ストーカーと俺。
それは奇妙な出会いだった。僕が歩道を歩いていると、真正面から彼女はやってきたのだ。日差しを受けて艶々と光る黒髪を肩まで伸ばしている。切れ長の瞳は美しく顔の内部のバランスも悪くない。腰はきゅっと引きしまっていて、雑誌のモデルよろしく化粧も服装もばっちり決まっている。
その彼女と後数歩で交わろうとした瞬間だった。
「ああ……」
と、俺の目の前で彼女は驚いたような顔で立ち止まっていた。
「え? 」
俺は遠くから値踏みしていたので、彼女が美人であることも分かっていたし、自分の知り合いでないことも分かっていた。だから、その時の彼女の反応は理解の外にあった。彼女はしばらく、口元を両手で覆っていたが、突然、はっと我に帰ったように口から手を話すと、
「あ、人違い、ははは」
そそくさとその場を足早に立ち去ったのだ。しかし、それから間もなく、俺の奇妙で甘く不可思議な彼女との関係が始まったのだ。
バイト先の同僚高木さんとたまたま一緒に仕事場へ向かっていた時だった。
「お前、今日もつけられてるぜ」
高木さんが背後をちらちら見ていたので、彼に言われる前から分かってはいたが。いつものように彼女は俺をつけてきているようだった。
「ああいうの、ストーカーっていうんかねぇ」
「さぁ……」
「でもおまえうらやましいわ、俺もあんな美人に一度でもいいからつけられてみたい」
「ええ、それは」
迷惑そうな顔で反論しようとしたが、実は本人も彼女に付きまとわれていて、そう悪い気はしていなかった。俺ももてないわけではないのだが、あれほどの美人にこうも毎日献身的にストーカーされていると満更でもない。 ただ、全く不安がないわけでもなかった。
それを見透かしたように先輩は付け加えた。
「でもまぁ、ストーカーの理由が分からない以上、油断はしないほうがいいな。彼女がどんな目的で、もしくはどんな妄想でお前をつけているなんて分からない。よくあるじゃないか、ストーカー犯が凶暴な事件を……」
高木さんが語尾を低めて口ごもると、俺は余計に不安を膨らまされて、
「や、やめてくださいよ、そんなことないですよ」
小走りに工場の入り口に駆け込んだ。
夕暮れ時、昼のバイトから帰ってくると高校生の妹が帰っていた。妹は俺が帰ってくるや否や、開口一番、
「幸平兄ちゃん、今日もあの人きてるわよ」と言った。
俺はカーテンの隙間からそろっと窓の外を盗み見る。家の前の細い道路をはさんだ向かいにその女性はいた。電柱に手をかけて、白いジャケットに黒のスカート、サングラスをきたいかした女が立っている。帰ってきたときは気づかなかったが、どこかに隠れていたのだろうか。
「よく毎日頑張るよね」
「ああ」
まだ4月だから外は寒かろうに。
「何している人なんだろうね? 」
「さぁ、でもほぼ毎日くるところみてたら、火事手伝いの無職か、水商売みたいな時間の融通きくところではたらいているか……」
俺が常識的かつ希望的観測を述べていると、妹は悪戯っぽい顔で、
「もしくは、探偵、殺し屋か、妄想壁のある精神病もちとか……」
妹も先輩と変わらない発想だなっと苦笑しつつ、
「もしそうなら、とっくに俺の件から引き揚げているか、あるいは、何かのコンタクトがあったり、最悪殺されていてもよさそうだけどね、それにあんなに尾行の下手な探偵や露骨に姿を見せる殺し屋も珍しい」
てことは、やはり、病的な妄想を持つストーカー? それも嫌だなと考えながら、すぐに頭を振ってイメージをかき消す。
「だけど、本当不思議だよね、何でこんな兄ちゃんみたいなさえない男の後を」
「こら、さえないは余計だろ! 」
「あはは」
「まぁ、でも実際問題気味が悪いよな」
俺が悲観的にいうと、妹は潰れたような鼻をふんと鳴らして、にやっと笑った。
「全然困っているように見えないんですけど」
そうなんだ、一番の問題は彼女のストーカーをあまり気にしていない俺なんだ。なぜか彼女からは殺気は感じないし、むしろ、なんか温かく見守ってくれているような。そんなだからすぐに対策を打とうという気にはなれず、ずるずる彼女に追跡される日にちだけが過ぎていた。
ある日、バイト先で以前から目につけていた真由美ちゃんと、外で夕食をとることになった。今日はさすがにストーカーをされたくなかったので、工場の裏門から出ることにした。
「まだ、変なのこにストーカーされているの? 」
「うん」
「びしっと言ってやれば? びしっと! 」
快活な真弓ちゃんは男勝りなところがあって、曖昧な調子が嫌いな人種だ。でもそのなんでもきっぱり明解に発言するところがまた魅力があって。
