、勘七郎はそれが気に食わなかったのである。併し、勘七郎も似たようなものであったので、三造も又、勘七郎のことを似たように思っていたに違いなかった。
勘七郎にとって三造は憎たらしい相手であったが、ただ一つ、勘七郎は三造に特別なものを感じることがあった。それは合戦が始まる瞬間、三造が勘七郎に掛ける一つの言葉であった。
「勘七郎、死ぬなよ」
三造は半ば嘲笑とも思えるような言い方で、その言葉を口にする。
――この程度の戦で俺が死ぬとでも思っているのか!
勘七郎は、三造の言葉を聞く度にそのような思いが込み上げてくる。そして、三造に、死ぬなよ、と言われることで勘七郎は不思議と自分が死ぬとは思えなくなるのである。
「三造、貴様こそ死ぬなよ」
この言葉の取り交わしが、勘七郎と三造の儀式であった。
だが、この戦ではそれがなかった。三造からの言葉がないため、逆に勘七郎から
「三造、死ぬなよ」
と声を掛けるも、三造は、ああ、と一声、気のない返事をするだけで、それ以上は何も言わなかった。
これまでの戦では、勘七郎は自分が死ぬだろうと微塵も思わなかった。自身が属する部隊の将である佐久間盛政は織田家中随一の猛将であり、又、その部隊は精鋭として知られ、如何なる相手であろうと敵にはならないように思われたし、勿論、自分が死ぬとも思えなかった。併し、今は違った。柴田勝家と羽柴秀吉が命運を賭けて決戦を行おうとしている。そのこれまでにない規模の戦が行われるとなると、自分が死なないとも思い切れないところがあった。それに加えて、三造の異様な反応である。何か良くないことが起きるのではないかという不安が頭から離れなかった。
勘七郎は三造を見る。一体、三造の胸の内で何が起こっているのであろうか。




