03 ナタリー
03 ナタリー
フレッドと二人で婚約指輪を見ようと、宝飾店へ向かっていたときのことだった。
「エリザベス、こんにちは! こんなところで会うなんて」
聞き覚えのある明るい声に呼び止められ、エリザベスは足を止めた。
声の主は、王立学院時代の同級生であるナタリーだった。
ナタリーは親しげな笑みを浮かべてエリザベスに駆け寄ると、すぐに隣に立つフレッドへ目を向けた。
「素敵な方と一緒ね。紹介してくださらない?」
「こんにちは、ナタリー」
エリザベスは挨拶を返すと、少し誇らしい気持ちで二人を引き合わせた。
「こちらはフレッドさん。親しくしていただいているの。フレッドさん、こちらはナタリー。財務部に勤める才媛よ」
「初めまして。フレッドと申します」
「ナタリーです。よろしくお願いします」
ナタリーは優雅な笑みをフレッドへ向けたあと、わずかに困ったような顔でエリザベスを見た。
「エリザベス、本当の才媛はあなたでしょう? でも、お世辞でも褒めてもらえると嬉しいわ」
そう言って楽しそうに笑うナタリーに誘われ、エリザベスとフレッドは三人で食事をすることになった。
エリザベスも、久しぶりにナタリーとゆっくり話したかった。
それに、フレッドを紹介して、少しくらい自慢したいという気持ちもあった。
エリザベスとナタリーは、王立学院の同級生だった。
当時、エリザベスにはすでに婚約者がいた。卒業後には結婚することが決まっていたため、自分の将来について深く考えることもなく、のんびりと学院生活を送っていた。
一方のナタリーは、文官試験を受けるため、毎日のように懸命に勉強していた。
図書室で一人、机に向かうナタリーの姿を見ているうちに、エリザベスも文官試験を受けてみたくなった。
結婚前の思い出作りになればいい。
その程度の、軽い気持ちだった。
ところが、エリザベスは文官試験に首席で合格した。
「おめでとう。さすがね」
結果を知ったナタリーは、笑顔で祝福してくれた。
けれど、その声は不自然に割れていた。
そのことには、エリザベスもナタリー自身も気づいていた。
それでも、二人は互いに気づかなかったふりをした。
試験に合格したあと、エリザベスはさまざまな部署から誘いを受けた。
首席合格者である彼女を迎え入れたいと考える部署は多かった。しかし、エリザベスは卒業後に婚約者と結婚するつもりだったため、すべての誘いを断った。
結婚して爵位を継いで、家を守ることになる。
文官として働く必要はないと考えていたのだ。
それなのに、婚約者は義妹と結婚したいと言い出し、エリザベスとの約束を一方的に反故にした。
「君なら一人でもやっていける。僕なんかには、もったいないよ」
それが、彼がエリザベスに告げた最後の言葉だった。
「そうよ。エリザベスはなんでもできるから家と爵位はパトリシアに譲ってくださいな。ロバートがついているから心配はないわ」
義母が笑ってそう告げ、父も笑顔でうなずいていた。
王都の屋敷には、元婚約者と義妹、義母、そして実父が残った。
エリザベスの居場所はなくなった。
追い出されるように家を出た彼女は、母方の祖母が所有していた古い屋敷へ移り住んだ。
家族の誰も、エリザベスを引き止めなかった。
王立学院の学院長が個人的にスミス侯爵を紹介してくれたことで、エリザベスは資材管理部で働けることになった。
学院長にも、部長であるスミス侯爵にも、心から感謝していた。
首席合格という実績があったとしても、それだけで生活していけるわけではない。働く場所を与えられ、自分の力で収入を得られるようになったからこそ、彼女は家族に頼らず生きていけるようになったのだ。
資材管理部は、その仕事の性質上、ほとんどすべての部署と関わりがある。
そのため、財務部に勤めるナタリーとも、ときおり仕事で顔を合わせるようになった。
それをきっかけに、途切れていた昔の付き合いが復活した。
今では、たまに食事を共にし、互いの仕事の愚痴を言い合う仲になっていた。