「今日はいないみたいだ、残念」
「いたら、びしっと言えたの? 幸ちゃん」
「ああ、言ってやるにきまってるじゃん」
言いながら、俺は彼女がいないことに心底胸を撫で下ろしていた。真弓ちゃんの前じゃマジで、背中押されて言わされていたはずだから。
「今日はごちそうさまでした」
「ああ、うまかったね、また今度行こうよ」
「いいよ、幸ちゃんと話してると楽しいし」
不意に出た言葉だったが、本人も漏らしてからはっとしたように顔を真っ赤に染めていた。もちろん、そんな親密な言葉に慣れていない俺も虚を突かれ石化していた。みたらしが、蜜の尾をひくかのような甘い沈黙が続いていたが、
「そ、それより、今日はあの人いないみたいだね」
「え、ああ、あの人ね」
俺は照れ隠しをするように、左右を見回していたが、ある場所で視線をがっちり捕まれてしまう。薄暗い歩道の先で見慣れた白いジャケットを着た女性が突っ立っていたのだ。なんてこった。このいい雰囲気の時に。俺の頭は混乱していた。
「どうしたの? 」
「いや、なんでもない」
あらぬ方向を見てやり過ごす。なんとか真弓ちゃんに彼女の存在を悟られる前にこの場から抜け出さなければ。
俺は打開策を練りながら、再びあの子に視線を戻す。すると、悪いことに今度は、視線がばっちり合ってしまった。
目を吊り上がらせたあの子は、俺達に向かって歩き始めている。
「あ、あのさ、真弓ちゃん、さっきのあの人なんだけど」
隠せないと分かると、俺は早めに真弓ちゃんに切り出した。何が起こるか分からないなら、意思疎通を図って置いた方がいいと思ったからだ。僕の脅えた表情を見て、彼女は違和感を感じ取ったのか背後を振り返る。
「あらら、今日もきていたんだ! 恐れ入るわ~、でもチャンスだね! 今度こそおはっきりと……」
言っている間に、あの子が猛然とこちらへダッシュしてきた。
「うわ、なんだ」
「え? 」
あまりに突然の事態に、俺は真由美ちゃんを俺の背後に突き飛ばした。
「な、なにを……」
俺は両手を広げて真弓ちゃんの前に立ちふさがった。
真弓ちゃんの楯となり死のう……
悲壮な覚悟を胸に刻んでいた。
イメージの中ではあの子の手にナイフが握られている。
時間がゆっくり流れるのを感じた。スローモーションのようにあの子は着実な足取りで俺との距離を詰め……
しかし、緩やかに流れる妄想のなかへ、大きなドスのきいた声が割って入った。
「おらー! 」
何か先の尖ったものがへその辺りに食い込む感触。
俺は死を受け入れかけた、
だが、横から俺の体にかかる重圧の面積は思ったより広い。
次の瞬間、俺は背後に弾き飛ばされていた。
アスファルトの上にお尻から倒れこむ。
その傍に華麗に着地したストーカー女。直後に、コンクリートに雷がおちたような、ゴツンいう鈍いが周囲の空気を震わすような轟音が響いた。
何が起こったのか最初は分からなかった。
「危なかったなぁ」
「え? 」
固く閉じていた目を開けると、ストーカーのあの子が俺の前に、自分の腰に手を当てて仁王立ちしていた。その背後には大きなコンクリートの破片みたいなものが転がっている。
「しかし、こういう結末だったとはね、さすがに予想つかなかったわ」
彼女はそう言って、俺の背後の真弓ちゃんに視線をずらすと、
「あんたも危機一髪だったね、下手したらこの子と一蓮托生だったよ」
真弓ちゃんは膝をがくがく震わせて、そのうちへなへなとその場にくず折れた。
まだショック状態で口が聞けないらしい。
「な、なんで、ど、どうして、あのど、どういうこと? 」
かろうじて口が聞けた俺は、彼女にこのわけのわからない事態の説明を求めた。
私さぁ、あんたとすれ違った時感じちゃったのよ。こいつは間違いなく近いうちに死ぬ! ってね。だから、なんとしても助けてやらなければって。そして、昨日はっと分かったの。 あんたが今日死ぬことが。でも、まさか上から降って来るなんてね。アナタの頭上の看板が揺れ始めた時には焦ったわよ。言葉かけてたら間に合わないので、蹴り飛ばすしかなかったの、ごめんね!
「じゃ私もすっきりしたし、帰るわ」
彼女がさばさばとした様子で踵を返すのを見て、たまらなくなって俺は立ち上がった。
「ま、待って」
「あ? 」
「お名前よろしければ? 」
「常盤ほとり」
ネオンの光を受けて白く浮きだったほとりさんの顔は凛々しかった。魅惑的な彼女の虜とするのに、十分な破壊力を秘めていた。
この事件を機に今度は、俺が彼女をストーカーすることにはなったのは言うまでもない。