その日の食事も楽しいものだった。
話し上手なナタリーの話題は尽きることがなく、フレッドも礼儀正しく応じていた。二人の会話はよく弾み、沈黙が生まれることはほとんどなかった。
特にフレッドは、エリザベスの学生時代の話を聞きたがった。
「エリザベスさんは、学生の頃から何でもできたんですか?」
「ええ。それはもう。先生方からも一目置かれていたわ」
ナタリーが得意げに答えると、エリザベスは困ったように眉を寄せた。
「ナタリー、余計なことまで話さなくていいのよ」
「余計なことなんてないでしょう?」
楽しそうに笑う二人を見ながら、エリザベスも笑った。
フレッドがナタリーと打ち解けてくれたことを、素直に嬉しく思っていた。
その日は食事に時間を取られたため、婚約指輪を見ることはできなかった。エリザベスとフレッドは、後日改めて二人で宝飾店へ行く約束をした。
けれど、その頃から、フレッドは急に忙しくなった。
「すみません。また仕事が入ってしまって」
申し訳なさそうに謝るフレッドに、エリザベスは穏やかな笑みを返した。
「仕方ありません。お仕事ですもの」
そう答えながらも、胸の奥には小さな寂しさが残った。
婚約指輪を見に行く約束は、一度、また一度と先延ばしになった。
部長が間もなく帰国するとの知らせも届いていた。
フレッドも、それまでには何とか時間を作りたいと思っているはずだった。
部長が帰ったら、真っ先に婚約を報告する。
きっと大喜びしてくれる。
「やっぱりな。最初から分かっていたよ」
部長なら、得意そうな顔でそう言うはずだ。
エリザベスには、その様子が目に浮かぶようだった。
そう考えているのに、なぜか胸がざわついた。
フレッドに会えない日が重なるたび、そのざわめきは少しずつ大きくなっていった。
仕事が忙しいだけだと理解している。
それでも、以前なら短い時間でも顔を見せてくれた。会えない日が続けば、手紙を届けてくれることもあった。
最近は、それすらも減っていた。
それでも、エリザベスには自信があった。
フレッドが自分を裏切るはずはない。
いや、たとえ心変わりをしたとしても、不誠実な方法でエリザベスを裏切ることなどできない。
そのような真似をすれば、部長が決して許さないからだ。
だから、大丈夫。
きっと考えすぎだ。
エリザベスは何度も、自分にそう言い聞かせた。
けれど、一度芽生えた不安は消えるどころか、日を追うごとに膨らんでいった。
そんなある日の帰り道、エリザベスは気晴らしに、好きなケーキでも買って帰ろうと思った。
普段はあまり足を運ばない地区にある菓子店まで、わざわざ遠回りをした。
店の扉を開けると、甘い香りが鼻をくすぐった。色とりどりの菓子が並ぶ中から、エリザベスは一番好きなケーキを選んだ。
丁寧に包まれた箱を抱えて、再び通りを歩き始める。
これを食べれば、少しは気分が晴れるかもしれない。
温かいお茶を淹れて、今日は早めに休もう。
そう思っていたときだった。
通りの向こうを歩く二人連れが、目の端に映った。
一人は、よく知っている女性だった。
歩き方にも、明るい色の髪にも見覚えがある。
その隣を歩く男性の横顔も、見間違えるはずがなかった。
エリザベスの足が止まった。
頭の中では、違うと言い聞かせていた。
偶然、同じ方向へ歩いているだけかもしれない。仕事で一緒になっただけかもしれない。
けれど、二人の距離は、ただの知人というにはあまりにも近かった。
考えるより先に、声が出ていた。
「ナタリー。フレッド」
二人が同時に振り返った。
「エリザベス」
フレッドが彼女の名を呼んだ。
その声は妙に硬く、いつものような親しさがなかった。
一方、ナタリーは晴れやかな笑みを浮かべていた。
二人の顔を見た瞬間、エリザベスの胸の中で膨らみ続けていた不安が、はっきりとした形を持った。
名前を口にしたことで、ずっと恐れていたものが現実になってしまった。




